15 集落を巡る攻防 前編
主人公、出番なし回。
【大陸歴1415年5月5日 夕刻】
〈バグラ視点〉
「お頭、出航準備できやしたぁ!」
その声に無言で頷き、器に残っていた酸っぱい椰子酒を一息に飲み干した後、お頭と呼ばれたその男は無言で立ち上がった。
壮年の力が漲る巨躯に鋭い眼光。無造作に切っただけの蓬髪は、その薄い茶金色も相まって、この男に野生の獅子のような印象を与えていた。
はっきりとした目鼻立ちと大きな口。意思の強さを示すがっしりとした顎。戦いに明け暮れる日々によって鍛えられたその顔貌は、ある意味整っているとも言える。
しかしそれ以前に、彼の内に荒れ狂う凶暴性が、そのすべてを打ち消すほどの剣呑な雰囲気を彼に与えていた。
この砂賊団の長であるバグラは、長年連れ添った相棒である私掠船『滴る刃』号を注意深く点検した後、隠れ家の留守役を任せる副官を呼びつけた。
「残ったガキと女どもに、ちゃんと餌をやっとけ。万が一、納品が遅れちゃ、俺のメンツが丸つぶれだ。」
ズルそうな顔をした副官は、諂いの笑みを浮かべながら「任せておいてください、頭」と頷く。
バグラは、やや目を細めて副官を睨めつけたが「3日後の晩にここを経つ」とだけ告げて、船に乗り込んだ。
金勘定しか能のない男だが、決して馬鹿じゃない。ああ言っておけば、出発までには、商品を多少は見栄え良く整えていることだろう。
この副長は、長年、略奪を共にしてきた彼の右腕だ。
隠れ家の取り回しも、いつものように抜かりなくやってくれる。彼はそう思い、預けた手下を引き連れて去っていく副長の背中から目を離した。
まったく、あの砂嵐さえなけりゃあ、こんな無駄な手間をかけるこたあ、なかったんだが。
出航準備に駆け回る船員たちをどやしつつ、バラクは胸の裡で、独り言ちた。
納品先のペルアネゲラ市までは、どんなに急いだとしても10日はかかってしまう。約束の刻限は15日後の日没。間に合うかどうかは、微妙なところだ。
だが、依頼されている奴隷の頭数が揃わないことに比べたら、多少の遅れは言い訳ができる。
ペルアネゲラの奴隷市が立つのは、まだ半月以上先だ。
奴隷商たちは「商品の選別や仕込みの時間がなくなった」とごねるだろうが、そんなもの、奴隷狩りの俺たちには関係ない。
多少、足元を見られるかもしれないが、それでも、フラシャールの女たちだ。十分な儲けが期待できる。
それにしても、忌々しいのはあの砂嵐だ。フラシャール郊外の村への夜襲が思った以上に成功し、喜んだのも束の間。季節外れの砂嵐のせいで、5日以上も足止めされてしまった。
そのせいで、この隠れ拠点に帰還するのが遅れ、水と食料が尽きてしまった。結果、せっかくの奴隷を死なせてしまったのだ。
死んじまったのが、ガキどもだけだったのが唯一の救いか。本命の女たちは、何とか死なせずにすんでいた。
ただ、人質のガキどもが死んじまったから、女たちを大人しくさせるのが面倒になる。だが、そこは、あのずる賢い副長がなんとかするだろう。
それよりも、頭数が減っちまった分、また新たな村を襲撃しなくちゃならなくなったことのほうが問題だ。
襲撃が終わった直後だけに、フラシャールの連中は、警戒を強めているに違いない。あの厄介なクソ太守のことだ。もしかしたら、軍船を出してくるかもしれねえ。
軍船の1隻や2隻が相手なら、遅れを取ることはない。だが、囲まれたら厄介だ。それに追跡されでもしたら、このアジトを失ってしまうかもしれない。
考えれば考えるほど、頭の痛いことばかりだ。バグラは漏れそうになった溜息を罵声に変えると、騎鳥の世話をしている見習いを怒鳴りつけることで、自分の気持ちをやり過ごそうとした。
くそっ。今日はやけに、鳥どもが騒いでやがる。まったく、気に入らねえことばかりだぜ。
太陽がじりじりと地平線の彼方へ消えていくのを、バグラはじっと眺めた。
すでに星が見え始めている。彼は懐から魔導具を取り出し、標的となる村までの距離と方角を確かめた。
太陽の動きからでも、ある程度の方角を知ることができるが、星と月が出ている方が、より正確な距離と方角を割り出すことができるのだ。
目的地に到達するのは、おそらく明後日の夜明け直後になるだろうとバグラは予想した。
本当ならば、前回のように、夜陰に乗じて襲撃したい。だが、今回は準備に時間を掛けられないため、それは難しかった。
フラシャール軍の監視をかいくぐって村へ接近し、騎鳥による奇襲で一気に獲物を掻っ攫う。金目の物を物色する時間はない。だから、狙うのは女と子どもだけだ。
目的を果たしたら、すぐに離脱する。騎鳥は夜目が効かないため、夜明け直後は動きが鈍ってしまうからだ。
だが、襲撃が終わる頃には、十分に明るくなっているはず。最初に相手の鳥たちを黙らせてしまえば、追手がかかる心配もない。
これまでに何度もやってきたことだ。相当な下手を打たない限り、失敗するはずがない。
にも関わらず、バグラは胸の奥から湧き上がる漠然とした不安を消し去ることが、どうしても出来なかった。
彼は唾を吐き捨てると、忌々しい気持ちで、風をはらんだ帆を睨んだ。そして、部下たちが持ち場にいることを確認し、操舵輪に手をかけると、出航の号令をかけようと大きく息を吸い込んだ。
だが、その直後、船を大きく揺るがした衝撃によって、彼は操舵輪から放り出されてしまった。
すぐに立ち上がろうとしたが、船体が右舷側に大きく傾いていて、どうすることも出来ない。
かろうじて出来たのは、手近にあった帆綱を掴んで、船から放り出されないようにすることだけだった。
帆柱に昇っていた見習いたちが、彼の頭の上を横切って、砂の上に落下していく。次の瞬間、耳を覆いたくなるような彼らの断末魔が、夕闇の中に響き渡った。
「ヒィィ!? なんで、アリが!? ぎゃあああっ!!!」
叫び声へ目を向けたバグラが見たものは、無数の砂漠アリたちによって、瞬く間に体を引き裂かれていく部下たちの姿だった。だが、彼を驚かせたのは、そんなものではなかった。
「流砂イカだと!?」
船を襲った衝撃の正体は、船の前後を挟むように出現した、2体の流砂イカだった。彼らは船体にその長い触手を絡ませ、船を大きく傾けている。
魔物よけの外壁があるこの拠点に、どうして流砂イカが出るんだ。信じられない事態に、思わず悪態が口をつく。
「くそったれ!!」
バグラは傾いた甲板を走り抜けると、舷側に備え付けられた大型弩砲に取り付いた。激しい揺れに耐えて、流砂イカの急所である目の間に照準を定める。
しかし、その直後、彼が狙いを定めていた流砂イカが、甲板に向けて大量の砂を吐き出した。
まるで、彼が鋲弾を放つのを察知したかのような動きだ。バグラは砂に押し流され、弩砲を手放さざるを得なかった。
船員たちは、曲刀や銛を手に流砂イカに立ち向かおうとした。しかし、傾いた船上での戦いは、熟練の砂賊であっても至難の業。
信頼できる手下たちは一人、また一人と砂上に落ち、砂漠アリの餌食になっていった。
砂に埋もれていたバグラが起き上がったときにはすでに、彼の砂賊団は壊滅状態だった。
形勢不利を悟ったバグラは、自分の騎鳥の留綱を曲刀で断ち切ると、素早く鞍に飛び乗った。
そして、混乱している騎鳥を落ち着かせた後、鐙と手綱を操作して、傾いた甲板を駆け上がらせた。
彼は、左舷側から桟橋へと飛び移り、騎鳥と共に船から脱出した。桟橋から見下ろした砂上船は、2体の流砂イカと砂漠アリの群れに取り囲まれ、ほとんど横倒しになっている。
「畜生、一体どうなってやがる!? 副長の野郎は何をしてやがるんだ!!」
アジトの守備部隊を率いている副長に毒づく。しかし、それに答えたのは、まったく予想外の相手だった。
「仲間を見捨てて逃げるつもり? この卑怯者!!」
驚いて声の方を振り返ったバグラの視線の先にいたのは、赤い毛皮の服を着た幼い少女だった。
銀色に光り輝く胸当てを身に着け、煌めく短剣を握りしめた彼女は、鋭い目つきで彼を睨みつけている。
「・・・なんだと、ガキ。てめえ、誰に向かって口を聞いてやがる?」
「もちろん、あんたに向かってよ。あたしの村にこっそり忍び寄って、みんなを殺した卑怯者!」
バグラは目を細めて少女を見た。汚れと垢に塗れているが、幼さの中にも隠しようのない美しさのある顔立ちを見て、すぐに少女の正体に思い当たった。
彼は、さっと騎鳥から飛び降り、腰の曲刀を抜き払った。
「おめえ、あの村のガキか。今までどこに隠れてやがった?」
どうやったかは分からないが、このガキは、俺達の奴隷狩りを逃れていたらしい。おそらく、俺の船にこっそり乗り込んで、ここまで潜んでいたのだろう。
きっと、俺の寝首をかく機会を伺っていたに違いない。この混乱に乗じて俺を倒そうってわけか。笑わせやがる。
バグラは一瞬でそう考え、少女の身なりに目を向けた。上等な火炎狼の毛皮の服に、一目で魔法の品だと分かる装備。
このガキが今まで俺たちに見つからずにいたのは、これらの品のおかげに違いない。間違いなく中級以上の魔道具だろう。
砂賊団を立て直すには、うってつけの品だ。アジトに隠してある財宝と合わせれば、十分な資金になる。
ここから一時撤退し、魔獣たちがいなくなったあと、生き残った船員たちを集めて、船を修理すればいい。
今回の奴隷取引は失敗が確定した。だが、生き残りさえすりゃあ、立て直しは何度だってできるのだ。
「大層な装備を持ってるじゃねえか。村に隠してあった秘宝ってやつか? 大人しくそいつを渡すんなら、苦しめずに殺してやるぞ。」
バグラは、少女の持つ短剣を値踏みするように見つめながら、無造作に彼女へ近づいた。
警戒するまでもない。このガキ、武器の扱いは一応、心得ているようだ。
だが、構えは素人に毛が生えた程度。枯れ草を刈るように、容易く命を奪うことができる。
少女が裂帛の気合とともに短剣を繰り出してきた時でさえ、彼は余裕の笑みを浮かべながら、その動きをじっと観察していた。
踏み込みの速度は、この年にしては大したもの。だが、動きは直線的で、あまりにもお粗末だ。
バグラは少女の短剣に、そっと自分の曲刀の峰を添えるように動かした。
峰の湾曲部を使って、少女の斬撃を誘導する。真っ直ぐに向かっていた力の軌道が逸れたことで、彼女に大きな隙が生まれた。
少女の態勢が崩れたところで、彼は曲刀の切っ先を、跳ね上げた。短剣を握りしめていた少女の両手が、大きく振り上げられる。
素早く曲刀を引いたバグラは、無防備になった彼女の首筋めがけて刃先を振り下ろした。
刃が迫るのを見た少女の目が、大きく見開かれる。バグラの一連の動きによって何が起こったのか、おそらく彼女は分かってすらいないだろう。
自らに憎しみを向けていた少女の瞳に、絶望の光が差したのを見て、バグラは愉悦のあまり、思わず歪んだ笑みを浮かべた。
これまでに何度も味わってきた、暴力によって相手を捻じ伏せる快感が、彼の体を満たす。
しかし、少女に刃が触れる寸前、鋭い金属音が響き、バグラは大きく姿勢を崩した。予想もしない方向から加えられた大きな力によって、何者かが彼の曲刀を弾き飛ばしたのだ。
慌ててその場で踏ん張った彼が目にしたのは、日干しレンガで作られた桟橋をよじ登ってくる、砂漠大サソリの姿だった。彼の曲刀を弾いたのは、大サソリの尾の先端にある、鋭い毒針だったのだ。
砂に隠れて獲物を狙う大サソリが、なぜこんな開けた場所に?
混乱しきった頭で正面を見たときにはすでに、少女は大きく上げた両手で短剣を握りしめ、それを彼に向かって振り下ろそうとしていた。
だが、彼はすぐに冷静さを取り戻した。鋭いとはいえ、単純な一撃。それに体格差もある。いなすのは容易だ。
彼は、がら空きの少女の胴体に向けて前蹴りを放とうとした。
しかし、不思議なことに、彼の両足は地面に貼り付いたかのように、微動だにしなかった。日干しレンガから突き出した二本の砂の腕が、知らぬ間に、彼の足をしっかりと掴んでいたのだ。
「クソッ!!」
彼が無理やり足の拘束を振り払ったのと同時に、少女の短剣が彼の脳天に向かって振り下ろされた。彼は咄嗟に体を捻って、すんでのところでその一撃を躱した。
「ぐあああっ!?」
少女の短剣の切っ先は彼の左頬をかすめ、手甲付きの革手袋に包まれた左手首を直撃した。
魔力で強化された刃は、手甲を易々と叩き割り、まるで温めたバターでも斬るかのように、彼の左手首を切断した。勢いよく吹き出した彼の血が、少女の体を赤く染める。
すかさず2撃目を繰り出そうとした少女の腹に、彼は横蹴りを食らわせた。
「ぎゃふっ」という声と共に吹き飛ばされた少女は、日干しレンガの上を転がり、桟橋から落ちる寸前でなんとか止まった。
「畜生、俺の腕が!! このガキ! ぶっ殺してやる!!」
怒りに任せて、少女に向かって突進しようとしたバグラだったが、その行く手を大きな2本のハサミが阻んだ。ゆっくりと桟橋をよじ登ってきた大サソリが、まるで少女を守るかのように、彼の前に立ち塞がったのだ。
「なんだと!? !! てめえ、魔獣使いだったのか!?」
バグラはようやく、この不可解な魔獣の襲撃の理由が、目の前の少女であることに気づいた。その瞬間、彼の視界がぐらりと大きく歪んだ。
やばい。血を流しすぎた。
バグラはふらつく体を気力で支えた。右腕と口を使って、曲刀を吊るしていた革ベルトで、左腕をきつく縛る。
ようやく吹き出る血の勢いは衰えたが、すでに足に力が入らなくなっていた。彼は、生まれて初めて、敵の目の前で地面に膝をついた。
「これもすべて、シャーレ様の思し召しよ。」
短剣を手にした少女が、バグラに迫る。しかし、彼は立ち上がることが出来なかった。彼は霞む目を凝らし、端正な少女の顔を憎々しげに見上げた。
「くっ・・そ・・この・・俺が・・。」
少女は涙を堪えるような表情で、座り込んだバグラに短剣を振るおうとした。
しかし、その時、夕闇を切り裂く甲高い鳴き声とともに、少女の前に何者かが飛び込んできた。
少女は思わず、その場を飛び退いた。飛び込んできたものの正体は、バグラの騎鳥だった。
騎鳥は少女を威嚇するように短い翼を広げながら突進し、うずくまるバグラの体の下にその太いくちばしを潜り込ませると、首の力だけで主人の体を自分の背中に跳ね上げた。
「南風・・!!」
バグラが騎鳥の名を呟き、朦朧とした意識の中で手綱を掴んだ瞬間、騎鳥は一気に桟橋を飛び降り、あっという間に砂の海の向こうへと走り去っていった。
遠くなっていく影を見つめながら、少女は唇を噛み、短剣を握る右手にぐっと力を込めた。
「騎鳥で砂海を越えられるはずがない。ましてやあの傷。あの男は、もう助からない。」
自分に言い聞かせるように、少女は口の中でそう呟いた。そして、傍らに佇んでいた大サソリにそっと手を触れさせると、「助けてくれてありがとう」と礼を言った。
大サソリは小さくハサミを動かすと、日干しレンガの桟橋をゆっくりと降り、砂の中に姿を隠した。
戦いは終わった。少女は、昇り始めたばかりの青い月を見上げると、両目を強く閉じた。溜まっていた涙が頬を滑り落ちるのを待って、彼女は再び目を開いた。
冷えた風が、火照った彼女の頬を優しく撫でる。彼女は短剣を腰の剣帯に差し込み、彼女を待つ人達のもとへと歩き始めたのだった。
お読みいただいて、ありがとうございました。




