第84話 これも野球のひとつ
ラメセス監督が自信満々に語る。太刀川みちを打ち崩せる秘策があると。それに正面から立ち向かい、細かい作戦や攻略法なんて無駄だと思い知らせようとするのがわたしとみやこ。セパ交流戦の8試合目にして最大の山場を迎えた。
「秘策とやらは抜きにしてもタヌキーズ打線はホームランバッターが多い。いまの我々の得点力では一球の失投が命取りだ、常識的に考えて!」
「はい。油断できないバッターばかりです」
わたしの場合、一息入れようと思った下位打線の打者に一発を打たれることがある。プロ初ホームランとか二年ぶりとか、みやこが言うには昭和の大投手たちの失点パターンと同じで、『強者の余裕』というやつだと。
「普通ならソロホームランの1点で九回完投なら勝てる。でもいまは普通じゃないレベルで最悪だ。その1点すら惜しい」
「相手の先発は昨日の岡山とダブルエースの本山ですからね………なかなか得点できませんよ」
本山には去年も負けている。とはいえわたしは出番なしの試合だったし、二軍のリーグが東西違う相手、オープン戦でも未対戦。苦手意識はちっともない。
最悪ソロホームランを打たれても自分でツーランを打てば勝てる、それが二刀流の強さだ。パ・リーグ主催の試合でも、今日は指名打者なしだ。ベアーズにいた大仁田がそれをやっていたのを目の前で見たときは別世界の人間に思えたけど、あれから一年で自分が同じところにいるなんて……夢のようだ。
4 石河
6 大和
2 木谷
1 太刀川
5 奈村
3 フォックス
8 関
9 中園
7 荒川
そしてついにわたしが投手の日も4番に座ることになった。負担が増えるけどチームのために頼むと新浦監督自ら頭を下げてお願いしてきた。わたしの体力は問題ないし、1打席でも多く立ちたい。快諾だった。
「みっちゃんに木谷、ノリさんがいるのにチーム打率はそろそろ十二球団最下位!フル回転してくれないといけなくなっちゃったわ!」
「ははは……でも得点力はリーグの真ん中くらいです。勝率もほぼ5割、効果的に点を取ってると思いましょう」
タヌキーズ先発の本山は防御率ならわたしとほぼ同じ、1点台の半ばだ。でも白星はまだ3勝で、運に恵まれない登板が続いている。
「野手の皆さんも頑張ってくれていますから、感謝しかありませんよ。しかし太刀川というのはかなりのラッキーガールなんですね。もう10勝ですか。運も実力のうちとは言いますが運が一番の武器なんじゃないですか?」
言葉にはしなかったけれどやっぱり羨ましいのかな。そのコメントについて何かありますかと記者に聞かれたわたしは、そうなんですよあっはっは、と答えようと思っていた。ところが隣りにいたみやこがわたしよりも先に話し始めた。
「運がある、それは超一流と呼ばれる選手に欠かせないと先日王島氏が話していたのを思い出しました。真のヒーローには見えない力がある……」
「………そ、それが太刀川選手だと?」
「もちろん太刀川みちの最大の武器は運ではありません。全ての要素において並の投手とは世界が違いますから」
そして本山への挑発も忘れなかった。
「一方で運も実力もない投手がいる。白星に恵まれないのは打線のせいでもリリーフのせいでも、守備の乱れのせいでもない。自分自身だとまだわかっていない哀れな二流選手が」
「………!?」
「結局のところ、先に勝ち越し点を与えてしまうのだから根性と我慢が足りない。チームを勝たせることができないのだからエースですらない。そんな二流選手が太刀川みちを理解できないのも当然で、無価値な負け犬の遠吠えは聞き苦しい」
非難し、酷評し、罵倒した。わたしはもう慣れているけど、この記者は口をあんぐりとさせてしばらく呆けていた。
「……本山は二流ではないと思いますが………」
そう言うのが精一杯だった。本山を二流だの無価値だのと評価するのはみやこくらいなものだろう。日本代表にすら選ばれている投手だ。
「ならば三流と表現しましょう。今日の試合でそれがますます明らかにされるでしょう」
乱れかけていた口調が元に戻った。わたしを運任せの投手だと言われたみやこの怒りは相当のものだった。
ラメセス監督の秘策、みやこの怒り、本山の気迫……この試合、ただでは済まないかもしれない。これまでの登板で最悪の事態を招くことも……。
『スリーアウト、チェンジです!ブラックスターズの太刀川みち、タヌキーズの早打ちに助けられてこの回も無失点!たった25球で三回を投げ終えました!』
何回こんなことがあったやら。わたしの直感や冴えはほんとうにアテにならない。危機察知や回避の能力は自信があるけど、閃きや予感、さらには展開予想……そういうのはダメダメだ。
「ボール!フォアボール!」
「…………」
『押し出しです!本山、今日の調子は最悪です!四回途中7失点!エラー絡みの失点もありますが被安打9、与四球4では言い訳できません。いまラメセス監督が出てきて……交代でしょう』
1点を争う試合とやらはどこへ……。本山が絶不調で大荒れ、早くも試合は壊れた。これはわたしだけじゃなくて大多数の予想が外れたのだから、こうなるのを言い当てたみやこを褒めるしかない。
「うお――――――――っ!!」
『空振り三振!点差が開いても太刀川は気を緩めません!六回を67球、被安打1の与えた四死球ゼロ!素晴らしいピッチングです』
ラメセス監督の秘策とやらは何だったんだろう。最初の一巡はいつもの早打ち、二巡目はちょっとだけ球を見てきたけど今度は三振だらけ。
「知らない間に策を打ち破っていたかな?」
「…………いいえ、みち。作戦なんてなかった、そうとしか考えられない」
ただの揺さぶりか。そういえばラメセス監督は思わせぶりな発言をしておいて結局何もしなかったことが幾度もあった。あのファーストストライク狙いが秘策なわけもなく、わたしが考えすぎて自滅するのを期待しただけだったんだ。
「………………」
「これがラメセスという人間。愚将の奇行と虚言はあなたもよく知っていたはず」
因縁の対戦、息詰まる投手戦と見る人々の期待を高めに高めた試合は終わってみれば三時間もかからずに終わった。いや、11勝目を完封で飾って、打つ方でも2安打3打点のわたしは文句なんかない最高の一日だ。なのにこのモヤモヤは何なんだろう。
「相手にあれだけのタフな投球をされては仕方がない。本山が早々に失点し試合は決まってしまった。これも野球のうちのひとつなのかなと思う」
「太刀川投手については………」
「いいピッチャーだね。リーグが違うからもう対戦しなくていいのが幸いだよ。明日はまた違う日になるだろう」
敗戦のコメントも去年までよく聞いた言葉そのものだった。ショックを引きずらず、悪いことは忘れる。手痛い経験から学べ、反省しろという声も大きいけれど、これがラメセス流だ。新浦監督のような真面目な人より性格的には監督に向いているのかもしれない。チームのためにいいか悪いかは別として。
1勝1敗のタイで迎えた最終戦、タヌキーズの先発は浜家さんだった。去年までのチームメイトだ。
神宮球場での木更津さんの引退試合、わたしがホームランを打った後に登板、そこで結果が出せずに戦力外。独立リーグのチームで投げていたところを、ラメセス監督が就任したタヌキーズが獲得しプロ復帰を果たした。球速が上がって変化球の数も増えていた。
「……うわ!」
コントロールに難ありなのは変わらずで、6イニングでデッドボール3つ。わたしも抜けた変化球を背中に食らった。でも去年までをよく知っているから、わざとではなく制球に苦しんでいるだけだとみんなわかっている。緊張した空気にはならなかった。
「もしみちがあと1回でも当てられたら………相手の主力打者に報復を敢行するところだった」
「いやいや、退場になっちゃうよ」
「みち以外の投手など何人退場になろうが大した問題はない。徹底的な報復をしなければならない」
ちゃんと避けないと退場と乱闘と警告試合の嵐だ。これからはわたしの危機察知能力が働かないほどの痛くないボールだとしても逃げられるものは全力で逃げよう。
『試合開始直後に大勢が決まった火曜、水曜のゲームとはガラリと変わって今日は熱戦!九回終わって3ー3、決着つかず延長戦突入です』
ラメセス監督の退団や数人の選手の放出が正しかったのかどうかが問われ、負け越したらチームの勢いが一気に失われるかもと言われたこのカード。その答えがわかるのはまだ先のようだ。
『延長十二回、両チーム譲らず!この引き分けで対戦成績も1勝1敗1分の完全なイーブン!』
タヌキーズの最後の打者がレフトフライに倒れた瞬間、ベンチからは安堵のため息がいくつも聞こえた。
「いや〜……危なかった!意外と伸びたわね、最後の打球。ヒヤリとしたわ」
「最低限はできた。よかったわ〜……」
荷物をまとめ終えた人から一人ずつ、ベンチを後にする。選手もコーチも皆が負けなかったことに満足して引き上げていく様子を、みやこは冷ややかな目で見ていた。
「愚かすぎる……勝機は十分にあった試合を取りこぼしておきながら笑っているなんて」
負けなかった、ではなく勝てなかった……みやこは厳しい。今日の3点は全てみやこの打点だし、不安定な投手陣をリードして最少失点で抑えたのに足りないようだ。
「九回…みちに代走を出さなければ勝てた試合だった。あなたは下げてはいけない選手だというのに、自ら勝利を手放してしまった」
「…………やっぱりわたしのことか………」
九回表1アウトからわたしが二塁打、新浦監督は代走の柴山さんを出して5番の紀子さんに託した。ところが申告敬遠で歩かされ、6番7番が凡退。しかも延長十一回にノーアウト一、二塁のチャンスでわたしがさっきまでいた打順に回ってきたのだった。
「柴山は犠打失敗、後続も倒れて絶好機を逸した。結果論ではない、みちへの代走はいつも失敗している」
「でもあの場面なら普通は…」
「みちは『普通』ではない。そこに気がつかない人間はもう野球をやめてしまったほうがいい。現在の指揮官は前任者と違い反省ができる人間なので、これ以上同じ失敗は繰り返さないはず」
わたしが球界一足が短い鈍足ランナーなのが原因のはず。首脳陣にその責任を求めるみやこはかなり偏った考えの持ち主だ。ただ、いつか大変なことになるぞというわたしの不安は今日まで現実にはなっていない。案外何事もないのかもしれない。
「明日は埼玉で試合……大忙しだね」
「これではさすがに疲労が残ってしまう……」
今年の交流戦はハードスケジュールだった。あとは埼玉、来週は横浜で6連戦だからどうにか山場は越えた。わたしは疲れていないけど、チームはタヌキーズとの激戦で全体が疲れ切っている。ミルルトと対戦した直後で移動がない相手と比べたら明らかに不利だ。初戦は厳しいかもしれない。
「古巣ブラックスターズとは痛み分け、決着はつきませんでしたが?」
「特別な意識はしていない。今日は価値ある引き分けであり、明日以降に繋がる試合だった」
「監督の力量や資質が試される連戦でもありましたからやはり勝ち越したかったのでは?因縁は来年に持ち越しとなりました」
「我々と彼女たちが共に日本シリーズに進出すれば今年中に戦える。セ・リーグのペナントは我々の力では操作できないがね」
ラメセス監督との次回の対戦をわたしも楽しみに待とう。
本山 (大阪タヌキーズ投手)
タヌキーズのエース。日本代表でも中心投手の実力派右腕だが、なぜか白星に恵まれない。
元になった選手……防御率の割に勝ち数が少ないあの投手。野手も反省する所があると思うようだか、実際このチームの野手たちはここ数年の体たらく、どれだけ反省しても足りない。
浜家 (大阪タヌキーズ投手)
ラメセスの監督就任と同時にタヌキーズに入団した速球自慢の左腕。コントロールはまだまだ改善の余地あり。
元になった選手……ラミちゃんねるの企画でNPB復帰を目指しているあの選手。独立リーグで登板している様子がラミちゃんねるで見られるが、やはりコントロールが不安定すぎて、このままでは拾うチームは……。




