埋まりたい一日でした
「ミュリエッタさんと二人でお話したいの。少しだけ、いいかしら?」
オフィーリアの有無を言わせぬ微笑みに、カリンは臆することなく笑顔を向けた。
「わかりました。入り口で待たせていただきますね。ミュリエッタは私の大切な友人なので、どうぞよろしくお願いします」
頼もしい友人の格好いい言葉に、ミュリエッタの胸はじんと痺れた。
舞台で演奏する生徒の、控え室として用意された空き教室。他の教室からは話し声や楽器の音色が聞こえ、賑わいが感じられるが、オフィーリアの控え室は他に生徒の気配はなかった。
「めっちゃビップじゃん」
ぼそりと呟いたカリンの台詞に、ミュリエッタは吹き出す。
「んんっ、ちょっとやめてよ」
「はい、可愛い笑顔。微笑は淑女の武器なんだから、笑ってこ」
ミュリエッタは目を見張った。その通りだ。
ゆっくりと息を吐いて、口角を上げる。
ミュリエッタは、よし、と意気込み、教室の扉を叩いた。
「こんにちは。呼びつけてしまってごめんなさいね」
オフィーリアに手招かれ、ミュリエッタたちは教室のど真ん中に用意されていたティーテーブルに着席する。
対面するのが初めてのカリンは自己紹介を始め、オフィーリアは穏やかに受け入れていた。
「私は呼ばれてないのにお邪魔してしまって申し訳ありません。どうしてもロロニアスさまにお会いしたくて」
「大丈夫よ。あなたのことはクロードから聞いているわ。音楽会は楽しめているかしら?」
「もちろんです!」
カリンはオフィーリアの演奏の感想を述べ始める。
テーブルの上には茶菓子が用意され、茶器が一式揃って並んでいる。普段授業を受ける場所に本格的なお茶会が設えられているという不思議な光景なのに、そこにオフィーリアがいると何故か違和感がない。
カリンに続き、ミュリエッタもオフィーリアの演奏の素晴らしさを語り出す。
「本当に感動いたしました! まず最初の一音で会場の空気が変わって――、こちらのハープ、どちらの工房で作られたものなのですか? 装飾様式からすると――」
「……ミューちゃん、そろそろ止まって。日が沈んじゃう」
オフィーリアが吐息で笑う。その笑い方がクロードに似ていて、ミュリエッタは胃の下がぎゅっと痛んだ。
「ふふっ、たくさん練習したかいがあります」
「あれ程の腕前になるまでに、いったいどれほどの研鑽を積んだのですか?」
「研鑽というほどのことではないですが、できるだけ毎日弦に触れるようにはしていますね」
笑顔と笑い声に包まれ、穏やかな時間が流れていく。
ミュリエッタはカリンの存在の偉大さに、その胸の内で新たな教派を創立した。
それを咎めるかのごとく、現実の神はミュリエッタに容赦なく試練を与える。
「ミュリエッタさんと二人でお話ししたいの。少しだけ、いいかしら?」
決して口には出さないが、神なんて大嫌いだ。
「わかりました。入り口で待たせていただきますね。ミュリエッタは私の大切な友人なので、どうぞよろしくお願いします」
そう言って立ち上がったカリンの背中を、ミュリエッタは胸を押さえながら見送った。
オフィーリアはカリンの言葉に気を悪くした様子はなく、その後ろ姿を眺めて柔らかく微笑んでいた。
「お二人はとても仲が良いのね」
「はい。種族も国も身分すら違いますが、大切な親友です」
「とても素敵ですね。この先、私とも同じように仲良くしてくださると嬉しいわ」
ミュリエッタは言葉に詰まる。
胸の奥でじくじくと膿んだ痛みが、「もちろんです」と答えることを躊躇わせていた。
沈黙に気づいたオフィーリアは眉を下げる。
「ごめんなさい。少し、厚かましかったですね……」
「そんなことありません!」
ミュリエッタの大きな声に驚き、見開かれる金色の瞳。
クロードと同じ色彩に、心が震える。
「私には、オフィーリアさまに優しくしていただく資格なんてありません」
膝の上で握った手が白ばむ。
「私、私は、あなたさまから、婚約者という立場を奪うのですから……!」
「まぁ! 私、奪われるだなんて思っていませんよ! ミュリエッタさんはクロードの番なのですから、当然のことです」
その声音に、棘はない。責める色も、諦めも、悲しみすら。
ミュリエッタは俯き、下唇を噛む。
「…………そう、割り切っていらっしゃるのですね」
オフィーリアは少しだけ首を傾げた。
まるで言葉の意味がわからない、とでも言いたげな仕草だった。
「それでね」
ふと、彼女は声を潜める。
教室には二人しかいないというのに、内緒話をする子どものように口元へ手を添えた。
「私、最終日の晩餐会は、お腹が痛くなる予定なの」
ミュリエッタはきょとんと目を瞬かせた。
「クロードをお願いね」
「…………無理です」
「あら、どうして? ミュリエッタさんは当て馬なのでしょう?」
「当て馬の荷には重過ぎます」
「まぁ、そうなの? ……もしかしてだけれど、私、ミュリエッタさんに負担をかけすぎていた?」
ミュリエッタは重く頷いた。
オフィーリアはショックを受けたように口元を押さえ、悲しげに瞳を伏せた。その長いまつ毛が頬に影を落とす。
「本当にごめんなさい。私、当てになる馬への理解が足りませんでした……」
ミュリエッタはゆるく首を振りかけて、止まる。
「待ってください、今、なんとおっしゃいました??」
「本当にごめんなさい、と」
「違います違います、その後です。当てになる馬と聞こえた気がするのですが」
ミュリエッタの鬼気迫る勢いに、オフィーリアは体を少し後ろに引いた。
「え、ええ」
ちょっと待て。
ミュリエッタは自分のそこそこ優秀な頭で、これまでのオフィーリアとの会話を反芻する。
『クロードとは話すことができた?』
『クロードと正しい運命の形になるように、私、手を尽くしますから』
『ミュリエッタさん、頼りにしていますよ』
そんな馬鹿なと思いつつ、自分のまあまあ賢い頭が、お互いの認識に違いを見つける。
「……あの、つかぬことをお伺いしますが、オフィーリアさまは、もしや私と会長との仲を、応援してくださってます?」
オフィーリアが目を丸くした。
ミュリエッタは自分の心臓がうるさくて、息を止めた。
「もちろんですよ。……もしかしてご迷惑でしたか? 私、余計なお世話をしていた?」
「なんだぁーーーー」
体の芯から力が抜けていく。
ミュリエッタは特大のため息を吐きながら、ぐったりと机の上に突っ伏した。
オフィーリアはそんなミュリエッタにおろおろと手を伸ばしかけては引っ込めている。
彼女はいつだってミュリエッタに優しかった。
その言葉を勝手に深読みし、不必要に身構えて、無意味に恐怖していた自分が、あまりに滑稽だった。
ミュリエッタは恥ずかしくて顔が上げられない。
「ど、どうしましょう? どうかなさったの? 私、何か酷いことを言ってしまった?」
なんてことだ。
全てが誤解だったと判明した途端、オフィーリアが無垢なお姫さまに見えてくる。
思えば最初に抱いた印象も、可憐な少女、だった。
きっとそれは間違いではなく、ミュリエッタの一方的な被害妄想が、オフィーリアを威圧的に映していたのだろう。
穴があったら入りたい。なんなら掘る。
「ごめんなさい、自己嫌悪中なだけです。オフィーリアさまは何も悪くありません。少々お待ちください、今、感情を整理しております」
「わ、わかりました」
ミュリエッタは外にカリンを待たせていることを思い出し、複雑な心境はいったん脇に置いておくことにする。
息を深く吸い込む。
一番大切なことを、確認しなくては。
「……オフィーリアさまは、会長を大切に思われていますよね? 番という存在は、疎ましくはないですか? お辛くはないですか? 私、前にも申し上げましたが、オフィーリアさまには幸せになっていただきたいのです」
「私にとってクロードは大切な幼馴染ですが、それ以前に彼は我が国の王太子です。番の存在を喜びこそすれ、疎ましく思うことなどありませんよ。辛くなどなっておりません。むしろ心から喜んでいます。まさかミュリエッタさん、そんなことを気にかけていたのですか?」
そんなこと。
いま、そんなこと、とオフィーリアは言った。
「……ですが、うらやましいと仰いました」
「あなたたちは運命の番として奇跡的に出会うことが出来たのですよ? 誰しもが羨む、神からの祝福ではありませんか」
ミュリエッタは頭を抑え、天を仰ぐ。
(まさか最初から誤解していたなんて……。悲劇だわ……)
これはただの価値観の相違だ。
以前学園を騒がせた事件の真相、認識齟齬による誤解を、そうと提言したミュリエッタがしていたのだ。
もう土に埋まりたい。なんなら上から土をかけて欲しい。
ミュリエッタはしばらく動けなかった。




