90 マールの帰還
ここで一度、十四郎側のお話が終わり、閑話をはさんでバグラ側のお話になります。
【大陸歴1415年10月9日】
〈十四郎視点〉
ダルハンが拠点から旅立って10日が経った。
皆が暮らしている共同住宅には、甘い匂いが立ち込めている。
頑張ったご褒美にと、ユミナさんとサラさんが、子どもたちにお菓子を作ってくれているのだ。
「さあ、あとはこれをかければ、出来上がりよ。」
とろりとした金色の液体が、湯気を立てる蒸菓子にかかった瞬間、子どもたちは一斉に歓声を上げた。
「あつっ!!」
「慌てすぎよ。ちゃんとふーふーして食べなさい。」
受け取った菓子にいの一番にかじり付いたニナを、長姉のハナが優しくたしなめる。
自分もまだ6歳なのに、その様子はまるで母親そのものだ。これまでずっと、妹たちの母親代わりだったんだなと改めて感じる。
その生い立ちを思うと、少し切ない気持ちになった。
「すごく懐かしい。これ・・・お兄ちゃんたちも大好きだったよね。」
ユーリィが手にした菓子を見ながら、ふとそう呟いた。ユミナさんは、少し寂しそうに笑って「ええ」とだけ返した。
ユーリィは手の中の菓子を一気に頬張ると、下を向いたまま口を動かした。そして、菓子を飲み下すと「やっぱり美味しい!」と下手くそな笑顔を見せた。
「ねえねえ、ユミナおばちゃん。次はいつ作ってくれるの?」
リナの問いかけに、ユミナさんは目を瞬かせ、左手を頬に当てながら答えた。
「そうねえ。樹液が貯まったら、また作れるわ。トゥンジャイが乳搾りを頑張ってくれているし。あなたたちも、樹液集めをしてくれるんでしょう?」
「ニナ、がんばっていっぱいあつめる! ミツもいっしょに!」
口の周りをシロップだらけにしたニナが元気良く答えたのを見て、ユミナさんはようやく心からの笑顔を見せた。
この菓子にかかっているシロップは、ユーリィたちが集めたナツメヤシの樹液を煮詰めて作ったものだ。
ナツメヤシを傷めないよう、慎重に幹に溝を彫り、そこにタカキビの茎で作ったストローを置く。
ストローの先には、布を被せた小さな壺。布は、集めた樹液に集まる虫避けのための蓋だ。
小さく穴を開けた布に、ストローを刺して待つこと数日。両手で隠せるくらいの壺が、やっと樹液でいっぱいになる。
以前、砂糖は貴重品と聞いていたから、どうやって甘味を得ていたのかと不思議に思っていたのだ。
けど、これを見てようやく、その謎が解けたよ。
細かく振るったタカキビの粉に、温めたヤギの乳を少しずつ加え、自然に発酵させタネを作る。
これを蒸したのが、今、皆が食べている菓子だ。
興味本位ですっと見ていたけど、完成するまでにかなり手間と時間がかかっている。なんたって、乾燥させたタカキビを粉にするところからだからな。
でも、こうやって丁寧に作るお母さんの手作りお菓子って、なんかいいよね。
ちなみにこの粉は、俺が建てた粉挽き場で作ったものだ。完全自動の臼型石ゴーレムが、丁寧に作業をしてくれた。
実はパトラと召喚実験を繰り返すうちに、石ゴーレムの形や大きさを自由に変えられることが分かった。
そこでどうせなら「石臼型のゴーレムが出来れば、便利じゃね?」ということで、作ってみたのだ。
これが驚くほどうまくいった。
というわけで、俺は今、拠点のあちこちに、石ゴーレムを使った自動機構を構想中だ。
とりあえず試作として、もともと外壁にあった小さな金属扉を、巨大な両開きの石扉に変えてみた。
これでいざという時は、俺の命令一つで、扉ゴーレムたちを開閉することができる。
いずれは拠点すべてに、こういう防衛機能を増やしていくつもりだ。堀を作って、自動跳ね橋をつけたりとかな。
ただ、このゴーレムの変形には、かなりのmpを消費してしまう。だから今後は、優先度の高い場所から、少しずつ整備していこうと思っている。
「はい、みつかいさまもどうぞ!」
ニナはそういうと、手に取った菓子を俺に差し出してきた。
「ありがとう、ニナ。すごくうれしいよ。でも、それはニナが食べてほしい。」
ユーリィが俺の言葉を伝えると、ニナは不思議そうに俺を見た後、にっこり笑って「ありがとございます」と言いながら、菓子にかぶりついた。
無邪気に菓子を食べるニナの姿。俺を含め、その場にいる皆が、彼女の様子を微笑ましく見守った。
俺は皆と一緒に菓子を食べることはできない。それでも、甘い匂いを感じることはできる。
もちろん、食卓を囲む皆のあたたかな雰囲気も。
皆が笑顔になる、手作りのお菓子。
それはどこか懐かしい、でも胸の奥がきゅっとなるような、そんな優しい匂いだと、俺は思った。
それから数日後、俺たちの拠点の中央広場周辺には、幾つかの天幕が並んでいた。
それぞれの天幕の周りにいるのは、数人ずつの男たち。焚き火をしたり、旅装を整えたりと、思い思いに過ごしている。
彼らは砂海を旅する交易商人。
昨日から、この拠点に交易船がやってくるようになったのだ。
話を聞いてみると、近隣の村でこの拠点のことが噂になっているらしかった。
「女神に祝福された夢のような村があると聞いて、足を運んでみたのです。」
大きな工具箱を抱えた職人風の男は、ユミナさんの問いにそう答えた。
現在、ユミナさんはこの村の代表者ということになっている。
なぜそうなったかと言えば、やってきた交易商人たちから「補給と交易の許可をいただきたいので、代表者と話をさせてほしい」と言われたからだ。
本来なら、プレイヤーである俺か、俺に最も近い存在であるユーリィが、代表者になるべきなんだろう。
でも、俺はユーリィ以外とは会話できないし、ユーリィはまだ9歳の子どもだ。
当然、商人たちとの交渉なんかできっこない。そこで、ユーリィの母親であるユミナさんが代表ということに決まったのだ。
それにユミナさん、何気にこの拠点の最年長者なんだよね。まだ27歳だけど。
経験や知識。それに年齢。それらすべてを合わせると、彼女以外選択肢がなかった。
それが分かっているから、ユミナさんも(内心は嫌々だろうけど)引き受けてくれたというわけ。
もちろん、俺の意見を尊重するため、交渉の場には必ず、俺とユーリィも同行することにしている。
あと、俺のことを説明してくれるフーリアちゃんと、護衛役のパトラも一緒だ。
大概の奴は、まず光る球の姿をした俺を、そして次に黒い人型魔獣のパトラを見て、びっくり仰天する。
だから、必ず説明役のフーリアちゃんが必要なのだ。
今のところは、それでなんとかなってる。でも、今後は、何か方策を考えたほうがいいかもしれない。
拠点に人が集まって、賑やかになったのはありがたいこと。
何しろ、人が増えるとその分、俺のmp回復量が大きくなるからだ。
それに水を補給したり、広場で休んだり、交易をしたりするお礼として、品物や現金も手に入るようになった。
これはユミナさんの交渉のおかげだ。
でも、同時に、ユーリィたちに危害が加えられるのではないかという心配も増えた。
やってくる旅人たちの様子は、千差万別。
旅装束のまま、拠点の様子を物珍しそうに眺める商人風の一団。
炉の道具らしき鉄塊を積んだ荷馬車の横で、低い声で言い争う男たち。
中には、武器を携帯した、あまり風体が良いとは言い難い連中もいる。
パトラとハニワ防衛隊が昼夜を問わず警戒してくれているので、今のところは何も起きていない。
でも、少し怪しい動きをする奴らも、見かけた。
今後、もっと人が増えるなら、治安対策も強化していかなければならないだろう。
考えること、やることが増えすぎて、拠点強化が全然進まない。本当に困ったもんだ。
「今のところ、強敵となりうる者はおりません。命じてくだされば、すぐに排除いたします。」
俺の懸念を察したパトラがすぐに言葉を返してくれた。
「ありがとうパトラ。でも、すぐ排除って訳にはいかないんだよ。相手は魔獣じゃなくて、人間だからね。」
そう言うと、パトラは少し首をかしげた。
「それも『道徳』ですね。承知いたしました。」
そんなこんなで、数日後の午後のこと。
見張り台に配置したパトラから、俺に念話が届いた。
「主様、船が近づいてきています。かなりの数です。」
知らせを受けた俺とユーリィは、すぐに見張り台へと駆けつけた。
砂煙を上げながら近づいてくるのは、見覚えのある旗。
外壁に掲げられているのと同じ、黒地に金色に輝く髑髏の文様。
マールの率いる船団だった。
船団の先頭にいるのは、真っ赤に塗られた派手なマールの旗艦。
でも、その後ろには、様々な大きさ、形をした船がたくさん連なっている。
そして、甲板の上には、これまでに見たことのないほどの人影がひしめいていた。
また、ずいぶんと人が増えたな。大変なことになるぞ。
『迷宮領域内に、大量の人間が侵入しました。すぐに迷宮核を退避させてください。』
いつもより強い調子のナビさんのアナウンスがあってから間もなく、船が外壁のすぐ近くに停泊した。
いつものように理解できない警告を聞き流し、ユーリィとともにその様子を見守る。
すると、はしごを下ろすザッパを待つこともなく、マールが真っ先に飛び降り、こちらに駆け寄ってきた。
「よう、ユーリィ! 元気にしてたか?」
外壁の下から呼びかける、いつもの豪快な笑顔。
だが、その表情にはどこか疲れと、微かな緊張が混じっているように見えた。
少し無理して、わざと明るく振る舞ってる感じ。
なんか、あったのだろうか?
マールの船に続き、たくさんの船が外壁を取り囲むように停まっていく。
はしごや仮橋を使って、次々と砂漠に降り立つ人々。
荷物を山ほど抱えた職人風の男たち。
目つきの鋭い護衛。
身なりの良い商人らしい一団。
誰もが外壁を見上げ、期待と好奇心に満ちた顔をしている。
「細かい紹介は、また今夜にでもな。」
出迎えのために、外壁の入口に降りた俺たちを見るなり、マールが小声で言った。
「今回は、ちょっとした大移動になっちまった。こんなつもりじゃなかったんだが・・・。」
困った顔で声を潜めるマール。
彼女らしくない。何かを警戒しているんだろうか?
そのとき、集まった人々の後ろから、明らかに雰囲気の違う一団が現れた。
統一された装束。
磨き上げられた武具。
そして、規律正しい張り詰めた気配。
マールはユーリィの側に寄り、一層声を落とした。
「悪いなユーリィ、御使い殿。」
なんだ? どうしたんだ急に?
「今回はちょっとばかり・・厄介な連中が一緒なんだ。」
その言葉を合図にしたかのように、一団が素早く左右に分かれた。
彼らは腰に佩いた細曲刀の柄に左手をかけ、胸に右手を当てて敬礼した。
一糸乱れぬ動きを見たユーリィが、小さく息を飲む。
パトラは俺とユーリィを背中に庇い、前に進み出た。
「主様、あの者は危険です。」
パトラの視線の先。
花道の中央から、ひときわ上質な外套をまとった男が歩み出た。
若い、だが妙に落ち着いた目をした貴族風の男。
男は黙って外壁の大門と石像を注意深く観察した後、俺たちに目を留めた。
形の良い唇が、冷ややかな微笑を浮かべる。
「ここが、噂の『奇跡の村』か?」
マールが小さく舌打ちをする。
彼女はすぐに男の脇に下がり、姿勢を正してユーリィに向き直った。
「紹介するよユーリィ、御使い殿。この方は、西フラシャール太守家より派遣された巡察使。」
その男は見下すように、マールを横目で見た後、傲然と胸を反らす。
その様子を前に、マールは苦い表情で言葉を続けた。
「・・・アーディル・ミフラーン卿だ。」
男は俺たちに向かって慇懃に一礼した。
だが、その視線には一切の熱が感じられない。
それはまるで・・・一番美味い部位を見定めようとする、肉の仲買人を思わせた。
俺たちの拠点に吹き込んできた、新たな風。
しかし、それは決して、穏やかで心地よいものとは限らない。
これまで俺が必死に守ってきた拠点の甘い香り。
それを吹き消そうとする冷たい風が、今まさに吹き荒れようとしていた。
お読みいただき、ありがとうございました。




