学術の日が始まっています
創立祭最終日である三日目は学術の日。
ローゼン学園の各研究室や学生主体の学術会が、その研究内容や活動実績を発表する一日だ。
堅牢な警備体制を誇るローゼン学園も、この日ばかりはその門戸を外へと開き、学園が一年をかけて育んだ知の成果を世界へ示す。
外部の研究者や技術者をはじめ、事業や政務に携わる各国の要人が招かれた学園は、普段とは異なる緊張と高揚が漂っていた。
「地形条件による気候変動は、単なる環境差に留まらず、生活様式および文化体系の分化を促進する要因であることが示され――」
優しく低い、耳に心地よい声。
大衆を前に凛と壇上に立ち、理路整然と発表内容を語るクロードを、ミュリエッタは目を細めて見ていた。
(ま、まぶしい……)
大講堂で演説を行う姿を見るのは初めてではないのに、今日のクロードは一際輝いて見えた。
己の心情の変化が見せる錯覚だろう。
(え、私、本当にこの人の番なの? 無理じゃない? 生きる次元が違いすぎるのだけど? 月と石ころくらいの差があるのだけど?)
卑屈になっているわけでも、悲観しているわけでもない。
住む世界が違いすぎて、その隣に立つ自分が、まったく想像できないのだ。
「――故に私たちは、異なる文化を理解し合うべきものとして受け止めねばならない。そして、このことを改めて学園に示してくれた、ある人族の生徒に、私は敬意を表する」
演説中、一度も交わることのなかった視線が、交差する。
ミュリエッタは息を飲んだ。
たっぷりと、十秒。
クロードは緩く瞬きを繰り返し、ゆっくりとミュリエッタから視線を外した。
「以上で私の研究発表を終わりにする。最後まで聞いてくれてありがとう」
初めは控えめに鳴らされた拍手は、徐々に大きくなり、大講堂を割れんばかりの音で満たしていく。
ミュリエッタの周囲ではざわめきが広がっていて、なかにはミュリエッタに向けて拍手を送る者までいた。
あまりのことに、ミュリエッタは茫然とするしかない。
その拍手は次の生徒が壇上に上がるまで続いた。
「クララベール嬢が我が国の生徒で僕は誇らしいよ」
午前の部が終わり、昼食のための時間が設けられる。それを知らせる鐘の音が鳴り終えた途端、人に囲まれてしまったミュリエッタを連れ出してくれたのは、セシルだった。
「身に余る光栄です。本当に、恐れ多くて冷や汗がとまりません」
「謙虚な姿勢は大切だけど、過ぎれば嫌味だ。胸を張って」
「はいっ!」
「素直で大変よろしい」
セシルの微笑みが、いつもより優しく見えた。
「ユオとの将来が楽しみだよ」
前言撤回である。
ミュリエッタはセシルの後ろにいるユオに視線を向ける。
(ちょっと、黙ってないで何か言って)
(あきらめろ。殿下の中では決定事項だ)
視線で会話するミュリエッタとユオを見て、セシルは笑みを深めていた。
「……殿下、この後の研究発表の個人部に私の友人が参加するんです」
「アロナさんだよね、もちろん知ってるよ」
「ではその発表内容はご存知ですか?」
「クラスメイトとして申し訳ないけど、詳しくは分からないな」
「カリンは作物研究室で植物育種の研究をしていまして、題材は『作物の薬』です。恐らく今後の農業の発展に大きく寄与することでしょう」
「それは素晴らしいね。国を治める立場としても、とても興味深い内容だ」
「そうなんです! カリンは素晴らしいんです!」
セシルは、うん? と首を捻ったが、ミュリエッタは構わず続ける。
自国の第一王子に他国の王女を紹介するのは、両国が良好な関係を築く上で役立つはずだ。そう言い訳して、ミュリエッタはセシルにカリンの魅力を熱く語った。
あわよくば、なんて下心は、なきにしもあらずである。
「……ミュリエッタ、そのへんにしておけ。その自慢の友だちの研究発表、見逃すぞ」
「それはたいへん!」
ミュリエッタは頬を引き攣らせているセシルを連れ、大講堂に戻った。
「近年、環境に対する影響を受けにくい品種が広く利用されています。これらは収穫量の安定という点で大きな利点がありますが、一方で特定の栽培環境や管理方法への依存度が高くなる傾向があり、病害が発生した際には被害が急速に拡大するという課題がありました」
いつもの溌剌とした声が、どこか固い。
壇上の友人に、ミュリエッタは心の中でがんばれがんばれと旗を振る。
「……このような背景から私は、作物の生育を守るための新たな補助的手段について考えるようになりました」
聴衆席を彷徨っていた視線が、両手を握って激励を送るミュリエッタを捉えた。
カリンが、ふっと笑う。
「人に薬があるように、作物にも病気や不調を和らげるための手段があっても良いのではないか。そういった発想です」
顎を引き、前を見据えるカリンは、普段の快活な姿とは違う、気高い王女の顔をしていた。
「もちろん、益虫の活用や共栄作物による栽培など、生き物同士の関係を利用した農法はすでに存在します。そこで本研究では、それらが作物の成長や病気の予防にどのような効果をもたらすのかを調べ、作物を支える新たな方法として見直すことを目的としました」
来賓席から感嘆の声が上がる。
ミュリエッタは誇らしい気持ちになって、ふんっと鼻息を荒くした。
「……カリンはすごいな」
ユオがぽつりと呟く。
独り言のようなそれを、隣に座るミュリエッタは聞き逃さなかった。
「ええ、カリンはすごいのよ」
「普段は土まみれになってるのにな」
「そこが魅力的なんじゃない」
ユオが頷く。
おや、と片眉を上げたミュリエッタは、余計なことを口走らないよう自分の口元を押さえた。
「あそこにいると、住む世界が違う人なんだと、改めて思い知らされる」
「……それは、すごく分かる。遠いわよね」
「遠いな……」
その横顔が、切なくて。
ミュリエッタは胸がしめつけられる。
(どうしてこの二人は番じゃないの……?)
番でない異種族の間に子供は生まれない。
望まないから選ばないのと、選べないから望まないのとでは、あまりに違う。
彼らが結ばれるために、乗り越えなくてはならない壁は、ミュリエッタが思うよりもずっと高く、厚いのだろう。
それでも。
「なら、私たちから近寄ればいいのよ」
慈しみ合うことは、できるのだから。
ミュリエッタの言葉に、ユオは笑って何かを誤魔化す。
そんな二人の会話を、セシルは何も言わずに聞いていた。




