第80話「目の色」
Aルームの空気は、しんと張り詰めていた。
緋色は静かに席に座って、前を見つめている。
ほとんどが3年生の中、緋色と颯真だけが2年生。
やがて、田村監督が前に立った。
「お疲れ様。これからミーティングを始める」
よく通る、しかし穏やかな声。
「先程のあいさつでも触れたが、改めて伝えておきたい。今回の選考会は、いつもとは違う」
緋色は、その言葉に少しだけ顔を上げた。
「来年6月、岐阜県・河奈岐重工ホッケースタジアムで開催される国際大会――U15 Japan Premium Tournament、通称ジャプト。日本が開催する初めての大舞台だ」
(ジャプト……)
「日本、オランダ、ベルギー、マレーシア、スペイン――これからを担う世界の同世代トッププレーヤーたちが一堂に会する大会になる。そして我々の目標は、ただ一つ」
田村監督は、ゆっくりと言葉を区切った。
「……優勝だ」
空気が、わずかに動いた。
「特に、オランダ。今、世界最強と呼ばれる国だ。そこに対抗するため、我々はベストの選手を選ぶつもりだ。」
(オランダ……)
「そして、3月初旬には壮行試合がある。相手は、ヨーロッパの強豪――ベルギーU15代表だ」
緋色の胸が、わずかに高鳴った。
はじめて戦う世界の強豪国…。
「君たちは、今回特別な目的のもと集められた。全国大会の優秀選手、各地区選考で選ばれた選手、そして各地区監督からの推薦選手。この三つのルートから、現時点での日本のベストメンバーだ。」
緋色はそっと周りを見回した。
ほとんどが3年生。
知らない顔ばかり――。
でも、その中で。
――一人だけ、笑顔の選手がいた。
後ろの方の席。
日に焼けた肌。
腕を組んでうんうんと頷きながら、口元に笑みを浮かべている。
(あの人……)
緋色がじっと見ていると、その選手と目が合った。
向こうは微笑んで少しだけ、軽く手を上げて挨拶してくれた。
緋色は慌てて目を逸らす。
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「……そして、君たちに伝えておきたいことがある」
田村監督が、ふと言葉を継ぐ。
「あるオランダのプレーヤーのために、この大会が3ヶ月前倒しになる可能性がある」
選手たちの視線が一斉に集まる。
「世界最高の選手がオランダにいる。彼は14歳でありながら、すでにプロ契約をしている。」
「……えっ!!?俺たちより年下で!!??すでにプロだと!?」
部屋がざわついた。
「その選手の所属プロクラブの事情で、6月から3月への前倒しが決まりそうだ」
「……ということは」
田村監督は、ゆっくりと言葉を継いだ。
「今の3年生にも、出場できるチャンスが出てくる」
――一瞬、Aルームの空気が、止まった。
そして、次の瞬間。
「…なるほど、じゃけぇこの時期の選考会なんかー!!」
照だった。
身を乗り出して、目をぎらつかせている。
「っは、面白くなってきた」
兵庫の十河寿希が、静かに口角を上げる。
「燃えてきたさー!」
後ろの方の席で、笑顔の3年生が拳を握った。
緋色の周りで、3年生たちの目が、一斉に変わった。
「マジかよ……」
「俺らも出れるのか……」
「最後のチャンス……!」
宮儀、原田、皐月、篠原、瑞樹――
全員の表情が引き締まる。
緋色は、その光景に息を呑んだ。
(みんな……目の色が明らかに変わった)
(3年生って、来年のジャプトには年齢制限で出れないと思ってたんだ……)
颯真も、無表情のまま、わずかに目を細めていた。
田村監督が、静かに言った。
「ここから始まるのは、U14のメンバーも含めた本当のサバイバルだ。3日間、全力で挑んでほしい」
「はい!」
全員が、深く頭を下げた。
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ミーティングが終わると、すぐさま選手たちが一斉に席を立った。
「これから各チームに分かれてアップを開始するから15分後にピッチに集合してください」
スタッフの指示で、選手たちが更衣室の方へ流れていく。
緋色も慌てて立ち上がった。
通路を歩きながら、ふと足が止まる。
(3年の人たちの……物凄い気合が入ってる…)
知らない顔ばかり。
燃え上がる先輩たち。
その渦の中で、自分だけが浮いている気がした。
「お、きみが相原くん?」
後ろから声をかけられる。
振り返ると――さっきミーティングで目が合った3年生だった。
笑顔で歩み寄ってくる。
「相原 緋色だろ?聞いてるさー、凄いんだって?まあまあまあ、そんな気負わず楽しもうぜー!」
パンッと軽く肩に手を置かれる。
爽やかで、温かい手だった。
「あ……ありがとうございます……えっと」
「俺、多那 扇。沖縄から来たさー」
「沖縄……!」
緋色は思わず声を上げた。
「あ、僕のひいおばあちゃんも沖縄なんです」
「おおーマジか!どこなんー?」
「えっと……たしか、名護の方じゃなかったかな……」
「やっさー!俺もそっちさー!世間狭いねー!」
多那の笑顔が、さらに大きくなる。
緋色は不思議だった。
初対面なのに、もう昔から知ってるような――そんな空気感。雰囲気。
凄い、人を惹きつける力のある人……
「おう、多那ー!」
別の3年生が、ロッカーの方から手を振ってくる。
「やっさー!久しぶりよー!元気やったかー?」
多那はそっちにも笑顔で応える。
さらに別の3年生も声をかけてくる。
「扇、今回も選考会楽しもうぜ!」
「当り前さー!」
緋色は、その光景を見ていた。
次から次へと、皆が多那に声をかける。
どの3年生も、多那を見ると自然と笑顔になる。
(多那さん……すごく人気だ)
(全国出てないって聞いたのに、なんでこんなに皆と仲がいいんだろう?)
緋色がぼうっと立っていると、横から声が聞こえた。
「ありゃ、沖縄の化け物じゃでー」
照先輩だった。
「……えっ?」
「全国は出とらんけん、あの人知らん人も多いんじゃけどな。沖縄の「魂」やら「シーサー」やら「マブイ」やら…異名がありすぎて、選考会常連や九州勢からは特に有名なんよ。沖縄は人数足らんけん、いっつも合同チームで九州予選に出てくるんじゃって」
「合同チーム……」
「そんで例年、沖縄勢はボロ負けらしいけど、多那がいる年代だけ強豪相手に一人で接戦に持ち込む。で、ついた異名が『沖縄の楽人』・・・「バケモン」なんじゃって結局(笑)」
緋色はもう一度、多那を見た。
笑顔で、皆と何でもないように話している。
バケモン、という言葉が似合わない、人懐こい雰囲気。
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ピッチに出ると、すでに選手たちがアップを始めていた。
その時――。
「お前らー! 何やっとるんだー!!」
聞き覚えのある怒声が響いた。
ピッチの隅で、烈真が二人の選手の首根っこを掴んでいる。
緋色は思わず立ち止まった。
「えっ……」
烈真に首根っこを掴まれていたのは――瞬と百舌鳥だった。
「お前らU15の方だろ!何でBルーム行ってたんだよ!」
「あれ~?ぼく14歳ですけどぉ~」
瞬が飄々と答える。
「あー……間違えた?……瞬のせいだきっと」
百舌鳥が瞬のせいにしてる。
「お前ら優秀選手枠だろうが!いつもこうじゃないか、いい加減覚えろ!」
烈真がさらに語気を強める。
それでも瞬は涼しい顔。
「まぁまぁまぁ、そういう時もありますよ~」
「難しい言葉はわかんないんだよなー。…考えるな、感じろ!…てね」
2人の態度に田村監督が苦笑しながら近づいてきた。
「おい、烈真。そいつらの性格、お前も知ってるだろう」
「分かってるが、けじめだ」
3年生の中で、誰かが小さく呟くのが聞こえた。
「相変わらずだな、またあの2人か……」
「皐月……あの2人相手は苦労するわなー」
そう、加来偉中の3年でCPの皐月融吾が、すでに瞬と百舌鳥の元へ向かっていた。
「すみません、田村監督、神門監督!!!!今後は僕がちゃんと管理しますのでっ!!!!!」
皐月が深く頭を下げる。
「あ!緋色くんだ~!」
瞬が烈真に首根っこを掴まれたまま、緋色を見つけて手を振る。
「こっち同級生いっぱいでしたよ~」
緋色は思わず笑ってしまった。
(瞬、相変わらずだな……)
百舌鳥もこちらに気づいて、軽く手を上げる。
「あー、緋色。よろしくなー」
緋色の心が、少しだけほぐれた。
(あの2人もこっちにいるのか)
颯真も、ちらりと瞬と百舌鳥を見て小さなため息をつく。
緋色は、ふと多那を見た。
多那も、その光景を見て微笑んでいる。
そして、緋色と目が合うと、微笑んで軽く頷いた。
(多那さん……?)
何も言葉はなかった。
でも、何か――見抜かれたような気がした。
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「各チームでアップ開始!」
スタッフの声で、選手たちが動き始める。
緋色も走り出した。
その時――。
前方を、軽やかに走る多那が目に入った。
ストレッチから流れるように、軽くダッシュ。
スティックを軽く振りながら、リラックスした動きで笑顔で先頭を走る。
そのフォームの自然さ。
脚の運び。
スティックの扱い方。
――何か自然さの中にいろんなものが混じってる…そんな感じ
(なんだろうこの違和感…)
「相原、ぼうっとしてるとケガするぞ」
颯真の声に、緋色ははっとした。
「あ……ごめん」
颯真は、いつもの無表情。
でも、その視線は一瞬だけ、多那の方を向いていた。
(颯真も、見てる……)
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アップが終わり、紅白戦の準備が始まる。
「U15内で紅白に分かれる。黒ビブスと白ビブス。前後半各20分」
田村監督の声。
緋色のビブスは、白の6番。
颯真は、黒。
多那は、白。
照は、黒。
瞬は、白。
百舌鳥は、黒。
皐月は、黒。
(颯真と、別チームか……)
名前と大会でしか知らない3年生たちが、静かに準備を始めている。
さっきまでの「燃え上がる目」が、今度はピッチに向けられていた。
緋色は、息を整えた。
(みんな、気合が違う…!)
3年生にとってはU15代表――最後のチャンス。
3日間のサバイバルが始まる。
ホーンが鳴り紅白戦が始まった。




