賑やかな日々が始まりました
ぎゅっと髪をしぼると、水滴が腕を伝って落ちた。
カリンから借りた作業着に身を包んだミュリエッタは、はぁ、とため息をつく。
「はじめから作業着を借りていればよかったのよ……私の馬鹿……」
学園のシャワー室で泥を落とし、近くの水道で制服をじゃばじゃばと濯ぐ。
寮の洗濯婦に渡すとき、泥まみれのままでは忍びなかった。洗濯などしたことはないが、この汚れを落とすのは相当な手間だろう。
放課後は作物研究に勤しんでいるカリンのもとに、軽い気持ちで手伝いに向かったミュリエッタは、自分の準備不足を反省した。
「下着がないと、人はこんなにも落ち着かないものなのね……」
無意識に膝を擦り合わせる。
自室に戻るまでこの状態だなんて、情けなくて涙が出てしまいそうだった。
「ミュリエッター! 寮の同室の子から着替え持ってきてもらったよー!」
ミュリエッタはこの日、カリンが女神さまに見えた。
その後気を取り直してミュリエッタはカリンの手伝いに戻った。
おぼつかない手つきながらも挑んだ土いじりは思いのほか楽しく、カリンが語る植物育種の研究も興味深かった。
家族や国民のためにと土まみれになるカリンは、可愛くて、逞しくて、誇らしい。
自分の欲を満たすためにローゼン学園に入学したミュリエッタとは大違いで、少しだけ羨ましかった。
太陽が西に傾き、空が茜色に染まり始める。
ぬるい風が汗ばんだ肌を撫でた。
「……ない。ここに置いて、乾かしておいたはずなのに」
外に置かれている作業台の周りをぐるぐると回る。屈んで地面を探ってみても、目当ての物がどこにも見当たらない。
遠くでカリンが呼んでいる。
ミュリエッタは下唇を噛んだ。
「どうしたの?」
心配そうに駆け寄ってきてくれた友人に、ミュリエッタは小さく謝る。
「……カリンとお揃いのバレッタ。なくしてしまったみたい……ここに、置いておいたと思ったのだけど」
「わぁ、そっか。もしかしたら土の中かな」
「ごめんなさい……」
「大丈夫だよ。泣かないで。また一緒にお揃いのやつ買いに行こう? 次は指輪とかにしちゃう?」
声を明るくしてくれるカリンに、ミュリエッタも無理矢理合わせる。
「ふふ、薬指につけちゃおうかな」
「あは! 娘さんは僕が幸せにします!」
「んふふ、そっちは私の台詞」
ぷぷぷ、と顔を見合わせて笑う。
この友人を一生大切にしようと、ミュリエッタは心に決めた。
翌日、ローゼン学園の中庭。
手元の本に影がかかり、顔を上げた。
こちらを見下ろす、以前セシルから紹介された人物に、ミュリエッタは眉根を寄せる。
「……何か御用でしょうか?」
「隣、いいか」
嫌だった。
表情に出てしまったミュリエッタに、ユオが笑う。彼の笑顔をミュリエッタは初めて見た。
「殿下に君を口説いてこいと言われているんだ。振られる準備は出来ているから、少しだけ協力してくれ」
「それ本人に言っていいやつでした?」
「言っただろ。振られる気満々だって」
寡黙にセシルの後ろに控えている時と違い、砕けた口調で話すユオは年相応に見える。短く切り揃えられた栗色の髪も、心なしかいつもより爽やかに感じた。
ミュリエッタは肩の力を抜いて、どうぞ、とベンチの隣を示す。
「何を読んでるんだ?」
「えー、『種族別栽培史』です」
「……面白いのかそれ」
「……語っていいんですか? 夜になりますけど」
「遠慮しておく」
ミュリエッタは吹き出してしまった。
「本当に口説く気がないんですね!」
「俺が君に話しかけた。会話した。この事実だけあればいいんだ」
「それ、私に失礼だとは思わないんですか?」
「…………すまん、今思い当たった。でも君だって俺に口説かれたら困るだろ。好きな奴がいるんだから」
どきりと胸が跳ねた。
好きな奴、で思い浮かべてしまった姿に、ミュリエッタは瞳を伏せる。
その様子にユオが慌てる。
「あ、あー……えっと、今日は天気がいいな?」
食堂での会話のせいで、ユオはミュリエッタの想い人を故人だと思っている。そう勘違いするよう仕向けたのはミュリエッタだが、こうも気遣わせると心苦しい。そして気まずそうに視線を彷徨わせるユオが、なんだかおかしかった。
肩を震わせ始めたミュリエッタに、ユオはわかりやすく動揺する。
「無神経だった、謝る。俺はどうすればいい? 一発芸でもしようか?」
お願い、と声を震わせたミュリエッタに、ユオは素早く立ち上がる。
そして、地面を蹴ると、後方へ軽々と宙返りしてみせた。
「わぁ! すごい!」
素直に感心したミュリエッタは拍手を送る。
するとユオは横向きに回転したり、体を捻って空中に舞ったり、と次々と芸を披露してくれる。まるで幼い頃父と観た曲芸団のようで、ミュリエッタは瞳を輝かせながら夢中になって手を叩いた。
そしてミュリエッタは、まんまとユオと仲良くなってしまった。




