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春のプールはジャージの季節  作者: 与一
四 境界の気配
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袖口から覗く想い

「ここで一つアドバイスです」

微笑みながら言われる。

「水中で息を吐く時、鼻からだけでなく口からも少し空気を逃がすと良いですよ。そうすることで、より自然に沈めます」

「口からも……ですか?」

少し驚きながら尋ねる。

「はい。もちろん完全に水を飲まないように注意してくださいね。ですが、少しずつ試してみましょう」

指導は的確で、安心感があった。俺と芦川は交互に練習を続ける。青色と臙脂色のジャージの袖口が水に触れないよう意識しつつ、少しずつ息継ぎのタイミングを掴んでいく。冷たい水が頬に当たる感覚が、心地よくなってきた。

「佐藤君、格段に上達しましたね!」

嬉しそうに言われ、思わず笑顔になる。水の中でも呼吸をコントロールできる感覚が、確かに手に取るように分かる。これならプールでの泳ぎにもきっと役立つはずだ。

「芦川さんもさらに安定していますね。素晴らしいフォームです」

少し照れたように微笑む芦川。臙脂色のジャージは動きに合わせて柔らかく波打ち、以前よりも堂々とした印象を与えている。

「じゃあ二人とも、今度は両手を使って水中で息を吐いてみましょうか」

新たな提案に頷く。ジャージの袖口が水に触れないよう気をつけながら、俺は両手で洗面器を支え、顔をゆっくり近づける。心臓が小さく波打つのを感じる。背中に視線を感じながら、深呼吸をして息を止めた。

 洗面器の水面に顔を沈め、両手で安定を保つ。鼻から息を吐き、アドバイス通り口からも少しだけ空気を逃がす。泡が水中でゆらりと広がる。タイミングを計って顔を上げると、肺に空気が流れ込む感覚が心地よい。

「見事です!」

明るく響く声に、思わず笑顔になる。水中でも呼吸をコントロールできる感覚が、確かに身についてきた。

 「佐藤君、随分と自然になりましたね」

その言葉に胸が少し温かくなる。

「ありがとうございます……」

息を整えながら答える。袖口が水に触れていないことにも改めて気づく。最初から意識していたはずなのに、今は無意識でできている。

「芦川さんも、動きがずいぶん安定していますね」

振り返ると、濡れたジャージの裾を丁寧に拭う芦川。仕草さえも品があり、自然と目が追う。臙脂色のジャージに包まれた胸元がわずかに濡れ、動きに合わせて柔らかく揺れる。

「あと数回繰り返したら、3時間目は終わりにしましょう」

声に頷き、俺たちは残りの練習に集中する。ジャージの下で感じる微かな緊張と高揚が、心地よい親密感を生んでいる。芦川と肩を並べて練習する時間が、こんなにも貴重だとは思わなかった。

「顔を上げる時はあごを引くように」

その指示に従い実践すると、驚くほどスムーズに呼吸できた。肺に空気が流れ込む瞬間の心地よさ。隣では芦川も上手に息継ぎしている。濡れた臙脂色のジャージが光を反射し、その柔らかなラインが特に印象的だ。

「芦川、すごいじゃん」

思わず声をかけると、彼女は恥ずかしそうに小さく「ありがと」と返す。耳が赤くなっているのが見え、つい見とれてしまう。

「二人とも、よくできていましたよ。これで今日の補習は終了です」

顔を上げ、ベンチへ移動してタオルで拭く。ジャージの袖で拭いた部分は湿っている。芦川は俺より先に顔を拭き終え、スイムキャップは外さずにいる。

「すごく楽しかったです」

明るい声を上げる芦川。瞳が輝いている。その姿を見て、俺も自然と笑顔になる。臙脂色のジャージの袖口から白い手首が覗く。

「俺も……」

言葉を返す。水泳の補習がこんなに楽しいとは思わなかった。

「明日も頑張ろうぜ」

俺が言うと、芦川は小さく頷く。その仕草に安心感を覚える。ジャージを着ていることで生まれる程よい距離感が、心地よいのかもしれない。

「二人とも、今日は本当に呑み込みが早いですね」

 微笑ましく見守る声がかかる。紺色のジャージが、その柔らかな雰囲気をいっそう引き立てていた。ほんの一瞬、ジャージの下にある水着のラインが目に入った気がして、慌てて視線を逸らす。そんな自分の反応が、少し恥ずかしい。

「この調子で、また明日もやっていきましょう」

俺と芦川はそろって「はい」と返事をした。そうして、洗面器の並ぶベンチの脇を抜け、プールの出入り口へと歩き出した。


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