慌ただしい日々が過ぎていきました
夕方に吹く風が、季節の移ろいを運んでいる。
ミュリエッタは、変わらないようで少しずつ変わっていく学園での日々を、大切に過ごしていた。
普段は人も少なく、穏やかな時間が流れているばかりのローゼン学園図書館は、今、雑多な音で満たされている。
「範囲が広い……教科が多い……無理、知恵熱が出そう」
ペンを投げたカリンが、机に上半身を預けるように倒れた。
隣で溶けてしまった友人を見て、ミュリエッタは苦く笑う。
学生である限り避けては通れない試練。
現在、ローゼン学園は試験期間の真っ最中であった。
カリカリとペンが走る音、パラパラと教科書がめくれる音、衣服が擦れる音、そしてひそまった話し声。
ひとつひとつは小さくても、数が多ければ騒音に近くなる。
いつもなら騒がしいと注意する図書館の職員も、この期間は寛大だ。
「クララベールさん、この文章のここ、解釈が難しくて。教えてもらえるかな」
「ああ、そこ、私も自信ないわ」
「そうなの? 意外だ。クララベールさんは語学系得意なのかと思ってたよ」
「ただの文章読解なら得意なんだけど、問題文となるとね。意地悪な文章してるじゃない?」
そうだね、とクラスメイトの男子生徒が笑う。
ミュリエッタは他の女子生徒から話しかけられ、体をそちらに向けた。
その様子を机に突っ伏したまま眺めるカリンは、「モテモテね」と茶化す。長い耳がペタリと頬に張り付いていて可愛かった。
ミュリエッタは社交的だ。初対面の異種族の生徒が隣に並ぶと、「素敵な羽ね」とその象徴を必ず褒める。瞳をきらきらさせながら言うので嫌味に聞こえない。
いつぞやの教室での騒動以来、ミュリエッタは貴人の多いクラスメイトたちから嫌厭されると覚悟していたが、それは杞憂に終わった。
友人のために立ち上がったミュリエッタを賞賛する者が多く、逆にカリンを貶めた二人の立場が狭くなっている。事の真相が、文化の違いによる誤解だったから余計だ。
ミュリエッタは聖人ではないので、彼女たちを許すつもりはない。謝罪があれば受け入れる。それで終わりだ。
「ミュリエッタちゃん、ここ分かる?」
身を寄せて問題集を覗き込む。
「ああ、これはね――」
気づけば向かいの席にも、その隣にも人が座っていた。
「クララベールさん、これも聞いていい?」
「まってね、順番に聞くわ」
「先生、質問です」
「誰が先生ですか。あのね、私も教えて欲しいところがあるんですからね」
閲覧席の一角が勉強会場と化していた。
そんな和やかな空間を静かに見つめる、金色の瞳。眩しそうに細められ、そこには羨望の色が滲んでいた。
「会長も混ざってくればいいじゃないですか」
後ろから聞こえた声に、クロードは緩く頭を振る。
「いや、いい。というか君はいつからそこにいたんだ」
「割と前から」
クロードは黙る。護衛の任を務める者は、気配を消すのが上手い。
「主人はどうした。なぜ彼女たちの方ではなく、私の近くにいる」
「殿下は乗馬交流会の方に。あー、会長をよく見ておけと言われておりまして。意図は考えたくないので、とりあえず言葉通り見ております」
「……それを本人に伝えてしまうことまで折り込み済みか。君の主人は食えないな」
「否定はしません」
ユオは肯首を返した。
「……ところで、彼らは距離が近くないか? あれはクラスメイトとして適切な範囲なのか?」
「割と普通ですね」
「……おい見ろ、あの生徒は彼女の肩に触れているぞ。あれも普通なのか」
ユオは笑いを噛み殺して肯定する。
「よく見ていますね」
「生徒間の秩序維持は私の仕事だ」
「なるほど」
「……なんだ」
「いや、先程から特定の人物しか見ておられない気がして」
「気のせいだ」
クロードは言い切った。
ユオは咳払いをして何かを誤魔化した。
「ミュリエッタったら人気者なんだから。嫉妬しちゃう」
「カリン、そろそろ起きて。ペン先が乾いちゃうわよ」
「みんな! 私のミュリエッタを返して!」
「あ、嫉妬ってそっち?」
クラスメイトの素早い返しに、場が笑いに包まれる。
ミュリエッタもころころと笑った。遠くで観察している誰かが、胸を押さえているなんて知りもしない。
「このお揃いのバレッタが見えぬか!」
「あはは! 見えてるし知ってるよ! ごめんね、カリンちゃんの大切なミュリエッタちゃん、返すね」
「おまたせ、ハニー」
「待ちくたびれたわ、ダーリン」
笑い声が重なる。あまりに皆が笑うので、とうとうミュリエッタたちは職員から注意を受けてしまった。
その後も和気あいあいと勉強会は続き、図書館の閉館を知らせる鐘の音と共にお開きとなった。
「助かったよ、クララベールさん」
「試験終わったらお礼するね」
「私は学食の日替わりデザートがいいな」
「カリンは机に溶けていただけしゃない」
そんな軽口を交わしながら、生徒たちはそれぞれの寮へと散っていく。
寮までの帰り道、ミュリエッタとカリンは手を繋いで帰った。
西へ傾いた陽光が、足元の影を長く伸ばしている。
二人は並んで歩きながら、今日のことや試験の話、最近読んだ本や育てている作物の話、週末の予定などを語り合った。
どれも些細な話ばかり。
けれど今のミュリエッタには、その何気ない時間が愛おしかった。
「試験が終わったら、まず何をしたい?」
「まぁ、寝るよね。昼まで。ミュリエッタは?」
「そうね。本を読むわ。夜中まで」
「それいつもと変わらなくない?」
二人は顔を見合わせて笑った。
繋いだ手は、そのまま。
穏やかな風が髪を揺らし、賑やかな一日がゆっくりと暮れていく。
ミュリエッタは、こんな日々がずっと続いていけばいいと、願わずにはいられなかった。
二章おわりです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
次の章でおわりです。




