目まぐるしい一日でした
「素晴らしい展示内容だった」
クロードの掌から小さな徽章が舞い上がり、受付の机の上で止まると、他の輝きとともにきらきらと浮かぶ。
その光は、どの瞬きよりも強く感じられた。
ミュリエッタたちの展示にルミナを贈ったクロードは、何事もなかったかのように、涼しげな表情で去っていく。
対してミュリエッタは未だふわふわと夢心地で、凛と伸ばされたクロードの背中を、ただぼんやりと眺めるばかりだった。
「ミュー、やったね! 会長からのルミナって、学園からの賞より名誉じゃない?」
「そんなことはないでしょうけど……そんな気がするわね」
カリンへの返事も上の空。
もしかしたら、すべてが夢で、自分の拗れた恋心が見せた幻だったのでは、なんて考えていた。
やがてミュリエッタたちのブースは、クロードからルミナが贈られた展示だと広まり、賑わいを見せるようになる。
そして、桃色に染まりきったミュリエッタの脳内を諌めるかのように、彼女が現れた。
「こんにちは。私もミュリエッタさんの解説付き案内をお願いしたいのだけど、いいかしら」
オフィーリアがそう言っただけで、ミュリエッタを囲んでいた生徒たちはさざ波のように遠ざかっていく。
さながら献上品のごとく一人残されたミュリエッタは、その状況に何の疑問も抱かぬまま微笑むオフィーリアを見て、「ひええ」と涙目になった。
背中に変な汗をかきながら、ミュリエッタは案内を始めた。
高鳴っていた胸の奥へ、じわじわと痛みが広がっていく。隠れて悪いことをしてしまったときのような、罪悪感にも似た後ろめたさに苛まれた。
(あきらめますと、宣言したのに……愛されているかもしれないなんて、期待して。私、最低だわ)
淀みなく続いていた解説がふと途切れ、静かに耳を傾けていたオフィーリアが気遣うように声をかける。
「疲れてしまった? たくさん喋らせてしまってるものね。何か飲み物を持ってきてもらいましょう」
オフィーリアが近くの生徒に声をかけようとするのを、ミュリエッタは慌てて止める。彼女が頼むとティーテーブルごと運ばれてきそうだった。
「そういえば! 音楽会の指定席券ありがとうございました。オフィーリアさまのハープ演奏、とても楽しみにしています」
「まぁ! 期待に添えるよう、励みますね」
穏やかに微笑んでいたオフィーリアの顔が、憂いを帯びる。
「……クロードったら、困った人よね。頭はいいのだけど、時々お馬鹿になるの。ミュリエッタさん、頼りにしていますよ」
おそらくこの学園で、いや、この大陸においても、クロードをお馬鹿と言ってのけられる者は、その婚約者のオフィーリアしかいないだろう。
こくこくと勢いよく頷くミュリエッタに、オフィーリアは優しく笑った。
「ふふ、当て馬ですものね」
ミュリエッタは震え上がる。
この場所でクロードと交わした会話の内容を、オフィーリアは察してしまっているのだろう。なにもかもを見抜く彼女が、恐ろしい。
その後、ミュリエッタたちのブースは、クロードに続きオフィーリアからもルミナを賜ったことで、大盛況となった。
「やあ、すごく賑わってるね。クラスメイトとして手伝えなくて申し訳ないよ」
そう声をかけてきた人物に、ミュリエッタは心の中で項垂れる。
続く心労の予感に、灰になってしまいそうだった。
「セシル殿下こそ、生徒会のお仕事お疲れさまです。会場の見回りですか?」
相変わらず完璧な微笑をたたえたセシルが肯定する。その後ろにはいつも通りユオが控えていた。
「僕もクララベール嬢に解説付きの案内をしてもらいたいのだけど」
「大変光栄なのですが、後ろにいるユオでも出来ますよ。一緒に紹介文を考えたので」
「ユオ、そうなのかい?」
「不躾ながら申し上げますと、殿下、フラれたんですよ」
「違うわよ。殿下はともかく、ユオはこっちを手伝ってくれてもいいんじゃない? という圧よ」
「じゃあクララベール嬢が案内してくれるかな。みんな君の解説が面白かったと言っていたから、楽しみにしているんだ」
セシルにここまで言われて、ミュリエッタに断るという選択肢はない。
「代わりといったらなんだけど。ユオ、僕がここの展示を見ている間だけでも、彼女たちを手伝っておいで」
ミュリエッタはユオに思念を送る。
(殿下と二人にしないで! 一緒に着いてきて!!)
従者が主人の指示を拒むわけがない。分かりきっていたことだが、ユオは二つ返事で受付のカリンの元へと行ってしまった。
(この裏切り者……!!)
理不尽に憤るミュリエッタだったが、嬉しそうなカリンの表情を見てしまい、頭の中で振りかぶった拳を、そっと下ろす。
さっきからなんなのだろう。
ミュリエッタは自分の感情の変化の激しさに目が回ってきた。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
そしてにこりと笑ってセシルに向き合う。
「ではまずこちらの壁画から――」
ミュリエッタはセシルに怒涛の解説ラッシュを浴びせた。楽しみにしていただいてるようなので、大盤振る舞いというやつだ。
ミュリエッタの熱量に、セシルどころか周囲の生徒まで引いているが、お構いなしに続ける。つまるところ、やけくそだった。
ミュリエッタはもうこれ以上、余計な腹の探り合いなどしたくない。
「――でして、けほっ」
「大丈夫? 僕から頼んでおいてなんだけど、少し休憩しようか」
「い、いえいえっ、全然、大丈夫で、んんっ」
ミュリエッタは変なところに空気が入ってしまい、咳き込む。その背中をセシルがいたわるようにさすった。
優しく手を取られ、近くの椅子に座らされる。セシルは隣に片膝をつき、ミュリエッタを優しく気遣う。
彼のいいところは、人と話す時、視線の高さを合わせようとするところだ。身分が高い者ほど、その膝を折ることは珍しい。
周囲から向けられる心配の声にも、セシルは変わらぬ柔和な笑みで応じていた。
どんな魂胆が隠されているのだろうかと邪推しなければ、普通に善い人だ。
セシルによって手際良く水差しが用意され、その手で注がれた水の入ったグラスを、ミュリエッタは恐る恐る受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
自国の第一王子から給仕を受けるだなんて経験、そうそうない。
中身がただの水だとは思えないほど慎重に嚥下するミュリエッタを、セシルはにこやかに見守っていた。
そして近くに人の気配がないことを密かに確かめてから、口を開く。
「……会長とのことなんだけど」
ミュリエッタは吹き出しそうになった水を、何とか飲み込んだ。
「……もしかして僕は何か誤解をしている?」
「……はい! はい、そうなんです! 誤解なさっております!」
グラスを両手で握りしめ、ミュリエッタは心から訴えた。その必死な眼差しを受けて、セシルは気恥ずかしそうに笑った。それははにかむような笑顔で、ミュリエッタは初めてセシルの年相応の表情を見た気がした。
「やっぱりそうだったのか。ごめんね、余計な詮索をしてしまった気がする」
「いいえ! 私を心配して下さって、ありがとうございました! 誤解ですので、なんの問題もありません」
「……うん。何の問題も、ないよね」
途端にセシルはいつものよく繕われた笑顔に戻る。
ミュリエッタは言葉の裏を読むのが面倒で、「はい!」と元気に返事をしておいた。駆け引きなどもうごめんだった。
にこにこ。
にこにこ。
「ご歓談中に失礼します。ミュリエッタ、大丈夫か。殿下、ミュリエッタをあまりいじめてやらないでください」
救世主の登場に、ミュリエッタは胸の内でパチパチと手を叩く。
「え、この状況で、僕が彼女をいじめているように見えるのかい?」
「見えますね。殿下がとてもいい笑顔をしていらっしゃるので」
「……ユオ、君に僕がどう見えているのか、よく分かったよ」
「今更ですか?」
笑顔ですごむという器用な芸当を披露しているセシルを、ユオは慣れた様子で流す。ミュリエッタは心の中で拍手大喝采をユオに送った。
空が茜色に染まり始めるにつれ、生徒の賑わいも少しずつ落ち着きを見せ始める。
ミュリエッタにとっては、あまりにも目まぐるしい一日だった。
けれどローゼン学園の創立祭一日目は、何事もなく穏やかに終わりを迎えた。




