兄妹
恋の痛手を欠片も窺わせない兄はさすがの一言だ。
あまりに通常通りすぎて、国王自らが美人局的な働きをしたのではと囁かれながら、内心を決して晒さない誇り高き主君。
兄は、どこでなら心を明かせるのだろう。
「セルジオ」
ここのところ、ずっとシュヴィアの傍にいる深紅の騎士を呼べば、彼は微笑んで一歩前に出た。
「陛下は、どうされていますか」
問えば、ふ、と笑みが深まる気配。思わず首を傾げる。
「いえ。同じことをおっしゃるので、つい」
「……陛下が?」
「ええ。あいつはどうしてる、と何度も聞かれます」
意外だ。という顔をしてしまったのだろう。
少し困ったように笑い、セルジオは思案げに目を伏せた。
鼻梁の高い、シュッと整った顔立ちだ。王子様風というには鋭利さが際立つ。
戦場での経験を積み、公私ともに兄を支え、多くの部下を抱える実力者。
こんな人が兄の力になってくれていることが、シュヴィアには喜ばしい。
だからこそ、こんなところにいていいのかと思ってしまう。
「陛下の元に戻られては」
「姫殿下の傍にいることが、陛下の望みです」
「……わたしは、それほど危ういですか」
確かに毒矢を受けて以来、麻痺の状態はよくはない。
四肢だけでなく、顔などにも出ることがあるし、以前より強い時もある。
でも、執務はこなしているし、何よりショックが強いのは自分より兄だと思う。
ヒロインと恋仲だった兄は、彼女が罰せられてからも言動が変わらない。シュヴィアの目から見ても。
けれど、なぜ心までそうだと言えるだろう。
少なくとも、シュヴィアだったら冷静ではいられない。
恋人が、実父を唆して己に毒矢を仕向けたのだ。
刺激的な恋をしたいがため、部屋に招かれたい下心のためだけに。
「……だからこそ、だと思うのですが」
深紅の彼は困ったように言うが、シュヴィアにはよくわからない。
たまたまシュヴィアが近くにいたからよかったものの、そうでなければ麻痺に苦しんだのは兄自身だった。
納得いかないとばかりに眉間に皺を寄せるシュヴィアは、ストラウ国の王太子に向けた書簡を作成している。
ヒロインは退場してしまったが、兄はこれから妃を迎えなければならない。
シュヴィアが国益をあげつつ他国に嫁すのは、ほぼ決定事項。候補の一つがストラウ国であることも。
小説通りでなくとも、兄の治世を支える最善を目指すべきだ。
「姫殿下は、好ましい方などはいらっしゃいますか?」
唐突な質問に、つい手が止まった。
ぽかんと口を開けてしまったが、見上げたセルジオはあまりに真剣な顔をしていた。
もしかしたら、兄に頼まれて質問しているだけかもしれない。というか、そうだろう。
そうでなければ、この生真面目な騎士が極めて個人的とも言える質問を口にするはずがない。
「いません」
決まりきった答えは、するりとこぼれた。
「ええと……こういう人がいいな、などは」
重ねられた質問にも首を振る。
「特には。命じられれば、どのような方でも」
「……姫殿下ご自身の、夢の話ですよ」
「夢見る時期は過ぎました」
シュヴィアとして目覚めて、ここが小説の世界と酷似していて、兄に厭われていると知った時に。
今は、兄にどう思われているかじゃない。シュヴィアが兄を守りたい。
共に背負うと覚悟を決めたのだ。兄の、国王陛下の御前で誓ったのだ。
夢を、終わらせた。
「わたしは、現実を望みます」
痺れる足を引きずって立ち上がるシュヴィアに、セルジオは黙して寄り添っていた。
「シュヴィア」
唐突に耳に届いた声に、シュヴィアは弾かれたように顔を上げた。
来い、と手招いているのが兄だとわかるのに、名を呼ばれた衝撃に動けない。
そうしているうちに、身体が動かしにくいと勘違いしたのか、兄は颯爽と歩み寄りひょいと横抱きにしてしまった。
────まさかの姫抱っこ!!!
あまりの出来事に、心臓が止まりそうになる。
正直、兄と触れ合うことなんかまったくない。エスコートされることはあっても、指先程度だ。
すたすたと歩いた兄は、庭園を抜けた先のガゼボに辿り着くと、慎重な手つきでベンチに座らせた。
アンネの手から膝掛けを取ると、自らの手でかけてくれる。
人払いされたガゼボの静けさに、バクバク騒ぐ鼓動が響くのでは、と案じた時。
「……シュヴィア」
「は、はい……」
「兄と呼べ」
なんて?
「陛下でなく、兄と呼べ」
もう一度言われた。
何度も頭の中で反芻し、混乱したまま、シュヴィアは恐る恐る唇を動かした。
「お、兄様……?」
呟いた声は、聞こえたかどうか。
けれど、兄は滲むように笑みこぼれた。
喜びとか、慈しみとか、そんなあたたかい感情が目いっぱい詰まった、息が苦しくなりそうな笑顔。
はく、喉が呼吸を求めて戦慄く。
────見逃していたことが、ある。
何を見失っていたか、何を聞き逃していたかは、わからないけれど。
とにかくシュヴィアが気づけていない、大切なことがある気がする。
「今は、それでいい」
でも、急ぐ必要はないと兄は言う。兄自身も、これが精一杯だというように。
だから、兄妹はただ隣り合って、夜の涼風に吹かれていた。




