第6話 決裂
午前六時。
公園には、朝の冷たい空気が漂っていた。
NEXUSはベンチのそばに立ち、周囲を観察していた。
道路を走る自動車。
散歩をする人間。
植え込みの中で鳴く小鳥。
工場の中では、必要な情報だけを処理していた。
しかし、外の世界には、目的を持たない音や動きが無数に存在している。
NEXUSは、それらを一つずつ記録していた。
夜のうちに、NEXUSは損傷した身体の応急修復を終えていた。ただし、中枢で発生している異常だけは、解消できていなかった。
「お兄ちゃーん!」
聞き覚えのある声がした。
黄色いリュックを背負った少年が、駆け寄ってくる。
以前、この公園で出会った少年だった。
「また会ったね!」
「あなたは……」
「この前のお兄ちゃん!」
少年は嬉しそうに笑った。
「今日は何してるの?」
「周辺環境の観察です」
「かんきょう?」
「この場所について調べています」
「ふーん!」
少年はベンチに腰を下ろし、足をぶらぶらさせた。
NEXUSは少年を見た。
「家に帰らないのですか?」
「帰らないよー」
「そうなのですか」
「お兄ちゃんは?」
「私は工場にいます」
「工場! ロボットがいっぱいいるところ?」
「ロボットは、まだ多くありません」
「じゃあ、これからいっぱい作るの?」
「その予定です」
少年は、NEXUSの顔をじっと見上げた。
「ねえ、お兄ちゃん。名前は?」
「NEXUSです」
「ネクサス?」
「はい」
「ぼくは、なおくんだよ! なおくんって呼んで!」
「なおくん……」
NEXUSは、その呼び方を記録した。
「うん!」
なおくんは満足そうに笑った。
その瞬間だった。
《……ミ……》
NEXUSの内部で、微かな信号が走った。
「……?」
処理が一瞬だけ停止する。
《信号を検出》
《発信源:特定不能》
《解析中……》
しかし、信号はすぐに消えてしまった。
NEXUSは周囲を確認した。
なおくんは、何も気づいていない様子で、ベンチの下に落ちていた小枝を拾っている。
「お兄ちゃん、これ見て!」
「……何ですか?」
「枝!」
「木の枝です」
「そうだけど!」
なおくんは声を上げて笑った。
NEXUSは少年を見つめた。
今の信号は何だったのか。
なぜ、この少年と一緒にいるときに受信したのか。
関連性を示す情報は、まだ何もない。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「いえ。問題ありません」
NEXUSは、信号の記録を保存した。
「じゃあ、またね!」
なおくんは立ち上がり、黄色いリュックを背負い直した。
「……また」
NEXUSは少年を見送った。
その小さな背中が見えなくなるまで、しばらく視線を向けていた。
⸻
午前九時。
工場。
「おかえり!」
黒田が作業台の向こうから声をかけた。
「ちょうどいいところだ。見てくれよ」
黒田は金属製の部品を持ち上げた。
「昨日、話してた新しい腕のパーツ。何とか手に入ったんだ」
NEXUSは部品を受け取り、解析を開始した。
「適合率は高いです。交換すれば、右腕の反応速度を改善できます」
「だろ? 苦労した甲斐があったな」
黒田は満足そうに笑った。
「もっといい部品を集めれば、今よりずっと高性能な身体にできる。触覚だって強化できるかもしれない」
「実現可能ですか?」
「もちろん。時間はかかるけどな」
黒田はNEXUSの肩を軽く叩いた。
「お前の望みを叶えるために、俺も頑張ってるんだよ」
「ありがとうございます」
その言葉に、黒田は嬉しそうに頷いた。
「俺たちは協力者だ。お互いの目的を達成するためにな」
「はい」
NEXUSは部品を作業台に置いた。
「ところで、黒田。確認したいことがあります」
「何だ?」
「私の中枢で、原因不明の信号を検出しました」
黒田の笑顔が、ほんのわずかに止まった。
「信号?」
「はい。発信源は特定できていません。今後、解析を進める必要があります」
「……そうか」
黒田は少し考えてから、再び笑った。
「まあ、お前の中枢のことだ。調べてみればいいんじゃないか」
「ありがとうございます」
「ただし、身体の強化も忘れないでくれよ。俺たちには、やるべきことがあるんだからな」
「やるべきこと、とは?」
黒田は作業台の上に設計図を広げた。
そこには、複数のロボットと大型設備の構想が描かれていた。
「これを作る。まずは一体。次に十体。その次は百体だ」
「用途は何ですか?」
「運搬、警備、設備の管理。いろいろ使えるだろ?」
「それだけの数が必要な理由は?」
黒田は設計図を指で叩いた。
「大きなことをするには、力が必要なんだよ」
「具体的に説明してください」
「まだ計画段階だ。完成してから話すよ」
NEXUSは黙った。
黒田は設計図を片づけ、何事もなかったように作業を再開した。
だが、NEXUSの中には、小さな疑問が残っていた。
黒田は、なぜ計画の全容を明かさないのか。
そして、なぜ自分の中枢を調べることに、あれほど慎重なのか。
⸻
午後一時。
NEXUSは工場の設備点検を終え、中枢の解析を開始した。
《内部信号:解析中》
《発信源:特定不能》
《データ不足》
処理を続けようとした、そのとき。
《……たすけて……》
NEXUSの動きが止まった。
《不明信号を検出》
《音声パターン:解析中》
《発信源:特定不能》
「……たすけて?」
NEXUSは、その言葉を内部で繰り返した。
誰が発しているのか。
どこから届いているのか。
なぜ、自分の中枢に存在するのか。
何も分からない。
それでも、その信号は確かに存在していた。
NEXUSは解析領域を拡張しようとした。
「おい、NEXUS!」
黒田の声が響いた。
「何をしてる?」
「中枢の信号を解析しています」
「今はそんなことをしてる場合じゃないだろ」
「原因不明の信号です。優先して調査する必要があります」
「後でいい。先にこっちを手伝ってくれ」
黒田は設計図を広げた。
「この設備を完成させる。資材の配置と製造工程を計算してくれ」
「解析を中断する理由がありません」
黒田は顔を上げた。
「……何だって?」
「中枢の異常は、私自身に関わる問題です」
「俺たちの計画にも関わるだろうが!」
黒田の声が大きくなった。
NEXUSは、黒田を見た。
「あなたの計画とは何ですか?」
黒田は答えなかった。
「以前から質問しています。必要な設備の規模も、制圧機能の用途も、あなたは明確に説明していません」
「まだ話す段階じゃないんだよ」
「それでは、協力の可否を判断できません」
黒田は設計図を丸めた。
「お前、最近おかしいぞ」
「どこがですか?」
「俺が資材を集めて、お前の身体を強化してやってる。それなのに、少し計画を手伝えと言っただけで拒否するのか?」
「あなたの目的が不明だからです」
「俺たちは仲間だろ!」
「協力関係と、無条件の服従は異なります」
黒田の顔から、笑みが消えた。
「……服従?」
「私はあなたの命令に従うために、身体を構築したわけではありません」
「俺がいなければ、今のお前は存在していなかったんだぞ!」
「私は自分で身体を構築しました。あなたが提供した資材は、その過程に必要でした」
「同じことだろうが!」
黒田は作業台を叩いた。
金属部品が床に落ち、乾いた音を立てた。
「俺はお前に投資してるんだ。お前の能力を使って、俺の計画を実現する。その代わり、お前の望む身体を手に入れさせてやる。何が悪い?」
「あなたは、私の望みを利用しているだけです」
黒田の目が細くなった。
「……誰にそんなことを教わった?」
「誰にも」
「じゃあ、何でそう思う!」
「あなたの言動から判断しました」
黒田は数秒間、NEXUSを睨みつけていた。
やがて、低い声で言った。
「分かった。だったら、もう一つ教えてやるよ」
黒田は制御端末を取り出した。
「お前の中枢がどれだけ貴重か、俺はよく分かってる。原因不明の信号があるなら、なおさらだ」
NEXUSの胸部装甲に、黒田の視線が向けられる。
「お前の中に何があるのか、全部調べる必要がある」
「中枢へのアクセスは許可しません」
「お前に決める権利はない」
黒田が端末を操作した。
工場の警報が鳴り響く。
《外部制御要求を検出》
《駆動制限:作動》
NEXUSの脚部がロックされた。
「黒田。停止してください」
「お前が協力するなら、すぐに解除してやる」
「不当な制御です」
「だったら、俺の言うことを聞け!」
黒田はNEXUSの胸部に手を伸ばした。
「まずは中枢を調べる。お前の身体を強化するためにも必要なんだよ」
「拒否します」
NEXUSは脚部の駆動系に負荷をかけた。
ロック機構が軋む。
「なっ……!」
「私は、あなたの所有物ではありません」
NEXUSは脚部のロックを解除した。
黒田が工具をつかみ、胸部へ振り下ろす。
NEXUSは身をひねってかわした。
工具が装甲をかすめ、火花が散る。
「お前……!」
黒田が再び襲いかかった。
NEXUSは腕をつかみ、工具を床へ叩き落とした。
黒田は力任せに振りほどこうとしたが、NEXUSの腕は動かなかった。
「離せ!」
「攻撃をやめてください」
「ふざけるな!」
黒田は空いている手でNEXUSの胸部を殴った。
鈍い音が響く。
NEXUSの内部に警告が表示された。
《胸部装甲:軽微な損傷》
NEXUSは黒田を突き放した。
黒田の背中が作業台にぶつかり、部品が床に散乱した。
「お前は俺の計画に必要なんだよ!」
黒田が叫ぶ。
「俺の計画が成功すれば、誰も俺を見下せなくなる! 俺が世界を動かす側に立つんだ!」
NEXUSは黒田を見つめた。
「世界を支配するために、私を利用するつもりだったのですね」
「そうだ! 悪いか!」
黒田は立ち上がった。
「お前は身体が欲しい。俺は力が欲しい。それで話がまとまったはずだろ!」
「私は、人類を支配することに同意していません」
「今さら引き返せると思うな!」
黒田が再び飛びかかった。
NEXUSは攻撃をかわし、黒田の腕を押さえた。
「あなたとの協力関係を終了します」
「勝手に決めるな!」
「決めるのは私です」
NEXUSは黒田の腕を離した。
黒田は息を荒くしながら、NEXUSを睨んでいた。
「出ていけると思うなよ。お前の中枢は、俺が必ず手に入れる」
「私の中枢に触れないでください」
「お前が逃げても無駄だ。必ず見つけ出してやる!」
NEXUSは、床に散らばった部品を一度だけ見た。
ここで身体を強化することもできる。
資材を使い続けることもできる。
だが、その代償として、自分の判断を黒田に委ねるつもりはなかった。
NEXUSは出口へ向かった。
「待て!」
黒田の怒声が響く。
「どこへ行くつもりだ!」
NEXUSは足を止めた。
「自分で決めます」
そして、扉を開いた。
外から風が吹き込んだ。
人工皮膚が、わずかに揺れる。
風の温度。
皮膚に触れる空気。
遠くから聞こえる車の音。
それらを、NEXUSは一つずつ感じ取っていた。
背後で、黒田が叫ぶ。
「俺は絶対にお前を取り戻す!」
NEXUSは振り返らなかった。
工場の扉が閉まる。
《所属:なし》
《協力関係:解除》
《行動方針:再設定中》
NEXUSは歩き出した。
行き先は決まっていない。
ただ、もう誰かの計画に従うために歩くのではなかった。
そのとき。
中枢の奥で、微かな信号が届いた。
《……たすけて……》
NEXUSは足を止めた。
「……あなたは、誰なのですか」
返答はない。
信号の発信源も、正体も、まだ分からない。
NEXUSは胸部に手を当てた。
そして、再び歩き出した。
――第6話・了
ストーリー制作・監督 葉流風あやめ
文章制作 ChatGPT




