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緋色のスティック  作者: ぱっち8
第7章
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第77話「見えてる世界」

11月中旬の夜、相原家のリビングは温かな灯りに包まれていた。


テレビの画面には、アイスホッケーの国際試合が映し出されている。

日本代表対カナダ代表の一戦だ。


「お母さん、この試合見たかったんだよねー」


けいが嬉しそうにテレビを見つめている。

緋色は宿題をリビングでやりながら、その横で試合を眺めていた。


巧真も珍しくテレビに夢中になる、笑顔のけいの隣に腰を下ろした。


「へぇ、珍しいな。アイスホッケーの放送なんて」


「でしょ?北海道の由里さんから、教え子が出るからって観てって放送日を教えてもらってたの!日本代表の試合だから特別に中継してるみたいよ」


画面の中で、選手たちがリンクの上を猛スピードで滑走している。

パックが激しく行き交い、選手たちの激しい体当たりの音が鳴り響く。


「速いなぁ...目が回りそう」


緋色が思わず声を漏らした。


「そうねー、フィールドホッケーとはまた全然違う迫力だよね!」


けいがうなずく。


「人もパックも氷の上だと動くスピードが段違いだからね。でも基本的な考え方は同じなのよ?」


試合が進む中、日本代表が攻撃のチャンスを作った。

しかしカナダの守備に阻まれ、カウンターを受ける。


その瞬間、けいが小さく「あ」と声を上げた。


「今の場面、惜しかったわねー」


巧真と緋色は首をかしげる。


「そうなの?僕には良いパスコースだと思ったけど…」


「ん―…ほら、さっきの攻撃の時…」


けいは少し考えるような仕草をして、それからテーブルの上にあったメモ帳とペンを手に取った。


「ちょっと待ってね、実はさっきの場面で...」


サラサラと、けいがペンを走らせる。

緋色も思わず宿題の手を止めて、母の手元を見つめた。


数秒後、メモ帳にはリンクを真上から見たような図が描かれていた。


リンクの形、選手たちの位置、パックの軌道。

すべてが正確に、まるで写真を撮ったかのように再現されている。


「…そう、ここね」


けいが図の一点を指差した。


「さっきの場面、日本の10番がパックを持った瞬間に実は左サイドにスペースが空いてたの。でもこの選手の視線は右に向いてたから、その選手は気づかなかったのよ」


「...なるほど」


緋色がテレビを見返す。


「それで、カナダの6番がすぐにそのスペースを埋めに来たのか。だから次の展開では完全に読まれてたってわけだな」


巧真が感心したように頷く。


けいの指が図の上を滑る。

選手たちの動き、意図、次の一手。

すべての選手が見えているかのような解説だった。


緋色は息を呑んだ。


(…すごい。お母さん、あんな一瞬の場面をここまで...)


試合は続いている。

しかしけいの視線は常に全体を捉えているようだった。


前線の選手だけでなく、中盤、そして後方のディフェンス。

さらには交代してくるベンチの選手の動きまで。


「あ、あそこDFにつられてる…今度は逆サイドが空くわ」


けいが小さく呟く。


緋色は母の横顔を見つめた。

画面の隅々まで見るように眼が小刻みに動き、画面全体を…いやリンクのすべてを把握しているように見えた。


(首を振って、眼を動かして...…全部見てる)

(前だけじゃない。後ろの選手、交代してくる人まで...)


そして、ふと気づいた。




『緋色、水筒忘れてるわよー』


学校へ行く朝、急いで家を出る僕に玄関で声をかけてたこと。




『お父さん、傘持ってなかったでしょ?雨降るって言ってたわよ』


巧真が出かける前、けいが先回りして声をかけていたこと。




『みっちゃん、お薬飲んだ?』


みっちゃんへさりげなく、でもタイミング良く声をかけていたこと。




緋色の脳裏に浮かぶ。


そういえばいつも母からの声掛けは完璧なタイミングだった。


それは偶然じゃない。


家族全員の動きを常に見ていてくれて、把握していてくれたからだ。


(お母さん、家の中でもずっと...)


緋色の胸に、じわりと熱いものが込み上げてきた。





テレビの試合は進み、日本代表が再び攻撃のチャンスを作る。

けいが再びメモ帳に図を描き始めた。


「この負けてる展開だと...きっとこうなるわね」


けいの予測通り次の瞬間、日本代表の鋭いパスが通った。


緋色は思わず声を上げそうになった。


(僕も、試合中はある程度見えてる...パスコースが見えてる。仲間や敵の動きも読めてると思ってた)


(でも...お母さんは、もっと上から見てる。もっと上空から広く、もっと深く...正確に)


(視点を変えるだけで、こんなに...こんなにも世界が広がるのか...!)




けいが再び画面を見つめる。

その目は、まるで氷上全体を俯瞰しているかのようだった。


「これがイーグルアイ......」


緋色が小さく呟いた。


「ん?何か言った?」


けいが振り返る。


「あ、ううん。何でもない」


緋色は慌てて首を振った。



(これが北海道のおじいちゃんから聞いた、母の能力なのか…。)


(これは単なる観察眼じゃない!フィールド全体を、まるで空を飛ぶ鷹のように上から見下ろす視点。これがイーグルアイなんだ。)


(そして、いつか自分もあの境地に...!)


緋色の心の中は新たな世界の見え方に興奮していた。



---




試合が終わり、日本代表は惜しくも敗れてしまった。


けいが「惜しかったわねー」と呟きながらテレビを消す。



巧真が立ち上がりかけた時、緋色を見つめた。


「緋色」


「うん?」


「少し...話があるんだ」



巧真の声に、いつもとは違う重みがあった。

けいも、みっちゃんも、緋色を見つめている。


緋色は宿題を閉じて、姿勢を正した。


「え…と、どうしたの??」


巧真は深呼吸をして、それから口を開いた。――――――――――









前夜、緋色が寝た深夜のことだった。


けいと巧真が並んでリビングの椅子に座っている。


「...大丈夫?」


けいが静かに尋ねた。


巧真は天井を見つめたまま、しばらく黙っていた。


「実は烈真から、U14の技術コーチを頼まれた」


「…そう、凄いじゃない!」


「でも...俺に、そんな資格があるのか…」


巧真の声には迷いが滲んでいた。


「あの時…俺は自分に負けて逃げだしたんだ。最高のライバルを…烈真を傷つけて、怖くなって代表からも逃げた。そんな俺が、未来ある子供たちを指導する資格なんてほんとにあるのか...」


けいは優しく巧真の手を握った。


「あなた、緋色を見て」


「緋色...?」


「緋色はこの1年ですごく成長したでしょ?」


けいの声は温かかった。


「それは、いろいろな栄光や挫折を味わって……でも負けずに立ち上がった。

それは周りのみんなが支えてくれたからよ?」


「...」


「それに過去のことは、もう済んだ話でしょう?烈真さんもあれは事故だったと、あなたを許してくれたじゃない。」


けいは巧真の目を見つめた。


「あなたには、あなたにしか伝えられないものがある。技術も、戦術も、そして何より...心を」


「心...」


「そう。あなたは知ってるでしょう?挫折の痛みを。逃げることの苦しさを。でも、そこから立ち上がることの大切さも」


けいの言葉が、巧真の胸に染み込んでいく。


「子供たちに必要なのは、完璧な指導者じゃないわ。一緒に悩んで、一緒に成長してくれる人よ」


「そうか…」


「それに」


けいは少し笑顔を見せた。


「緋色も喜ぶわよ?お父さんが日本代表のコーチになるなんて!」


巧真は目を閉じた……。長い沈黙のあと、ゆっくりと目を開け決意を込める


「...ありがとう、やるよ。俺は...もう逃げない」


けいは優しく微笑んだ。


「良かった。その方があなたらしいわ!」




二人は手を握り合ったまま、しばらくそうしていた。―――――――









巧真は緋色を見つめて、ゆっくりと口を開いた。


「俺は...U14日本代表の技術コーチを引き受けることにした」


緋色の目が大きく見開かれた。


「え!お父さんが...!?」


「ああ。U14の監督を務める神門監督からの依頼だ」


「すごい...!凄いよお父さん!!」


緋色の顔が輝いた。


誇らしい。

父が、日本代表のコーチに。


そして...


「お父さん、僕も...!」


緋色は立ち上がった。


「僕も、選考会で選ばれて...親子で、日本代表になろう!」


巧真が優しく笑った。


「ああ、そうだな!一緒につかもう。日本代表を」


けいとみっちゃんも、温かく二人を見守っている。


「緋色と巧真なら大丈夫さー!2人とも頑張るんだよ~!」


みっちゃんがけいの手を掴んで踊りだす。




緋色は強く頷いた。


12月の選考会、全国から集まる才能たち。


颯真、瞬、虎徹、凜太郎、功多、藍人...


みんなが、同じ日本代表の舞台を目指す。


そして、父も...



(きっとお父さんと一緒に...!)


緋色の胸に、熱い決意が燃え上がった。


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