68 邪悪の覚醒 新たなる脅威
今日は移動に次ぐ移動ですっかり疲れてしまいました。読み返しがあまりできていませんので、あとから少し修正するかもしれません。
【大陸歴1415年9月1日 夜明け直後】
〈バグラ視点〉
アリ兵士たちは、逃げるバグラを追ってこなかった。
バグラとオルワを乗せた彼の愛騎、南風は外壁の内階段を駆け上り、一気に飛び降りて砂海へと躍り出た。
外壁の外には、砂漠大アリや火炎狼たちが、彼を待ち受けていた。
しかし、魔獣たちはどれも、南風の足に追いつけなかった。
連絡用花火の上がった方角を目指して砂丘を超えると、やや離れた場所を航行している船団が見えた。
奇妙なことに、船団は散開蛇行していた。
船団が走る砂のうねりの向こうに、砂煙が立っている。
どうやら何かに追われているようだ。
彼は周囲を警戒しながら、南風を一際大きい旗艦『奪い去る刃』号に向けて走らせた。
彼の接近に気づいた船員が、操舵手のアーシに合図を送る。
バグラは僅かに速度を落とした『奪い去る刃』号の舷側から甲板へと、南風を飛び込ませた。
すぐに駆け寄ってくる心配顔のアーシに、バグラは怒鳴るように尋ねた。
「一体どうした!?」
「やばいです、アニキ! あれを見てください!」
大きく弧を描く砂のうねりの陰から、大きな砂煙が上がっている。
その砂煙の向こう、アーシの指さす先を見たバグラは、驚きに目を見開いた。
「石化蜥蜴だと・・・!」
とさかのある頭部に光る赤い瞳、そして特徴的な8本足。
触れただけで水を腐らせ、人を死に至らしめる最悪の化物。
中型砂上船ほどの体長を誇る巨大な魔獣が、船団の後ろをピッタリと追いかけてきている。
石化蜥蜴は砂海でも屈指の危険度を誇る魔獣。
だが、通常なら砂上船を襲うことはまずない。
彼らの主食は砂海の魔獣たち。人間は対象ではないからだ。
それに自らの巨体を活かして戦う石化蜥蜴は、その性質上、滅多なことでは自分よりも大きな砂上船を襲おうとはしない。
つまり、この追跡自体がかなり異常な状況。
あの魔獣使いの娘によって操られているのは、疑いようがなかった。
あんな強大な魔獣すらも操る娘の力に、思わず慄然とする。
しかし直後、バグラはそんな感情を抱いた自分に対し激しい怒りを感じた。
乾いた血が残る拳を握り、ぎりりと奥歯を噛み締める。
そんな彼に、アーシは遠慮がちに口を開いた。
「アニキが隠れ家に入ってすぐ、あの化物が現れやがったんです。幸い、風があったんで、追いつかれずに済みましたが・・・。」
「風が弱くなってきてやがるな。」
バグラの言葉にアーシが頷く。
今はまだ船足が確保できているため、距離を保つことが出来ている。
だが、このままの速度が落ちれば、遠からず追いつかれてしまうだろう。
アーシの恐れに共鳴するかのように、南風がブルリと全身を震わせた。
バジリスクは砂海に暮らす騎鳥の天敵なのだ。
「すぐに他の船長たちに合図を出せ。合流地点を知らせて、散開させるんだ。あの野郎は、俺達が引きつける。」
バグラの指示にしたがって、船員たちが手旗を振る。
信号を受け取った船団の船は、すぐにその場を離れていった。
バジリスクはその場に残った『奪い去る刃』号に狙いを定めた。
じわじわと風が弱まる中、凶悪な魔獣に追われる船員たちが、顔を引き攣らせる。
バグラはアーシに代わって、自ら舵輪を取った。
石化蜥蜴を挑発するように船を蛇行させる。
巨大な魔獣は、怒りに目を赤く輝かせ『奪い去る刃』号を追った。
他の船が十分に離れたのを確認し、バグラは再び指示を下した。
「オレたちもずらかるぞ! 全速前進だ!」
大きく張った帆が、砂海を吹き渡る風を捉える。
『奪い去る刃』号は、軛を断ち切られたことを歓喜するかのように走り出した。
ある程度離れた後も、石化蜥蜴は執拗に『奪い去る刃』号を追ってきていた。
しかし突然、何かに呼ばれるように立ち止まると、追跡を止め、のそのそとした動きで引き返していった。
石化蜥蜴の不可解な行動を訝しみながらも、アーシは大きく安堵の息を吐いた。
「どうやら諦めたみたいですね、アニキ。」
副官の言葉にバグラは頷き、彼の肩にドンと右手を置いた。
「いい撤退の判断だった、アーシ。」
称賛の言葉を受けたアーシは、曖昧な笑顔を浮かべた。
「あ、ありがとうございます。それでアニキ、やはり今回は・・・。」
言葉を止めて口ごもったのは、バグラの答えが分かっていたから。
隠れ家奪還に向かった傭兵たちは、一人も生還していない。
なにより、唯一の生還者であるバグラとオルワの様子が、今回の作戦失敗を如実に物語っている。
それでもあえてバグラに尋ねたのは、副官として彼を補佐しようとするアーシの赤心に他ならない。
バグラも、そんなアーシの気持ちをすぐに察した。
しかし。
「・・・足りねえ。」
バグラはたった一言だけ、そう応えた。
「えっ?」っと聞き返すアーシ。
バグラはそんな彼の背中をドンと叩いて、舵輪の前に着かせた。
「しばらく、ここを頼む。」
彼はそう言い残すと、後ろを振り返ることもなくその場を歩き去った。
残されたアーシは、去っていく背中を見つめた。
アニキの中で、何かが変わった。
アーシは直感的にそれを感じとった。
しかし、学のない彼にはそれを表す言葉を見つけることができなかった。
だから、彼は自分に出来ることをした。
「帆を立てろ! 風を逃すな!」
緩んでいた船足が再び戻る。
アニキは砂賊の英雄。俺の憧れだ。
そんな男が、自分を信じて任せてくれた、
ならば今は、その信頼に応えるのみ。
頬を撫でる風を感じながら、彼は顔をしっかりと上げ、舵輪を握る手に力を込めた。
アーシのもとを離れた後、彼は舷側に立ち、遥か遠くに見える地平線を睨みつけた。
もうすでに太陽はすっかり姿を見せ、砂海の砂面を容赦なく照りつけている。
しかし、船が蹴立てる砂埃で、視線の先は判然としなかった。
舷側を掴む右手に力が籠る。
すべてが足りなかった。
運も。仲間も。そして自身の力も。
今回の襲撃で、彼はその決定的な不足を思い知らされた。
もちろん、これまでに何度も死線をくぐり抜けてきた。
命からがらの敗走も、一度や二度ではない。
だが、あらゆるものにおいて、まったく自分の力が遠く及ばないと感じたのは、これが初めてだった。
得体のしれない力。彼はそれを恐れた。
そして、それと同じくらい、その力を手に入れたいと願った。
そんな彼の脳裏に去来するのはオルワの面影。
バグラが生き残れたのはオルワの神聖力があってこそ。
彼が今もっとも欲しているのはまさに、彼女に匹敵するほどの強大な力だった。
彼は舷側を離れ、オルワのいる船室に入った。
オルワは薄暗い船室の中で一人、壁際の椅子に腰掛けていた。
物言わぬその顔には、いつもと変わらず何の感情も浮かんでいない。
しかし、その身は戦いの血によって穢れたままだ。
彼はそこで初めて、オルワがすでに限界まで力を出し尽くしていたことに気がついた。
彼はオルワに右手を差し出した。
求めに応じて進み出たオルワを、彼は躊躇なく自分の胸に抱き寄せた。
「力だ。もっと力がいる。」
こちらを見上げる彼女の瞳を間近で見つめながら、彼は言った。
間近で見つめ合った瞬間、それまで無感情だったオルワの瞳が大きく揺れた。
彼の目に宿る光は、彼女がよく見知っていたものだったからだ。
それは飢え。力を求める獣の、剥き出しの渇望だった。
かつて、彼女は、祈りの声によって人々を導く存在だった。
彼女の声に、祈りに、多くの人が救いを求めた。
だがその声は失われた。喉に残ったのは沈黙。
それでも。いや、だからこそ。
彼女は悟ったのだ。
言葉を奪われた今もなお、人を導く力が自らにあることを。
彼女は、目の前の男の内面が大きく変わったことをはっきりと感じ取っていた。
バグラは親を知らない。
物心ついた頃からずっと、彼は他者から奪うことで生命をつないできた。
やがて成長した彼にとって、奪い取ることはより容易になった。
彼は望みさえば、すべてを手に入れられた。
故に彼は、これまで一度も心の底から何かを欲しいと思ったことはなかった。
しかし、今、彼は本当に手に入れたいと願うものを見つけてしまった。
それは力。すべてを奪う圧倒的な力だ。
奪うことで空虚を満たしていた彼の心に、力への渇望という消せない炎が宿った瞬間だった。
瞳の輝きから、顔つきの変化から、オルワはすぐにそれを察した。
だが、バグラ自身は、この自分の変化に気づいていない。
自分を食い入るように見つめる彼女に、バグラは言った。
「オルワ、俺の力になれ。」
彼女の目に薄っすらと涙が浮かんだ。
望んで止まなかったときが、ついに訪れた。
その歓喜の涙だった。
彼女は彼の右手を取り、指先でゆっくりと文字を刻んだ。
『あなたの望み、私がすべて叶えてあげる』
「オルワ、お前・・・。」
驚くバグラに、彼女は花が綻ぶように微笑んでみせた。
それはかつて『太陽神の愛し子』と呼ばれた彼女を思わせる、気高く優しい笑みだった。
目の縁に溜まった涙が一筋、彼女の黒い頬を伝う。
バグラは無骨な指で、それを優しく拭った。
小さく頷いた彼女を、バグラは右腕できつく抱きしめた。
彼女は彼の硬い胸に、そっと頬を寄せた。
バグラは船室の窓から、赤い光彩を投げかける地平線をじっと見つめた。
まるで、そこに探し求めるものがあるかのように。
彼の心には邪悪で熱い炎が燃え滾っている。
だからこそ、彼は気が付かなかった。
自分の胸に顔を寄せたオルワの口角が、更に引き上がっていたことを。
それはまるで、すべてを破滅させる邪悪な女神のような、酷薄そのものの笑顔だった。
〈???視点〉
夜明けの風を掴み、矢のように遠ざかっていく黒い砂上船を見ながら、その女は呟いた。
「一足遅かったか。本当に逃げ足の速い男だね。」
女からぽんと手渡された遠眼鏡を受け取った男が、頭をひねりながら女の言葉に応じた。
「まったくです。それにしても、あの壁は・・・。」
男の目は地平の先に見える構造物を見つめている。
同じように砂の海を見ていた男たちが、2人の話に加わってきた。
「あんなもんがあるなんて、聞いたことありやせんぜ。航路図にも記録はありません。」
「どうします、あね・・・いえ、せ、船長!」
女の発した凄まじい覇気に押されたかのように、男が慌てて言い直す。
女は小さくため息をついた後、その問いに応えた。
「あの賞金首が、追手を振り切って、わざわざ襲いに来たぐらいだからね。どうやら失敗したようだけど、さぞ奪いがいのあるお宝が眠ってるんだろうさ。」
女の言葉に男たちが顔を見合わせる。
彼女の口から『お宝』という言葉が出た以上、もう彼女を止める術はない。
そのことを、この男たちはよく理解していた。
呆れたように黙り込んだ男たち。
その様子を察し、女は言い訳するかのように、更に言葉を続けた。
「それにね、どんな連中がいるのか知らないけど、今は何より情報が欲しいだろ? これは任務のために必要なことなの。」
妖艶な笑みを浮かべた女は、欲望に目をギラつかせながら、男たちを振り返った。
「素直に従うならよし。もしも、逆らうなら・・情報もお宝も、根こそぎいただくまでさ。」
その女の言葉に、男たちはなんとも言えない表情を浮かべる。
しかし、その表情を打ち消すように、女は大きくさっと片手を振った。
彼女の赤い髪が砂海の風になびく。
女は本当に楽しげに笑いながら、忠実な配下に向かって言った。
「ほらほら、そんなに湿気た顔しなさんなって。だって、それが砂賊の流儀ってもんだろう?」
お読みいただき、ありがとうございました。




