切り札は適切に
「ねえ。何で山が減らないのだと思います?」
「姫殿下がやたら書類仕事に強いせいでは?」
兄の後ろにいた深紅の騎士に問いかけると、苦笑と共にそんな言葉が返ってきた。
戴冠して一年。しょっちゅう執務室を訪ねて来ていた兄は、非効率だと言い出し、先日とうとう机まで持ち込もうとした。
あんたが来なきゃいいんだよ。
とは言えないので、急遽、執事に指示して新しい執務室を整えさせ、今日からは同室だ。意味がわからない。
しかも、嫌味っぽいことしか言わないので、兄との会話はほぼ喧嘩腰。
アンネや深紅の騎士がいなかったら、たぶん何回かはインク瓶を投げている。
それでも頑なに同室がいいと言う。互いに相手に見せない書類は、両隣りの執務室(小)に置く仕様だ。
確かに、ほとんどの書類の効率は上がるのだけれど、ストレス値もすごい。
お陰様で、おやつ時間はきっちり取るようになった。
まあ、外遊で留守にする期間も結構あるので、何とかなっているけれど。
シュヴィアの外交はうまく国益を生み出せていて、使節団は一年前よりも大きくなった。
「先日のストラウ国の件だが」
「はい」
ずっと昔から、特にこれといった理由はないが、何となく相容れないから国交がないのがストラウ国だ。
小説のシュヴィアが、八番目の妻として嫁いだ国。
「あちらの王太子が、訪問したいと返答してきた」
思わず、ペンが止まる。出したのは、こちらからの訪問の是非を問う書簡だったはずだ。
顔を上げると、思いがけず真剣な表情をした兄がいた。
「どうやら、かの者は魔法師らしい。国交も兼ねて、おまえの治癒もどうかと」
「……何の利点が?」
「砂糖と魔石だな」
この国は、大陸で唯一砂糖の大量生産が可能な国。
ストラウ国は、大陸で唯一魔法や魔石を有する国だ。
シュヴィアは、眉間に皺を寄せた。
「関税や道中の手間費を考えれば、直接取引きではどちらにも利がありません。ひと袋1,000ルニの砂糖が、ストラウではその五倍以上になるでしょう。魔石など、貴族にもそうそう手が出せない値段になります。間にドラン公国を挟んだ航路ならまだしも」
「……」
「ああ、ドラン公国に交渉しては? 我が国とドラン公国、ドラン公国とかの国で取引きすればいい。我が国の商隊に無駄な危険を犯させる必要もありません。手間費として上乗せする金額さえ締結できれば、ドラン公国にも益がありますし、友好関係も長いですし」
「あー……」
ひどく言いにくそうに、兄が低い声を漏らしつつ深紅の騎士を見上げる。
苦笑した深紅の騎士が、そっと口を開いた。
「かの国の王太子殿下との縁はどうかと、陛下はおっしゃっているのですよ」
「ああ……はい。承知しました」
「いいのか?」
いいも何も。シュヴィアは、怪訝に首を傾げる。
「王女は国のものですから、命じられれば如何様にも」
ただし。
「たった一枚きりの札ですから、切り時は見定めていただければとは思いますが」
「なんて?」
「王女はわたし一人しかいません。婚姻で国益を齎せるのは、一度きりです。最も効果的な場面で切るべき札だと思います」
「ひ、姫様……」
「わたしがストラウ国に嫁ぐなら、やはりドラン公国との友好を深めておきたいところですね。かの国の航路は物流を変えます。ああそうだ、あちらの姫とも話したのですが、港に国所有の船を……」
「待て、わかった」
遮られてそちらを見れば、兄は渋い顔で眉間を揉みほぐし、深紅の騎士すら表情が硬い。アンネなんか泣きそうだ。
「…………おまえがそうも極端になったのは、あの毒の時からだな」
「学ぶ機会を得ました」
「いや……」
兄が乾いた唇を舐めるのを見て目配せをすると、アンネはすぐに飲み物を用意した。さすがだ。
というか、だ。
シュヴィアを他国に嫁がせるのは、平民のヒロインにとって容姿も教養もある王女が邪魔だからだ。と、シュヴィアは思う。
比べて見劣りするから、シュヴィアは愚かでなければならなかった。
でも、今のシュヴィアは少なくとも国益にはなっているから、見劣りする理由がない。
シュヴィアはこっそりため息をついた。
たった二人の王族だ。さらに人数を減らすのはリスクが高すぎる。
「わたしが邪魔ですか」
まっすぐに問いかけると、兄が驚いた表情で固まった。
図星というより、想定外なことを聞いたとばかりに。
でも、小説ではそうだった。兄はとにかくシュヴィアが嫌いで、視界に入れるのすら厭うほど。
だから、国益をもたらさないシュヴィアを、交流のない国に放り込んで無理やり国益をあげた。
兄は先日、ついにヒロインをメイドとして城に招いた。恋仲なのではと、すでに噂にのぼっている。
だったらやっぱり、シュヴィアが邪魔になったのかもしれない。諦めとともに納得した。
「現時点で王族を減らすのは、得策ではないと考えます。陛下が婚姻され、御子がお生まれになったら、わたしは国外に嫁しましょう。もちろん、婚姻された時点で、離宮に居を移します」
「は? ……え、は?」
「わたしの方でも、候補は挙げておきます。国交を広げるためにも、未着手の国がいいですね。ストラウ国もその一つです。アンネ、悪いけど、資料室に行きたいの。都合を聞いてきてくれる?」
「……あっ、はい。姫様のご都合で大丈夫と、室長より聞いております」
「この書類に必要なんだよね。陛下、御前失礼します」
シュヴィアが去った執務室には、重苦しい沈黙が残った。




