後日談です
瑞々しい花の香りに、クロードは息を漏らした。
手渡される花束を、その手で大切に受け取り続けた彼の両腕は、今や小さな花屋の店先のようになっている。
(贈られているというより、活けられているな、これは)
クロードは吐息で笑う。
花束と共に贈られる言葉に、ひとつひとつ丁寧に答える。
そして、餞の言葉に紛れる洟をすする音に、穏やかに目を細めた。
たった四年。悠久の時を生きる竜人族にとって、それこそ瞬きの間。
けれど、その儚い年月を、クロードは決して軽んじたりしない。
「まぁ、ふふ、まるで歩く花瓶ね」
「君は花の妖精、いや、妖精の女王だな」
「……前から思ってましたけど、会長って意外とロマンチストですよね?」
「ミュリエッタ知らなかったのか、会長はかなり乙女だぞ」
「ちょ、ユオ、それはさすがに失礼だよ。会長は詩人なんだよ」
「アロナさん、君も大概だよ」
明るい笑い声に包まれる。一年生である彼らと過ごした時間は、さほど長くない。
そして、想いの通じたミュリエッタと過ごせた学園生活も、あまりに短かった。
クロードは始まりの日を思い返す。
初めてミュリエッタを目にしたあの日、その衝動に戸惑い、頭を抱えていた自分が妙に懐かしい。
たった一年で、世界の見え方は変わるらしい。
きっと、流れる月日は関係がなく、その日その時、自分が何を思いどう行動したかが、人生の厚みとなってゆくのだろう。
「……君たちとは色々あったな」
しみじみと口に出したクロードに、ミュリエッタたちもうんうんと感慨深く頷く。
あんなことが、そんなことが、と思い出を振り返っては、笑い合う。
「最近で言えば、年末の舞踏会でのオフィーリアさまの啖呵ですよね」
「ミュリエッタさんへの中傷は、友人である私への侮辱と見做します。私を可哀想なんて仰る方、覚悟なさい!」
「違うわカリン。覚悟なさって? にこり、よ」
「まぁ、カリンさんもミュリエッタさんもよく覚えていらっしゃるのね? なんだか恥ずかしいわ」
「めちゃくちゃ格好よかったですよ」
手を叩くユオに、クロードは苦く笑う。
「その日、私は自分の不甲斐なさに嫌気がさしたよ」
「ああ、女性たちの揉め事に、男が介入してはいけません。火に油を注ぐだけです。会長は間違ってませんよ」
やけに重みのあるセシルの言葉に、クロードは瞬く。
女性陣はセシルに憐憫の眼差しを向け、従者は遠くを見ている。
クロードだけが小さく首を傾げていた。
園庭の一角。大きな樹木の、その裏手。
木陰が落ちる根元に、二人はそっと腰掛ける。
クロードが抱えていた花束を下ろせば、周りに花の絨毯が広がった。
「君は花の妖精だな」
「ふふ、さすがに女王さまには及ばなかったですか」
「……すまない、比べたつもりはなかったんだが」
「わかっています。……照れ隠しですよ。嬉しいです」
ころころ笑うミュリエッタが、眩しくて。
クロードの胸は切なく締め付けられる。
遠くには、卒業式の余韻で賑わう生徒の声が聞こえていた。
「みんなには気を使わせてしまいましたね」
「……そうだな」
二人が番関係であることは、近しい者たちの間の、公然の秘密となっていた。
いつの間にか受け入れられ、穏やかに見守られている。
「カリンは嘘をつくのが苦手だから、言葉が棒読みになっていましたね。そこが可愛いのですが」
「……そうだな」
「セシル殿下はさすがというかなんというか、息をするように嘘をつくでしょう? 最初はそれが怖かったんですよね。ただの苦労人でしたけど」
「……そうだな」
「ユオはね、一番分かりやすいはずなのに、自分の感情は誤魔化すの得意なんですよ。意外でしょう?」
「……そうだな」
ミュリエッタが、むぅ、と頬を膨らませる。
その幼い仕草に、クロードの頬は緩んだ。
「ちゃんと聞いてますか? さっきから同じ返事しか返ってきませんけど?」
「抱きしめてもいいだろうか」
「とうとつ!!」
大きくなった声に、ミュリエッタは慌てて口元を押さえた。
そのまま、じとっとクロードを見据える。
その何もかもが愛おしくて、クロードは胸が苦しい。
クロードはじっとミュリエッタの返事を待つ。
そのまろい頬に、木漏れ日が落ちている。揺れる水色の瞳は、澄んだ湖面のようだった。
そこに映るのは自分だけでいいのに、なんて。
明後日、クロードは国に帰る。
番である、彼女を置いて。
「私は、本当は今すぐにでも、君を国に連れて帰りたいんだ」
「…………待ってくださると、約束してくださいました」
「あぁ、だから、抱きしめてもいいだろうか?」
「頭の回転が速い方って、時々話に脈絡がなくなりますよね……何が、だから、なんですか?」
クロードはミュリエッタの真っ赤な頬をそっと撫でる。
こうやって手を伸ばしても、もう、彼女は逃げない。
抑制剤の過剰摂取で、ミュリエッタへの番反応が消えたとき。
初めは、長らく理性で抑えていた衝動から解放されたことに、安堵した。
けれどそれも束の間。
クロードはミュリエッタを見るたびに、言いようのない喪失感に苛まれた。
彼女を自分の番と感じられないことが、これほどまでに辛いなんて。
ミュリエッタとの繋がりを失って初めて、自分の想いに気づいたクロードは、己の愚鈍さに呆れ返ったのだった。
「君と歩める人生は、あまりに短い。三年も君と離れて過ごす私に、ご褒美があってもいいだろう?」
「どこでそんな台詞覚えてくるんですか?!」
美味しそうな果実になってしまったミュリエッタを、クロードはたまらないと抱き寄せた。
その細い腰を抱き上げて、膝の間に閉じ込める。
おずおずと背中に回される手の感触を、クロードは噛みしめる。
もっと早く、自分の気持ちに気づいていたら。
もっと長く、こうしていられたかもしれないのに。
クロードは早くなる鼓動に息苦しくなって、甘く息を溢した。
苦しいのに、心地よい。満たされているのに、足りない。
矛盾する感情が同時に押し寄せては、多幸感に包まれる。
この感覚を知らなかった頃の自分には、もう戻ることはできないのだろう。
「……留年したい」
「ふふ、何を馬鹿なことを」
「君は寂しく思ってくれないのか?」
「それはまぁ、寂しいですが。こっそり会いに来てくれたりするのでしょう?」
「君は天才だ」
「……冗談だったんですけど」
クロードは目の前のミュリエッタの髪をひと束喰む。
これが竜人族の求愛行為だと、きっと彼女は知っている。耳まで赤くして小さく震える姿に、クロードは喉を鳴らした。
理性などとっくに溶けてしまったと思ったが、そんなことはなかったらしい。
柔い頬を捕まえて。ゆっくりと上を向かせる。
潤んだ瞳が、ただただ可愛くて。
その美味しそうな唇に、
「あの! ちょっと良いですか!」
「…………今、か?」
クロードはよく動く唇から目が離せない。
「えっとですね、この間読んだ翼人族のある方の手記に、番を判別する方法が載っていまして、ぜひ試してみたくてですね!」
クロードは無理矢理目を瞑った。
「……またか? 前回のも前々回のも、結局、結果がよく分からなかったではないか」
「今回のは信憑性が高く! 試す価値はあるかと!」
初めの頃は、番をそうと認識できない彼女の不安は最もだと、眉唾ものの番判別にも進んで協力していたクロードは、この頃思う。
彼女はただ、異種族の儀式を再現して楽しんでるだけではないかと。
そしてそれは、間違いではないのではないかと。
クロードの頭にミュリエッタのあだ名がよぎる。
けれど、そんな彼女だからこそ、好きになった。
そして、目の前にいる恋人そっちのけで瞳を輝かせる姿すら、愛しく見えるのだから。仕方ない。
意気揚々と自分のポケットの中から何かを探り出そうとするミュリエッタの手を、クロードは上から押さえた。
「ミュリエッタ」
「ひゃい」
「後でいくらでも付き合うから、今は私を見るんだ」
「ひゃあ」
可愛い悲鳴を上げた唇を、クロードはそっとふさいだ。
今まで自分がどれほど耐えてきたのか、彼女は思い知るべきなのだ。
息継ぎの合間、その耳にそっと囁く。
「言っておくが、例えどんな結果になっても、私は君を離さないからな」
この胸に飛び込んできたとき、そう決めてしまったから。
この運命が、神から定められているのだとしても。
その結末をどう生きるかは、自分で選ぶことはできる。
「ひどいです、ずるいです、私にはあなたみたいに余裕がないのに」
「何を言ってるんだ。私は君が思っているほど冷静じゃない」
これは、この二人が番になるまでの、優しい勘違いの物語。




