魅惑のヒロイン
食事を切り上げ、キリキリと痛む胃を抱えてソファに腰かけると、全身から力が抜けた。
少々行儀が悪いが、足を上げて丸くなる。
アンネも下げて人払いをしたから、今だけは一人だ。
扉の向こうに騎士はいるが、影も出払っている。思わずほっと息をついた。
────重いなあ……。
王政などではなく、ましてただの庶民として生きていた前世の価値観を引きずる今のシュヴィアには、現状がとにかく重い。
小説通りの展開を待ってさえいれば、ヒロインは兄と共に事件の真相に辿り着き、罪を暴いたがゆえに連座に問われることはなかった。
でも。
優しい家族を奪われ、兄に嫌厭されヒロインとの恋路の邪魔者として扱われ、しまいには他国へと売られてしまう小説のシュヴィア。
彼女が他国にやられた後に、やっと真相が明らかになり、物語はクライマックスを迎える。
「そんなの……待てないよ」
その間に元のシュヴィアが戻ってきてしまったら、彼女はまた苦しい中を生きていかなければならない。
シュヴィアがいつ戻ってきても大丈夫なように、今のシュヴィアは諸々を整えておきたかった。
だから、執務にも外交にも意欲的に取り組んで足場を固め、価値を確立したかった。
兄との関係性はほとんど諦めていたが、今は少し歩み寄ってもらえている。身を挺してよかった。
たとえ、ヒロインを犠牲にしても、だ。
どうしても、健気な女の子を、シュヴィアを守ってあげたかった。ただの自己満足、とんでもない利己。
「いてて……」
胃がシクシクと痛むくらい、耐えて見せよう。
兄に非道な選択を迫った以上、共に背負う覚悟があるというのは本音だ。
今のシュヴィアが、背負うべきものだ。
何も悪くないかもしれないヒロインを、兄はどうするだろう。
小説では、実父の罪を暴いたくらいだから、事件とは関わっていないだろう。実父の正体すら知らないはず。
ただし、今はシュヴィアが暴いてしまったから、減刑となるには理由が足りない。
どうにか、兄の重荷を軽く────
「姫殿下」
不意に、扉の向こうからノックと共に聞き慣れた声がして、シュヴィアはびくりと身を竦ませた。
慌てて姿勢を正して、入室を許可する。
「夜分に申し訳ありません」
顔を出したのは、想像通り深紅の瞳を持つ騎士。
首を傾げると、彼は連れてきたらしいアンネを壁側に誘導してから、シュヴィアの足元に膝をついた。
「……例のメイドが、殿下との面会を希望しております」
どくんと、鼓動が跳ねる。
「通常なら応じる必要もありませんが……姫殿下がお気になさるなら、お供いたします」
「行きます」
正直、ヒロインとは面と向かい合ったこともない。話せるなら話してみたい。
自然と口からこぼれた言葉に、本音では断ってほしかったであろうセルジオは、ただ静かに頷いた。
ヒロインとの面会は、人目につかないよう城の裏手にある鐘の塔で叶った。
少しよれたメイド姿でも、美しい顏や儚げな風貌は目を引き、清楚ながら女性らしい嫋やかさに感嘆の息が漏れるほど。
これぞヒロイン。主人公の威力だと、感動すらした。
威圧を与えないように、この場には二人の姿しかない。
胸の前で両手を組んだヒロインは、はらはらと涙を流す。
「私の父は先代の王弟殿下だと……父が罪を犯したと、教えられたの」
ぴくり、シュヴィアの眉が動く。咄嗟に、全身に力を入れた。
「ねえ。あなたならどうにかしてくれるわよね?」
こぼれる雫すら美しいヒロインの引力に、目が離せない。
呼吸が苦しくて、シュヴィアは細い息を吐いた。
「お姫様なら、わかってくれるわよね? 私のことが嫌いなのも、お兄様をとられたくないから……でも、だからって、まさか私に死ねなんて言わないわよね?」
なぜだろう。ぞわりと、鳥肌が立つ。何だろう、この違和感は。
知らず下がろうとした足が、痺れて動きを止める。
「ああ、動けないのよね。あの毒……あなたが飲んだんですものね。ふふ、四肢麻痺の毒だもの。後遺症があるって聞いたわ」
「なにを……」
「矢もね……かっこよかったけど。あれも麻痺毒なのよ。強めの。身体、前より動きにくいんじゃないかしら」
なぜ、毒の種類を知っているの。毒矢については、箝口令が敷かれているはず。
一歩、ヒロインが近づく。柔らかな笑みを浮かべたまま、美しく清らかなまま。
ゆっくりと首を傾げると、絹のような髪が煌めきながら鎖骨を滑る。
「あなた……転生者ね?」




