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89 ニナのお手柄

 拠点での日常を書いてみました。

【大陸歴1415年10月4日】


〈十四郎視点〉


「まってー! そっちいっちゃだめー!」


 今日も今日とて、三姉妹は朝から柵の周りを元気に駆け回っている。


 俺は温かい気持ちで、その様子を見守っていた。


 脱走したヤギたちは、三姉妹の間をすり抜け、隙あらば野菜畑に鼻先を突っ込もうとする。


「右! ニナ、右!」


 大きく手を広げたニナがヤギの首に飛びつくが、そのままズルズル引きずられる。


 でも、速度が落ちたことで、姉たち2人がニナごとヤギを抑え込むことに成功した。


「お手柄よ、ニナ!」


「えへへ!」


 うれしそうに笑うニナを先頭に、捕まえたヤギを柵へと連行する3人。


「ありがとう。助かったよ。」


 柵の中で、ヤギの乳を絞っていたトゥンジャイくんが、3人に礼を言う。


「これが終わったら、日差しが強くなる前に家畜たちを小屋に戻そう。僕たちも、昼休憩に入らなきゃ。」


 4人は協力して、家畜を小屋に追い立てていく。


 柵の中にいたヤギが残り数頭となった時、突然ニナが声を上げた。






「ナツメ、きょうはまだにげてないよ!」


 ナツメ? 何だそりゃ?


 ニナが指さす方向にいるのは、白と茶のまだら模様のメスヤギ。


 あのメスには見覚えがある。脱走の先頭を切る常習犯で、めちゃめちゃ賢い奴だ。


「名前を付けてたんだね。まあ、いいけど・・・。」


 トゥンジャイくんが苦笑しながら、ナツメの方を見る。その途端、顔色が変わった。






「ニナ、今日はナツメが逃げてないって、言ったよね?」


「うん。きょうはずっとあそこにいるよ。おそとみてるけど、いっかいもにげなかった。」


 ナツメはしきりに足を踏み替え、落ち着かない様子で地面を掘りかけては、すぐにやめる。


 短い尻尾が小刻みに揺れていた。


 トゥンジャイは眉を寄せた。


「おかしい。」


 4人はナツメにそっと近づく。俺も、気づかれないように、彼らの頭上からその様子を観察した。


 ナツメは逃げなかった。ただ、低く鳴くばかりだ。


 その声は、いつもの威勢のいいものとは明らかに違っていた。






「おなか、いたいの?」


「さわらないで。蹴られるよ。」


 ニナが伸ばしかけた小さな手を、トゥンジャイが優しく押し留める。


 彼はナツメの側にしゃがみ込み、様子を観察した。


 腹のふくらみ。背の丸め方。何度も立ったり座ったりする仕草。


「もしかしたら・・もう、生まれるかもしれない。」


「えっ、でもまだ先って言ってなかった?」


 リナが目を丸くして、問い返す。どうやら、皆はナツメが出産間近であることを知っていたようだ。


 俺は全然気づかなかったけど。


「うん。でも、船で長いこと移動したでしょ? 場所が変わると、早まることもあるって、聞いたことある。」


 確証はない。けれど、迷いのない口調で、彼はそう言った。






「ナツメ、だいじょうぶ?」


 ナツメは鼻先をニナの腕に押しつけ、短く鳴いた。


「まだ、兆候はない。だから今すぐってことはないよ。」


 トゥンジャイの言葉に、一番年長のハナが同意する。


「あたしもそう思う。まずは、ユミナおばさんたちに相談してみましょう。」


 ハナの言葉に、皆は頷きを返した。心配するニナを引きずるように、子どもたちは皆の待つ家に戻った。






「あと半月くらいか。早産ってほどではないけど、確かに少し心配ね。」


 ユミナさんが、頬に手を当てながらそう言った。これは、思案中の彼女の癖。


 彼女はちょっと憂いのある美女なので、この仕草はすごく絵になる。


「トゥンジャイ、あなたの見立てではどう?」


 フーリアちゃんに尋ねられたトゥンジャイくんは、慎重に言葉を選びながら答えた。


「出血はないです。だから多分、自分で産めると思う。でも、万が一の事があるから、誰かがついていたほうがいいかな。大勢いると、逆に良くないから、僕が見ておきます。」


 それを聞いたニナは、すぐに立ち上がって、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。






「あたし! あたしもナツメといっしょにいる!!」


「ナツメ? もしかして、母ヤギの名前?」


「そうだよ、ユミナおばちゃん! ナツメヤシがだいすきだから、ナツメ!」


 ユミナさんは、一瞬何かを言いかけたけれど、すぐに言葉を飲み込んで、ニナに笑いかけた。


「そう。じゃあ、ハナ・リナも一緒に、みんなで見ていてあげてね。」


 彼女はそういうと、ニナの頬を両手でそっと包んだ。


「ニナがナツメの異変に気づいたんですってね。お手柄だったわ、ありがとうニナ。」


 ニナが満面の笑みを浮かべる。その様子を、ユーリィをはじめ、皆が愛おしそうに見つめている。


 ただ、サラさんだけは少し寂しそうに笑い、そっと視線をそらした。


 彼女が襲撃で亡くした子どもは、ちょうどニナと同じくらいの年だったと聞いている。


 彼女の傷が少しでも早く癒えるといい。俺は強くそう思った。






 昼の休憩が終わって、トゥンジャイくんが家畜たちを小屋から出す。


 俺は三姉妹と一緒に、その様子を見守った。


 ちなみに、パトラは側にいない。彼女がいると、家畜たちが落ち着きをなくすからだ。


 やはり人間に比べて、動物は魔獣の気配に敏感らしい。


 小屋から出たナツメは群から離れ、ソワソワした様子で、柵の隅の方に身体を寄せた。


 普段と違い、身体を横たえ、まるで何かを待っているかのようだ。


「あそこで産むつもりなのかもしれない。」


 トゥンジャイくんはそういうと、ナツメを刺激しないようにそっと、柵の陰に日除けの布を被せた。


 三姉妹は水を用意し、横たわったナツメの側でじっとしていた。


「ナツメ、いっしょにいるからね。」


 ニナがそう言いながら、ナツメの身体をそっとさすった。






 長い時間が流れた。


 やがて、ナツメの体が大きく震えた。


 子どもたちに緊張が走る。


 でも、決して声を立てない。息を詰めて、ナツメの様子を見守っている。


 一度立ったナツメがまた横たわり、すぐに立ち上がる。


 砂をかく足が止まり、息が荒くなった。ナツメはお腹を労わるように、そっと横になった。


 全身を震わせて力を込めるナツメ。


 ナツメの足が強く伸びるのに合わせ、子どもたちが小さな手を握りしめる。






 やがて、小さな蹄が見えた。


「出てくる・・!」


 リナが息をのむ。


 ニナはぎゅっと拳を握る。


「がんばれ、ナツメ。」


 気遣うような、小さな小さな声。


 そして、ついに。


 濡れた小さな体が、砂の上にどさりと横たわった。


「小さい・・! 早かったんだ・・。」


 トゥンジャイくんが、力なく呟いた。






 立ち上がったナツメが、動かない我が子をペロペロと舐めた。


 しかし、子ヤギは動かない。


 静けさの中に、ナツメの舌の音だけが虚しく響く。


 ニナの握りしめた指が、白い色に染まった。






 ・・・ダメだったのか?


 ニナがくしゃりと顔を歪め、ひくっと喉を鳴らした。


 ナツメは、鼻先で我が子の腹を押した。さらに、もう一度。


 そのとき、ぴくり、と耳が揺れた。


「動いた・・!」


 ハナが顔を輝かせる。


 子ヤギは不器用に首を上げ、細い足を震わせた。


 立とうとして、崩れ落ちる。また立つ。


 何度目かで、ようやく四本の足が砂を踏みしめた。


 その瞬間、子どもたちは顔を見合わせ、小さく小さく歓声を上げた。






「がんばったね、ナツメ!」


 ナツメがそれに応えるよう、首を巡らすと、子ヤギはよろよろと歩き出し、母の腹を探した。


 我が子を迎え入れたナツメが、静かに鳴いた。


 それは、いつもの脱走前の高らかなものとはまるで違う。穏やかで誇らしげな声だった。


「名前、どうするの?」


 リナがニナのほっぺを両手ではさんで笑いかける。


 ニナは少し考えて、すぐに言った。






「ミツ!」


「なんで?」


「ナツメのこだから。ナツメもミツもあまいでしょ?」


 トゥンジャイがくすりと笑う。


「いい名前だね。僕もそれがいいと思う。」


「ミツ!」


 ニナがそう呼ぶと、子ヤギはピクリと耳を動かした。


 顔を上げ、その頼りない足取りで数歩、ニナの方へ歩み寄る。


 ニナは嬉しそうに両手を広げた。


 しかし、途中で向きを変え、また母の腹に潜り込んでいった。


 懸命に乳を吸うミツを見て、リナが言った。


「あんたより、おっぱいのほうがいいみたいね。」


 からかうように言ったリナに対し、ニナは胸を張って答えた。


「ミツ、あかちゃんだから、あたりまえでしょ! リナおねえちゃん、そんなこともしらないの?」


「な、なによ! チビのくせに生意気ね!!」


 頬をふくらませるリナ。でも、直後、子どもたちは顔を見合わせて笑い始めた。






 大人たちが手を出す必要はなかった。俺も呼ばれもしなかった。


 これは当たり前のこと。ごくごくありふれた、生命の営み。


 ナツメは子を守り。


 ミツは必死に立ち。


 子どもたちはそれを見守った。


 ただそれだけ。でも、それがかけがえもなく尊い。俺にはそう思えた。


 間もなく、ミツは自分の力で、力強く歩き出した。


 ニナが子ヤギのあとを追い、砂の上を駆ける。


「ミツ、こっちだよ!」


 やがて追いついたニナとミツは、共に歩き始めた。


 灼け付くような昼の暑さは薄れ、優しい風が並んだ2つの影の間を吹き抜ける。


 ナツメは2つの影を背に、群れの方へ戻っていった。


 その後ろ姿はとても力強く、新たな命を生み出したことへの、誇りに満ち溢れているように見えた。

お読みいただき、ありがとうございました。

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