勘違いの学園生活が始まりました
オフィーリアは華奢な背中に声をかける。
振り返った彼女の、驚くように見開かれた瞳は、知的な水色。
クロードが近くにいないとき、オフィーリアは群衆の中から彼女を見つけ出すのに苦労する。
大事な、大事な、クロードの番。
本人から打ち明けられてはいない。だが確信があった。
素直にうらやましいと思う。
理性を溶かすほどの衝動とは、どのようなものだろうか。
千年を生きる種族であっても、番と巡り会える者はほんの一握り。
その奇跡を手にしたクロードが、オフィーリアはとても羨ましかった。
それだけではない。
王太子であるクロードの番となれば、祖国はその出会いを国を挙げて祝福するだろう。
オフィーリアに番が現れれば、国は王太子の新たな婚約者を選定しなければならない。
誰にも憂いなく祝福されるクロードの立場が、少しだけ眩しかった。
けれど、それ以上に、お役目から解放されるという事実が、オフィーリアの心を軽くした。
「ミュリエッタさん、この後の星祭りは私と一緒に行きませんか」
「…………ええっと」
ミュリエッタは賢い子だ。ある程度、処世術に長けていて、貴人に対する礼儀作法にも問題がない。異国の歴史や文化に対する敬意も持ち合わせているし、その知識量には目を見張るものがあった。
王太子妃として素質がある。
オフィーリアが近くで支えてやれば、国母となっても問題はないだろう。
たった百年そこらしか生きられないことが、とても惜しまれる。
「私、ミュリエッタさんともっと仲良くなりたいんです」
「コ、コウエイデス」
緊張しているのだろうか。ぎこちない態度を見せるミュリエッタにオフィーリアは、そんなに畏まらなくて大丈夫よ、という意味を込めて微笑んだ。
笑みを向けた相手が硬直することがよくあるオフィーリアは、気にせず話しを進める。
「私は人混みが苦手だから、メイン会場から少し離れた場所で待ち合わせしましょう。西公園前あたりがいいかもしれません。時間はそう、六の刻にしましょう。私、とても楽しみにしていますので、お気に入りのお洋服を着て行きますね」
そしてあえて返事を待たず、別れを告げる。少々強引ではあったが、おそらくミュリエッタはオフィーリアの誘いを無視はしないだろう。
番の婚約者という運命の邪魔者でしかないオフィーリアを、ミュリエッタはそうと扱わないでくれた。
(だって前に、私の力になってくれると言ってくれたもの)
色恋に疎いオフィーリアは、「当て馬」の言葉の意味を「当てになる馬」と解釈していた。
協力します、というような意味で、人族独特の言い回しなのだろう、で納得してしまったのだ。
両者、最悪の勘違いをしていることに、誰も気づけない。
(まったくクロードったら、番を守るためとはいえ距離をとりすぎだわ。私たちは卒業まであと一年しかないのだから、もう少し言葉を交わしておくべきなのに)
オフィーリアは袖幕から出てきたクロードに、ねぇ、と声をかけた。
屋根や柱に吊るされた星形のランタンが、いつもの街並みを幻想的に彩る。
メイン会場から広場まで続く街道には、屋台が軒を連ね、多くの人で賑わいを見せていた。
その旺然とした景色を横目に、クロードは人目につかない道を選びながら、西にある公園に向かっていた。
クロードはオフィーリアの言葉を思い起こす。
『今夜の星祭り、新しくできたお友達と約束をしていたのだけど、なんだか頭が痛くて。今日はもう休みたいの……申し訳ないけど、その子にそう事付けをお願いしてもいい? あなたが行けば、喜ぶと思うの』
普段はあまり自分を頼ることがない婚約者からのお願いを、クロードは快く承った。
ただその女子生徒の特徴を聞いても「とても可愛い子よ、見ればすぐにわかるわ」とだけしか返さないことに、どこか違和感を覚えた。
西の公園は会場からそれなりに離れた場所にある。人混みを避けたのだろう。確かにその場所を待ち合わせに選ぶのは彼女たちだけかもしれないと、クロードは気にとめなかった。
そこにミュリエッタを見つけるまでは。
(これは一体どういうことだ?!)
紺を基調としたワンピースドレス。小さな鞄を体の前に持ち、そわそわと辺りを見回しては深呼吸を繰り返している。いつもは簡単に括ってあるだけの長い髪は丁寧に編み上げられ、耳の後ろに流れる後れ毛がどこか色めいて、まてまてまて。
クロードはミュリエッタを見習って、深呼吸を繰り返した。何度も、何度も。
よくよく空気の巡った頭で、この状況を整理する。
これが偶然なはずがない。
幼馴染でもあるオフィーリアには、完璧に隠し通せていたはずの番への機微を、見抜かれていたのかもしれない。
だがしかし、本当にただの偶然な可能性も捨てきれない。
運命とはかく恐ろしいものであるからだ。
クロードは近くの街灯に力なく寄りかかる。どれだけ目を細めてみても、ミュリエッタがよく見える。そんな馬鹿な。
もしこのまま何も見なかったことにして、来た道を戻れば、ミュリエッタは長いことあの場所でオフィーリアを待つことになる。
律儀そうな彼女のことだ、オフィーリアと入れ違いになることを恐れ、祭りが終わるその時まで、あそこにひとりとぽつんと佇んでいるかもしれない。
それを良しとしなかったクロードは、覚悟を決め、姿勢を正した。
「こんばんは。すまない、約束していたオフィーリアだが、体調が悪くなってしまって今日は来られないそうだ」
俯いていた顔が、勢いよく上がる。
ミュリエッタの耳飾りが大きく揺れた。
その細い肩を抱きしめてしまいたくなる。
クロードは内頬を強く噛んだ。
この腕で抱き止めた時の感触が蘇る。
口腔に広がる血の味で、正気を保つ。
本能など、理性で制せ。
低俗な肉欲に、支配される謂れはない。




