中学と高校のプール
「それにしても……」
芦川がぽつりと言った。俺が窓の外から彼女に視線を戻すと、彼女は机の上で指を組みながら何か考え込んでいるようだった。
「三時間目はプールか。どんなところなんだろうね、この学校のプールって」
「さあ、どうだろうな。地下ってことは聞いたけど」
俺たちの通う学校の地下にはプールが。温水で、施設も結構立派だと評判だ。もっとも俺は水泳の授業をさぼっていたので、まだ行ったことはない。ただ、俺の中学の古びた屋外プールとは比べ物にならないだろう。あれは、夏場、セメントの床とか、めちゃくちゃ熱かったな。
「私ね……プールって聞くと、どうしても中学のプールを思い出すのよね」
芦川は遠い目をして言った。その横顔には、複雑な感情が浮かんでいるように見えた。
「中学のプールか。芦川のところも普通の屋外プールだったのか?」
「私の学校も、私立だったし、水泳には力を入れていたから屋内プールだったわ」
彼女は小さく頷いた。
「でもね……なんていうか……きれいでもあったけれど、狭苦しかった記憶しかないの」
「狭苦しかった?」
俺が聞き返すと、芦川は少し言葉を選ぶように間を置いた。
「そうね……。更衣室が狭かったせいもあるし、何より……空気が重かったの。……女子だけだからって油断できないような。お互いを意識して……ちょっと息苦しかったかな」
俺は黙って聞いていた。水泳の補習ということで、俺もつい、中学のことを話題にしてしまったが、いつもの芦川なら、振られても巧みに話題を変えたり、答えを濁したりしそうなものだ。でも今は何だか違う。具体的なエピソードは出さないが、中学時代の雰囲気について彼女が自ら語るのは珍しい。
「へえ……。うちの中学は、プールは普通の屋外だったけど、そんな息苦しさはなかったな。むしろ、男子と女子が一緒にいるのが普通だったから逆に意識しないようにしてたけど」
俺は軽い調子で言ってみた。あえて深刻にならないように。
「そうでしょうね。佐藤は、そんなこと気にするタイプじゃないものね」
芦川は少し口角を上げて笑った。その笑顔はいつもの彼女だ。
「男子がいるといないとじゃ、やっぱ違うのか?」
「……どうかしらね」
彼女は窓の外に視線を向けた。
「中学の部活はね……とにかく厳しかったなあ。顧問の先生も怖かったし、部員同士もライバル意識が強くて。女子だけの空間っていうのは……なんというか、独特なのよ。男子がいたら気を使わないといけないところを、女子だけだと全部自分たちに向かっちゃうっていうか……」
芦川はそこで言葉を区切り、少し遠い目をした。
「……なんていうか、ううん。女子同士というか、ううん、女性同士といったほうがよいが、相手に対して容赦ないところがある。女子が集まる空間には……そういう厳しさみたいなものが潜んでいることがあるのよ」
その声は低く、どこか諦めたような響きがあった。女子同士の関係性における複雑さや厳しさ。それは俺には分からない世界だ。
「女性同士……か。難しいんだな」
俺はそれだけ言ってみた。芦川の言葉を反芻する。女子校の水泳部。厳しい練習。女子だけの更衣室。そこには男子には決して立ち入れない独特のルールや緊張感があったのだろう。
「まあ……ね。だからこそ、この高校に進んでよかったと思っている。男女共学で、みんないい人たちばかりだから。みんな個性的だけど、女子同士だけで固まるタイプじゃないし……居心地がいいのよ」
芦川の声のトーンが少し明るくなった。窓から差し込む春の柔らかい光が彼女の横顔を優しく照らしている。
「そっか。ならよかったな」
俺はホッとした気持ちで返した。俺自身この高校は居心地がいいと思っている。芦川が心地よく過ごせているなら尚更だ。
「佐藤と一緒にこうやって補習受けるのも、なんか小学生のころに戻ったみたいで楽しいし」
芦川はそう言って、いたずらっぽく俺の顔を覗き込んでくる。セーラー服の襟元から覗く臙脂色のジャージの襟がまた見えた。それは確かにファスナーをしっかりと上げている証拠だ。
「おいおい、ガキ扱いするなよ」
俺は苦笑する。でも芦川の言う通り、補習で毎日顔を合わせて話をしていると、小学生のころに戻ったような気分になるのは確かだ。あの頃もよく一緒に遊んでいた。ただ、今はあの時とは少し違う。俺たちの間には少しばかりの成長した心と体がある。特に芦川は……中学での経験を通して色々と変わったように見える。
「まあいいわ。とにかく、この高校生活、楽しい思い出にしたいのよ」
芦川はそう言って、ニッコリと笑った。その笑顔には嘘がない。本当にそう思っているようだ。
「ああ、俺もだ」
「だな。一緒に頑張ろうぜ」
俺たちは拳を突き合わせた。




