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春のプールはジャージの季節  作者: 与一
二 やわらかな光
25/49

折り返し地点

更衣室の前の廊下は、先ほどのプールと同じような落ち着いた空気が漂っている。芦川は少し間隔を空けて俺の隣を歩き、目線はまっすぐ前を向いている。顔には緊張の色はなく、いつも通りの涼やかさだ。ただ、歩くリズムや手の置き方には、どこか慎重さのようなものが感じられた。俺はそのことに気づいていながらも、特別な意味は考えず、ただ自然に隣を歩く。

大きな体育館の出入り口の前に出た。

芦川目線はまっすぐ前を向いている。顔には緊張の色はなく、いつも通りの涼やかさだ。ただ、歩くリズムや手の置き方には、どこか慎重さのようなものが感じられた。俺はそのことに気づいていながらも、特別な意味は考えず、ただ自然に隣を歩く。

 階段を上がると、俺も何度か来たことのある、第二体育館のフロア前に出た。扉はガラス入りのアルミ製で、先ほどのプールの職員用出入口とは対照的に、軽やかで開閉もしやすそうだ。それにしても、この下に、あんな凄い場所があるとは知らなかった。まあ、ずっと水泳の授業をさぼっていたから当然なのだが。

「……今日は、本当にいろいろ見せてもらったな」

俺がぽつりと呟くと、芦川はちらりと俺を見て、軽く微笑んだ。口元だけのささやかな笑みだったが、どこか満足そうにも見える。

「すごくいい場所だったね」

芦川の声は控えめだが、少し柔らかい。プールの静けさや先生の丁寧な説明を経て、気持ちが落ち着いたのだろう。


 座学をしていた教室に戻った。ちょっとした冒険をやり遂げたような気持ちだ。

俺は席に着くと、背もたれに少し寄りかかり、今日の出来事を振り返っていた。

芦川は黙って教壇に向かい、中野先生の隣に立つ。その動作は静かで、いつも通り落ち着いているように見えた。

「さて、本日の補習の内容はここまでです」

中野先生の声が、穏やかながらもしっかりと教室に響く。

「これで春休みの補習の半分が終わりました。明日からは、プールでの実習も取り入れていきますね。楽しみにしてください」

先生はそう言って、にっこりと笑った。その優しい笑顔を見ていると、肩の力がふっと抜けるのを感じる。プールでの見学を経て、昨日までに抱えていた不安や緊張はほとんど消えていた。あの立派な設備と、先生の丁寧な説明、何より芦川と二人だけという環境が、居心地の良さを与えてくれたのだろう。

「じゃあ、佐藤くん、芦川さん、また明日」

「ありがとうございました!」

俺たちは声をそろえて挨拶をし、先生が教室を出て行くのを見送った。

「……ふう」

椅子の背もたれに体重を預け、大きく息を吐く。補習が始まったばかりなのに、なんだか既に達成感を覚えている自分がおかしかった。

芦川は俺より少し遅れて席を立ち、静かに自分の鞄を手に取った。その動きはいつも通り落ち着いていて、プールでの見学で何か感じることがあったのかどうか、その表情からは読み取れない。

「じゃあ、帰ろうか」

俺が声をかけると、芦川は「うん」と小さく頷いた。その声は、少し低くて静かながらも、どこか確かな響きを持っていた。

玄関までの廊下を歩きながら、俺は今日一日の出来事をもう一度頭の中で反芻していた。本格的な水泳についての座学での授業。プールでの本格的な設備の数々。消毒装置に採暖室、トレーニングフロア、そしてあの広大な水中空間。どれもこれも、新鮮な内容だった。

芦川は俺の少し斜め後ろを歩いている。俺は時々ちらりと目をやったが、彼女はただまっすぐ前を見据えているだけだった。それでも、歩幅や呼吸のリズムから、どこか満足そうに感じられるのが分かった。彼女自身も、今日の時間を過ごすことで、何か得るものがあったのだろうか。

「明日はどんなことをするのかな」

俺が呟くと、芦川は軽く目を細めて言った。

「分からないけど、楽しみだね」

その声は、いつもより少しだけ弾んでいるように聞こえた。俺は芦川の横顔を見ながら、胸にじわりと温かいものが広がるのを感じていた。恐らく、芦川にとってはこの補習は俺以上に重要な意味を持つものなのだろう。



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