芸術の日が始まります
「え、ねぇ、観劇中ってしゃべっていいの? 拍手はいつ送るの? 途中でお手洗いに行きたくなったらどうすればいい?」
「おしゃべりは厳禁。拍手は周りに合わせて。席を立つときは静かに、で大丈夫よ」
隣でそわそわと落ち着かないカリンから小声で耳打ちされて、ミュリエッタはくすりと笑った。
「こういうの初めてだから緊張しちゃう」
「ふふ、観客が緊張してどうするのよ」
客席の照明がふっと落ちる。
その本格的な演出に、ミュリエッタはここが学園の第二講堂であることを忘れた。
創立祭二日目は舞台芸術の日。
二年生による演劇会と、三年生による音楽会が楽しめる一日だ。
「すっごかったね……!」
「ええ! すっごかったわ……!」
人は心から感動すると、言葉を失う。
一つ目の劇を観終えたミュリエッタとカリンは、勢いそのままに手を取り合い、すごいすごいと繰り返した。
なんせ、本当にすごいのだ。
照明や音響の技術は王都の劇場にも劣らず、素晴らしい臨場感を生み出し、物語の世界へと引き込まれる。
演じる生徒たちの表現力も本職さながらで、涙を流す場面など、思わずこちらまで目頭が熱くなった。
衣装や小物に至るまで抜かりなく、その細部のこだわりようは生徒による遊戯の域を軽く超えていた。
「これが無償で観られてしまうなんて信じられないわ。恐るべしローゼン学園……!」
「私ローゼンに入学できて良かった……! 一生縁がない世界だと思ってた!」
「ふふ! それはちょっと大袈裟よカリン。王宮の夜会では劇団が招かれることもあるじゃない」
「ねえミューちゃん、私王女だけど王宮に招かれたことなんてないよ」
「…………」
ミュリエッタは、つい、と視線を彼方へ送った。
小休憩を挟み、ミュリエッタたちは続けて次の劇を鑑賞する。
こちらもまた見事な舞台で、感嘆の息を吐くばかりだった。
惜しみない拍手を送ったミュリエッタは、予定を確認するべくプログラムを開いた。
カリンがにゅっと覗き込む。
「次はこっち行くんだよね」
「ええ。でもその次がここだから……自分で予定を組んでおいてなんだけど、ちょっと忙しないわね」
「実は私、ここも気になってたんだけど……どうかな?」
カリンの希望に沿うと、クロードに伝えた予定と変わってしまうため、ミュリエッタはうーんと考え込む。
(まぁ、あくまで予定ですし、大丈夫よね)
なんて結論に至ったミュリエッタは、「いいわね」と安易に頷いた。
カリンが選んだ演目はよく見るタイトルだった。ただし、役者の性別を入れ替えて行うらしい。男性役を女子生徒が、女性役を男子生徒が演じるという。
男装はともかく女装はいかがなものかと斜めに構えていたミュリエッタは、己の偏見を恥じた。
「……ミューどうしよう、開いちゃいけない扉を開きそう」
「落ち着くのよカリン、戻れなくなるわ」
生徒会長のクロードに並び、ローゼン学園で絶大な人気を誇る副会長のアラニオン。その美少女っぷりに、客席が揺れている。
森人族は中性的で見目麗しい者が多いが、彼は別格だった。
スポットライトに照らされる立ち姿の神々しさといったらない。ミュリエッタはうっかり拝んでしまった。
「ねえ、ロベリアさまの騎士姿かっこよすぎるんだけど。どうしよう、この胸の高鳴りをどうしよう」
「落ち着くのよカリン、彼は彼女であって彼ではないわ」
公演中にもかかわらず会話ができるのは、会場が終始ざわめいているからだ。
新しい役者が登場するたびに黄色い歓声が上がる劇など、ミュリエッタは経験したことがない。
(間違いなく流行るでしょうけど、流行らせてはいけない気もするわ……)
ミュリエッタは新しい扉を開こうとする胸をそっと押さえ、劇薬のような舞台上から視線を逸らす。
すると舞台脇の暗がりに金色の瞳を見つけ、小さく悲鳴を上げた。
(会長?! なぜそんな所に? そして何故舞台ではなく観客席側をご覧に?)
しっかりと目が合って、ミュリエッタは慄いた。
まさかずっと見られていたのだろうか。なんだか既視感があるのは気のせいか。
クロードの視線には非難の色が滲んでいる。ような気がした。
(確かに会長にお伝えしていない観劇ですけど、そんなに睨まなくてもいいじゃないですか……)
ミュリエッタは、ふい、と視線を彼方へ送った。
舞台中央に置かれた金色のハープへ、一人の生徒が静かに歩み寄る。
客席のざわめきは、自然と凪いでいった。
細い指が弦へ触れた瞬間、澄んだ音色が講堂にいっぱいに広がる。
たった一音で、空気が変わった。
透明な旋律は天井高く舞い上がり、陽だまりのような温もりを残して客席へ降り注ぐ。
誰も身じろぎひとつしない。ただ音色に耳を傾け、息を潜めていた。
ミュリエッタは知らず知らずのうちに胸元で手を組む。
言葉を失うとは、こういうことだ。
最後の一音が空気に溶けて消える。
演奏を終えたオフィーリアはゆっくりと立ち上がり、しんと静まり返る客席に向かい、優雅に一礼した。
割れんばかりの拍手が鳴り響く。
ミュリエッタの頬には涙が流れていた。
次の演奏会場に向かうため席を移動していたミュリエッタとカリンの元に、オフィーリアの使いがやってくる。
控え室にお呼ばれしてしまったミュリエッタは、思わず隣にいるカリンの手を取った。
(…………行きたくない)
俯いたミュリエッタの顔をカリンが覗き込む。
「私も行っていい?」
「え、でも、いいのかしら?」
「ダメだったら部屋の入り口で待ってるよ。途中まで一緒に行こう」
そう言ってカリンはミュリエッタの手を引き、先に歩き出した。
密かな恋心を打ち明けてくれたカリンに対して、ミュリエッタは自分のことを何も話せていない。
物憂げにするミュリエッタを心配してくれるが、その胸の内に無粋に踏み込んだりはしない。
明朗で快活なこの親友は、人の心にそっと寄り添える、優しい性格をしている。
ミュリエッタはカリンの手を強く握りしめた。
クロードの言葉は、ずっと胸の奥に残っていた。
告白と呼ぶには不器用で、それでも確かに特別な意味を含んでいたあの言葉。
けれどミュリエッタは、それに応えることができない。
大切な人を番に奪われる悲しみを、痛いほど知っているから。
運命だから仕方ないと諦めることと、番だから仕方ないと許すことは、同じではない。




