30 最悪の出会い 後編
※ 文中に性的表現・残酷表現があります。苦手な方はご注意ください。
【一言あらすじ】バグラ、美姫を支配する。
【大陸歴1514年5月10日】
〈バグラ視点〉
「こっちへ来い。」
無言でその場に立っていた美女に、バグラがそう言うと、彼女は足を引きずりながらゆっくりと近づいてきた。
呪印で縛られている奴隷なのだから、当然と言えば当然だが、主人以外の見ず知らずの男に命令されても、嫌がる素振りさえ見せなかった。
手が届く距離まで彼女がやってきたところで、バグラは乱暴に、彼女の細い体を引き寄せた。
膝に彼女を抱きかかえたまま長椅子に腰掛けたバグラは、剥き出しの彼女の手足に目を向けた。
予想通り、彼女の手首と足首には、白く変色した、小さな古い刀傷があった。バグラは、彼女の細い顎を掴んで無理やり口を開かせたようとした。
その途端、膝の上に抱えられた美女は、それまでの様子とは打って変わって、反射的に抵抗する素振りを見せた。
しかし、その動きは哀しいほどに緩慢で、弱々しかった。
バグラは彼女の口を強引に開かせ、覗き込んだ。そして、思った通り、そこにあるはずの舌がないことを確認した。
「切り取られたか。手足の腱もだな。前の飼い主とやらか?」
バグラが顎から手を放すと、膝の上の美女はきつく口を閉じ、小さく首を振った。
「・・・継母か。随分、嫌われたもんだな。」
その言葉に反応し、美女の金色の瞳に一瞬、強く昏い感情が揺らいだのを、彼は見逃さなかった。
すべてを奪われ、汚名を着せられ、肉体を傷つけられて、絶望した哀れな娘。
しかし、それはすべて彼女の演技であることに、このとき彼は気がついたのだ。
この女は、まだ誇りを失ってはいない。だからこそ、すべてを受け入れることで、自分のいちばん大切な芯を守っている。
そんな女が揺らぐ瞬間を見て、バグラの嗜虐心に暗い喜びが灯った。
この女の誇りを剥き出しにしてみたい。それを粉々にうち砕いたとしたら、この女はどんな悲鳴を上げて、俺に許しを乞うだろうか。
長過ぎる船旅の退屈を紛らす玩具が手に入った喜びで、バグラは傷の痛みをほんの一瞬、忘れることができた。
バグラは美女の顔を自分の顔の前に引き寄せ、彼女の瞳を正面から覗き込んだ。
相変わらずの無表情だが、金色の瞳も相まって、野生の黒豹のような気高さと美しさを感じさせる顔立ち。
しかし、膝に抱えたその細い体からは、隠しきれないわずかな震えと、早鐘のような心臓の音が伝わってくる。
さて、この女、どう料理してやろうか?
バグラは美女の瞳を見つめながら、美しい獲物を追い詰める策を思案した。
そうだ。まずは、この女の心を丸裸にしてやるとしよう。そして、一番触れられたくない部分を、じわじわと切り刻んでやるのだ。
必死に怯えを隠そうとする美女の反応を楽しむように、バグラは彼女の耳元でそっと問いかけた。
「お前、本当の名は?」
ビクリと体を震わせた美女は、あからさまに戸惑った表情で、彼を見つめた。彼は、嗜虐の高まりで、体の中心が熱くなるのを感じた。
まだだ。まだ早ええ。
細い体を組み伏せたくなる衝動をぐっとこらえ、彼は嬲るように言葉を重ねた。
「あいつの話が本当なら、お前、聖職者だろ? あの国の貴族は、全員神職だからな。そんなお姫様がただの『娘』な訳がねえ。」
途端に美女の表情が強張る。
当たりか。それにしても、随分と可愛い顔するじゃねえか。
今、彼女は、必死に隠してきた秘密に触れられるのではないかと恐れている。それが、彼には手に取るように分かった。
獲物を追い詰めていくスリルと興奮が、彼の心を満たした。
美しい瞳の奥に見え隠れする怯えの色を十分に楽しんでから、彼は更に彼女を追い詰めていった。
「アルジビア語が分かるのが意外か? 俺は砂海に来る前は、海の上で船乗りをやってたからな。アルジビアは大陸航路の中継地だ。お前の国の言葉も、大体は分かるぜ。なあ、子猫ちゃん?」
彼女は思わず、バグラから視線をそらした。それは、バグラの言葉が真実であることの証左に他ならない。
かろうじて無表情を保っているものの、今や、彼女の秘密は、完全にバグラの手中に収まりつつあった。
彼女は今、疑心に苛まれている。この男が、自分の秘密にどれほど近づいたか、測りかねているのだ。
その葛藤と煩悶、そしてそれを必死に隠そうとする彼女の様子を見て、バグラは体の中心が滾っていくのを抑えられなかった。
もう、辛抱ならねえ。そろそろ、詰むか。
バグラは自分の欲望を解放するべく、美しい獲物の心を完全に折るための最後の一言を放った。
「あの馬鹿は気づいてねえみたいだが、お前、自分の傷も、自分で治したんだろう? そして、それを誰にも知られねえように隠してる。そうだな?」
美女の昏い瞳に絶望の色が差す。総毛立つほどの愉悦を感じながら、バグラは彼女の髪を鷲掴みにし、その端正な顔を自分に引き寄せた。
そして、睦言のような優しい響きで、彼女の耳元にそっと囁いた。
「心配すんな。バラしゃしねえよ。俺の言うことを、素直に聞いてくれさえすりゃあな。なあに簡単なことさ。俺のこの腕に、ちっとばかり癒やしの呪文をかけてくれりゃあいい。」
こう言ったものの、正直なところ、バグラは彼女の癒やしの力を、さほど期待していない。
舌を失ったこの女が、まともに祈りの言葉を唱えられるわけがないからだ。
この一連のやり取りは、無聊を慰めるための退屈しのぎ。欲望を解放するための前戯に過ぎない。
追い詰められた彼女にこの選択を迫ったのは、あくまで秘密をネタに、この美女を甚振るのが目的だった。
彼の思った通り、彼女の瞳には、はっきりとした迷いの色があった。
バグラの言うことを聞けば、彼の言葉を肯定することになる。しかし、従わなければこれまで必死に隠してきた秘密を支配主に知られてしまう。
なぜかは知らないし、そんなものには興味がない。彼にとって肝心なのは、この女がそこまでして守りたい秘密を持っているということだ。
どうやったら、このままやり過ごせるかと、彼女が懸命に思案しているのは間違いない。
それが彼には愉快でたまらない。だからこそ彼は、あえて血の滲んだ包帯が巻かれた左手首を、彼女の前にぐいと突き出した。
「できるんなら、さっさとこの傷を塞いでくれ。早くしねえと、痛みが酷くて、今にもお前の秘密を叫びだしちまいそうだ。」
からかうように言ったその言葉で、彼女の瞳から迷いの色が消えた。
彼女は意を決したように、胸の前で手を組み合わせた後、不器用な手つきで包帯の上からバグラの腕に触れた。
彼女の両手から溢れた暖かい光が、暗い船室の影を一層濃くする。光が引くと共に、バグラの痛みは溶けるように消えていった。
驚きで言葉をなくしたバグラは、慌てて右手で包帯を取り除いた。酷い有様だった傷口が、今ではしっかりと塞がっている。
祈りを唱句することなく、これだけの癒やしの力を発揮できたことに、バグラは素直に、感嘆の息を漏らした。
この女、上級司祭級の聖職者じゃねえか?
こいつは使える。きれいな女を嬲るついでに、痛みを少しでも減らせればいいくらいに思っていたバグラの目論見は、良い意味で完全に裏切られた。
バグラは、膝に抱えた黒檀の美姫の顔を、値踏みするように改めて眺めた。
すでに先程まで感じていた荒々しい衝動は消え去っていた。
手中にしたこの女を、どう使うのが一番得か。バグラは冷静に頭を巡らせた。
そして、先程とはガラリと変わった真摯な調子で、再び彼女に問いかけた。
「お前の、本当の名は?」
彼女は、もう逆らうことはなかった。秘密を知られてしまった以上、今更隠す意味がないからだ。
彼女は不器用な手つきで、バグラの右手を取った。そのぎこちない動きから、彼女が手指の複数の腱を切除されていることは、容易に想像できた。
彼女はバグラの手のひらに、アルジビア文字をゆっくりと書いた。
「イシュオルワ・・・太陽の娘か。」
太陽神を信仰するアルジビア国内において、太陽の名を冠する事ができるのは、ごく選ばれた者だけ。それは彼女の出自を明確に物語るものだった。
バグラが名前を口に出した途端、オルワは明らかに動揺した様子を見せた。バグラはそんな彼女を安心させるように、優しく囁きかけた。
「分かってるさ、その名も秘密なんだろう?」
バグラは傲慢で利己的な男だ。
それ故に、有能で役に立つ相手には、極めて優しく丁重に接する。それが、最も自分の利になると知っているからだ。
オルワは今の彼にとって、決して手放したくない唯一の駒だった。
この女が欲しい。そう思った彼はあえて、素直に自分の思いを口にしてみせた。
「なあ、オルワ。俺は生粋の奴隷商だ。奴隷に堕ちた連中ってのはな、どいつもこいつも、目が死んじまってる。そんな連中を踏みつけにしてやるのが、俺は何よりも好きなんだ。」
オルワは、バグラの言葉に怖気立つほどの嫌悪を感じつつも、なぜか彼から目を離せなかった。
それは彼の持つ強烈で、邪悪な自我に心を惹かれたからだった。しかし、今のオルワには、それを自覚することができなかった。
世界から拒絶された者を惹きつける、悪の魅力。それがバグラを砂海一の砂賊たらしめていることに、実は、彼自身も気づいてはいない。
彼女は自分の心に戸惑いながら、バグラの次の言葉をじっと待った。バグラは自分を一心に見つめるオルワを正面から見返し、語りかけた。
「お前の目は死んでねえ。お前のその、暗い目からはな、絶望なんかじゃ消しきれねえほどの何かを感じるんだ。」
一拍置いた後、バグラは言った。
「オルワ、お前の望みは何だ?」
驚きに目を見張るオルワ。しかし、すぐに顔を伏せて、視線を逸らす。その頑なな横顔に、バグラは小さく嘆息を漏らした。
「まあ、いいさ。」
バグラはオルワを追い詰めようとはしなかった。すでに彼女は彼にとって、いつ壊してもいい玩具ではなくなっていたからだ。
その代わりに彼は彼女の頬に、そっと右手を触れ、彼女の顔を上げさせた。
先程打たれた彼女の頬は、ほんのり熱を帯びていた。彼はその熱を取り去るかのように、指先で優しく彼女の頬を撫でた。
「俺はこれから、俺の手下どもと大事な船を奪った娘を捕まえに行く。魔獣を操る力を持つ娘だ。厄介だが、タネが分かれば、どうってことはねえ。いつも通り、じっくり仕掛けをして、一気にかっさらうだけだ。」
この言葉に、偽りはない。バグラは勝ちを確信していた。なぜそんなことを話すのか、と訝しげな目つきで見つめるオルワに、彼は言った。
「だが、勝ちの目は多いほうがいい。そこでお前に頼みがある。」
奴隷であるオルワ命令するのではなく、あえて『頼み』と言ったのは、バグラがオルワの能力を高く評価しているからであり、それを彼女に伝えるためだ。
彼は目の色から、彼女がすぐにそれを理解したことを読み取った。
聡い女だ。彼は、ますますこの女を手に入れたいと、強く思った。
「戦いの中で、俺に力を貸してくれ。うまいこと働いたら、お前のその望み、俺が叶えてやってもいいぜ。」
オルワの瞳は、ピクリとも動かない。しかしバグラは、その中に迷いがあるのを感じ取っていた。
これまで彼女が受け続けてきた裏切りを想像すれば、当然の反応だろう。
「返事は今でなくていい。その気になったら教えてくれ。今は、そうだな・・・俺は、お前が欲しい。」
バグラは、再び沸き立ち始めた滾りを感じたが、彼女を無理矢理奪おうとはしなかった。代わり正面から彼女を見つめ、まっすぐに自分の思いをぶつけた。
その言葉を聞いたオルワは、彼の瞳を見つめたまま、逞しい腕の中で、自ら薄衣をそっと取り払った。
しかし、その行為が果たして、呪印の縛りのよるものなのか、それとも彼に惹かれ始めているからなのかは、彼女自身にも判別がつかなかった。
お読みいただいて、ありがとうございました。
次回、閑話を1話挟んでから、本編を投稿します。




