夢の学園生活が始まりました
共和国立ローゼン学園は、世界大戦終戦後に和平の象徴として建設された名門校である。
国籍、性別、年齢、種族を問わずその門を開いてはいるが、通うのは主に為政者や王族など、各国の要人の子息・子女たちだ。
あらゆる分野において最先端かつ最高峰の教育が受けられ、この学園を卒業した生徒は輝かしい将来が約束されるも同然だと言われている。
そんな名誉あるローゼン学園にこの春入学してきたミュリエッタ・クララベールは、壁一面を埋め尽くす書棚の前で、はふぅと声を漏らした。
夢だった場所、ローゼン学園図書館に一歩足を踏み入れたその時から、頭の中は歓喜、感涙、花吹雪。
だらしのない顔で小躍りしそうになるのを必死でこらえながら館内へ進み、その圧巻の蔵書量を目の当たりにして感嘆の息をついたのだった。
ミュリエッタは異国の文化や異種族の習性を知るのが好きだ。
自分の持つ常識や価値観が覆り、世界の見え方が変わるその瞬間に、言葉にできない快感を覚える。
快感なんて言葉を使うとまるで変態のように聞こえるが、人は知ることに喜びを覚える生き物だ。
ただミュリエッタは人より少し、そう、ほんの少しだけ、好奇心を満たしたいという欲が強いだけなのだ。
(きゃー! 他種族が著者の本がこんなにいっぱい! なにこれ、長命種と短命種の比較文化史研究書?! こっちは獣人族の食文化について、あっちは翼人族の求愛行動一覧!?)
これもあれもそれもと目に留まった本を手に取り、腕に乗せていく。
五冊目を積んだところで、おっとっととよろめいた。
なんて幸せな重み。
ミュリエッタは口角が上がるのを止められない。
ミュリエッタの家にもそこそこ立派な書室があるが、その規模は比べものにならない。
足早に閲覧席へ向かい、机の上にドサリと本を置くと、着席することなく表紙を開いて目を通していく。
すべてを流し読みしてから、一番興味が惹かれたものを選び、よっこらせと腰を下ろした。
そして閉館を告げに来た職員に肩を叩かれるその時まで、たっぷりとローゼン学園図書館を満喫する。
程なくしてミュリエッタは、司書補から清掃員に至るまで、しっかりと顔を覚えられるようになる。
ふぅと息をつき、酷使していた瞳を労るように目を閉じる。頭を上げると首がコキリと鳴った。
腕を伸ばせば背中や腰まで小気味の良い音がして、ミュリエッタは小さく笑う。
遠くの小窓を見れば外は薄暗く、雨が降っている。
昼間はあんなに晴れていたのに、となんとなしに館内を見渡していると、見慣れた人物をいつものように本棚の間に見つけた。
棚に背中を軽く預け、長い脚を交差させて立っている姿が、まるで挿絵の一ページのようである。
なんせ顔がいいのだ。
手元の本を読むのに伏せられた瞳の優美さといったらない。
高い鼻梁に、形の良い唇。どこをとっても品が良く、うっとり眺めてしまいたくなる芸術的な美貌だ。
なにより魅力的なのは、手入れのされた黒髪……でもあるが、その頭に存在する立派な角。
美しい曲線で天を向く二つの角は、彼が最上位種である竜人族だということを象徴している。
異種族間での交流が盛んになっている現代でさえ、竜人族と人族は関わり合う機会がほとんどない。
長命種は短命種と個人的な繋がりを持とうとしない、というのもあるが、単純に総数が少ないのだ。
こうして同じ空間で過ごせるだけでミュリエッタは感激である。
(あの角って、触ると温かいのかしら冷たいのかしら……眠るとき、枕がぼろぼろになったりしない? お風呂ではどうやって洗っているんでしょう。専用の石鹸とかあったりして)
名前は確かクロード・ドラコヴァル。
各国の代表で構成されたローゼン学園生徒会の、その会長だ。
クロードを学園内で見かけるときは常に誰かに囲まれている。
けれど図書館での彼はいつも一人。
閲覧席を利用することもなく、ひっそりと物静かに過ごしている。棚の前でうろうろしていると声をかけてくれる職員や、彼の存在に気づいているだろう他の生徒も、誰一人として彼に近づこうとしない。
きっと暗黙の何かがあるのだろう。
そんな彼に声をかけに行けるほど、ミュリエッタは無謀ではない。
そもそも最上位種かつやんごとなき身分である正真正銘ロイヤルなクロードに、家がそこそこ裕福なだけの凡人であるミュリエッタは、気軽にお近づきになれないのである。
「クララベール嬢、ちょっといいかな」
昼食を食堂でとっていたミュリエッタに、声がかかる。隣の席に座る友人は、話の腰を折られたことに少しムッとした。
ミュリエッタはそれをごまかすように立ち上がり、声の主へ挨拶を述べる。
「そんなに堅苦しくならなくていいよ。ローゼン学園では、どんな身分であっても皆等しく一人の生徒なのだから。僕のことも気軽にセシルと呼んでいい」
「ありがとうございます」
他国との親交を重んじるローゼン学園では、生徒間における身分差に起因する不敬を一切不問としている。
とはいえ、自国の王子を気軽に呼び捨てにできるものではない。ミュリエッタは曖昧に笑っておいた。
「明日行われる交流会で、仲良くしたい翼人族の生徒がいるんだけどね。彼らと話すとき、君ならどんな話題がいいと思う?」
「そうですね……」
入学して早々、他種族と揉めていたセシルにミュリエッタが口を挟んでからというもの、こうして時折声をかけられるようになった。
どうやら気に入られたらしく、もちろん色っぽい話しではない。
一通り意見を述べ終え、適当な雑談を交わしたのち、ミュリエッタはすっかり冷めてしまったスープに口をつける。セシルとの会話が終わるのを待っていてくれた友人のカリンは、すでに食器を下げ終えていた。
「自分が優先されて当然って扱いで育った人って、その環境の癖が抜けないものよね」
「……王族って、そういうものじゃない?」
「……そう、かも? ふふ、ミュリエッタって意外と辛辣」
カリンの頭上で、白くて長いふわふわの耳が揺れる。カリンは獣人族で、ウサギとの半獣だ。くりくりとした瞳と小さな鼻が、とんでもなく可愛い女子生徒である。
「でも私は違うから!」
「さすが、お兄さんお姉さんが三十一人もいるお姫さま!」
「そして下には二十二人……いえ、二十三人? いるわ! この通り、姫だなんて名ばかりよ!」
ふん、と鼻を鳴らすカリンに、ミュリエッタはたまらず吹き出した。
この、可愛らしい見た目に反して豪快な性格をしているところが、たまらなく好きだった。
ミュリエッタはギャップに弱い。
あはは、うふふ、と楽しげな会話に花が咲いている。ミュリエッタもにこにこと微笑みながら、周囲の会話に耳を傾けていた。
授業のない休日でも開放されている学園敷地内の庭では、定期的にお茶会が開かれている。参加するのは主に女子生徒たちで、立派な社交活動のひとつだ。
ミュリエッタは父から、ここで高貴な女性の趣向や流行を調べ、逐一報告するよう、よくよく言い付けられている。
(最初は色んな方のお話が聞けて楽しかったけど、もう飽きてきちゃったのよね)
初めの頃は各国の話や文化の話が中心だったが、回数を重ね、互いに打ち解けてくると、年頃の女の子の話題はだいたい決まってくる。
「やっぱり私の最推しは副会長ですわね。あの中性的で綺麗なお顔、いつ見ても目の保養ですわ」
「わかりますわ。けれど会長の顔面の強さには敵いませんわよ。生ける世界遺産ですもの」
「生徒会の皆さまは見目麗しい方ばかりですけれど、お二人は別格ですわよね。並んだお姿を拝見したときなど、思わず拝んでしまいましたもの」
まぁ面白い、とミュリエッタの座るテーブルは盛り上がる。隣の円卓でも婚約者や恋人の話題で会話が弾んでいた。
「はぁ、あの方々の番になれる女性が羨ましいですわ」
「えぇ、あれほど美しい殿方なら、束縛されても構いませんわ。むしろ束縛してほしいくらいですもの」
「運命だなんて、ロマンチックが止まりませんわ。憧れてしまいます」
賛同の声が上がるなか、ミュリエッタは静かに紅茶を口に含む。
(憧れねぇ……)
番とは、繁殖能力の低い長命種のために神が用意した救済措置のようなものだ。
一目見た時から愛さずにはいられない相手——なんて言われているが、誰もが羨むようなラブでロマンスなハートフルストーリーになるとは限らないことを、ミュリエッタは知っている。
「クララベールさんは、生徒会の中ではどなたがお好き?」
「そうですね……王道ですが、会長ですかね」
「そうよね! 王道ですものね!」
きゃっきゃと盛り上がる周囲に合わせ、ミュリエッタも声を少し高める。長いものには巻かれておいた方が、世の中うまく回るものだ。
「なんだか楽しそうなお話をしていますね。私もご一緒してよろしいかしら」
透き通るような声だった。
周囲の女子生徒たちの顔が一様に輝く。ミュリエッタも同様に、わぁっと目を見開いた。
「ロロニアスさま! ぜひぜひ! ご一緒してくださいませ!」
現ローゼン学園に在籍するたった二人の最上位種。そのうちの一人であるオフィーリア・ロロニアスの登場に、場が一気に沸き立つ。
陽の光を受けて星のように瞬く白銀の髪に、曇りひとつない白い肌。金色の双眸は穏やかで、どこか儚げな印象を与える。
目を引くのはやはり頭部にある竜人族の象徴で、天然石のような色彩が、彼女の纏う空気をいっそう静謐なものにしていた。
オフィーリアと親しくなりたい者は多く、隣のテーブルの女子生徒たちも羨ましそうにチラチラとこちらに視線を送っている。
ミュリエッタはハッとした。
席が空いていない。そして誰一人として立ち上がろうともしない。
皆、オフィーリアと話せる機会を逃したくないのだ。
「……どうぞ、よろしければこちらのお席をお使いください」
ミュリエッタは心の中で滂沱の涙を流しながら立ち上がり、オフィーリアへ椅子を差し出した。
ローゼン学園は生徒を公平に扱う。だが生徒同士ではそうはいかない。
たとえ規則上は問題がなくとも、自分より社会階級の高い相手に対して、自由に振る舞えてしまえる者は、そう多くないのだ。
「まぁ、ありがとうございます。私はオフィーリア・ロロニアス。あなたのお名前は?」
「この春入学したミュリエッタ・クララベールと申します」
オフィーリアがふわりと微笑む。
「お気遣いありがとうございます。今度、私のお茶会にもぜひいらしてくださいね」
「とても嬉しいです! 楽しみにしております!」
ミュリエッタは内心で小さく悲鳴を上げていた。
(会話しちゃった、会話しちゃった! しかもお茶会に誘われちゃった! まぁ社交辞令でしょうけど、それでも嬉しい!)
まさか本当に誘われるとは、ミュリエッタは思いもしなかった。
しかもそれが翌日のことだとは。
そうそうたる面子が揃うお茶会だった。
普段は知らない人と話すときはわくわくするほど社交的なミュリエッタだが、各国の王族が並ぶ席ではさすがに萎縮した。
何か粗相をしてしまわないかと気が気ではなかった。
高尚な会話の内容に感銘を受けるばかりで、とても自分から口を開くことはできない。
主催のオフィーリアが時折ミュリエッタに話を振ってくれるおかげで、吊し上げるような空気にならなかったのが救いだ。もっとも、浮きまくっていたことは間違いない。
途中、温室に咲いた花を見に行こうという話になり、一同はそろって移動することになった。
そしてふと、オフィーリアと二人きりになった、そのとき。
小さな声でぽつりと告げられたのだ。
「あなた、私の婚約者の番のようなの」
「…………え?」
ミュリエッタは硬直した。すっと肝が冷えていく。
「私、とてもうらやましいわ」
「それは——」
どういう意味ですか、とは聞けなかった。
代わりに詰めていた息をゆっくりと吐き、静かに頷く。
「わかりました。私、当て馬になります」
「あてうま?」
聞き慣れない単語を小さく繰り返したオフィーリアは、どこかあどけなくて、ひどく可憐だった。
——なんてことだろう。
ミュリエッタは、仲睦まじい婚約者たちの仲を引き裂く、悪役だったのだ。




