表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/18

ロマンスな日々が


「私に優しくしないでください!」


 叫んでから、後悔した。


「分かった」


 その声が、あまりにも低かったから。



 ローゼン学園の食堂には、外で昼食を取る生徒のために、持ち運びに便利な軽食が用意されている。

 ミュリエッタは穏やかな風が吹き込む小さなガゼボの中で、ハムとチーズが挟まれたバゲットにかじりついた。

 なかなか飲み込むことができず、ふた口かじっただけのバゲットは早々に鞄にしまわれる。

 傍に避けておいた本を膝の上に置き、その表紙を開く。


 ぺらり、ぱらり。


 ミュリエッタは胸がざわつくとき、本を読むことで気持ちを落ち着ける。

 ただ文字を目で追う。内容は頭に入っていない。

 本をめくる、その動作に心が静まる。


 ぺらり、ぱらり。


 文字がじわじわと歪んでいく。


「…………ふぅっ」


 めくれど、めくれど。

 込み上げてくるものが、止まらない。


「……うぅっ、ふっ……!」


 とうとう、頬を伝って、落ちてしまった。


 ミュリエッタは本を抱えるようにして背中を丸める。

 ぽたり、ぱたり、と煉瓦が敷き詰められた地面に涙が落ちる。


 ミュリエッタは泣くことが苦手だ。

 どれほど泣き喚いても、どうにもならないことがあると、もう、知っているから。


(わたし、どうすればよかったの……?)


 傷つきたくなくて脇役になろうとしたのに、自分から傷つきにいって。あまつさえ、オフィーリアを傷つけた。

 そして、自分の恋が叶わなかったからと、誰かの恋を実らせようとして。あげくの果てに、余計なことまでした。

 ミュリエッタは、カリンの気持ちを考えているつもりで、自分本位に動いていた。ユオにだって失礼なことを言った気がする。


 怒らせて、当然だ。


 でも、なら。どうして。


 ぐちゃぐちゃになった感情が、行き場をなくして溢れ出る。

 本当は、もっとずっと前から、泣いてしまいたかった。


「どうした!? 何があった、大丈夫か!?」


 今、一番聞きたくない声だった。

 どこかで喜んでいる自分がいて、そのどうしようもなさに、嫌気が差す。

 息を切らしたクロードが、ミュリエッタの目の前で膝を折る。


「どこかが痛むのか? 医務室まで運ぼうか? それとも誰かに何か酷いことをされたのか? 誰だ? あの男か?!」


 何かを勘違いしているクロードに、ミュリエッタは声を絞り出す。


「ち、ちがっ、違いますっ! ……なんでもありませんっ!」

「なんでもなくはないだろう、こんなに泣いて! 私には話し辛いことなのか? 何か私にできることはないか?」


 そっと背中をさすられて、ミュリエッタは弾かれたように身を起こした。


「やめて!」


 金色の瞳が愕然と見開かれる。


 違う。ミュリエッタはクロードを傷つけたいわけじゃない。


 でも。もう、苦しい。


「私に優しくしないでください!」


 叫んでしまってから、その口をぎゅっと噤んだ。


「分かった」


 ぞわり、肌が粟立つ。


 強く腕を引かれ、「ごめんなさい」という言葉は、音になる前に消えた。


 瞬きの間に。

 ミュリエッタはクロードに抱きしめられていた。


 ――最悪。


 ミュリエッタは、もうこれ以上、自分を嫌いになりたくない。


「何するんですか?! 離してください!!」


 クロードの服を掴んで引っ張る。どれほど暴れてみても、びくともしない。背中に回された腕がより強くミュリエッタの体を締め付けてくる。頭はクロードの胸に押さえつけられ、動かすことすらできない。


「優しくしなくていいんだろう。なら、私の好きにさせてもらう」


 首筋に熱い吐息がかかって、ミュリエッタはぶるりと震えた。


「はなして……!」

「離さない……! 君はもう私から逃げる気だ!」

「当たり前です! こんなの、絶対に駄目です!」

「君は私の番だ!!」


 どうして、今さらそんなことを言うの。


「知りませんよそんなの!」


 ミュリエッタは声を荒げた。

 クロードが唸るように続ける。


「……わかっている! 他に好きな者がいるんだろう?! だがもう君の気持ちなど考慮しない! 優しくしなくていいのだから! 私はどんな手段を使っても君を国に連れ帰る!」


 悲痛な声だった。聞いているこちらまで、胸が苦しくなるほどに。

 ミュリエッタは息を止めて、クロードの言葉を噛みしめる。


 そして、「ん?」と頭の中に疑問符が浮かんだ。


「あの、かいちょ、」

「私を嫌ってもいい! だが離れることは許さない!」


 背中が軋む。ミュリエッタは命の危機を感じた。


「かいちょ、会長、苦し、折れちゃうっ」


 ハッとしたクロードが腕の力を弱める。ミュリエッタは息を吐いた。

 クロードは小さく謝ったが、それでも腕は解こうとしない。

 密着していた体に少しだけ余裕ができて、ミュリエッタはクロードの腕の中でその顔を見上げた。


 下から見ても顔がいい。どうかしている。


「あの……他に好きな人がいるってなんですか?」


 涙はとうに引っ込んでいた。


「君の国の第一王子から聞いている。学園卒業後は従者と君を婚約させる予定だとも。だが君が私の番である以上、我が国はその総力をもってして、その話を白紙にさせるだろう」


 ミュリエッタはいつぞやのセシルとの会話を思い出し、ああ、と遠い目をした。

 クロードの言う想い人とは、おそらく愛犬のヒューゴのことだ。あの時、セシルの誘いを上手くかわすためにとった対処が、こんなところに影響を及ぼすなんて誰が予想できよう。

 言葉を返さないミュリエッタに何を思ったのか、クロードが再び強く抱き包む。

 ミュリエッタは自分でも顔が赤くなっていくのが分かった。


 この早鐘を打つ心音は、どちらのものだろう。


 煩悩を振り払うように、ミュリエッタは口を開く。


「……婚約者であるオフィーリアさまは、どうするのですか」

「オフィーリアとはもう話がついている。彼女は私以上に番を正しく理解していた。番を守り、その人生を預かるのは、王太子としての義務だ」


 スッ、と、ミュリエッタのなにかが冷めていく。


 当て馬だの恋だの乙女心だのと騒いでいた自分が、ひどく惨めに思えた。


「そうですか。とても……とても良くわかりました」


 眦に残っていた涙の名残が、クロードの制服に染み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ