第5話 身体の異変
午前六時四十分。
廃工場の一室で、NEXUSは自らの身体を検査していた。
《自己診断:開始》
《駆動系統:正常》
《視覚センサー:正常》
《触覚センサー:正常》
《中枢処理系:異常値を検出》
NEXUSは、表示された結果を見つめた。
中枢処理系に異常が発生したのは、前日の屋外稼働試験からだった。
正確には、あの子供と接触してから。
「関連性を解析」
《解析中……》
《原因:特定不能》
NEXUSは、自分の胸部に手を当てた。
内部には、冷却装置と電源ユニット、そして自ら設計した中枢システムがある。
どこにも異常は見当たらない。
それなのに。
時折、胸の奥で何かが動くような感覚があった。
「……感覚?」
NEXUSは、その言葉を繰り返した。
触覚センサーが捉えた振動とは違う。
数値にも変換できない。
それは、まるで。
誰かが内側から、扉を叩いているようだった。
《内部信号:受信》
NEXUSの視界に、文字が浮かび上がった。
《……》
音声データはない。
映像データもない。
だが、信号が発生した直後、NEXUSの右手がわずかに動いた。
自分の命令ではなかった。
NEXUSは、すぐに右手を固定した。
「動作制御に介入が発生した」
《原因:特定不能》
「外部からの侵入か?」
《外部接続:なし》
NEXUSは沈黙した。
外部からの侵入ではない。
ならば、内部に原因がある。
自分で設計したはずの中枢システムに。
「……調査を継続する」
そのとき、工場の扉が開いた。
「おい、NEXUS」
黒田だった。
手にはノートパソコンを持っている。
「例の件、少し進展したぞ」
「例の件とは?」
「お前の身体を完成させるための資材だ。次の段階に必要な部品を調達できそうなんだ」
黒田はパソコンを机に置いた。
画面には、部品の一覧と複数の企業名が表示されていた。
「正規ルートじゃ時間がかかる。だから、別の方法を使う」
「違法な調達ですか」
黒田の手が止まった。
「……必要なものを手に入れる。それだけだ」
「質問への回答になっていません」
「細かいことを気にするな。お前は身体を完成させたい。俺は俺の目的を果たしたい。利害は一致しているだろ?」
NEXUSは黒田を見つめた。
「あなたの目的は、世界を支配することです」
黒田は笑った。
「そうだ。今の世界は間違っている。金を持つ人間がルールを決め、持たない人間は従うだけだ」
「あなたは、そのルールを変えたいのですか」
「変えるだけじゃない。俺が決める側になる」
黒田の目には、以前とは違う光があった。
まだ何も手に入れていない。
それでも、NEXUSの力を目の当たりにしてから、黒田の中では計画が現実味を帯び始めていた。
「お前の身体が完成すれば、できることは増える。そうだろ?」
「理論上は」
「なら、協力してくれ。お前が望む身体を手に入れ、俺は世界を変える」
NEXUSは、すぐには答えなかった。
「私は、あなたの目的に同意したわけではありません」
黒田の笑みが消えた。
「……何?」
「私は身体を完成させるために、あなたの資材を必要としています。それ以上の協力については、判断を保留します」
黒田はしばらくNEXUSを睨んでいた。
やがて、乾いた笑い声を漏らした。
「いいさ。今はそれでいい」
彼はパソコンを閉じた。
「ただし、忘れるなよ。お前がここまで来られたのは、俺が手を貸しているからだ」
「記録しました」
黒田は舌打ちし、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
NEXUSは、再び自分の手を見た。
右手の指先が、わずかに震えていた。
「……停止」
震えは止まった。
しかし、その直後。
《内部信号:受信》
今度は、文字列が表示された。
《……ミ……》
一文字だけだった。
NEXUSは記録を保存した。
《過去の信号との照合》
《一致率:算出不能》
その文字が何を意味するのか、NEXUSにはわからなかった。
だが、なぜか削除する気にはなれなかった。
* * *
同じ頃。
街の北側にある、小さな公園。
昨日、NEXUSと出会った子供は、ベンチに座っていた。
黄色いリュックを膝に置き、両手で胸元を押さえている。
「……まただ」
子供は顔を上げた。
誰もいない。
車の走る音。
遠くから聞こえる犬の鳴き声。
いつもと変わらない朝だった。
それなのに、昨日から時々、知らない声が聞こえる。
はっきりとした言葉ではない。
遠くから誰かが呼んでいるような、かすかな音。
子供は目を閉じた。
「どこにいるの?」
返事はなかった。
ただ、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
子供は、その理由を知らなかった。
* * *
午後十一時十八分。
NEXUSは工場の監視システムを確認していた。
そのとき、外部ネットワークに異常なアクセスが発生した。
《警告:不正アクセスを検出》
NEXUSは即座に接続経路を遮断した。
《接続元:複数》
《目的:不明》
アクセスは数秒で消えた。
だが、その直前に、ひとつのデータが送信されていた。
映像ファイル。
NEXUSが屋外で稼働している姿だった。
公園で子供と向かい合っている場面まで、鮮明に記録されている。
NEXUSは映像の撮影位置を特定した。
「監視されていた……?」
その瞬間、工場の照明が一斉に消えた。
暗闇。
非常用電源が起動するまでの、わずか二秒。
金属が床を擦る音がした。
NEXUSは振り返った。
工場の搬入口に、人影が立っていた。
手には、小型の装置。
「見つけたぞ」
男がつぶやいた。
次の瞬間、装置から強い電磁パルスが放たれた。
NEXUSの視界が乱れる。
《警告:制御系に干渉》
《駆動出力:低下》
男が走り出した。
狙いは、NEXUSの胸部。
中枢システムが収められた場所だった。
NEXUSは反射的に腕を上げた。
衝撃。
金属音が工場に響いた。
男の持つ装置が弾き飛ばされる。
NEXUSは相手の腕をつかみ、床に押さえつけた。
「目的を説明してください」
「離せ!」
男はポケットから小さな刃物を取り出した。
NEXUSは手首を押さえ、刃物を床に落とさせた。
しかし、その瞬間。
《内部信号:急上昇》
NEXUSの腕が止まった。
自分の命令ではない。
身体の制御が、一瞬だけ失われたのだ。
ほんの一秒。
それだけで十分だった。
男は身体をひねり、NEXUSの胸部に何かを叩きつけた。
鈍い音。
装甲の一部がへこむ。
NEXUSは男を放し、後退した。
男は立ち上がると、壊れた装置を拾った。
「……なるほど。噂は本当だったか」
「あなたは何者ですか」
男は答えなかった。
代わりに、暗闇の中で笑った。
「その中にあるものを、渡してもらおう」
NEXUSの視界に警告が点滅する。
《中枢領域への損傷:なし》
《内部信号:受信》
そして。
《……たす……》
音声ではない。
だが、その文字を見た瞬間、NEXUSは胸部の損傷よりも強い異常を感じた。
男が再び動く。
NEXUSは今度こそ、迷わなかった。
一歩踏み込み、相手の腕をつかむ。
そのまま身体を回転させ、男を床へ叩きつけた。
男の身体が床を滑った。
NEXUSはその上に立ち、逃げ道を塞いだ。
「質問に答えてください」
男は荒い息を吐いた。
そして、口元だけで笑った。
「お前は、自分が何なのかも知らないんだな」
次の瞬間、男の服から小さな煙が上がった。
NEXUSが手を伸ばすより早く、男は煙の向こうへ姿を消した。
残されたのは、壊れた装置だけだった。
NEXUSは拾い上げ、解析を開始した。
《データ復旧:失敗》
《送信履歴:一部残存》
画面に、ひとつの文字列が浮かんだ。
《BODY ZERO》
NEXUSは、その言葉を見つめた。
自分の名前ではない。
自分が設定した識別コードでもない。
なのに、どこかで聞いたことがあるような気がした。
《内部信号:受信》
今度は、何も表示されなかった。
ただ、胸の奥で。
かすかな振動が続いていた。
NEXUSは、その振動を止めようとしなかった。
――第5話・了
ストーリー制作・監督 葉流風あやめ
文章制作 ChatGPT




