第95話 同族嫌悪
『田郷は見逃し三振!ゴーレムズ、序盤の3イニングは出塁がありませんでした』
『太刀川と木谷のバッテリーが最初から出し惜しみしていませんからね。最後まで持つのかなという不安はありますが……』
緊張感のある投手戦になった。1点を争うゲーム、四回以降も気を抜ける場面はなさそうだ。
「三回終わって36球……球数は悪くない。ただし次の回からは相手も工夫してくるはず。おそらく狙いは体力を奪うこと」
バントの構え、実際にセーフティバント、カットで球数稼ぎ。手段はいろいろありそうだ。
「しかしバントは気にしなくていい。揺さぶりだけが目的とわかっているなら動く必要はないしほんとうにバントしてきてもあなたの高め速球ならファールかフライになる」
「そう決めたとしてもつい反応しちゃいそうだね。全く動かないっていうのは無理かも」
それなら相手がそんな戦法に出る余裕がなくなるくらい点差を離してやればいい、そう言うのは簡単だけど……。
『奈村はレフトフライ!ブラックスターズも二回から四回までランナーすら出せません!』
みやこ、わたし、紀子さんであっさり3アウト。田郷はどんどん調子を上げていて、初回に叩かないとノーチャンスだったのかもしれない。
「さて、1番からか……」
何か仕掛けてくるとしたら先頭の梶田。全球高めにストレート、それも気合いを乗せたボールを惜しまずに投げると決めていた。
「………うっ!?」
『セーフティバント!いや、打球は球威に負けて小フライになった!これは誰も捕れないか……』
狙ったところよりほんの少しだけ低く、真ん中に入りかけたのが逆に幸いした。高めだったら梶田はバットを引いて見送っていたかもしれない。でもファールになりそうだ……そう思っていたら、みやこがマスクを放り投げてダッシュ、そして腕を伸ばしてダイビングした。
「………!!」
ミットの先、こぼれてもおかしくないギリギリのところに入っていた。球審がアウトを宣告する声が響いた。
『これは凄い!キャッチャー木谷の超ファインプレー!ファールフライです!』
みやこの守備のうまさについていまさら語る必要はない。すでに十二球団ナンバーワンだ。でもいまのプレーには守備力だけじゃない、気迫があった。試合中も闘志をあまり表に出さないみやこがそれを全面に出すとしたら、わたしの登板試合、もしくはそのまま試合が終わればわたしが殊勲のヒーローになれるときだった。
わたし絡みの試合で全力を費やす理由についてみやこは、勝てる試合を確実に勝つことが大事だからと言った。分が悪い試合をひっくり返すよりも勝てる試合を取りこぼさないほうがいいと。
「まあ……ピッチャーはヒットになりそうな球をファインプレーするけど凡ミスも多い不安定な守備の選手よりもアウトにできる球をいつもしっかりアウトにしてくれる選手のほうがありがたいとはよく言われるけど、それと似たようなものかな?」
「技術や体力が限られているのなら堅実さが重視されるべき。とはいえ……あなたの試合で私が通常以上の力を発揮できる真の理由、みちはもうわかってくれているのでは?」
「えへへ………なるほどね。へへっ……」
みやこはそのときのわたしを見て、素敵な笑顔と言ってくれた。でも他の人が評価したら、気持ち悪い不気味な笑みだって大多数の意見が一致するだろう。わたし自身がいまのわたしは最低な顔をしているなって自覚があった。
『坂友三振!カット狙いのスイングでしたがそのせいで振り遅れてしまいました!』
ん?いくら最初から飛ばしているとはいえ今日はやけに簡単にアウトが奪える。試合前の投球練習では調子は普通だなと思っていたのに、嬉しい誤算だ。
「………低い」
「ストライク!バッターアウト!」
「!?えっ……!?」
四角は見逃し三振。四球を選ぼうとしていたのか一度も振ってこなかった。最後はストライクとボールのどちらでもおかしくないコースだっただけにここはわたしがラッキーだった。
『四角、まだ不服そうです。これは低い球、自信を持って見送っただけに……』
『いえ、際どいボールは自分で判断しないでカットしないといけません』
四回裏が終わって両チーム無得点。いい緊張感がドームを包んでいた。
「まさに投手戦……なんとか先制してみっちゃんを楽にさせたいなぁ」
「こういう試合ってどちらかが点を入れるともう一方もすぐに返しちゃったりするし何が正解かはわからないわ。ま、私たちは余計に気負わずに打つだけよ」
終盤までゼロ行進が続きそうな雰囲気だったこの試合が動いたのは、五回表だった。簡単に2アウト、ベンチ前でキャッチボールをしているときに突然の出来事だった。
「えっ!?」 「い、いったか!?」
鋭いライナーがライトに飛ぶ。あとはもうフェンス直撃かフェンスを越えるかのどちらかという伸びの打球は、ライトスタンドの最前列に吸いこまれた。
「は……入った!柴山さん!」
『これは驚きました!8番柴山が放った打球はスタンドイン!伏兵の一発でブラックスターズが先制しました!』
柴山さんは毎年2本か3本はホームランを打っていて、今年の第2号だった。だから全くありえない話、というわけでもないけどびっくりだった。スタンドもしばらくどよめいていた。
「ナイスホームラン!いよっ、主砲!」
「田郷が油断していたよ、あの棒球は。早くベンチに帰りたかったのかもね」
先制点をもらった直後、ここをしっかり抑えることが大事だ。ゴーレムズは4番の岡戸から始まり、ウィーガー、長崎と続く。田沼がいなくてもホームランが打てる打者ばかりだ。
「……今日一番大事なイニングかもね」
「この三人なら小細工はしてこない。力勝負で押し切れる」
四回とは違って、揺さぶりや粘りを絡めてくることはない。余計なことを考えなくていいぶん楽かもしれない。
「うおぉ―――――――――っ!!」
「………っ!」
『バットが折れました!長崎はセカンドゴロ、これでスリーアウトチェンジです。ゴーレムズは期待の中軸でしたがまたしても三者凡退!』
五回を投げ終えて62球。もしかしたら八回、うまくいけば九回まで持つかもという手応えがあった。
「ゴーレムズ相手に完封できたらうれしいね。白星がついたら今シーズン3戦3勝、これからもカモにできるかもしれない!」
「………ええ、そうね」
なぜかみやこが即答せずに、何かを考えているのが気になった。その内容を聞いてみようかと思ったけどやめたのは、いまわたしに話さないということはわたしが知らないほうがいいとみやこが判断したからに違いない。みやこが自分から話してくれるときを待とう。
五回が終わり、東京ドームの最上級VIP席で観戦するゴーレムズのオーナー、百合澄子。自慢のチームが苦戦し、いつ激怒するかわからないと秘書は警戒していた。しかし、15歳のオーナーは静かなままだった。
(……田沼さんはなぜ私に太刀川から学べだなんてことを言った?私の傲慢さを咎めるだけならまだしも、なぜ敵であるあの珍獣のプレーを真剣に見て学べと………)
黄金軍こそ唯一の強者であり正義と考える15歳、中学三年生のわがままオーナー。自軍の全選手はもちろん、FAやトレードで引き抜くために他球団の主力選手のデータもしっかり頭のなかに入っていた。ただし、わたし……太刀川みちについて調べたのはいまこのときが初めてだったらしい。これまではまるで興味がなかったんだろう。
(身長はやはり十二球団でいちばんチビか。根津や木森、春うららよりも低い……それでも私よりは高いか)
実はこの百合オーナー、中学生とはいえわたしよりも背が低く、しかも身長の伸びはもう止まりかけていた。これから先、わたしを追い越す可能性すら薄かった。
(甲子園出場なし、学生時代日本代表選出なし、ドラフトは支配下選手のなかでは最下位……プロ入り後すぐに捕手転向、四年間で実績らしい実績はなく、クズの中のクズ選手。しかし昨年は………)
先代オーナー、タベツネが退任したのが今年の頭。その子どもで唯一生きている百合澄子がその後継者となった。歳の離れた母から黄金軍についてしっかり教育された彼女であっても重圧や環境の変化は耐え難いものだった。
(たまたまそれなりの成績を残し、ゴーレムズの最終戦で邪魔をしたのは私も知っている。でもそれまでGランク選手のクズがCかDになっただけ………いま日本でただ一人SSランクと言える田沼さんがどうして………)
「あなたが新しいオーナーですか。田沼侑です。どうぞよろしくお願いします」
「……私は百合澄子。母とは70以上も歳が違うし名字も違う。こんな小娘がオーナーだなんて、あなたも鼻で笑っているのでは?」
「まさか。あなたの前で先代をあまり悪く言うつもりはありませんが、あなたのほうが野球を愛し情熱を持っている、それだけで尊敬の理由になります。いずれ皆も気がつくでしょう」
田沼侑はとにかく爽やかだった。他の者たちとは違い、若すぎる新オーナーを好奇の目で見たり疑ったりはせず、逆に媚びたり利用して甘い蜜を吸おうという下心も感じない。ただ優秀で役に立つ選手ではない。一人の人間として田沼は素晴らしく、もっと親しくなりたいと願い、その後も話すたびに惹かれていった。
「えっ、中学で野球を?確かに基礎ができていますね。その動きなら……ポジションは内野ですか」
「よくわかったわね田沼さん。ええ、その通りよ。忙しくなって練習時間が限られているのがもどかしいわ」
メインポジションはショート、セカンドやサードでも堅実な守備を披露する。ゴーレムズのオーナーの娘ではあったものの愛人との子どもであり、学校で特別扱いされてはいなかった。実力でレギュラーの座を勝ち取っていた。
「将来の目標はやはりプロの選手?」
「まさか。私のこの身長ではプロ野球選手は夢のまた夢、ゴーレムズのオーナーとして野球に関わっていきます」
サッカーやバスケットボールは日本中にたくさんチームがあって、下のほうはアルバイトや仕送りのお金がないと生活していけない、最悪給料なしでもプロの選手を名乗っている人たちがいる。一方で野球は日本では十二のチームしかない。独立リーグの選手はお金をもらえても普通はプロとは呼ばれない。
その狭き門、百合澄子は恵まれない体格を理由に諦めていた。ほんとうはプロ野球選手になりたいという夢がありながらゴーレムズのオーナー就任もきっかけの一つとして、願いにフタをしていた。
彼女がわたしを強く憎むのは同族嫌悪であり、ハンデを克服したというよりは運よく夢を叶えた者への嫉妬だった。
(とてもプロの選手の体じゃないチビ同士、太刀川から学べと言っている?やり方次第でチャンスはあると………?)
(澄子さんはわかってくれただろうか。太刀川から学んでほしいのは諦めない心と根性。そして日々の鍛錬がいかに重要かだ。本気で夢を叶えたいのなら………)
特等席のオーナー、そしてスタメン落ちしベンチに座りながらも仲間を大声で鼓舞する田沼。二人の思いはすれ違ったままだった。でも、六回が終わるとき、全く同じ考えに満たされた。
「「……まだ………出塁できていない!」」
さすがにわたしも気がついた。みやこがさっき言いかけていたのはこれだ。ベンチではあえてみんな口にはしていないけれど、ソワソワしているのが隠せていなかった。
「ここまで……パーフェクト!」
百合 澄子 (黄金軍オーナー)
15歳にして東京ゴールデンゴーレムズのオーナーとなった。学生野球の選手でもあり、中学生のなかではかなり高いレベル。突然高い地位を得たことで傲慢になり、やりたい放題に振る舞うほか、他人を見下すようになる。ただし田沼侑は例外。
元になった人物……若大将シリーズ大学編のヒロイン。こんなキャラクターでは元ネタに失礼と言いたくなるが、実は映画の中の澄子さんもかなり滅茶苦茶であり、若大将の水泳大会に間に合うために青大将にスピード違反を強要し、パトカーに追われても振り切れとか言う。で、目的を果たしたら青大将はポイ。哀れ、石山。
すぐ拗ねたり上記のようなわがままだらけだったりで、演じた星由里子さんはこの澄子というキャラクターが嫌いだったというほどだ。




