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32 再起への企み 後編

【一言あらすじ】バグラ、手下を手に入れる。


※ 文中に残酷表現・流血表現があります。苦手な方はお気をつけください。

【大陸歴1415年5月17日】


 犯罪都市ペルアネゲラ裏通りの安酒場で、バグラは自分の駒となりうる有能な船員を籠絡しようと画策していた。


 砂賊の英雄であり、稀代の悪漢として名高いバグラと酒卓を囲むことになったアーシは、冷や汗をかきながらようやっと自分の酒杯を干した。


 強い酒精を感じるものの、味はまったく分からない。それほど彼は緊張しきっていた。バグラは笑顔を浮かべながらも、その様子を油断なく観察していた。


 アーシの盃が空になったのを見届けたバグラは、おもむろに用件を切り出した。


「ここに来たのは他でもねえ。おめえに話があるんだ。おめえ、俺に力を貸し・・・。」


 しかし、彼はそこで言葉を止め、座卓に置いていた右腕を勢いよくアーシの顔めがけて突き出した。






 咄嗟に目をつぶって体を傾けたアーシの顔にパシャリと液体が飛び散る。


「ひっ!」と小さく叫んだアーシは、慌てて顔にかかった液体を拭った。その独特のすえた匂いで、液体の正体が古い椰子酒であることはすぐに分かった。


 アーシが酒でしみる目を瞬かせて周り見渡すと、後ろから嘲るような馬鹿笑いが聞こえてきた。


「見ろよ、あのつら。何が起こったかも分かってねえ。間抜けなこった!」


 振り返ったアーシの視線の先にいたのは、彼の所属する四番艦船長ブチャラヘムとその二人の取り巻きだった。


 そこでようやくアーシは、自分が背後から酒の入った盃を投げつけられたのだと気がついた。


 アーシは思わず体が竦むのを感じた。


 ブチャラヘムが船長になってからというもの、アーシは何かにつけて理不尽な扱いや暴力を受け続けてきたのだ。


 理由は明白で、四番艦の乗組員のほとんどが操船に関して、船長よりもアーシを頼りにしているからだ。


 ブチャラヘムは腕っぷしは強いが、操船技術ではアーシに大きく遅れを取っている。それがブチャラヘムには気に入らなかったのだ。






 投げつけられた盃を掴み取ったまま、バグラは無言でブチャラヘムを睨めつけた。


 その視線に気づいたブチャラヘムは一瞬たじろいだ表情を見せた。だが、次の瞬間には、その怯懦を隠すように、あえて大きく、嘲りの叫び声を上げた。


「おいアーシ!! ウスノロの分際で、生意気に酒なんか飲んでんじゃねえよ!! 」


 叫んだことで気が大きくなったブチャラヘムは、愚かにも、バグラに向き直って言葉を続けた。


「なあ、バグラさんよお、つるむ相手はよーく選んだほうがいいぜ。今やみっともない負け犬とは言え、あんたはうちの船団の食客なんだ。そんな男が、こんなウスノロなんかとつるんでちゃ、うちの親方の格まで下がっちまうだろう?」


 バグラはブチャラヘムの言葉を無視し、掴んでいた酒杯をそっと座卓に置いた。そして、真新しいオルワのドレスに飛び散った酒の染みに目を向けた。


 バグラの額に浮かび上がった筋を見たオルワは、わずかに目を見開き、ブチャラヘムに向かって小さくため息を吐いた。






 バグラが自分を恐れて目を逸らしたと勘違いしたブチャラヘムは、益々興奮した様子で嘲り声を上げた。


「ああ、それとも何か。このウスノロやそっちの黒メス犬みたいに、負け犬の自分に相応しい相手を、わざわざ選んでるってことか? なら、悪いことしちまったな。」


 酒の酔いも手伝って、狂ったように高笑いする男の両脇で、取り巻きの二人は、バグラを気にするようにチラチラと視線を向けた。


 だが、バグラの左手首を覆う血の滲んだ包帯を見て、再びへつらうようにニヤニヤ笑いながら、ブチャラヘムの顔を見上げた。


 凍りついたように動きを止めたアーシ。その隣では、オルワが何事もなかったかのように、座卓に飛び散った酒を台拭きで拭き取っている。


 騒ぎを聞きつけて戸口に集まって来た野次馬と、カウンターの隅に蹲った店の主人が固唾を呑んで見守る中、バグラは音もなくその場に立ち上がった。


 そのままブチャラヘムに向き直る。剣を抜いたわけでもない。身構えているわけでもない。


 だが、静かに佇むその立ち姿を見ただけで、野次馬たちは言葉を失い、何かに絡め取られたかのように、身動き一つできなくなった。


 たちまち、喧騒が遠ざかり、その場にピンと張り詰めたような沈黙が落ちる。






 バグラを警戒し、ブチャラヘムたちは、いつでも腰の剣を抜けるよう、咄嗟に身構えた。そんな彼らに向かって、バグラは無造作に一歩踏みだした。


 一瞬の閃きの後、ブチャラヘムの両脇にいた取り巻きが、ドサリと崩れ落ちた。


 程なく、床に倒れた二人の首から血がドクドクと溢れ出し、汚れた床に大きな血溜まりを作り上げた。


 ブチャラヘムは腰の曲刀に手を伸ばした。しかし、それよりもずっと早く、バグラの曲刀が、彼の右手首を切り飛ばしていた。


 カランと乾いた音を立てて、手首ごと曲刀が落ちる。ブチャラヘムは情けない悲鳴を上げて、その場から逃げ出そうとした。


 だが、その直後、膝の後ろに熱を感じ、つんのめるようにうつ伏せに倒れ込んでしまった。


 両脚の腱を断ち切られ、無様にもがく男の脇腹をバグラは無言で蹴り上げた。ぐええという汚い苦鳴を共に、大男の体が一瞬宙に浮かぶ。


 吐瀉物をぶちまけながら、二つ折りになって苦しむ男の胸を、バグラはドカンと踏みつけた。そして、苦痛と恐怖で歪んだ男の顔を、凶暴な笑みを浮かべて覗き込んだ。






「た、頼む! 謝るから、命だけは・・ぎゃあああああ!?」


 悲鳴と共に、男の右耳が宙を舞い、湿った音を立てて、埃っぽい石の床の上に落ちた。


 ブチャラヘムは半狂乱になって抵抗しながら、たった今自分の耳を削ぎ落としたバグラの凶器を見た。


 それは、バグラの失われた左手首に付けられた鈍色の金属鈎だった。


「せっかくの機会だ。こいつの具合を確かめさせてもらうぜ。」


 男の血が滴る鈎の先端を検分しながら、バグラは心の底から愉快そうに歯をむき出し、足の下で暴れる男に笑いかけた。


 ブチャラヘムの顔が恐怖と絶望に歪む。失禁脱糞した男は、奇声を上げてもがき始めた。だが、胸の上に置かれたバグラの足は、まるで城門の柱のように微動だにしなかった。






 そこから繰り広げられたのは、血の狂宴だった。必死に抵抗する男の手を、耳を、鼻を、目を、バグラは左腕の鈎で、文字通り一寸刻みに引き裂いていった。


「なかなか具合がいいぜ。なあ、オルワ!」


 そう呼びかけられたオルワは、特に表情を動かすことなく小さく頷いた。


 バグラの振るっている左手の鈎は、馴染みの鍛冶屋に有り金を果たいて作らせたものだ。


 魔法銀ミスリルを使って、急ごしらえで作らせた鈎を、オルワの神聖魔法で、彼の左腕に融合させてある。






 たとえ魔法であっても、欠損した身体の部位を、再び元に戻すことはできない。


 その代わりとして、義手や義足でその欠損を補うための神聖魔法が存在しているのだ。


 魔法銀と身体を完璧に融合させるそれはもちろん、高位神官しか行使できない上級呪文だ。しかし、オルワはそれを唱句無しで難なくやってのけた。


 魔法金属を潤沢に使い、時間をかければ、人間の身体とほとんど変わりない動きをする義手を制作することもできる。


 だが、今のバグラには、その資金も時間もない。そのため彼の義手は、ただの魔法銀の延べ棒を、鈎形に加工しただけの、実に荒っぽい作りをしている。


 義手と呼んで良いのかも怪しい品だ。ただ、その殺傷力は、今、彼自身が存分に証明している通り。






 凄惨な光景を目にした酔客たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 ただ、気の毒な酒場の店主だけは、店を守りたいという一心で、ガタガタ震えながらその場にうずくまっていた。


 アーシも同じように全身を震わせていた。しかし、それは恐怖からではなかった。


 彼は目の前の惨劇に、体の奥から湧き上がるような愉悦を感じていたのだ。


 自分を侮り、理不尽に虐げていた男が、無様に切り刻まれていく様が、たまらなく愉快で仕方がなかった。


 彼がふと、目を移すと、オルワと呼ばれた奴隷娘も、自分と同じように目の前の虐殺をじっと見つめていた。


 その金色の瞳からは何の感情も読み取ることができない。しかし、彼には、彼女の美しい黒檀の肌が、ほんの少し上気しているように見えた。


 ああ、この娘も俺と同じだ。彼はそう思った。


 そして自分が、バグラの圧倒的な残虐性と、無慈悲な暴力とにどうしようもなく魅せられているのだということを、痛烈に自覚させられたのだった。






 惨たらしい解体ショーは、気の毒な男が絶命するまで続いた。


 男にとって何より幸いだったのは、失血死するよりも先に、恐怖と激痛のために、心臓が動きを止めたことだ。


 男が悲鳴を上げなくなり、ビクビクと痙攣するだけになったのを見て、バグラはようやく男の胸から足をどけた。


「肝っ玉だけじゃなく、心臓まで小せえな。」


 バグラは肉塊となった男とその取り巻きの持ち物を身ぐるみ剥ぎ取ると、先程まで座っていた座卓に戻った。


 そして、大声で怯えきった店主を呼びつけると、新しい酒を用意させた。


「まったく、余計な邪魔が入っちまった。飲み直そうぜ、アーシ。」


 店主が風のようにその場を去ると同時に、オルワが胸の前で両手を組み合わせる。合わせた手の間から漏れ出た金色の光は、瞬く間に狭い店内を覆い尽くした。


 光に触れた途端、店中に飛び散っていた哀れな男の血が、溶けるように消え去った。中位の神聖魔法《浄化の祈り》の効果だ。


 全身に浴びた返り血がきれいに無くなったのを見て、バグラは彼女に「ありがてえ、助かったぜ」と礼を言った。


 しかし、彼女はそれには何も答えず、澄ました顔で、店主が運んできた酒を魔法で清められた2つの盃に満たした。


「それで、アーシよ。早速、話に入りてえんだが・・・。」


 そう言いかけたバグラを遮るように、アーシは両手を前に差し出していった。


「いや、待ってくれ。先に俺の方から頼みたいことがあるんだ。」


 怪訝な顔をするバグラの前で、アーシは額を座卓にピッタリと付け、平伏したまま言った。


「バグラさん! いや、バグラの兄貴! 俺を、あんたの舎弟にしてください!」


「そいつぁ・・・話が早くて助かるぜ。」


 一瞬呆気にとられたバグラだが、すぐに状況を察して、アーシに顔を上げさせた。


「まずは固めの盃といこうや、なあアーシ。」


 2人は杯を軽く合わせ、一気に煽った。そして、今度はバグラ手ずから、アーシと自分の盃に酒を満たした。


 こうして、バグラは忠実で優秀な腹心を、手に入れることになったのである。






 その後、バグラは出港までの数日間を使って、四番艦の乗組員たちに接触し、密かに恭順させることに成功した。もちろん、アーシの手引きがあったことは言うまでもない。


 ブチャラヘムの後任には、船員たちの推薦もあり、アーシが選ばれた。バグラは無事に、再起のきっかけとなる船と乗組員を確保することができた。


「待ってろよ、小娘。この借りは安くねえぞ。」


 出港準備をする乗組員たちを尻目に、オルワを膝に抱えたバグラは小さく呟いた。


 砂の海を渡る風が、巻き上げた砂を帆に叩きつけてくる。


 十四郎とユーリィを狙う凶風は、すぐ間近まで迫りつつあった。

お読みいただいて、ありがとうございました。

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