最終章の始まりです
朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を爽やかに明るくする。
白い枕の上でパチリと目を覚ましたクロードは、横にした体に気怠さを感じて、緩慢に瞬きを繰り返した。
ローゼン学園最上階、とある教室にて。
名前を呼ばれ、クロードはハッと顔を上げる。
「すまない。なんの話をしていただろうか」
声をかけていた生徒は驚き、周囲にいるクラスメイトからは気遣いの言葉が重ねられた。
「大事ない。朝から少し体が重いんだ。熱はなかったが、念のため私からは少し離れておいてくれ」
クロードは級友たちに礼を言い、微笑む。
四年近く共に過ごした彼らは、笑顔を向けても惚けて眺めるようなことはしない。
だが何故か今日は頬を染める者が多かった。
教室が上品に色めきだつ。
その光景を少し離れた席で見ているオフィーリアは、静かに両目を細めていた。
生徒会室。
クロードは書類から目を離して、こめかみを押さえた。
頭の奥に靄がかかっているようで、思考がうまく輪郭を結ばない。反して、体に血が巡る感覚は、やけに鮮明だ。
胸の奥がざわついて、妙に落ち着かない。
クロードは小さく息を吐き、書類へ視線を戻す。
簡単に処理できるはずの業務が滞り、苛立ちを覚えた。
放課後、学園図書館。
今のクロードにとってミュリエッタと繋がりを持てる、数少ない場所のひとつ。
彼女が再び図書館に現れるようになってから、その周囲に人が絶えることはない。
友人に囲まれ笑う姿に、クロードはわずかな寂寥を覚える。
(そんな資格、私にはないというのに)
クロードはミュリエッタの将来を、自由を、未来を、奪う。
その責任を請け負う義務が、クロードにはある。
彼女の身の周りの安全に配慮し、その心身状態を憂慮するのは、当然のこと。
『知りませんよそんなの!』
番だと告げたときの、ミュリエッタの拒絶を思い出して、胸の奥がずんと重くなる。
『……もう嫌』
あんなにも、追い詰めてしまうなんて。
クロードはいつものように、遠くからその姿を探す。
そして本棚の間にその姿を見つけた、そのとき。
「……うぐっ!」
肌が粟立ち、汗が吹き出た。
目眩がして、その場に頽れる。
ドクドクと脈打つ心音が、耳の直ぐ近くで聞こえた。
まさかこの喘鳴は、自分のものだろうか。
(これはっ、まさか……!)
入学式で初めてミュリエッタの姿を目にした際にも、似たような現象が起こった。
だが、あの時の衝動とは比べ物にならない。
本能が、叫んでいる。
(欲しい、欲しい、欲しい!)
内頬を噛みすぎて、口の端からは血が滴った。
「ああ、やっぱり。クロード、あなた揺期がきてるじゃない」
頭上で聞こえた声を最後に、クロードは意識を手放した。
清涼な香りが鼻腔をくすぐる。身じろいでみれば、さらりとした布が体の上を滑った。
「おや、目が覚めましたな。気分はどうかな?」
保健医の声にクロードはゆるく身を起こし、未だ余韻が残る胸を制服ごと押さえた。
「……あまりよくない」
「でしょうなぁ。抑制剤を打ちましたから」
クロードは愕然とした。学園が王族の生徒に投薬を行うのは、よほどの理由がある時だけだ。
「私は、命の危機に陥っていたのか?」
豊かな白髭を蓄えた老齢の保健医が軽快に笑う。
怪訝な顔を向けるクロードに、医療に携わる者らしい丁寧な説明を始めた。
「生徒に揺期の兆候が見られたら即時対応する。学園規定のひとつですよ。種族ごと、生産国ごとにきちんとラベリングされておりますし、王族の方に至っては個別に用意されております。私が打ったのもドラクヴァルさま専用のものですから、安心なされ」
「……揺期か。数年に一度のことだから失念していた。……これまでに経験したものと、その、かなり違いがあったのだが、成長過程による変化なのか?」
「ふむ。……あまり踏み込むつもりはございませんが、番と出会われたのではありませんか? だとしたら、まぁ、それが原因ですな。なぁに、死にやしません。経口タイプの抑制剤を多めに出しておきましょう。若いと大変ですぞ」
クロードは素直に頷いた。この時はまだ、保健医の最後の言葉を、正しくは理解していなかった。
「くそっ……!」
クロードは珍しく悪態を吐いた。
額には大粒の汗。
上気した頬に、熱に震える体。
寮の自室。
それも、壁に向かって立ちすくむという意味のわからない状況に陥っている。
近くのサイドテーブルには、水が入ったコップと、開封済みの薬箱。
クロードは腕を伸ばし、小分けになっている錠剤をまとめて手のひらに出すと、一気に飲み込んだ。
「何なんだ、これはっ!」
ずるずると腰を落とす。手は壁につけていないと、別の意思を持って動き出しそうだった。
なんせ、ミュリエッタの姿が脳裏に浮かぶだけで、度し難いところが、度し難くなるのだ。悲劇だ。
クロードはゴンッと頭を壁に打ちつけた。
朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を爽やかに明るくする。
冷たい床の上でハッと目を醒ましたクロードは、うつ伏せの体に奇妙な感覚を覚え、幾度も瞬きを繰り返した。




