創立祭が始まります
祝砲が鳴り響く。雲ひとつない青空に打ち上げられた白煙が、清々しい風にほどかれ、悠々と流れてゆく。
厳かに幕を開けた開会式は、生徒たちの弾けるような笑顔と明るい声に包まれ、活気に満ちた。
ローゼン学園創立記念芸術祭が、いま始まる。
一日目は展示会の日。
一年生の各教室と第一講堂、庭園の一部が会場となり、生徒たちは自由に巡回する。部門を担当する一年生は午前と午後で役割を交代し、その合間に他の展示を見て回る。
創立祭の前座とされているが、ミュリエッタはこの日を一番楽しみにしていた。歴史的な芸術品や各種族の伝統工芸品などが並ぶこの日は、強火歴史文化オタクからすれば垂涎ものだ。
最初は抵抗のあった呼び名を、もはやミュリエッタは自ら進んで使うようになっている。
「ルミナが足りない。一人三つまでって何よ。百個は欲しいわ」
「……ねえミューちゃん、私それもう百回は聞いた」
隣を歩くカリンがげんなりと言う。
生徒たちは気に入った展示に「ルミナ」と呼ぶ小さな徽章を贈ることができる。作品のそばにきらきらと浮かび、その数で人気がひと目で分かる仕様だ。最も多くのルミナを集めた作品は、最終日に表彰され、ローゼン学園の正面広間に一年間飾られる。
「見てカリン、地人族の生徒が作った工芸品が並んでいるわ! はぁ、すごいわね、ただの工具にこんな繊細な細工を施すなんて……芸術ね! そもそも彼らの手先が器用なのは祖国に鉱山が多くて、」
「ねえミューちゃん、ひとつの展示にその熱量で向かっていったら見終わらないよ。半日しかないんだから」
「見てカリン! 農具もあるわよ!」
「どこどこ?!」
地味、と影で呼ばれているブースで、やたら楽しそうにはしゃいでいる女子生徒は、ミュリエッタとカリンだけだった。
各所を熱心に見て回り、体験型の展示を全力で楽しみ、簡単に昼食を済ませた二人は、自分たちの展示ブースである第一講堂へと向かった。
「午前の当番お疲れさま! 私たちの展示、みんなの反応はどんな感じ?」
「ご覧の通りです」
受付に座っていたクラスメイトが、その机の上に浮かぶルミナを大仰に指し示す。片手で数え足りる輝きに、ミュリエッタは苦く笑った。
「私たちの展示って、モノ自体は複製品だからね。本気でルミナリー賞狙ってたわけじゃないし、まぁ、こんなもんじゃない? 楽でいいよ」
「そっかぁ、でもなんかちょっと悲しいね。動線とか配置順とか、みんなでたくさん考えたのに……」
しょんぼりと耳を垂らすカリンにつられ、ミュリエッタもため息をつく。
「外の展示はどうだった?」
「凄かったわ! まず、」
「あ、ネタバレ禁止ね」
素早く制されてミュリエッタはお口をむぎゅっと噤む。
クラスメイトの楽しみを奪うわけにはいかない。ミュリエッタは今にも感想を語り出してしまいそうな口元を、指先で封じた。
カリンは「なるほど」と何かに感心していた。
広々とした空間の第一講堂は、衝立で簡易に仕切られ、いくつかのブースに分けられている。
それぞれがそれなりに賑わいを見せるなか、ミュリエッタたちの展示ブースでは閑古鳥が鳴いていた。
受付のカリンは欠伸を噛み殺しており、展示の解説案内役であるミュリエッタは衝立の隙間から他の展示を観て楽しむ余裕まであった。
待機用の椅子に座り、本でも持ってくれば良かった、と手持ち無沙汰に髪を三つ編みにしていたところで、
「解説付きの案内を頼む」
不意に、クロードが姿を見せた。
「こ、こんにちは。会場の見回りですか?」
「いや、ゲストとして展示を楽しみに来たのだが……」
慌てて立ち上がったミュリエッタは、受付にいるカリンへ視線を向ける。両手で拳を握られ、よくわからない激励を送られた。その姿が可愛かったので、ミュリエッタはよくわからないままに拳を握り返し、とりあえず意気込む。
「かしこまりました。解説付き案内ですね、精一杯務めさせていただきます」
ミュリエッタとカリンのやりとりを見ていたクロードは、眩しそうに両目を細めていた。
「ではまずこちらから、この壁画は神が人類を創造した歴史を描いた神話画なのですが、ご覧の通り、同種族でも解釈が違い――」
ミュリエッタは一つずつ丁寧に展示を紹介する。クロードは真剣に耳を傾け、時折言葉を返しては、熱心に展示を見つめる。その意欲的な姿にミュリエッタの解説も熱が入り、弁舌が冴える。
「こちらは今から約二百年前に起きた大地震の歴画です。翼人族の画家エルマンによるものと、獣人族の画家スチュワートのもの、そして人族の画家ジョアン、こちらは種族による天災の受け取り方の違いがよく現れている絵画でして――」
「……それぞれの種族の特性が絵に現れていて面白いな。隣にあるのは当時の文献資料か? 森人族のものじゃないか。よく入手できたな」
「そうなんです! 彼らの資料館に問い合わせたところ、快くお貸しいただけたんです! ローゼン学園の名は偉大ですね!」
クロードが吐息で笑う。その自然な笑顔に、ミュリエッタの心臓が跳ねた。だが今はそんなときめきよりも展示への熱意が勝る。
「では次、こちらの絵画ですが――」
ミュリエッタの瞳は爛々と輝き、高揚した頬はほんのりと赤く染まる。弾む口調と同じく足取りも軽やかで、後ろに結んだ髪は背中で踊った。
クロードの熱のこもった視線が、自分に向けられていると、解説に夢中になっているミュリエッタは気づかない。
最後の展示を紹介し終えたミュリエッタは、満足感と達成感で満たされていた。
「以上で案内を終了します。ご清聴、ありがとうございました」
「ああ、史実もそうだが、君独自の考察がとても面白かった。他種族の文化や歴史に、深い理解と広い知識を持つ君ならではの発想は、歴史学者の論文にも引けを取らない内容で――」
クロードから熱量ある賛辞が送られて、ミュリエッタは素直に照れた。うんうんとよく傾聴してくれるから、とうとうと長く講釈を垂れてしまったが、どうやら喜んでくれたらしい。
クロードの順路を辿る足取りが、名残り惜しむかのように遅くなった。
「……君は創立祭は楽しめているか」
「はい! 私は午前が自由時間だったのですが、どの展示も素晴らしくて! 半日ではとても足りませんでした。早くも来年が楽しみです」
興奮冷めやらぬミュリエッタは、言葉を選ぶクロードへ、屈託のない笑顔を向けた。
「そうか。それは、良かった」
歯切れの悪い返事が返ってきて、ようやくクロードのぎこちなさを感じとる。
(私ったらおしゃべりし過ぎてしまったわ……)
途端に気まずくなって、ミュリエッタはすぐそこに見えている出口に視線を向けた。
「……ほんの少しだけ、私に時間をくれないか」
そんなふうに切なく乞われてしまったら、足を止めるしかない。
高い天井から落ちる陽光は柔らかで、吹き込んでくる風も穏やかだった。衝立のすぐ向こうでは、生徒たちの笑い声が聞こえる。
クロードとミュリエッタの間に流れる空気だけが、やたらと重い。クロードがその綺麗な顔を苦しそうに歪めているからだ。
「もちろんです。私に何か御用でしたか?」
ミュリエッタは意識して声を明るくした。そんな顔をして欲しくないと思うのが、惚れた弱みというやつだ。
「ありがとう。……不快に思うかもしれないが、君の二日目と三日目の行動予定を教えて欲しい」
予想斜め上の内容に、ミュリエッタは瞬く。
「えっと、不快ではないのですが、単純に疑問です。私の予定を知ることに、何の意味があるのでしょう?」
「何か有事が起きたときのために、君の居場所を把握しておきたいんだ」
ミュリエッタはこの言葉が、どうしても自分に都合よく聞こえてしまい、慌てて首を振る。
まるで、自分に何かあれば、駆けつけてくれると、そう言われているみたいで。
そんなの、ただの願望でしかないのに。
ミュリエッタが心頭を滅却していると、その様子に何を思ったか、クロードが意を決したように告げる。
「今、私は、君を番だと認識出来ないんだ」
「えっ? それは、どういう……?」
戸惑うミュリエッタに、クロードは珍しくしどろもどろになりながら説明を始める。
「ある症状を抑えるために飲む薬の、副作用みたいなものだ。いつもは遠くにいても感じられていた君の気配が、まるで分からない。番に対して自然と抱く、その、いろいろな欲も、怖いくらいに落ち着いている」
遠くにいても感じられる気配とはなんだ。初めて知る事実に愕然としながらも、ミュリエッタは小首を傾げた。
「……それは、良いことではありませんか?」
クロードが押し黙る。ぎゅっと眉根を寄せて、まるで口いっぱいに苦い薬でも詰め込んでいるような表情を見せた。ミュリエッタはさらに首を傾けた。
オフィーリアという素晴らしい婚約者がいるクロードにとって、番の存在は障害でしかない。ミュリエッタを番だと認識出来ないことに、何の支障があるのだろう。
「君の身の安全を案じるのは、私の義務だ」
「そうですか」
自分でも驚くくらい冷たい声になって、ミュリエッタは己の愚かさに呆れる。この期に及んで、違う答えを期待していたらしい。
「……すまない、我ながら見苦しかった。認める。君の所在を知りたいのは、私自身のためだ」
真っ直ぐな瞳に射抜かれて、ミュリエッタは動けなくなった。
「落ち着かないんだ。君が何処にいるのか分からないと、私はどう足掻いても君を探してしまう。今も、目の前にいるはずなのに、遠くに感じられて……不安で仕方ない」
「それは――」
どういう意味ですか。
と、続けられない。
(あなたに愛されているのかもしれない、なんて勘違い、させないで……!)
ミュリエッタは下唇を噛んだ。
「……分かっている。私のこの気持ちは、君にとっては迷惑で、重荷だ。受け入れてくれとは言わない。ただ、私が勝手に君を想うことだけは、許してくれないだろうか」
歯が立てられた唇を、クロードが指の背でそっと撫でる。ミュリエッタは文字通り飛び跳ねた。
一気に後ろに後退したミュリエッタに、クロードは悲しそうに瞳を伏せる。
いや、これはきっと、ミュリエッタのそうであって欲しいという欲望が、そう見えるように錯覚させているだけだ。
ばくばくとうるさい心臓と、血の巡りが良くなり過ぎた頭では、冷静な判断など到底無理だった。
だって、そんな。
愛されているかもしれない、なんて。
そんな都合のいい話が、あるはずない。




