33 砂嵐 前編
忙しいときほど書きたくなるのは、やっぱりストレスのせいなんでしょうか。
【大陸歴1415年5月25日】
〈ユーディ視点〉
轟々という風の音とともに、細かい砂が砂レンガの壁を激しく打ちつけている。
家の出入り口や窓の隙間から入り込んでくる風は、まるで亡霊の泣き声のよう。小さい子どもたちは、不安そうに互いに身を寄せ合っていた。
「長いわね。」
お母さんの言葉に、あたしは小さく頷いた。
季節外れの砂嵐が吹き始めて、今日でもう5日目。昨日くらいから、小さい子どもたちだけでなく、大人たちも不安を募らせ始めている。
ガンド大砂海には、定期的にこんな砂嵐がやってくる。でも、それはほんの半日ぐらいで通り過ぎていくものがほとんど。
何日も続くような長い砂嵐は、大抵は夏の終わり、年に一度の大雨が降る直前の頃に来るだけだ。
本格的な夏が始まる前に、こんなに長い砂嵐を体験したのは、あたしには生まれて初めてのことだった。
砂嵐のとき、あたしたちの家族はみんな、家に閉じこもって過ごしていた。
夏の終わりが近づいてくると、家族みんなで大雨に備える準備を始め、風が吹き始めると家の中に引きこもるのだ。
暖かい部屋の中、家族みんなで楽器を演奏したり、歌を歌ったり、甘いお菓子を食べたり。
お母さんと一緒に糸を紡ぎながら、おばあちゃんは、あたしとお兄ちゃんに、いろいろな伝説を話してくれた。
そんなあたしたちの横で、お父さんとおじいちゃんは、水煙草を燻らせながら、ずっと石数合わせに夢中になっていたっけ。
私は砂嵐の季節が、本当に大好きだった。
もう2度と戻らない幸せな日々を思い出し、あたしは溢れそうになった涙を無理やり飲み込んだ。
そして、それを隣りにいるお母さんに悟られないよう、そっと室内に顔を巡らせた。
ありあわせの布と家具で、窓と出入り口を塞いだ室内は、薄暗くひんやりとしている。
巻き上げられた砂が太陽の光を遮っているから、体を寄せ合っていないと、手指がかじかんでしまうほど、室内は冷え切っている。
小さい子どもたちは、暗闇に怯えている。けれど、煮炊きをする燃料や油さえ不足しているこの状況では、おいそれと明かりを灯すこともできない。
今は、ひたすら我慢するしかないのだ。
あたしたちが使う燃料は、乾燥させた草や家畜の糞が中心だ。
でも、この村は、長く放棄されていたせいで、燃料になる草がほとんど生えていまなかった。当然、家畜もいないので、その糞を利用することもできない。
聞いた話では、北の山岳地方では、燃料に木を使うこともあるそうだ。
でも、砂海では、木がとても貴重。だから、食事の煮炊きをするための燃料なんかには、とても使うことができない。
食事のことを考えたせいか、あたしのお腹がくぅと小さな音を立てた。
そういえば、今朝起きてからずっと、水しか口にしていなかったっけ。
食べ物がしている今、空腹を紛らわすためには、水を飲むしかない。
もちろん、好きなときに好きなだけ水を飲めるのも、かなり贅沢な話。御使い様に感謝しなくちゃね。
あたしは水を飲もうと暗闇の中でそっと立ち上がった。
硬い床の上で身を寄せ合う人たちを踏まなように気をつけながら、出入り口の脇に置かれている大きな水瓶の方へ向かう。
ところが、陶製の蓋がされた水瓶の中には、ほとんど水が残っていなかった。
そういえば、最後に水汲みに行ったのは、砂嵐の前のことだったっけ。
「お水汲んでくるね。」
あたしはみんなにそう声を掛けると、水くみ桶を手に取った。
扉代わりに出入り口を塞ぐ家具を少しだけずらし、風よけに張った敷物の隙間から体を滑り込ませる。
たちまち強風が、顔へまともに叩きつけてきた。
全身に鋭い砂粒が当たって、すごく痛い。
この調子だと、水瓶いっぱいに水を汲み終える頃には、小さな切り傷だらけになっていそうだ。
でも、あたしが一歩足を踏み出した途端、あたしの腰につけてる短刀が暖かい光を放ち始め、あたしの体を柔らかく包んだ。
肌に付いた小さな傷がみるみるうちに塞がっていきく。そのうえ、光があたしの体を守ってくれているおかげで、新たな傷がつくこともなくなった。
あたしは、この短刀を授けてくださった御使い様に、心の中で感謝の祈りを捧げた。
口を開かなかったのはもちろん、砂が口に入るのを防ぐためだ。
激しい風と、もうもうと舞い上がる砂のせいで、まともに顔を上げることさえできない。
もっとも、上げたところで、まったく前は見えないんだけど。
あたしは下を向いて目を眇め、砂に埋れた石畳を足で確かめながら前に進んだ。
目的地は、広場にある井戸。みんなが女神の泉と呼んでいる場所だ。
あたしは風に負けないよう、しっかり足を踏ん張りながら、ゆっくりゆっくり進んでいった。そして、ついに泉を囲む東屋へと辿り着いた。
驚いたことに、東屋の内側は、まったく風が吹いていませんでした。
ザラザラになった髪を振って、顔を上げると、あたしの頭の上に柔らかい光を放つ球体が現れた。
「御使い様!」
砂嵐が始まってからずっと姿を見せなかった御使い様が、泉の脇に浮かんでいた。
ずっとお姿が見えなかったから、あたしはてっきり、御使い様は女神様のところに帰ってしまわれたのだと思っていた。
御使い様が照らしている泉を見てみると、こんこんと溢れ出すきれいな水には、砂粒どころか、砂埃一つ浮いていなかった。
「御使い様が、泉を守っていてくださったのですね。」
あたしはツルツルした石畳の上に跪くと、御使い様に向かって祈りを捧げた。
すると、御使い様はあたしの周りをくるくると飛び回った後、あたしが傍らに置いていた、水汲み用の手桶の上にちょこんと乗った。
「ミズ イル?」
突然、頭の中に御使い様の声が響いた。
ひどく片言で、聞き取りにくいけど、確かに普段あたしたちの使っている大陸公用語だ。
砂嵐が来る前、御使い様は、こんなふうにあたしに、色々と話しかけてくださっていた。
御使い様は、大陸公用語がよくお分かりになっていないようで、はじめは、ほとんど聞き取ることができなかった。
きっと、神様の使いだから、人間の言葉は苦手なのだろうと、あたしは思っていた。
でも、最近は、言葉が大分はっきり聞こえるようになった。簡単なやり取りならできるようになっている。
あたしの心に響く御使い様は、若い男の人の声をしていらっしゃる。優しそうなその声を聞くのが、あたしはとても好きだ。
あたしが御使い様に向かって「はい」と頷くと、突然、地面に緑色の光が走った。
その光は、泉からあたしがやってきた方向へと伸びていき、砂埃の向こうまで続いて、すぐに消えた。
「ミズ アソコ。」
御使い様はそういった後、あたしの周りをまた、くるくると飛び回った。そして、まるでついておいでというように、緑の光が走った方へと動き始めた。
あたしは手桶を抱えて、御使い様の後を追いかけたた。
一瞬、水を汲んでから行くべきかと迷った。でも、砂煙で御使い様を見失うといけないと思い、すぐに動後を追った。
不思議なことに、御使い様の側にいると、まるで見えない壁に遮られているみたいに風が遮られていた。
あたしたちは程なく、みんなの待つ家の出入り口に辿り着いた。
御使い様は入口付近をうろうろと飛び回っている。どうやら中に入りたいみたい。
あたしは、出入り口を塞いでいる敷物と家具をずらそうとした。
でも、あたしが苦労して重い家具をずらそうとしていると、また、御使い様があたしの周りを飛び回りはじめた。
「サガッテ。」
あたしは御使い様の言葉に従い、扉から離れた。
すると今度は、出入り口を塞いでいた敷物と家具が緑色に光り始めた。
光が消えたとき、そこには敷物と家具は跡形もなくなっていて、代わりに木枠の付いた立派な扉が現れていた。
あたしは恐る恐る扉に触れた。扉は音もなく開いた。
扉の向こうでは、混乱しきった様子で、みんなの顔がこっちを見ていた。きっと、急に入口が光りだしたから、びっくりしてしまったのだと思う。
だって、後ろから見ていたあたしがものすごく驚いたくらいだもの。暗くて寒い部屋の中で、急にそんな事が起こったら、驚くに決まっている。
でも、あたしと御使い様が扉から姿を表すと、みんなはすぐに、あたしたちのところに駆け寄ってきた。
「ユーリィ、これを見て!」
お母さんがそう言って指差す方を見ると、出入り口のすぐ脇、大きな水瓶があった場所に、立派な石造りの水盤があった。
水盤は、女神の泉と同じきれいな水で満たされていいる。
御使い様はあたしと水盤のあいだをふわふわと飛んでいた。
「ミズ ノンデ」
あたしは恐る恐る、そっと手を差し入れて水をすくい、一口飲んでみた。
たちまち、乾いた体に、美味しい水が染み込んでいった。空腹で傷んでいたお腹が、少し楽になったような気がして、あたしは思わず笑ってしまった。
思い返してみると、砂嵐が始まってからこんなふうに笑ったのは初めてだ。
水の美味しさはもちろんだけど、御使い様が女神様のもとへお戻りにならず、あたしたちの側にいてくださったことが、それ以上に嬉しい。
あたしの様子を見た御使い様は、嬉しそうにあたしの周りを飛び回り「ミンナ ミズ」と語りかけてくださった。
あたしはみんなに、御使い様の言葉を伝えた。すると、みんなはすぐに水盤の回りに集まってきた。
きっと、みんな、喉の渇きを我慢していたんだと思う。
まずは、小さな子どもたちが水を飲み、その次に大人たちが飲む。不思議なことに、水盤の水はいくら使っても次々湧き出てきて、決して減ることはなかった。
「御使い様! ありがとう!」
大人たちが水を飲んでいる間、小さい子どもたちは、御使い様を取り囲んで口々にお礼を言っていた。
砂嵐が始まってからというもの、ずっと我慢していたせいで、子どもたちはしょんぼりしていた。
でも、御使い様のお水のおかげで、すっかり元気を取り戻したみたい。はしゃぐ子どもたちに囲まれている御使い様は、とても嬉しそうに見えた。
お読みいただいて、ありがとうございました。




