第63話 みっちゃん対若大将
田沼侑。彼女はまさに完璧な人間だった。何をやらせても誰にも負けない、裕福な家庭のエリート育ちの娘。正義感に満ち、喧嘩も強かった。要するに誰がどうしようが彼女には勝てない。料理にゲーム、絵に音楽と趣味が多くしかもいずれもレベルが高い。
『アンカー田沼がごぼう抜きで京南中学が優勝!』
『田沼が大逆転優勝!水泳界も若大将のものだ!』
彼女は海が好きだった。自分の船が欲しいと思うようになり、そのとき友人から言われたそうだ。だったら意地を張らずに野球をやればいい。あっという間に船が買えると。
田沼の両親は共に野球で活躍した。その二世選手と呼ばれたり親の力を借りるのが嫌で違う道に進もうとしていたが、夢を掴む一番手っ取り早いやり方が野球だった。
『打ちました―――っ!京南高校の4番、田沼がやりました!4試合連続サヨナラホームラン!まさに史上最強!』
性格がいいしスタイルも完璧、もちろん美人。誰からも愛される今年プロ三年目の若大将本人はあくまで謙遜だったが、周りは三冠王の誕生を疑わなかった。ゴーレムズは嫌いでも田沼は別、若大将頑張れ、そんなファンも大勢いた。
『四回表、ようやく四角がチーム初ヒット!そしてバッターは4番の田沼!大歓声の横浜スタジアム!』
去年キャッチャーとして田沼に挑んだときは完敗だった。文句なくナンバーワンのバッター、さっきのトリプルプレーは全てがうまくいって完成した奇跡だ。二回目はない。
(………わかった)
みやこのサインを確認し、首を縦に振る。ここまでみやこの要求を拒否したことは一度もない。今回も信頼して投げ込むだけだ。
「はぁっ!」
その初球。ランナーの四角がスタートの構えをしていると内野手の声がしたけれど無視する。これはわたしたちバッテリーを乱すための偽スタートだ。たとえほんとうに走ってくるとしてもいまはバッターに集中しないと打たれる。
「………」
田沼は打つ気なし。最初の打席で初球打ち、その結果が大失敗に終わった直後となるとこれが当然だ。
『カーブが入ってストライク!甘い球に見えましたが田沼は見送りました!初球はストライクになりました』
『狙いが外れたのかもしれませんね。ストレートにヤマを張りたくなるピッチャーですから』
まずは読み通り見逃してくれた。次の球は……。
(…………)
みやこはスライダーを求めてくる。コースはまた真ん中。最初から2球続けて変化球、それもストライクゾーンにというのは今日初めてで、オープン戦や練習試合でも試していなかった。
でもわたしはみやこを信じる。少しでも疑えばみやこの構えたミットの位置からズレる。そのズレが命取りなんだ。たとえその球で何事もなくても、一度プランが狂うと次の球、それか次の打席でやられる。ズレた一球が全ての原因だ。
『田沼に対し太刀川……投げましたっ!』
田沼のバットが動きかけたけど止まった。カウントを稼ぐ球が決まって追い込み、かなり有利な状態になった。
『これも見送ってストライク!一瞬手が出かかりましたがこれはどういうことでしょうか、解説のお二方』
『やはりさっきの打席で完全に力負けのトリプルプレー、頭に残りすぎて消極的になっているのかもしれません』
『いーや、田沼は太刀川の球を見極めている。仕留めるのは一球あれば十分、これで直球と変化球の違いがわかったと思いますよ』
村野さんの予想が正解だった。田沼はわたしのフォームのクセや変化球のキレを確かめていた。
(……だいたいわかったかな。太刀川が本気の投球をするのはストレートだけ、叫びながら投げるからすぐにわかる。変化球の曲がり具合もわかった。これで問題ないな)
わたしが叫ぶときは直球、普通に投げたら変化球。田沼はそう絞ったと後に語っていた。全力じゃないストレートやただのスローボールを投げるとは考えなかったらしい。まさか自分を相手にそんな危険で舐めた投球はしてこないと。
(……………)
3球目。みやこはバッテリーを組む投手や相手打者の特徴、力量、調子や状況などを考えて最善のリードをする。敵はみやこのリードの傾向を研究しても成果が出ずに悪戦苦闘する。だけどわたしとのときだけみやこのリードに偏りがある。『強者の証明』として、遊び球なしの三球勝負をすることが多い。
「みちのスタミナは心配していない。しかし無駄なボールカウントや相手に粘らせる機会を与えても何のメリットもない。みちにはどう足掻いても勝てないと教えるためにも三球三振は大きな効果がある」
「球数が少ないに越したことはないけど……」
去年の段階でみやこは何度もそれを強調していた。強気でも弱気でもない、感情を入れずに配球するみやこがわたしの球を受けると超強気のイケイケリードに変わる。それだけわたしを信じてくれているんだ。
わたしもそれに応えて、みやこが正しいことを証明しなきゃいけない。勝負が決まるボールを持つ手に力が入った。
「ふんっ!」
(叫んでいない!つまり軽く投げた変化球!カーブでもスライダーでも確実にボールになるコース!)
変化球のほうが打てる、ただしボール球を打ったってだめだ。田沼は悠然と見送る構えだった。ところが………。
「………!!曲がら………ない!?」
「ストラーイク!バッターアウト!」
139キロ、なんの変哲もない打ちごろの直球が決まって見逃し三振。みやこの策にまんまと引っかかってくれた。
『あ……あの田沼が一度もバットを振らずに三球三振!こんな光景が今まであったでしょうか!?いいえ、ありません!絶好のホームランボールになぜ手が出なかったのか……?』
相当悔しがっていることだろう、バッターボックスで天を仰ぐ田沼の顔を眺めていると、なんと笑みを浮かべていた。
「フフフ……面白いな。あまりにもうまく行き過ぎてつまらなかった野球……これがライバルや試練ってやつか」
やっぱり天才の感覚はよくわからない。天才たちの会話にはついていけそうもない。
「こんな簡単なやり方で読みを外されるなんてね。まさかただのストレートとは。君たちの作戦勝ちだ」
「……読みを外す?何のことかわからない。あなた程度を抑えるには全力を使うまでもないだけの話」
「………ん?」
「あなたがみちのライバルになれるなど思い上がりも甚だしい。あなたごときみちにとっては試練でも何でもない」
もう一人の天才、みやこが煽りまくっている。それでも笑顔を崩さずに黙って戻っていく田沼がよくできた人間で助かった。
「うおりゃ――――――――っ!!」
『続く長崎も三振だ!田沼相手には使わなかった太刀川の決め球を宮崎には連投!3アウトチェンジとなりました』
あえて長崎にこの球を投げることで田沼のプライドをへし折り心を砕きにいくのが狙いかな?とにかく無失点だ。
「ナイスピッチング。あなたの前ではゴーレムズの9人は誰が誰でも同じこと。格が違う」
深い意味や目的はなかったみたいだ。他の投手と組んでいるときには絶対ありえない大雑把な考え方だった。
「お疲れ、期待を遥かに上回るピッチングだ。今日は限界まで投げてもらうよ。この後もしっかり腕を振る、それだけ気をつけていれば問題ないはず、常識的に考えて」
皆藤投手コーチが近づいてきた。次に打順が回ってくるのは五回か六回。そこで交代ではなくいけるところまで投げる、監督とコーチの方針は一致しているとのことだ。
「さっきタイムリーを打った強打者に代打は出さないよ、ほっほっほ。交代はマウンドの上で、だね。失点する前に継投策に入ると思うよ」
大江原バッテリーコーチもわたしの肩を優しく叩いた。勝利投手の権利は意識せずに投げよう。ピンチになったら代えてくれるみたいだから、そこまで頑張るだけだ。
『キャッチャーの木谷、捕りました!チェンジです。なんと太刀川、八回を無失点!強力打線を封じ込めました!』
出来すぎのピッチングだ。八回を投げて105球、被安打は3、四球は初回のあれだけ。三振11個を奪って失点と自責点は0。まだまだ余裕が残っていた。
ゴーレムズの菅はほんとうに失点した回以外は完璧で、なんと四回から七回までパーフェクト。2安打した三回がなければ完全試合だ。14三振を喫したブラックスターズ打線、そのぶん球数は120を超えていた。ピンチが全然ないから疲れてはいないだろうけど。
「みっちゃん!急な登板だったのに最高だった!この回は6番からだけど攻撃がどんな結果でも九回は川崎に任せる。ここまでありがとう!」
新浦監督が握手を求めてきたからこれで終了だ。余力はあるけど1点差、人気者のストッパー川崎さんの出番をファンは待ち望んでいる。交代は必然だった。
「………みちが続投したほうが勝つ確率は高いはずです。勝利よりも観客に媚びることを優先するのですか」
みやこが交代に抗議した。わたしの完封勝利が見たかったんだろう。でも監督はみやこの扱い方をわかっていた。
「まあまあ木谷、アタイもわかってるよ。だけど完投で勝ったとして、そのウイニングボールはアタイの物だ。だけどさっきの回のキャッチャーフライのボールを木谷は持っている」
「………なるほど」
「奪い合うよりもそのほうがいい。お互いに記念ボールは大事にしようや!」
八回裏二死走者なし、1ー0。九回のゴーレムズの攻撃は打順よく2番のウィーガーから。反撃のためにサクッと終わらせようと思ったか、菅が珍しく油断していた。でもバッターは8番打者とはいえクリーンナップよりも怖い………。
「あぁっ!?」
『あ―――――!これはいきました!レフトスタンド中段に入りました、ホームラン!木谷の今シーズン第1号ホームランはチームとしても初、そして貴重な追加点となった――――――っ!!』
1点では不安と思ったか、みやこが打った。菅はここで降板を命じられ、足取り重く去っていった。
「みやこに先を越されたかぁ。でもハマスタじゃあわたしは去年ホームランがなかったし順当な結果かなあ?」
「そのジンクスはすぐに終わる。現にこの試合後、みちはヒーローインタビューに選ばれる。私はあなたに取り残されないように必死だった」
ハマスタホームラン、そしてヒーローインタビューは共に高い壁だった。そのうちの一つが実現寸前だ。
だけど不思議なことに、インタビューで何を言おうかなんて考えていたら逆転されてしまったって話をよく聞く。いまは何も考えずに打席に入るべきだ。
『今日の主役、太刀川がそのまま打席に入ります!』
続投はない。だからバッティングに専念できる。みやこに続けるように気合を入れた。
新監督の初勝利と投手のプロ初勝利が重なったらどちらがウイニングボールを手にするんだろう、と考えていたら、実際に2021年のベイスターズはそうなってしまいました。三浦監督は躊躇わずにボールを投手に渡し、今後のチームの躍進を確信しました。
この作品内ではウイニングボールを欲しがっているので、元ネタの人物を完全に再現しているわけではないワンシーンになっています。




