第6話:不穏な来客と、マウンティングの構造
アルベールの牙城である執務室をハックしたあの日から、一週間。
屋敷の使用人たちの態度は劇的に変わっていた。
ハンスを筆頭に、メイドたちも私の顔を見るたびに
「アリアナ様、本日のお召し物も大変素敵です」
「閣下がアリアナ様の淹れたハーブティーを毎晩楽しみにされております」と、
心からの敬意と親愛を向けてくれるようになったのだ。
主君であるアルベール自身も表向きはまだツンツンと冷淡な態度を装っているものの、
夕食の席で私が「今日もお疲れ様でした」と微笑みかけるとアメジストの瞳をごく微かに和らげるようになっていた。
(よしよし。内堀は完全に埋まったわね)
そう一人で満足していた午後のこと。
公爵邸の静寂を破るように、派手な馬車の音が響き渡った。
「――アリアナ様、大変です」
ハンスが苦渋に満ちた表情で、サロンにいた私の元へ駆け込んできた。
「閣下の叔母上にあたる、ラングザイル子爵夫人がお見えになりました。……アリアナ様が男爵家のご出身であることを理由に、公爵夫人の『教育』と称して定期的に難癖をつけに来られるお方でして……」
(あー、なるほど。WEB小説でいうところの『いびり系親族』ね)
ハンスの口ぶりからして、これまでもアスラン公爵家の人間関係にかき回してきたなかなかの厄介者のようだ。
普通の令嬢なら「公爵家の親族」というだけで萎縮し何を言われても涙を堪えて耐えるしかない立場だ。
「分かったわ、ハンス。応接室へお通しして」
私は鏡で自分の身なりを一度整えると、優雅な足取りで応接室へと向かった。
扉を開けると、そこにはいかにも高価だが悪趣味なほどレースのついたドレスを纏い、扇子をせわしなく仰いでいる中年女性が座っていた。
ラングザイル子爵夫人――マリアだ。
彼女は私が部屋に入ってくるなり、挨拶も待たずに、ねめつけるような視線を頭の先からつま先まで這わせた。
「あら、あなたがブラウ男爵家から這い上がってきた泥泥の小娘ね。
初夜の翌朝、アルベールに早々に寝室を追い出されたと聞いて心配になって来てあげたのよ。
やはり、まともな教育も受けていない下級貴族の娘では公爵家の夜の御伽すら満足に務まらないのかしら?」
部屋の壁際に控えていた若いメイドたちが、ヒッと息を呑むのが分かった。
初対面の挨拶代わりに、これ以上ないほど強烈な言葉のナイフ。
アリアナの『出自』と『初夜の失敗』という一番痛いところを突いて、
精神的な優位に立とうとする明確な攻撃だ。
普通の18歳なら恥辱と悔しさで顔を真っ赤にするか、その場で泣き崩れるシチュエーション。
しかし、私の脳内にあるカウンセラーとしての分析回路は至って冷静に彼女の精神構造をスキャンしていた。
(――なるほど。典型的な『社会的比較理論』の暴走と、自己肯定感の低さを他人の引き下げで補おうとする防衛機制(代償行為)ね)
心理学において、他人に激しいマウンティングを仕掛ける人間というのは、
例外なく「自分自身に強い劣等感や不安を抱えている人間」だ。
彼女は子爵夫人という公爵家よりも下の爵位にいる。
だからこそ、公爵家に嫁いできた「自分より身分の低いはずの男爵令嬢」を徹底的に叩くことで、
「私の方が格上よ」と自尊心を保ちたいのだ。
その肥大化した自己愛の裏には、スカスカの自信しかない。
哀れみすら覚えるほどの分かりやすい心理構造。
「お初にお目に掛かります、マリア叔母様」
私は傷ついた様子など微塵も見せず、
まるで美しい花でも愛でるかのようなこの上なく上品で完璧な淑女の礼を返した。
その動じない態度に、マリアは一瞬、扇子を動かす手を止めて不快そうに眉をひそめる。
「ふん、挨拶だけは教え込まれてきたようね。ですが、アルベールに拒絶されたという事実は変わらないわ。アスラン公爵家の血筋を汚さないためにも、私がみっちりと礼儀作法を叩き直して――」
「マリア叔母様、お優しいのですね」
「……は?」
言葉を遮られたマリアが、呆気にとられたように口を開けた。
「私のような貧乏男爵家の娘のために、わざわざお時間を割いてこれほど熱心に『心配』してくださるなんて。よほど、ご自身の現状に満足されていなくて他人の動向が気になって仕方がおられないのですね」
「なっ……、何を言っているの、あなた!?」
マリアの顔が、一瞬で屈辱に赤く染まっていく。
私はその様子を、優しく包み込むような・・・
――カウンセラーが迷えるクライエントを諭すときのような「聖母の微笑み」で見つめ返した。
ここから、彼女の「認知の歪み」を徹底的に解体してあげる。




