騒がしい日々が始まりました
灰色の空の下、新緑が風に揺れる。
学園内の緑地に設けられた小さなガゼボの中で、ミュリエッタはひとり落ち込んでいた。
膝の上の本を、そっと閉じる。
(翼人族の素敵な文化を、人に恥をかかせるために使ってしまった……)
日々の彩りとして、好きで調べ、集め、蓄えてきた知識。誰かに得意気にひけらかすつもりも、ましてや、悪意を持って振りかざすつもりもなかった。
カリンは「かっこよかった」と親指を立ててくれたが、ミュリエッタは胸を張ることができない。
もしこの知識を活かすのなら、人と人を繋ぐような、そんな優しい使い方がしたいと、思っていたから。
「おい、雨が降りそうだから戻った方がいいぞ……どうしたミュリエッタ。腹でも痛いのか」
感傷に沈んでいたミュリエッタは、間の抜けた声に体の力が抜ける。
「ユオ……女の子相手にその声がけはない」
なぜ? と本気で小首を傾げるユオを見て、ミュリエッタは口元がゆるむ。下心を感じられない異性というのは、一緒にいて気が楽だ。
ユオとはクラスメイトということもあり、日常的に会話するようになった。背後で動いているセシルに対して思うところはあったが、ユオ当人が裏表のない性格をしているので、なんだかんだ打ち解けてしまったのだ。
明朗快活なカリンとの相性も良く、三人で行動する機会も増えた。ついこの間なんて、カリンの研究の手伝いに、揃って作業着を着て向かったくらいだ。
「今度は何の本を読んでるんだ?」
「えっと、これは……『森人族の礼節儀式目録』」
「相変わらずなタイトルだな」
「興味ないのに毎回聞いてくるのは何でなの?」
「もう挨拶みたいなもんだな」
なにそれ、とミュリエッタは力なく笑った。
「……何かあったのか? それとも本当に腹が痛いのか?」
不器用な優しさをみせるユオに、ミュリエッタは今度はちゃんと笑った。
「んふふっ、お腹は大丈夫」
あのね、と続けた声が、別の声に重なる。
「君たち、ここはまもなく雨が通る。早く校舎に戻った方がいい」
少し低い、艶のある声。
ミュリエッタは思わず息を止めた。
これまで通い詰めていた図書館に、放課後行かなくなったのは、この人の姿を、そこで探したくなかったからだ。
急いで知らせに来てくれたのか、少し息の上がったクロードを見て、ミュリエッタはキュンとしてしまう。図書館の外で会えた偶然に喜んでいる自分がいて、やるせなくなった。
好きになってはいけない、と自分に言い聞かせていた相手。
そんな戒めも虚しく、恋に落ちてしまった。
これが、そういう運命だから、なのだとしたら。
(運命なんて、大っ嫌い……)
ミュリエッタの胸の内を表しているかのように、激しく雨が降り出した。
「……ええっと」
合わせた膝の上に両手を乗せ小さくなったミュリエッタは、今の状況に戸惑いの声を上げる。
「何この状況……」
「しょうがないだろ。雨がしばらく止みそうにないんだから。多少のむさ苦しさは我慢してくれ」
「すまない。私が傘を持ってくればよかったんだ」
「それを会長に言われると、俺の立つ瀬がなくなるので、気にしないでください」
小さなガゼボに人が三人。ユオは体格が良く、クロードは細身だが背が高い。
そんな二人に挟まれるように座るミュリエッタは、ひたすら居心地が悪かった。
「で、何があったんだ?」
ミュリエッタの気まずさなどまるで意に介さず、ユオがさらりと問う。
「え、今? 今ここで言うの?」
「学園で起きたことなら、学園の代表にも聞いてもらった方がいいんじゃないかと思うぞ」
「……どうして学園でのことって分かったの?」
「昨日殿下と一緒に教室に戻った時、クラスが妙な空気になってたからな」
「ユオ……あなた、意外と周りをよく見てるわよね」
「まあな」と答えたユオは「それで?」と、はぐらかそうとしていたミュリエッタに容赦なく尋ねる。
「無理にとは言わないが、私も聞いておきたい」
真摯な顔を向けてくるクロードに、ミュリエッタは観念して、昨日の教室での出来事を、ぽつりぽつりと説明し始めた。
反省している、と言葉を終えたミュリエッタは、少しだけ心が軽くなった気がした。
「その女子が今後恥をかかないように忠告してやったんだろ。むしろ親切じゃないか?」
「そうだな。悪意を持って接してきた相手に、悪意を持って返してしまうのは、よくある心理だ。褒められたことではないかもしれないが、特別非難されるようなことでもない」
二人の優しさが沁み入る。
「ううっ、優しい……泣きそう」
「すまんハンカチを持っていない」
「私のを使うといい」
「待ってください、冗談です。……ふふっ、聞いてくれてありがとうございました。なんだかスッキリしちゃいました。まるで両手に花を持ってる気分です」
ブハッ、とユオが吹き出した。つられてクロードが「花は君では?」とくつくつ笑う。
ミュリエッタは花なんて言われてときめいてる自分を、えいやっとどこかへ追い払った。
「……続く盗難被害で生徒同士が疑心暗鬼になってしまっている。良くない傾向だ。生徒会としても、他国の生徒を疑う立場に気が引けてしまい、この件の解決に踏み込む糸口を見いだせずにいる」
「あんたの国の生徒が怪しいから調べさせろ、なんておおっぴらに言えないですしね」
「情けない話だが、その通りだ」
自嘲気味に笑うクロードを見て、ミュリエッタは力になりたいと思ってしまった。恋とは実に厄介な感情だ。
「……今回の事件、何かお互いに誤解し合っているだけ、だといいんですけどね」
「セシル殿下のときみたいな、地人族の前で屈んで握手を求めるのは侮辱にあたる、みたいなやつな。今回は実際に物が盗まれてるんだから、無理があるだろ」
その通りね、とミュリエッタは俯き、視線を落とした。
ふと膝の上の本を目にする。
そして、もしかして、と呟いた。
「会長、盗まれてしまった物って、普段その人が身につけている物だったりしますか?」




