波乱の予感です
高い天井から落ちる光が、石床の上で柔らかく揺れている。開け放たれた大扉から入り込む、少し乾いた風が、そこで行き交う人々の熱気を優しく流していた。
「そこ、もう一度右に寄せて。……いや、やっぱ左」
「どっちだよ!?」
友人たちの会話に、ミュリエッタだけでなく、近くの生徒も小さく吹き出した。
普段は厳格な空気が漂うローゼン学園第一講堂には、次々と資材が運び込まれ、生徒たちの明るい声で満たされている。
荷物を乗せた台車が交差し、誰かが配置図を指でなぞりながら首を傾げる。視線が交わるたびに短い会話が生まれ、それはすぐに消えていくが、途切れることはない。
「あら、その彫刻、逆よ。向きが逆」
「えっ、そうなの? 資料にはこっち向きで載ってたけどな」
「解釈の違いよ。その向きだと一部の種族の方に誤解を招くわ。私たちが見る分には、なんか変、くらいで済むのだから、逆にしときましょう」
「さすが強火歴史文化オタク」
ひゅう、と口笛を鳴らされ、ミュリエッタは顔をしかめる。
「それ、喜んで良いのかわからない称号なのだけど……」
親友につけられた名称は、すっかりクラスメイトにも浸透してしまった。どことなく馬鹿にされているような気がして、ミュリエッタは素直に喜ぶことができない。
「ねぇ、ミュー、こっち見て! どう? 私とユオの初めての共同作業作品!」
「カリンは口しか出してないだろ。何が共同作業だ」
あだ名の命名者であるカリンがけらけらと笑う。
いつも通り軽口を叩き合う二人を見て、ミュリエッタは少しだけ切なさを覚えた。けれどそんな機微は一切表には出さず、てらいもなく笑って見せる。
何もしないで、そうお願いされてしまったから。
夏の終わりに行われる試験が終了すると、ローゼン学園は途端に活気づく。それは、試験期間という気の抜けない日々を過ごしていた生徒たちの反動でもあった。
「ローゼン、今年で創立百年みたいだよ」
「へぇ、意外と歴史が浅いんだね」
「君たちの感覚だとそうなるのか。うん、これぞ種族ギャップ」
小さな笑いが起こる中、ミュリエッタは手にした日程表をめくった。
ローゼン創立記念芸術祭。
三日間通して行われる、共和国立ローゼン学園の伝統行事だ。
一年生は展示、二年生は演劇、三年生は演奏、四年生は研究発表、と各学年ごとの担当区画が分かれており、生徒たちが親交を深めながら、創作と研究を披露し合う。
予定を確認し終えると、用紙を丁寧に折りたたんで制服のポケットに仕舞った。すると先に仕舞っていたものがかさりと指先に触れ、ミュリエッタは隠れて溜息を吐いた。
大きな行事が催されるに伴い、増加する個人イベントがある。
「ごめんなさい」
放課後の空き教室に呼び出されたミュリエッタは、しっかりと相手の目を見て言った。
目の前にいる男子生徒は息をひとつ飲み込んだあと、眉尻を下げて笑った。
最初のかしこまった態度をやめて、冗談めいた口調で話しかけてくる。彼なりに、重い空気を軽くしようとしてくれているのだ。
ミュリエッタはモテる。世界でも有数の豪商、その一人娘だからだ。家の財力に魅力を感じる異性から言い寄られることは少なくない。
だが稀にこうして真剣な思いを向けられることもある。
(こっちを断る時の方が辛いのよね……)
柔らかい髪色をした男子生徒が、無理に笑顔を作っていることに気づいて、ミュリエッタは視線を落とす。
その好意が真摯であればあるほど、簡単に受け取ってはいけない。
「気にしないで。駄目で元々だったから。むしろなんかごめんね、俺だけスッキリしちゃって」
「……他に、好きな人がいるの」
「……うん。そうかな、とは、思ってたんだ」
ミュリエッタは言葉に詰まってしまった。
「セシル殿下の護衛の、」
「あ、違う。ない。それはない。絶対に、ない」
断じて誤解させてなるものかと言葉尻を強くしたミュリエッタに、男子生徒は慄いて一歩後ろに下がった。
報われないとわかっているのなら、その思いは胸に秘めておいて欲しい。三週連続で告白を断り続けているミュリエッタは身勝手にもそう思う。
そしてその無情な願いは、無慈悲に自分に跳ね返ってきて、ミュリエッタは見事に自滅した。
ローゼン学園図書館。
創立祭で使用する資料を探しに来ている生徒が多く、試験期間中とはまた違った賑わいを見せている。
閲覧席には各所で小会議が行われており、いつもの図書館らしい静けさはすっかりなりを潜めていた。職員は注意することを諦めた様子で、受付に憮然と座っている。
「モテる女は辛いねぇ」
「……ねぇカリン、私知ってるのよ。あなた同じ研究室の方からお手紙もらったでしょう?」
「ねぇミューちゃん、ここの展示説明さ、語り口調みたいにした方が読みやすいんじゃない?」
分かりやすく話題をそらしたカリンに、ミュリエッタは口先を尖らせる。
「なんだ、お前たち人気者だな」
「そういうユオだって、一昨日呼び出されてたじゃない」
「あー、あれは殿下目当てだ。……よくあることだから、そんな目で見るなよ」
三人のやりとりを聞いていたクラスメイトたちが笑う。
「みんな最終日の晩餐会に好きな人と行きたいんだよ」
「えっ、年末の舞踏会みたいにパートナー必須じゃないよね?」
「必須じゃないけど、禁止もされてないからねぇ」
雑談を交わしながら皆手を動かし続ける。
ミュリエッタたちは各種族に伝わる名画を展示し、その歴史背景を紹介する。今は、手配できた複製画が資料の記録と一致するか確認しているところだ。同時に、その紹介文も考えている。
(同じ時期に描かれて、同じ出来事なはずなのに、種族ごとに描き方が違うのが面白いのよね。一つの歴史に、複数の史実があるみたい)
ミュリエッタが名画の歴史に思いを馳せていると、向かいに座るユオがわざとらしい咳払いをしてきた。
「……なによ」
「いや、なんでも」
口元を引き結んでいるユオに、ミュリエッタは胡乱な視線を送る。
「……ミュリエッタ、今、背中が痒くなったりしてないか」
「なってないけど。意味がわからないのだけど」
「なに、ミュー、背中痒いの? かいてあげようか? ここ?」
「んふふふ! やめてくすぐったい!」
「ちょっとそこ、真面目にやってくださーい」
不本意だとミュリエッタはユオを睨んだ。その眼差しにユオは顔ごと視線をそらし、それを見ていたカリンはからりと笑った。




