第13話:凍てついた玉座と、無条件の救済
「――今、何と言った?」
皇帝フリードリヒの声から、すべての温度が消え失せた
。
周囲を固める近衛兵たちが一斉に剣の柄に手をかけ、大広間には先ほどのセシリアの時とは比べものにならないほどの、本物の「死の気配」が立ち込める。
アルベールが刹那の間に私の前に立ちはだかり、腰の長剣に手をかけた。
皇帝が指を一本動かせば、この場が血の海と化す緊迫の瞬間。
けれど、私はアルベールの背中にそっと手を添え、優しく微笑みながら再び皇帝の冷徹な視線を受け止めた。
「『お可哀想に』と申し上げたのです、陛下。あなたは、この皇国で最も高い場所にいながら、世界で最も孤独な方だから。」
「不敬であるぞ、男爵令嬢! 俺が孤独だと? この地上ですべてを手に入れ万民を従えるこの俺がか!」
皇帝の端正な顔が、怒りと困惑で歪む。
他者を駒としてしか見ないマキャベリストは、「自分が他者をコントロールできている状態」に依存している。
しかしその裏側にあるのは、「いつか誰かに裏切られ、すべてを奪われるのではないか」という、底知れない原初的な恐怖だ。
「ええ。陛下は、周囲の人間を『役に立つか、立たないか』の道具としてしか見ることができない。
……それはつまり、陛下ご自身もまた、周囲から『皇帝という椅子』としてしか見られていないと、心の奥底で知っているからではありませんか?」
「っ……!」
「誰も信じられないから、周囲を力と恐怖で支配するしかない。誰もあなた自身を無条件で愛してくれないから、アルベール様のように優秀な方を戦場に送り出し手足をもいで縛り付けることでしかその歪んだ寂しさを埋めることができない……。高い玉座の上で、裏切りを恐れて怯え、凍えている小さな子供。それが私の目に見える現在の陛下の姿です。」
アリアナの言葉は、鋭い刃ではない。
あまりにも優しく、暖かく、皇帝が一生をかけてひた隠しにしてきた「魂の虚無」を、そのまま両手で包み込むような、圧倒的な「直面化」だった。
「黙れ……黙れ! 俺を哀れむな!!」
皇帝が激昂し、声を荒らげる。
だが、その瞳に宿っているのは怒りではない。
己の最も醜く、最も救われたかった核心を暴かれた、むき出しの「恐怖」だった。
彼がこれまで築き上げてきた完璧な支配の城壁が、アリアナの「無条件の受容」という光の前に、砂の城のように崩れ落ちていく。
「陛下。もう、誰かを道具にして安心を得ようとするのは、おやめなさいませ。そんなことをしなくても……あなたはただ、そこにいるだけで、すでに十分すぎるほど苦しまれ、生きてこられたのですから。」
私は、一歩も引かずに微笑み続けた。
静寂が、大広間を支配する。
近衛兵たちも、周囲の貴族たちも、皇帝がこれほどまでに感情を剥き出しにし、
そして……言葉を失って震えている姿を、見たことがなかった。
皇帝は、自分の胸元をぎゅっと掴んだまま、狂ったように呼吸を乱していた。
アリアナに罰を下すことすら忘れ、まるで「これ以上この女の前にいたら、自分が自分でなくなってしまう」と恐れるかのようによろめきながら背を向けた。
「……今日の夜会は、これまでだ。俺は、下がる……」
近衛兵たちを引き連れ、逃げるように大広間を去っていく皇帝。
最高権力者のまさかの敗走。
残された貴族たちは、もはやアリアナを「恐ろしい怪物」を見るような目で、平伏せんばかりの勢いで見つめていた。
「アリアナ……」
気がつくと、アルベールが私の両肩を、壊れ物を扱うような手つきで、強く、強く抱きしめていた。
彼のアメジストの瞳からは大粒の涙がひとすじ私の頬へとこぼれ落ちる。
「お前は……お前というやつは……。俺を救うだけでなく、あの化け物のような皇帝の呪いまで、解いてしまうのか……」
彼の声は、歓喜と、畏怖と、そして逃れようのない「狂信的な愛」に震えていた。
自分をずっと道具として苦しめてきた元凶を、目の前の小さな少女が、言葉だけで完全に無力化してしまったのだ。
アルベールにとって、アリアナはもう、単なる愛しい妻ではない。
自分の世界のすべてを塗り替えた、唯一無二の「神の領域」に至る存在だった。
「これで、もう邪魔する人はいませんね、アルベール様。……さあ、おうちに帰りましょう?」
「ああ……お前の言う通りだ、俺の、アリアナ……。」
こうして、王都の社交界を文字通り一瞬で恐怖と心酔の渦に叩き込んだアリアナの、最初の夜会は幕を閉じた。




