翻弄される日々が始まりました
図書館で見かけなくなった姿を、小さなガゼボの中に見つけた。
その隣に見知らぬ男子生徒がいると気づいた時、クロードの体はすでに動いていた。
それらしい理由をつくって、二人の空間に入り込む。その親密な空気に、腹の底で黒い感情が渦巻いていた。
だというのに、隣で彼女が笑うだけで、陳腐な嫉妬心が霧散する。
運命とは、かくも人を翻弄するものらしい。
馴染み深くなった生徒会室。
見慣れた面々が集う合間に、ひとり、可憐な少女がいる。その隣に座る一年生の生徒会役員セシル・オルギルが、自国の生徒だとミュリエッタを紹介した。
誰が見ても不憫に思うくらい緊張しているミュリエッタに、クロードは柔らかく話しかけた。
「先ほども伝えたが、そんなに身構えなくていい。君が話してくれるのは、可能性の話だ。たとえ見当違いな内容だったとしても、それを咎めるような者はここにいないし、責めることもない」
ミュリエッタはぎこちなく頷くと、深く息を吸い込み、よし、と意気込んだ様子を見せた。
挨拶を述べた後、ミュリエッタは手にしていた本を皆に見せるような形で置き開く。
「今回の事件ですが、私は、異種族間の文化の違いで生じてしまった、認識齟齬による事故だと思うのです。……あくまで、そうであって欲しいという、希望的観測なのですが」
小さな指先で、開いた本の一節を指し示す。森人族の古代語で書かれていた文章に、多くが瞠目した。
「森人族の一部地域では、親愛の証として、相手の身につけている物を一度預かり、世界樹の枝木で清めたのち、ひと月後に返す、という習わしがあります」
森人族である副会長のアラニオンに視線が集中する。
アラニオンは眉間を押さえ、懊悩するような様子を見せたのち、苦々しく口を開いた。
「……確かに、ございます」
「ですが、物を預かる、ということですよね? だとしたら、被害生徒は盗まれたとは主張しないのではありませんか?」
この疑問に答えづらそうにするアラニオンに代わり、ミュリエッタが言葉を足す。
「預かる際に、相手に断りを入れないことが礼儀なのです」
「そんなことがありますか?!」
「文化ですから」
「文化だからと、なんでも許されるわけではないでしょう」
「その通りです。ですから私たちは、お互いの文化を知り、尊重し、自国の文化の誇りを持って、話し合うのではないですか?」
ミュリエッタの言葉は、クロードの胸に静かに響いた。
「クララベール嬢の言う通りです。ローゼン学園はそのためにあるのですから」
セシルの言葉にその場は理解を示す。小さく拍手を送る生徒もおり、不穏になりかけた空気は穏やかさを保った。
役目は終わった、とばかりに着席したミュリエッタをクロードは見つめる。胸を押さえて息をつく姿は、先ほどの毅然とした態度とは打って変わり、その背を撫でてやりたく、だから、まて。
(彼女を見過ぎだ、私は。今は会議中なんだぞ)
腑抜けた自分を叱咤して、クロードは生徒会の代表らしく居住まいを正す。
肩身を狭そうにしているアラニオンに目配せし、まだ森人族が犯人だと決まったわけではないが、と空気を引き締めた。
その後議論を重ねた結果、生徒会では、森人族の文化を公表した上で、悪意がない可能性を鑑み、名乗り出た生徒は不問とすることにした。
「各種族に向けたローゼン学園の入学説明書もこの機に見直す必要がありますね。特にここ、『生徒間における所有物の貸借は、個人の価値観を尊重し、節度をもって行うこと』という文に、相互の文化的背景をふまえた上で、と加えましょう」
「お互いの文化を簡潔にまとめたリーフレットを作るのはどうでしょう。今ある似たようなものは学園の創設時に作られたものですから、現代の世代とギャップがあるかもしれません」
「それより、森人族特有の文化が原因と断定できないうちに、犯人を不問にすると公言してしまって良いのでしょうか」
「良いのですよ。今回の件が認識齟齬による誤解で、学園側にも配慮が足りなかった、で収まった方が。皆さん、そうでしょう?」
無言の肯定が続いた。統治する側の事情が露呈する中、ミュリエッタはそしらぬ顔で明後日の方を見ている。オフィーリアがミュリエッタを高く評価していた理由に、クロードは納得がいった。
「我々の都合は置いておくとして、もしこの件が森人族の生徒による好意で行われた事故なのだとしたら、彼らに非難が集中しないようフォローするのが私たちの仕事だ。我々が行うべきは平和と秩序の維持であって、糾弾でも断罪でもない」
クロードの言葉に各々深く頷いた。
「失礼しました」と綺麗な礼をして退室していったミュリエッタを、クロードは名残惜しく見送った。
これから先の会議に、彼女がいる必要はない。ミュリエッタがいなくなった生徒会室は、どこか彩りが無くなった気がした。
(次はいつ会えるだろうか)
厳粛に進む話し合いの最中でも、頭に過ぎるのはミュリエッタのことばかり。
クロードはもう、運命に敗北を認めざるをえない。
(君が私の番だと告げたら、君はどんな顔をするのだろう)
少なくとも嫌われてはいないはずだ。
クロードは自分の容姿の良さを自覚している。熱を持った視線を送られることにも、明け透けな好意を向けられることにも慣れてしまっている。
(簡単には信じてもらえないかもしれないな)
戸惑いながらも恥じらうミュリエッタを想像して、胸がぎゅっと締め付けられた。
そしてとある男子生徒の存在を思い出し、クロードはその主人であるセシルに声をかけた。
「君の国には優秀な人材が多いのだな。異種族の古代語まで網羅している彼女の博識さには驚かされた」
「ありがとうございます。我が国は特に異種族との国交に重きをおいていますから、そう言っていただけると嬉しいです」
当たり障りのない雑談を交わしたのち、クロードはさりげなく「そういえば」と切り出す。
「君の従者と一緒にいる所を見たのだが、彼女も君の側近のひとりなのか?」
「ああ、いえ。僕の従者の婚約者に、と考えてはいますが、まだ側近ではありません」
「…………婚約の予定があるのか?」
声を低くしたクロードに、セシルは気にせず続ける。
「僕の一存であって、正式なものではありません。クララベール嬢には一度は断られました。昔の想い人がいるそうです。学園卒業後に改めて打診するつもりです」
クロードは人生で初めて、目の前が真っ暗になる、という体験をした。




