第78話「向かう先」
12月初旬の朝。
岡山駅の新幹線改札前は、学生やサラリーマン、観光客で賑わっていた。
「緋色、忘れ物ない?」
けいが心配そうに尋ねる。
「うん、大丈夫だと思う」
緋色は大きなリュックとスティックバッグを背負い直した。
中にはスパイク、スティック、着替え――そしてお守りが入っている。
「お父さん、引率って大変じゃないの?」
「そうだなぁ。久しぶりに責任ある仕事だけど……まあ、楽しみでもある」
巧真が穏やかに笑った。
「緋色も巧真も、ちゃんとご飯食べるんだよー!」
みっちゃんが沖縄弁で念を押す。
「東京は寒いけぇ、風邪ひかんようにねー」
「うん、ありがとうみっちゃん」
(お父さんと一緒に……なるんだ日本代表に!)
昨夜、巧真がU14のコーチを引き受けると告げた、あの瞬間の熱さが、まだ胸に残っていた。
その時、改札の方から見覚えのある集団が現れた。
「緋色ーーー!!」
声で誰かすぐに分かった。
照先輩だ。
その後ろから蒼、焔、青刃中のジャージを着た藍人と天音。
「お、もう揃っとるがん!」
「あ、緋色!おはよう!」
藍人が手を振りながら駆け寄ってくる。
「巧真さーん、今日からよろしくお願いしまーす!」
天音が爆音の挨拶。
「ああ、こちらこそ。今日からよろしくな」
巧真が苦笑しながら応える。
「ところで、お父さん」
緋色が父に尋ねた。
「島根勢と岡山駅で合流って、いつの間に決まったの?」
「神門監督と電話で話してたらな、自然とそういう流れになったんだ」
巧真が少しだけ笑った。
(自然と……)
緋色は少し緊張した。
颯真と、新幹線で同じ車両……。
「あ、来たきた!」
天音が指差す。
特急やくものホームの方から、出雲帝陵中のジャージを着た一団が歩いてくる。
中央には神門烈真。
その後ろにキャプテンの原田、宮儀、土紋――そして颯真。
巧真と烈真の目が合う。
「おう、久しぶりだな」
「ああ。まさか、こんな形で東京に行くことになるとはな」
二人は静かに笑い合った。
長い因縁を越えた今、その横顔は穏やかだった。
「じゃあ、そろそろホームへ向かおう」
巧真が皆を促す。
「お母さん、みっちゃん、行ってきます」
「がんばってね!ケガしないようにね!」
「楽しんでくるんだよー!」
けいとみっちゃんが笑顔で手を振る。
緋色は深く頷いて、改札を通った。
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新幹線が発車してしばらく。
親世代と子世代がそれぞれの席に分かれて座る。
親世代の席。
巧真と烈真がペットボトルのお茶を片手に、和やかに昔話を始めた。
「酒は帰りにな」
烈真が笑う。
「ああ。楽しみにしてるよ」
巧真も笑い返す。
一方、子世代の席は妙に静かだった。
出雲帝陵勢は前の方の席。
3年生の原田と宮儀が小声で話し、颯真は文庫本を開き、土紋は窓の外を眺めている。
緋色はその後ろの席で、蒼と並んで座っていた。
反対側には藍人と天音、前の席には焔と照先輩。
「緋色、選考会の集合場所って大井だよね?」
蒼が尋ねる。
「うん。会場に集合して、初日が終ってからホテルらしいよ」
「緋色、なんか落ち着いてんじゃん」
藍人が笑う。
「そうかな?楽しみだよね、東京!」
緋色は窓の外に目をやった。
冬の田園風景が、後ろへ流れていく。
(でも初めての選考会で、凄い人達とプレーか……)
少しだけ、胸の奥がそわそわする。
でも、隣には蒼がいる。
反対側には藍人と天音、前の席には焔と照先輩。
このメンバーなら、何でもできるような気がしていた。
――しかしその平穏は、長くは続かなかった。
「颯真ぁーーー!!」
通路を歩いてきた照が、出雲帝陵中の席に突撃する。
「おめえのドリブル凄すぎじゃろ!!どうなっとんなーーー!」
「でしょでしょーー!」
天音もすかさず加わった。
「俺もずっと聞きたかったんよ!どうやってんのーー??」
颯真は文庫本から目を上げる。
「……普通ですけど」
「普通じゃねーーー!!」
「あたりめぇじゃぁぁ!普通であんなんできたら世界終わるが!」
原田と宮儀が苦笑している。
巧真と烈真が遠目に見て笑っているのが見えた。
颯真は静かに席を立つ。
「……場所、譲りますよ」
「待て、待て、待てーー、はなそうでーーー!!」
颯真は照に捕まってしまう。
土紋はその隙に立ち上がった。
(……あっち行こう)
土紋は車両を歩いて、焔が座っている席の方へ向かった。
「焔、ここ、いい?」
土紋が声をかけた。
焔が少し驚いて顔を上げる。
「あ、いいよ!」
土紋が、照のいた席に座った。
「選考会、頑張ろうぜ」
「うん、そうだね!」
(あれ……土紋って、こんな感じだったっけ……?)
しばらく沈黙。
新幹線の走行音だけが響く。
「前の試合、お前の3Dドリブル、止めるの大変だったよ」
土紋が口を開いた。
「……いや、でも最後は止められたし……」
「……俺も対策してきたからな」
「対策か……」
土紋は窓の外に目を向けた。
「正直、悔しかったんだよ。U12の選考会では歯が立たなかったからさ」
(……?)
「だから、あの後は必死で練習した。颯真先輩に毎日叩き込まれたんだ」
「そうなんだ……」
「で、中国大会の決勝で本気で出し切ってやり合って……気が済んだ」
「……気が、済んだ??」
土紋は少しだけ口角を上げた。
「俺、お前のこと勝手にライバルだ!って追いかけてたんだよ。でも、追いつけたかどうかより、焔との対戦が楽しかったんだ」
焔は言葉が出ない。
「今回は味方として、よろしくな!」
(土紋、物凄く大人だな……気持ちが強い)
(俺はまだ負けた整理できてないのに……そうだ)
焔は、晴れた顔で頷いた。
「……うん!よろしく!」
土紋が、ちょっとだけ口角を上げた。
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後ろの席で、緋色と蒼が二人の話に聞き耳を立てていた。
「焔、なんだか打ち解けたみたいだね」
蒼が小さく笑う。
「うん。土紋くん、1年生なのにすごく大人だね」
緋色も微笑んだ。
「いいね……案外いいコンビになりそう」
藍人も頷く。
「うん、見ててなんか嬉しいな」
緋色はふと、前方の席に目をやった。
照と天音が、まだ颯真に絡んでいる。
「いや、聞かせろ!教えてくれー!」
「教えるとか……ないですし」
「あるじゃろがー!」
颯真の隣で、原田と宮儀が小声で「照は相変わらずだな」と笑っている。
(照先輩、天音……すごいなぁ。颯真と、あんなに自然に話せて)
(僕は……まだ目を合わせるのも精一杯なのに)
緋色がそっと窓の外を見る。
「緋色?」
藍人に呼ばれて、顔を上げた。
「ううん、なんでもない」
緋色は笑顔を作る。
藍人は何か言いたそうに緋色を見たが、何も言わずに視線を戻した。
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やがて、新幹線は名古屋を過ぎ、静岡を抜け、関東へと近づいていく。
窓の外の景色が、田園から都市の街並みへと変わっていった。
緋色は流れていく景色を、ただ静かに眺めていた。
――声をかけてみたい。けど…
「次は絶対に負けない」と心に誓った相手に、何て言えばいいんだろ。
『まもなく、東京。終点、東京です――』
車内アナウンスに、緋色は、はっと顔を上げた。
窓の向こう、灰色の冬空が広がっている。
岡山で見ていた青空とは違う、薄く曇った冷たい空。
――東京の空が近づいてきた。




