エピローグ
「信じられない……嘘よ、ありえない、これは夢、あれは錯覚、いや、幻覚かもしれないわ……」
ミュリエッタは頬をつねった。
「ミューなにやってるの?! お化粧がよれちゃうでしょ!!」
カリンにブラシで頬を撫でられる。いったいどこから取り出したのだろう。
「ねぇ、カリン王女殿下」
「いかがなさいましたミュリエッタ王太子妃さま」
ミュリエッタは吹き出した。
「ちょっとやめて?! 私まだクララベールなのだけど? 一応、まだ、極秘事項なのですけど?!」
「ミュー、もう無理だよ。腹を括らなきゃ。もう秘密にしておくのは無理。だって見てほら、お迎えが来てるじゃん」
カリンが示した先を見て、ミュリエッタはひとり頭を抱えた。
学園生活で最後となる、年末の舞踏会。
夜のローゼン学園は、空に舞う小さな光の粒に包まれ、まるで星屑をまとっているかのようだった。
男子寮と女子寮に挟まれた校舎の正面広間は、自分のパートナーを待つ生徒たちで賑わいを見せている。
そわそわと浮ついた空気を、最高学年らしく微笑ましく眺めていたミュリエッタ。毎年必ず贈られてくるドレスに身を包み、淑女の鑑と評されるようになった微笑みを惜しみなく披露してみせている、その最中。
夜空をかけ降りてきた天馬車を見て、衝撃を受けた。
掲げる紋章から、目が離せない。
なんとか微笑みを浮かべ続けている自分を、誰か褒めて欲しい。
「……私は疲れているのかしら?」
「今日に備えて早く寝るって言ってたよ。これは夢ではありません。ほら、降りてきたよ。行ってきて」
カリンに背中を優しく押され、ミュリエッタは足を前に踏み出した。
地に降りたキャリッジから優雅に出てきた人物は、夜の王が如き圧倒的な存在感を放つ。
周囲のざわめきは、どよめきへ。
こちらを見るなり甘く蕩けてしまった金色の瞳を、ミュリエッタはしっかりと見つめ返した。
「……まだ冬が終わっていませんよ」
「もうここに春の妖精がいるのにか?」
「あら、どちらでしょう?」
「……君は年々オフィーリアに似てくるな」
「妖精の女王には及びません」
端麗な眉尻が困ったように下がる。
その表情を可愛いと思ってしまうから、愛とは実に厄介な感情だ。ただでさえ、ミュリエッタはギャップに弱い。
緩みそうになる頬をなんとか引き締める。
この人はすぐにミュリエッタを優しく甘やかしてしまうから。
その愛情に寄りかかるだけの存在に、なるつもりはない。
それに、晩餐会と違いパートナー必須の舞踏会に向かうミュリエッタには、当然、相手がいる。
「……私には父が待っているのですが」
「もちろん君の父君からの許可は得ている。説得に二年もかかってしまった。君は父君からしっかりと愛されているよ」
どうしていつも、この人は。
「ミュリエッタ・クララベール嬢。どうか、私の手をとってはくださいませんか」
欲しい言葉をくれるのだろう。
差し出された手を取る代わりに。
ミュリエッタは、目の前で跪いたクロードに、抱きついた。
途端に拍手が巻き起こる。
歓声と祝福の声に包まれて。
その場所は、舞踏会の会場よりも熱気で満たされていた。
王太子妃教育に明け暮れる日々で、まれに生じる憩いの時間を、ミュリエッタは読書に充てるのが好きだ。
読んでいるのがこの国の歴史書や文献ばかりなので、周囲からは感心の目でみられている。
ただ好き好んでその本を選んでいる身としては、浴びせられる賛辞に気後れするばかりである。
遠くに聞こえる渓流のせせらぎが心地よい。
ミュリエッタは大きな出窓に腰をかけ、膝の上に本を乗せ、わくわくと表紙を開いた。
(今日は先々代竜王陛下の手記……! 決して巷に出回らない貴重な本よ……!)
パラパラパラパラッ!
強い風が吹き込んで、ページが勝手に捲れていく。
ミュリエッタは本を押さえ、風に舞う髪に目を細めた。
「休みの時間は私と過ごすと約束したじゃないか。知らせてもくれないなんてあんまりだ」
降ってきた非難の声に、ミュリエッタは小さく笑う。
容姿端麗でありながら真面目で誠実。高潔な志を持ちながら寛大で穏和。非の打ち所がない、完璧な人だと思っていた。
学生時代、近寄りがたい存在だと遠くから眺めていた自分に、教えてあげたい。
(角って、温かいのよ)
ミュリエッタは拗ねた顔の頬に手を伸ばす。
「こうして、あなたが飛んできてくれるのを待っているんですよ」
「ならこれはいらないな」
「あ、投げたら怒ります」
む、と寄せられた眉の間を、ミュリエッタはうふふとつつく。
大きな両翼で囲い閉じ込めてくる、困った最愛の人。
その名前を囁けば。
愛の言葉が紡がれる。
ミュリエッタはそっと目を瞑った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
私はあとがきを読むのが好きなので書いてみます。
と、書いてみたらエピローグと同じ長さになったので消しました。
ミュリエッタとクロードの物語を最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました。
評価をくださった、あなたさま。本当に嬉しかったです。
カリンとユオのスピンオフも書きたいな、と思っています。
それでは、また、どこかで。
高里れい




