96 後悔との決別
暴力的・性的な描写があります。苦手な方はご注意ください。
【大陸歴1415年9月17日 夕刻】
〈バグラ視点〉
2日後の夕刻。ナクリアットに動きがあったとの知らせを受けたバグラたちは、すぐに行動を開始した。
「じゃあ、いっちょ派手にぶちかますぜ。旦那、頼んだぜ。」
真新しい装束と革鎧に身を包んだバグラ。
それと対象的に、黒装束のデケムは無言で頷いた。
目的は同じ。これ以上の言葉はいらない。
バグラは彼を振り返ることなく、潜んでいた路地裏から、8番埠頭へつながる大通りに飛び出した。
「バグラ!? てめえ、何しに来やがった!!」
警護のため周辺に配置されていたナクリアットの私兵がバグラに群がる。
曲刀を手に周りを取り囲んだ私兵たちに、バグラは傲然たる笑みを向けた。
「お前らみたいな木っ端どもじゃ、話にならねえ。ナクリアットを出せ。」
「お前みたいな狂犬を、ナクリアット様に会わせるわけないだろうが! おい、応援を呼んでこい! 数で押しつぶしてやる!!」
それを聞いたバグラは、呵々大笑して愛用の曲刀を抜き払った。
「ちょどいい。お前らを全員斬り殺して辿っていけば、ナクリアットの野郎に会えるってわけだ。」
夕刻の街の明かりを反射して、バグラの銀鈎が凶悪な光を放つ。
「道案内、よろしく頼むぜ!!」
神速の刃が、私兵の首を跳ね飛ばす。
惨劇が幕を開けた。
〈デケム視点〉
バグラと別れたデケムは、手筈通り8番埠頭の倉庫街に潜伏していた。
「バグラの野郎が現れたそうだ! 今、表通りで大暴れしてやがる!」
「たった一人で乗り込んできたってのか? 完全にイカれてやがる。」
「呑気なこと言ってる場合か!? もうすぐナクリアット様が商品の検分にいらっしゃるってのに!」
「よし、手分けしよう。お前はナクリアット様に知らせにいけ。俺とこいつがこの場に残る。あとの連中はバグラと戦ってる連中の加勢に行くんだ。」
倉庫作業員に偽装している私兵たちが、散っていく様子を静かに見守る。
夕闇の差し込む路地の影は濃く深い。
その影の一部となったデケムは、倉庫の裏口を守るために残った私兵たちに音もなく忍び寄った。
ほんの一呼吸。一瞬で背後から男の口を塞いだ。
流れるような動きで、黒く塗られた刃が男の喉をかき切る。
ヒュッという断末魔が、むき出しになった気管から漏れる。
その音に気づいて、もう一人の男が振り返るよりも早く、デケムの短剣はその男の心臓を正確に貫いていた。
幅の広い短剣をひねり、切り裂かれた心臓に空気を送り込む。
男は何が起こったか知ることもなく、一瞬で絶命し、その場に崩れ落ちた。
ここからは時間との勝負だ。
デケムは素早く倉庫に侵入し、事前の情報に従って隠された入口を探した。
だが、広い倉庫の中、巧妙に隠された入口を特定するのは、容易ではなかった。
神経が焼ききれそうなほどの緊張感の中、それでもデケムは冷静に痕跡を探す。
やがて、彼は穀物をいれておく木箱の一つに、不自然な跡があるのを発見した。
仕掛けを探し、見つけたレバーを引くと、音もなく木箱が動き、地下へ続く階段が現れた。
物を運び込むためだろう、階段の幅はかなり広い。下には僅かに光が見える。
デケムは慎重に階段を降りた。
階段の先は、薄暗い廊下だった。
壁にはおそらく魔法の品だろうと思われる古いランプが複数あり、それが僅かな視界を提供してくれている。
幅の広い廊下の突き当りまでの長さは30歩(およそ20m)ほど。
突き当りに1つ。そして左右の壁に、一定間隔に3つずつの扉がある。不自然なほど、厚く丈夫な扉だ。
何処かから、かすかに人の声が聞こえた。デケムは扉に近づき、一つずつ中の音を確かめた。
一番手前の右側、最初の扉から聞こえたのは、数人の男の話し声。
デケムはここに当たりをつけた。
壁にピッタリと身体を合わせ、手を伸ばして扉をノックする。
中で誰かが動く物音がした。
「なんだ、もう取引が始まるのか? まだ商品の検分も終わってないってのに。」
扉の奥から顔を覗かせた文官風の男は、そう呟いて廊下を見回した。
「なんだ? 誰もいないじゃ・・ひっ!!」
「な、なんだ!? どうした?」
扉の陰に引き込まれるように姿を消した男。
それを見て、部屋の中の男たちが声を上げる。
しかし、直後、再び扉の陰から姿を現した男の背中を見て、安堵の息を吐く。
「な、なんだ。びっくりさせるなよ。飲みすぎて足でももつれさせたのか?」
「女たちを見張ってた連中も、さっき慌てて出払っちまったからな。なんかあったかのかと、ビビっちまったぜ。」
「連中もいなくなったことだ。せっかくだから、最後にまた楽しませてもらうか?」
「役得だよなあ、あの連中。サファだっけ。あんな上玉、オレたちみたいな文官じゃ、またいつお目にかかれるか、分かんないぜ。」
そんな軽口に下卑た笑いを立てる男たち。
だが、いつまで経っても、入口の男は背中を向けたまま。
「おい、本当にどうしたんだ?」
そう声をかけた男たちの目の前で、入口に立っていた男がゆっくり仰向けに倒れる。
それに気を取られていたため、男たちは反応できなかった。
その男の陰に隠れて、黒い凶風の如く部屋に侵入してきた男の動きに。
3人の男の命を一瞬で奪ったデケムは、素早く部屋の中を見渡した。
中央に置かれた座卓の上にあるのは、開いたままの羊皮紙や木簡伝票、文具類。そして無骨な金属の鍵束。
奥の壁際には、簡易な寝具や酒瓶などが雑然と転がっている。
そして、座卓の横に積まれた木箱の中には、糸綴じされた羊皮紙の束が、ぎっしりと詰まっていた。
デケムは束を手に取り、中に目を走らせた。
書かれているのは、違法な取引の数々。
この都市のみならず、他国の貴族や豪商などとのやり取りが、詳細に記録されている。
探している裏帳簿に違いない。
ただ、木箱いっぱいのこれらすべてを持ち去ることは到底不可能。
しかし、デケムにはこの中のどれを持ち去るべきかが、はっきりと分かっていた。素早く取引の期日と相手を確かめていく。
・・・見つけた。
彼は胸の裡で小さく快哉を叫んだ。
探していたのは、バハムテジャリとフラシャール高官との密貿易。そして、それを仲介したナクリアットの記録。
そこには、ザイヤードの死のきっかけとなった事件の詳細が具に書かれていた。
これが表沙汰になれば、ナクリアットは文字通り破滅だ。
こちらが手を下すまでもなく、自分の秘密を守ろうとする連中が奴を闇に葬ってくれるだろう。
だが、もちろん、デケムはそんな悠長な真似をするつもりはない。
鍵束を持ち、目当ての帳簿を懐にしまったデケムは、すぐに部屋を離れ、他の扉を探った。
人の気配があったのは一番奥、突き当りにあったもっとも大きな扉だった。
中からは、すすり泣くような女たちの声がかすかに聞こえる。
デケムは鍵束を使って、扉の中に侵入した。
そこは広い部屋だった。
丈夫な石の壁の前には、錆の浮いた鉄の檻が複数置かれており、中には全裸の女たちが鎖で拘束されている。
部屋の中央にあるのは、複数の拘束台。その周りには、鞭や淫靡な拷問具が並べられている。
その拘束台の一つ。大きな✕印型の磔台に手足を縛られている女を見て、デケムは小さく息を呑んだ。
全裸の彼女はぐったりとうなだれているため、顔は見えない。
しかし、あの髪色。見間違えようがなかった。
血に塗れた彼の黒装束を見て、女たちは悲鳴を上げた。
しかし、彼はそれを無視して、磔台に真っ直ぐに駆け寄った。
手足の拘束を短剣で断ち切り、ぐったりと崩れ落ちる女の体をしっかりと抱きとめた。
「サファ! しっかりしろ!」
声をかけたが、反応はなかった。
光を無くした虚ろな目で、あらぬ方向を見つめるばかり。
彼女がどんなに激しい凌辱を受けたのかは、その体に残った痕が如実に物語っている。
間に合わなかった・・!
そう思った時、彼女が僅かに口を開いた。
「知らな・・い・・あたし・・は何も・・。」
そう小さく呟くばかりの彼女。その目からうっすらと涙がこぼれ落ちる。
その言葉を聞いて、デケムはあらゆる神々への感謝を捧げた。
彼女はまだ意志を失ってはいない!
デケムは腰の物入れから、解毒剤の入った素焼き瓶を取り出すと、その中身を口に含んだ。
魔法薬独特のきつい香りが口内を刺激する。
彼はサファの細い顎を掴むと、口移しで薬を流し込んだ。
無理矢理舌を差し込み、嚥下を促す。
サファの喉がゴクリと鳴り、続けざまに彼女は咳き込み始めた。
懸命に彼女の背中をさするデケム。
女たちは悲鳴を上げることも忘れ、息を詰めてその様子を見守った。
ぐったりとしていた彼女の手が、デケムの身体に添えられる。
覗き込んだその目には、僅かな光が戻っていた。
「サファ!」
「・・・帰って・・きたんだね。あの子は・・?」
「ちゃんと葬った。」
デケムが厳しい顔でそう言うと、サファはそっと目を瞑った。
「そう。酷い・・傷だったからね・・・ありがとう。」
傷だらけの指を握りしめるサファ。
デケムは彼女を横抱きに抱え、立ち上がった。
「ここを脱出する。」
そう言ったデケムに、サファは小さく声を上げた。
「なんだ? どうしたサファ?」
「もう一人・・別の部屋に、タティアって女の・・。」
彼女はそのまま気を失った。
デケムは逡巡した。
目的は達した。残された時間は少ない。
しかし。
「もう、後悔するのはごめんだ。」
デケムはサファをその場に残すと、残った扉を激しく叩いて回った。
「タティアって女はいるか!? 俺はサファを助けに来た!!」
幾つめかの扉を叩いた時、中から反応があった。
デケムは鍵束を使い扉を開いた。
「あたしがタティアです。」
そう言って出てきたのは、まだあどけなさの残る少女だった。
ひどくやつれているが、他の女たちのように全裸でもなく、痛めつけられてもいない。
「サファを連れてくる。お前は待っていろ。いいな?」
怯えた様子で頷く少女を残し、彼はサファのところに戻った。
サファを抱えて立ち上がった彼に、檻の中の女たちが叫ぶ。
「お願い! あたしたちも助けて!!」
デケムは持っていた鍵束を檻に閉じ込められている女たちに向かって放り投げた。
「俺はデケム。ザイヤード一家のデケムだ。生き残りたきゃ、自分で何とかしろ。」
そう言い残し、部屋を出る。
タティアはサファの状態を見て、ショックを受けたように顔を歪めた。
「ついてこられるか?」
「・・はい!」
青い顔で気丈に頷く少女。
しかし、階段に足をかけた途端、上から男たちの声が聞こえた。
少女がハッと息を呑む音がした。
デケムはその場にそっとサファを横たえさせた。
「ど、どうするんですか?」
震える声で問いかけた少女に背を向けたまま、デケムは答えた。
「すぐに片付ける。サファを見ていてくれ。」
言葉を無くした少女。しかし、続いて発せられた彼の言葉に、彼女はハッと顔を上げた。
「必ず戻る。」
「・・・はい。」
力強い、広い背中。
そこに不屈の意志を感じ取った少女は、それに押されるように自然と返事をしていた。
デケムは静かに階段を昇った。
複数の男たちが戻ってきているようだ。
バグラは・・どうなっただろうか。
しかし、彼はその問いをすぐに噛み潰した。
必ず守る。今度こそ。
デケムは短剣を抜き払った。
漆黒の刃が澄んだ金属音を暗闇に響かせる。
それは、新たな血を求めて荒野を彷徨う、魔獣の静かな唸りに似ていた。
お読みいただき、ありがとうございました。




