93 血風の砂海戦 後編
週末ですね。皆様、お疲れ様でした。
【大陸歴1415年9月12日 夜明け頃】
〈バグラ視点〉
「・・来るぞ。」
バグラの低い声と同時に、空の色が濁る。
生暖かい風が砂丘を吹き下ろしてきたその時。
全天に広がった美しい朝焼けを引き裂くように、北西の地平線から砂嵐の壁がせり上がってきた。
砂丘を乗り越え、『奪い去る刃』号の背後から姿を見せた巨大な壁は、一瞬にして戦場を呑み込んだ。
「視界、20歩(およそ15m)もありません!」
豪風の中、アーシの声は震えていた。
砂丘の陰になっているとは言え、砂嵐の中で帆を張ったままでいるのは、まさに狂気の沙汰。
いつ風に攫われ、船体を引き裂かれても不思議ではない。
彼は一瞬も帆から目を離さず、激しい風の流れを読みながら、精密に船を操った。
砂嵐の壁の向こうからは、悲鳴と共に木材が引き裂かれる音が断続的に響いていた。
そして、巨大な壁が過ぎ去った時、アーシの視界に映ったのは、残骸となった船と砂に埋もれて絶命した多くの敵船員の姿だった。
しかし、すべての船が姿を消したわけではなかった。
こちらに向かってゆっくりと進んでくる巨大な船影。
最新鋭大型戦艦である『奪い去る刃』号に、勝るとも取らない巨体を誇る敵船団の旗艦は、砂嵐の吹き返しを利用して、急速にこちらへ接近してきた。
巻き上がる砂の中、敵船から赤い閃光が迸る。
「火球、来ます!!」
「左舷75度、急速回避!」
敵船の魔術師が放った火球は、『奪い去る刃』号の黒い船体をかすめて、砂丘に突き刺さった。
轟音とともに炎が炸裂し、砂柱が天へ噴き上がる。
舞い上がった砂が艦上のバグラたちに降り注ぎ、船体は大きく揺れた。
直撃すれば、間違いなく船腹ごと削り取られる一撃。
オルワの回復魔法によって血色の戻ったデケムの頬に一筋、冷や汗が伝う。
バグラは咄嗟にオルワに目を向けたが、彼女は静かに頭を横に振った。
彼女の神聖力を持ってしても、〈絶対魔法防御の祈り〉を巨大な船全体に展開することは不可能なのだ。
そもそも火球そのものを消し去ったところで、その衝撃まで消し去ることはできない。
次の火球が放たれるまでの僅かな時間を利用して、『奪い去る刃』号は砂丘を滑り降りた。
すれ違いざま、バグラは一瞬、敵船の艦上にいる魔術師の姿を確認することができた。
装飾の施された杖を持ち、豪奢な長衣を纏ったその男は、嘲るような表情でこちらを見ていた。
魔術師の口が動く。
直後、空中に展開された魔法陣から火球が飛び出し、過ぎ去ろうとしている『奪い去る刃』号に迫る。
火球が船尾に食いつこうとする寸前、帆綱を使って艦上を駆け抜けたバグラは、途中で手にした鋲弾を火球めがけて投げつけた。
鋲弾に触れた火球は、バグラの眼前で炸裂した。
「ぐおおおおっ!!」
炎がバグラの身を焦がし、赤熱した金属片が全身に降り注ぐ。
咄嗟に身体を折り曲げて致命傷は回避したものの、彼は爆風でマストに叩きつけられ、かなりの深手を負ってしまった。
「しっかりしろ!」
直後、デケムの声とともに、液体が頭に振りかけられた。
中級回復薬の効果で体の痛みが引いていく。
「助かったぜ、旦那。」
デケムの手を借りて起き上がった時、後方にいる敵船は距離を詰めようと、こちらに方向を変えようとしていた。
その艦上では、魔術師が杖を構え、次の詠唱の準備に入っている。
その顔は、逃げる獲物を追いつめる追跡者の愉悦で、醜く歪んでいた。
「アーシ、次の砂丘の裏へ入る。」
アーシはその一言で、バグラの思惑を察した。
砂丘を横に見ながら、あえて意図的に船足を落とす。
一気に距離が詰まり、二隻は砂の上で並走した。
砂海戦の常識ではありえない、異様な光景だった。
射程に入ったことで、砲手たちは大型弩砲の狙いを定め始めた。
しかし、バグラはすぐにそれを察すると、砲手たちに命じた。
「撃ち返すな。誘え!」
驚く砲手たちだったが、すぐに掩体の陰に身を伏せる。
次の瞬間、敵船から放たれた鎖鋲が、『奪い去る刃』号に突き刺さった。
それを待ちかねたかのように、敵船の魔術師が火球を放つ。
狙いは帆船の命であるマストだ。
中央のマスト目掛けて放たれた火球は、直線的な軌道を描いて『奪い去る刃』号に迫った。
しかし、アーシはそれを読み切っていた。
素早く舵を切って、あえて船体を大きく傾ける。
火球は3本のマストの間をすり抜け、背後の砂丘に突き刺さった。
激しい衝撃とともに、砂丘が大きく崩れる。
あらかじめ船体を傾けていた『奪い去る刃』号は、崩れ落ちる砂に乗り、敵旗艦に突進した。
自らの鎖鋲に引きずられ、無防備に晒した敵船の脇腹を、鋭い衝角が切り裂く。
強い衝撃を受けて、艦上の魔術師はその場に転倒し、持っていた杖を取り落とした。
「出番だぜ、旦那ぁ!!」
デケムはバグラの言葉が終わる頃にはすでに、曲刀を手にして、敵船に飛び込んでいた。
眼前に迫る刃に、魔術師が顔を歪める。
悲鳴を上げる間もなく断ち切られた魔術師が空中を舞い、砂上に落ちていった。
「野郎ども、俺に続け!」
砂を蹴り、宙を舞い、敵船の甲板へ雪崩れ込む。
バグラは曲刀を抜いた。
「バグラ! ここで引導渡して・・!」
迎え撃った敵が言い終える前に、バグラは一刀でその男を切り捨てた。
曲刀が閃き、そのたびに敵が倒れる。
足元は舞い上がった砂で不安定だが、バグラの動きに迷いはない。
「一斉にかかれ! 弩砲を使うんだ!」
一段高くなった敵船の中央。
指揮官と思われる男が、手下に指示を出している。
その顔には見覚えがあった。
「シャハド!」
バグラは跳んだ。
帆柱から垂れる帆綱に銀鈎を引っ掛け、船上を駆ける。
群がる敵兵を一気に飛び越え、バグラは指揮官の眼前に降り立った。
「バ、バグラ! てめえっ!!」
「お前、寝返ったのか。」
恐怖に顔を歪める男に、バグラは短く言った。
シャハドはザイヤード配下の私掠船団を率いる男。
長年に渡って一家を支えてきた彼は、ザイヤードの護衛にも深く関わっていた。
そのシャハドが寝返ったというなら、デケムほどの男が簡単に主を死なせたのも納得がいく。
「うるせえ! てめえに何が分かる!!」
シャハドの剣の技量は、バグラに遠く及ばない。
追い詰められた彼は、やけになって曲刀を引き抜き、バグラと対峙した。
「先に裏切ったのはあの爺の方だ! ずっと尽くしてきた俺を見捨てて、お前なんかを一家に引き入れようとしたんだからなああ!」
「・・何のことだ?」
あまりのことに面食らったバグラは、素でそう聞き返してしまった。
「とぼけるな! お前、あの爺から、あの戦艦を譲り受けただろうが!!」
詳細は分からない。
だが、おそらくナクリアットに唆されたのだろうということは、容易に想像がついた。
愚かな男だ。
興が醒めたバグラは、シャハドに背を向けた。
「!? 何の真似だ? 俺を舐めやがって!!」
「馬鹿か。お前の相手は俺じゃねえ。そうだろ、旦那。」
ハッとして振り向くシャハド。
そこにいたのは、全身に敵兵の返り血を浴び、修羅の表情を浮かべるデケムだった。
「裏切り者め。貴様に戦士としての死はくれてやらん。」
シャハドが振り向くよりも早く、デケムはその貧相な背中を袈裟懸けに切り捨てた。
足元に崩れ落ちるシャハド。
デケムはその穢れた血を振り払うかのように、大きく曲刀を振り抜いた。
「リディの仇だ。」
小さく呟いた彼は、曲刀を握る手に力を込め、再び戦場へその身を投じた。
戦いの趨勢は決した。
命乞いする敵兵を、バグラは苛烈に殺し尽くした。
すべてが終わり、めぼしい物資を奪い取ったあと、彼らは戦場を後にした。
投げ込まれた死体を狙って、砂漠ザメが周囲を泳ぎ回っている。
抜け殻となった敵旗艦は船体を大きく傾かせ、沈み込むように砂丘から崩れた砂に埋もれていった。
砂嵐はいつの間にか通り過ぎ、地平は青く澄み渡っている。
「いよいよだな。」
「ああ、次が本番だ。頼むぜ、旦那。」
バグラが差し出した左腕の銀鈎に、デケムは手にした曲刀の柄頭を合わせた。
澄んだ金属音が、朝焼けの砂海に響く。
その音を合図にしたかのように、船の速度がぐんと上がる。
吹き渡る風を掴まえた『奪い去る刃』号は、敵首魁が潜む魔都へと真っ直ぐに進んでいった。
お読みいただき、ありがとうございました。




