第92話 奈村紀子の不満
その兆候は以前からあった。そもそも去年、前のチームでもそれがきっかけで大きな問題に発展していた。だからさすがにもうないだろう……いや、あの人ならもしかしたら……と噂されていた件がとうとう爆発寸前だった。
『バッターは今日3番に入った奈村紀子!一塁には上里がいます。足が武器の上里、ここもリードをとってコアラーズの小野を揺さぶる!』
バッターに集中できないようにするのが狙いか、上里さんのリードがさらに広がる。ところが集中力を乱されたのは小野ではなく……。
「くそ……ベースのそばでチョロチョロしよって!目障りでかなわん!」
紀子さんが明らかにイライラしていた。ベンチやランナーを睨み、敵ではなく味方と戦っている感じだ。
『小野が投げ……ランナー走った!』
「………ちっ!」
平凡なセカンドゴロ、上里さんが走っていたからランナーを進める形になった。紀子さんに笑顔はなく、ベンチが変な空気になっているのは打席にいるわたしにも伝わってきた。
「あ〜………だめか」
こんなときこそ点が入れば雰囲気はまたよくなるのに、フェンス手前のセンターフライ。残念ながらわたしの力で悪い流れを変えることはできなかった。
「走らなきゃゲッツーだったでしょ」
「いやいや、走ってないならあんなバッティングはしてないはず。強引だった」
チームのなかでも意見が分かれ、口論とまでは呼べないけどいつそうなってもおかしくない一歩手前の段階だ。意見が同じ人同士だと、今度は采配やチーム運営への不満や文句で話が弾んでしまい、交流戦で波に乗りかけたブラックスターズは早くもまた沈みそうだ。
結局コアラーズとの初戦に完敗、このチーム状態だと明日のわたしの登板日も………。
「それはいけない。今日は最初から勝ち目の薄い試合だったから大して痛くもない。しかし明日、みちの投げる試合は何としても勝つべき一戦!」
「みやこ!あれ、わたしいま口に出てた?無意識にひとりごとになってたかな……?」
「奈村紀子と首脳陣の間の問題など静観する予定だった。とはいえあなたの勝敗にまで関わるというのなら話は別、早速解決させましょう」
みやこもチームのことより自分の欲望優先だ。その欲望というのがわたしのことだから、あまり暴走されるとわたしの肩身が狭くなる。
「奈村はあなたと私に次いでチームの打線を支える存在……しかしいざとなったら切り捨てられる。多少の戦力ダウンは否めないものの、チームに悪影響を及ぼすのなら無期限の二軍行きも仕方ない」
「う〜ん、去年までいたチームで実際にそうなっているわけだからまた同じことをするかな?今回も紀子さん自身はまだ何も話していない」
自分がバッターのときはバッティングに集中したいから塁上のランナーを動かすなと監督にリクエストしたり、そのランナーをベンチ裏で恫喝したりの末に選手たちを集めて采配批判、これはいけないと事態を重く見た前の球団はシーズンが終わるまで紀子さんを二軍に閉じ込めてそのまま解雇した。
その後所属チームがないところをブラックスターズが獲得した。こんな短い期間で同じ失敗をするはずないと思うんだけどなあ。
「奈村の登録抹消を進言するために監督に近づくこともできる……どうする、みち」
みやこの意見は球団トップを自在に操る力がある。引退後の幹部手形つきということも含め、それくらいの待遇でないとドラフト一本釣りはできないとブラックスターズが必死になった結果だ。
(……実際はわたしがいるチームに入団できたらみやこはそれでよかったんだけどね……)
チームが完全にバラバラになる前に紀子さんを追い出すことで解決、それがみやこの提案した方法だ。みやこが何もしなくてもいずれこの流れになるはずだ。だったらいま動く必要もない。それよりも……。
「みやこが監督と話すくらいなら、紀子さんと新浦監督たちで納得いくまで話し合えばいいんじゃないかな。ランナーの動かし方とか采配とか……」
「……奈村が二軍に行くだけという結果は変わらない。しかし第三者ではなく本人がその決め手となったほうが後々尾を引かない……」
「お互い誤解しているだけかもしれないしね。だからまずは紀子さんのところに行こう」
わたしたちは球場を後にして帰ろうとしている紀子さんを見つけ、呼び止めた。そして監督たちに言いたいことがあるのならはっきり伝えるべき、と告げた。ちなみに呼び止めたのはわたし、その後はみやこ。難しいところはぜんぶみやこにやってもらっちゃった。
「早いうちに決着させるべきでは?」
それに対し、紀子さんは消極的だった。
「いや、アカンて。今度球団と喧嘩したらもう拾ってくれるところはない。ウチが我慢すりゃあええ話や」
「奈村紀子、あなたが崖っぷちであることは依然変わらない。黙っていれば今の状況は続きあなたもチームも成績は落ち続ける。そうなると結局あなたは今年で終わりになる」
みやこは譲らなかった。まあみやこの気持ちとしては、紀子さんがどうなろうが構わないからさっさと問題を処理して、わたしの登板試合を確実に勝ちたい、そんなところだろう。
「それに監督とあなたはプライベートでも友人なのだからそこが昨年とは違うはず。必ずちゃんと話を聞いて理解しようとする。話し合いがうまくいかなくてもすぐに降格はないかもしれない」
同い年、友だち……確かにある程度は紀子さんの味方になろうとしてくれるはずだ。話の内容が100パーセント紀子さんの自分勝手な要望だったらアウトだろうけど、もしそうじゃなかったとしたら、有無を言わさず造反扱いして二軍へ落とすことは絶対ない。
「紀子さん、もし不安ならわたしたちもいっしょに行きますよ」
「………いや、ウチ一人で平気や。心配させてスマンな。しっかり話してくるで」
紀子さんは球場に戻っていった。新浦監督、それに守備走塁担当のコーチたちを相手に自分の考えを伝えるために。
「………うまくいけばいいね」
「ええ。明日を待ちましょう」
試合前練習にその姿はあるのか……心配でこれは眠れないかもなと思ったら、気がついたら朝になっていた。薄情なわけじゃない、睡眠欲に負けただけということにしておこう。
そして翌日、紀子さんはいつものように球場にやってきた。監督たちと話し合いをしたと知ったチームメイトたちも皆が駆けよった。
「だ、大丈夫でしたか、ノリさん!」
「てっきりファーム幽閉かと………」
昨日までの苛立ちがすっかり消えている紀子さんの顔に、これはうまくいったんだと皆が安堵した。
「あんたらみんな勘違いしとるわ!ウチが苛立ってたんは自分のバッティングが乱されるからやない。そんなワガママ、去年で卒業したわ」
話を聞くと、紀子さんは自分のときにランナーを動かすことも、そのためにチームバッティングに徹することもオッケーだったらしい。集中力を欠いた原因は、上里さんの盗塁技術に問題があったからだった。
「確かに……あの人足は速いけど盗塁が下手ですからね。目障りと思うのも仕方ありません」
「牽制死もありますから不安ですよ……バッターとしては選択肢も限られてしまいますよね」
上里さんに限らず、走力が高くても盗塁は苦手、それなのに積極的に走って失敗する人たちはいる。逆にもっと走ればいいのに自分からは何もしない慎重すぎる人たちもいた。
「ベンチがハッキリ指示を出すべき、そう言わせてもらったわ。嫌がられる思ったけどいい助言やったって感謝までされたわ」
「うちのチームは盗塁数も成功率も最下位ですからね。バントは多いけどエンドランは少ないし……もっと頭を使うべきかもしれません。私たちもベンチも」
試合の終盤に代走を使うときも、盗塁を期待しているランナー、二塁からホームまでのスピードが一番速いランナー、相手にプレッシャーをかけられるランナー……ただ俊足のランナーを適当に出すのではなく、そのときの状況や目的に合った選手を送るべき。監督たちはその意見についてもしっかり受け入れたそうだ。
「ちゃんと話してホンマによかった。あんたたちが背中を押してくれたおかげや」
「いやいや、わたしたちは………」
「謙遜せんでエエ。みんな、もう心配いらん!これからチームはますます一つになる!手始めに今日の試合で圧勝したろやないか!」
紀子さんはちゃんとチームのことを考えていた。不穏な空気は完全に消えてなくなり、試合開始時間をチーム全員が待ちわびた。
『大和も三振!これでブラックスターズは五回を終えてまだヒット0本、三振は10!』
チーム一丸になったとしてもそのパワーで簡単に勝利……とはいかなかった。ランナーすらほとんど出ないから昨日深夜まで続いたという話し合いの効果は明らかにならず。
『コアラーズ打線もこれはこれで問題です!六回表までに太刀川から10本のヒットを放ちましたが無得点、チャンスであと1本が打てません』
無四球無失点と言えば聞こえはいい。でも毎回のように得点圏にランナーがいるせいで攻撃のリズムは掴めない。
「…わたしがもう少し締まったピッチングをしていれば……」
「いや、フォアボールがないしテンポはいいからみっちゃんのせいじゃないよ。他の先発投手じゃ六回無失点なんて絶対無理だし」
相手がガンガン振ってくるからこんなにランナーを出しているのにまだ85球だ。時間も八時前、守り疲れてしまったという展開にはならないのが救いだった。
「いつも助けられてばかりやし、たまにはウチらが奮起せな……よし、いくで!」
紀子さんがいつも以上に気合いを入れて打席に向かっていった。燃えるその闘志を間近で感じ、有言実行してくれそうな予感がした。
『ホームラン確信バット投げだ―――っ!!打球はレフトスタンドに吸い込まれた!奈村紀子の第13号ホームラン!チーム初ヒットがホームランとは驚きました!』
「やりましたね紀子さん!完璧なフルスイング、完璧なホームランでした!」
「まだまだウチはやるで、力の限り熱く燃えたるわ!」
見事なホームランで先制、でもそれだけでは終わらなかった。チームプレーでも完璧な仕事をしてくれたのが八回裏だ。1アウトランナー一塁、そのランナーは因縁の上里さんだった。
「………」
相手バッテリーが警戒を怠っているのを見逃さず、上里さんはスタートを切った。いつでも走っていいというベンチの期待に応え、迷いのないスタートだった。
『奈村空振り!キャッチャー二塁送球するがセーフ!盗塁成功!』
盗塁援護の空振り、そして次の球で右打ち。内野ゴロでランナーを進め、2アウト三塁のチャンスを演出するこれ以上ないチームバッティングだった。
「これで暴投やエラーでも得点になる。ノリ、ありがとう」
「チームの一員として当たり前のことをしただけや。それに……こうすればあの子が発奮するに決まっとるからな」
ベンチの会話は聞こえていなかったけど、チーム一丸となって作った追加点のチャンス、ここは絶対にランナーを返すという強い気持ちでわたしは速球を弾き返した。
「たぁ―――――――――っ!!」
『二遊間をあっという間に打球が抜けていく!太刀川のセンター前ヒットでフォアボールのランナー上里が生還!チーム2本目のヒットはタイムリーとなり、ブラックスターズのリードは2点に広がりました――――――っ!』
ヒット2本で2点。貧打ではあるけども効率よく得点できたとも言える。ベンチの雰囲気も元通り……いや、それ以上によくなっていた。
『最後は三振でゲームセット!太刀川みち、13安打を打たれながらも完封です!コアラーズは何ともイライラする敗戦!』
「15勝目!無敵やな、みっちゃん!」
「どこまで勝てるのか……みち、あなたにはどんな困難も試練の内に入らない!」
心からの笑顔で選手、コーチ皆が力強く勝利のハイタッチ、そして一列に並んで平日にも関わらず満員のスタンドに挨拶。そのなかで一人、今日の勝利だけでなく上位に食らいつく最近の戦いぶりをすら素直に喜べずにいる人がいた。
この作品中のあのお方は白いままです。キン肉マンゼブラみたいに黒くなったり白くなったりはしません。




