苦くて甘いときでした
「……逃げたい」
ミュリエッタは誰にも聞こえないよう、小さく小さく呟いた。
「ミュリエッタさん、辛いものは平気?」
「オフィーリア、それを勧めるのなら飲み物も用意しておかなくては。炭酸水がいいか? それとも果実水がいいだろうか?」
「カジツスイ、デ、オネガイシマス」
独特な発音になった言葉を気にすることなく、クロードがミュリエッタに果実水が入ったグラスを手渡す。
オフィーリアはどこか楽しそうに料理を手にとって、ミュリエッタに差し出してきた。
なんだこの状況は。
両隣がひたすら眩しい。
夜の王と月の女王に挟まれた石ころのように、ミュリエッタは体を小さく小さく縮める。
「うふふ、なんだか妹が出来たみたい」
「……さすがにそれは彼女に失礼じゃないか?」
「トンデモゴザイマセン、コウエイ、デス」
学園の顔とも呼べる二人からもてなされているミュリエッタは、会場中から奇異の目で見られている。
二人は注目されることに慣れているらしく、まるで意に介していない。
なんだこの状況は。
視線がひたすら痛い。
(確かに、遠い存在に感じるなら、自分から近寄ればいい、なんて言ったけど。向こうから近づいてくるとは思わないじゃない?)
さらには『クロードをお願いね』なんて言っていたオフィーリアを思い出し、ミュリエッタは胃が痛くなるばかりだ。
「ごめんなさい、私、またあなたに負担をかけてしまっているのかしら」
「……また、とはなんだ?」
「そんなことありません! 私は当てになる馬ですから!」
「まぁ! ふふ、頼もしいですね」
「……待て、当てになる馬とはなんだ?」
優しく笑うオフィーリアも、小さく首を傾げるクロードも、なんだか可愛く見えた。
ミュリエッタはくすりと笑う。
やっと笑顔になったミュリエッタを見て、二人も穏やかに微笑んだ。
その和やかな空間に向けられる視線は、ミュリエッタが思うほど鋭くはない。もちろん、冷ややかな眼差しを向ける者もいる。多種多様な種族や立場の者が集う場では、それは当然のことだった。
この状況にミュリエッタが慣れてきたところで、オフィーリアがこそりと告げる。
「……ごめんなさい。少し食べ過ぎてしまったわ」
ミュリエッタはどきりとした。
「大丈夫か。少し休もう。空いているガゼボがあるか確認してくる」
「クロード、私、一人になりたいわ」
「わかった。会場の外まで送ろう」
「必要ないわ。ミュリエッタさんをお願いね」
「いえいえいえ会長はオフィーリアさまを、いえ、なんでもありません」
オフィーリアからとびきりの笑顔を向けられて、ミュリエッタはお利口に口を閉じた。
ケープの裾を優雅になびかせて去っていくオフィーリアを、ミュリエッタはなんとも言えない気持ちで眺める。
今までも、こうして彼女は何度も、クロードとミュリエッタの距離を縮めようとしてくれていたのだ。
(それを私は牽制だの試されているだのとごちゃごちゃ勝手に怖がって……)
忸怩たる思いにミュリエッタは瞳を伏せた。
「君も疲れただろう。どこかに座ろうか」
「いいえ、大丈夫です」
沈黙が落ちる前に、ミュリエッタは口を開く。
「会長はこちらの料理はご存じですか?」
「ん? ああ、我が国の郷土料理だ。オフィーリアがよく好んで食べている」
「オフィーリアさまが。では会長はどんなお食事が好きですか?」
ミュリエッタの質問に、クロードは声色を僅かに明るくする。
「私は肉とチーズが好きだ。組み合わさっているものは特に。君は?」
「私はハーブの味付けが好きでして、こういう、トマトとバジルのカナッペとか。ここにチーズを加えたらもっと美味しくなりそうじゃないですか?」
「素晴らしい発想だ。料理長に打診してみよう」
「試しに挟んで食べてみましょう。えい。……あら、口がここまで開きません」
むむっ、と眉を寄せたミュリエッタに、クロードが、ははっ、と軽快に笑う。その少年のような笑顔に、周囲は密かに騒めいていた。
「私が食べてみようか」
ミュリエッタの手からカナッペを受け取ると、クロードはぱくりと一口で食べてしまった。
ミュリエッタは何度も瞬いた。
大口を開けても顔がいい。信じられない。
「……悪くない。半分に切れば君も食べられるだろう。ナイフを取ってこようか」
「お行儀を気にしなくてよいのなら、齧り付いてしまうのですが」
「では私は壁になっていようか?」
「ふふ! 会長を衝立に使うなんて出来ませんよ」
「今日はマントがある。横幅にも自信がある」
「んふふふ!」
ミュリエッタはころころ笑う。クロードは優しく目を細めていた。
穏やかな会話を続ける二人に、一人の女子生徒が近づく。
「お話中に失礼いたします。あなたがミュリエッタさん……よね? アロナさんという方が、校舎の方であなたを呼んでいるそうよ」
「まあ、カリンが? 何かあったのですか?」
「ごめんなさい、私も言伝を頼まれただけだから、詳しくは分からないの」
まさかユオと何かあったのだろうか。
わざわざ人を介して伝えてくるなんて、よほどのっぴきならない状況なのかもしれない。ミュリエッタはクロードを置いて、足早に校舎へと向かった。
「なんてベタな……」
カリンの姿を探して校舎内を彷徨っていたミュリエッタは、突然、誰かに突き飛ばされ、教室の中へと押し込まれた。
「身の程をわきまえなさい」
なんて台詞と共にガチャンと施錠音が聞こえ、ことの次第を察する。
油断していた。
自分はなんだかんだ平和な学園生活を送っていたのだと、思い知らされる。
ミュリエッタは冷静に周囲を見渡す。
晩餐会の光が、暗い教室の中をほんのり明るくしていた。
「なんて甘っちょろいのかしら」
鼻で笑ってやった。
家が裕福というだけで妬みや嫉みを向けられることもあるミュリエッタにとって、この程度の嫌がらせは可愛いものだった。
「窓がある部屋に閉じ込めるなんて、お優しいこと」
商家育ちのミュリエッタは、お貴族さまほど体裁にこだわらない。
窓を開け放ち、ドレスの裾をたくし上げ、よっこいしょ、と窓枠に足をかけた。
体を半分出して、着地場所を見定める。
見開かれた金色の瞳と、しっかり目が合った。
「…………」
「…………」
互いに何も言えないまま、硬直する。
その気まずい沈黙を先に破ったのは、クロードだった。
「大丈夫だ。私は何も見ていない」
そう言って、くるりと背を向ける。
ミュリエッタは体裁はあまり気にしないが、年頃の女の子らしい羞恥心は持ち合わせている。
いくら辺りが薄暗かろうと、ドレスから膝を丸出しにした姿なんて、見られたくなかった。
しかも、よりにもよって、好きな人に。
ミュリエッタは言葉にならない悲鳴を上げる。
教室の中に戻ってしまったミュリエッタの元に、クロードが慌てて駆け寄る。
「大丈夫。大丈夫だ。暗くてよく見えなかった」
「うぅっ、嘘ですっ……! 竜人族の方は夜目が利くって知ってるんですから……! もうお嫁に行けない……!」
「君を嫁にもらうのは私だ。だから何も問題はない。さぁ、降りておいで」
「い、い、い、いけるかぁ!」
ミュリエッタは生まれて初めて、人前で悪態を吐いた。




