トレーニングと栄光の部屋
「そしてこちらが、ウォームアップやクールダウン、基礎トレーニングを行うためのフロアです」
先生はプールサイドより一段高く設けられたフロアを指した。床は濃い緑色の滑りにくい素材で覆われ、壁には一面の鏡が取り付けられている。隅にはバランスボールや軽いダンベルが整然と並び、中央には円形のマットがいくつも敷かれていた。
「ここではストレッチや準備運動を中心に行います。プールに入る前のウォーミングアップはもちろん、怪我を防ぐためにも大切です。正しく安全に泳ぐためには、陸上のトレーニングが大切なんですよ」
次いで案内されたのは、プールの出入り口付近にあるガラス張りの部屋だった。
「こちらは採暖室です。水泳の後は体を温めないと風邪をひきますからね」
先生がガラス戸を開けると、温かく湿った空気がふわりと押し寄せる。壁際には大型のヒーターが設置され、ゆっくりと温風を送っている。天井近くの排気ファンが湿った空気を外に排出しており、部屋の奥には大小さまざまな腰掛タイプのマットがずらりと並んでいた。クッション性があり、その上に座ればじっくりと体を休められそうだ。
部屋の隅には白と水色のバスタオルが積まれ、横には小さな洗面台もある。蛇口からはお湯が絶えずチョロチョロと流れ出ていた。
「この部屋は温度と湿度が一定に保たれていて、泳いだ直後に入るととてもリラックスできます。ヒーターの暖かさは直接肌に当たらないように調整されていて、乾燥しすぎず、風邪の予防にもなるんですよ」
先生は嬉しそうに説明する。その口調は生き生きとしていて、どこか子供のような可愛らしさがある。豊富な経験の中に垣間見える無邪気さが、先生の魅力なのだ。
その後案内されたのは救護室だった。プールの角に設けられた小さな個室で、簡易ベッドが二台と医療品の入った棚が置かれている。壁際には緊急通報用のインターフォンや酸素ボンベも備えられていた。
「万が一、体調不良や怪我が起きた場合に使用する部屋です。常駐スタッフはいませんが、プールサイドには必ず監視員がいて、異常があればすぐにここに運ばれますから安心してください」
先生はそう説明し、俺たちが少し緊張した様子を見せると、すぐに付け加えた。
「とはいえ、しっかり準備運動をして先生の指示を守れば、ほとんど問題ありません。芦川さんも佐藤君も健康そうですし、大丈夫ですよ!」
その明るい声に、俺たちは自然とホッと息をついた。
その隣にあるのは用具室だった。ライフジャケットやレスキューブイなどの救助用具はもちろん、練習用の器具や掃除用のデッキブラシ、水槽の清掃用具まで整理されている。奥には大会で使う旗やタイマー、電子スコアボードの操作盤もあり、部員たちの活動の痕跡が残っていた。
「こんな機器も置いてあるんですね……」
芦川は目を輝かせ、棚や器具を覗き込む。元水泳部らしく、先生と器具について専門的な話を交わしているが、俺には細かいことはほとんど分からない。それでも、彼女が真剣に話している姿を見て、俺は自然に微笑んでしまう。
用具室の隣は資料室だ。このプールができるまでの竣工工事についてまとめたパネルがあり、学校の卒業生と思われる人たちの写真や記録簿も飾られている。ガラスケースの中には、少し黄色くなった表彰状やトロフィーが並んでいた。
芦川はひとつひとつの展示をじっと見つめ、時折指で額縁に触れながら確かめるように確認している。選手の写真や記録簿に書かれた大会を指さしながら、中野先生と楽しそうに話している。その仕草や表情から、単純に展示を面白がっているのが伝わってくる。
中野先生が資料室を見渡しながら言った。
「現役を引退しても、水泳を続ける人は多いですし、大人になってもライフワークとして楽しんでいます。水泳は生涯スポーツですからね」
その言葉に、芦川はただ落ち着いて頷いた。表情や動作に大きな変化はないが、展示に集中しながらも先生の話にしっかり耳を傾けているのが分かる。
一通り見学を終えて、プールサイドに戻った。
「ふう……」
自然と溜息が出た。広大な空間と本格的な施設に圧倒されたせいだろうか。芦川も軽く肩の力を抜き、周囲を見渡している。
「どうでしたか? 普段は公共の施設として多くの人が使いますが、こうして全体を見渡すと、意外と色々な設備があって驚きますよね」
先生はにこやかに問いかける。
「はい……本当に本格的で驚きました。学校に、こんなところがあるなんて……」
俺が正直に答えると、先生は優しく頷く。
「ええ。普段はなかなか中に入れないかもしれませんが、今回は特別ですから、存分に楽しんでくださいね」
先生の言葉に、俺は大きくうなずく。芦川も静かに首を縦に振っていた。その動作は控えめだが、彼女の落ち着いた様子と集中力を感じさせるものだった。




