第二章 護衛騎士 2
「そういえば、メイさんはどうしてリュリアガに来たんですか?」
ルカがその疑問を口にしたのは、鋼鉄の魔女が電話をかけると言って廊下に出てから五分ほど経ったときだ。メイと無言のまま過ごすのは構わない。しかし当のメイは、どこか退屈そうにしていた。
だから話しかけたのだが……もう少し、いい話題があったんじゃないかと少し後悔する。こんなとき、エヴァンなら面白い話の一つでも振れるだろう。この場にいない親友のことを考えていると、メイは「気になります?」と悪戯っぽく笑った。
そんな顔もするんだ。意外に思いつつルカは「気になります」と頷いた。
「エフィ、わたしを迎えに来たときにフロースとカルロとセシルを気絶させたんです。わたしの部屋にかかっていた精霊術を二つも解除して……。移動中、何回か落下しそうになったんですよ。だからリュリアガで休むことにしたんです」
オルトゥスとゲラタムは千キロ以上離れている。そんな距離を移動すればいくらエフィが守護精霊でも疲れるはずだし、カルロとセシルはともかく、フロースはエフィと同格の守護精霊。彼女を気絶させるだけでも大変だったに違いない。加えて精霊術を二つも解除したとなれば、エフィが疲弊するのも当然だ。
「精霊術って、メイさんの部屋に許可なく入れなくするものですよね。もう一つは……」
「眠りの精霊術です。フロース、よっぽどわたしをフォビドに連れて行きたくないみたいで」
どこか寂しそうな声だった。ルカがかける言葉を探していると、ドアが開いた。
「待たせたな二人とも! 存外、盛り上がってしまったのだよ」
機嫌よく言いながらソファで足を組む鋼鉄の魔女。その手には騎士団の紋章入りのタブレット端末がある。本題に入るときが来たようだ。ルカは少し躊躇ってから口を開いた。
「……フォビドには、何をしに行くんですか?」
途端、肌がひりつき、息をするのさえ躊躇ってしまうような緊張感が部屋を支配した。フォビドが魔力に覆われた理由を探りに行くくらいの気持ちでルカはいたが、明らかに違う。もっと恐ろしいことのために――
「界蝕光」
メイの言葉に、ルカは脳が理解を拒むような、そんな気持ち悪さを感じた。
「フォビドに行くのは界蝕光を封印するため――災厄を起こさないためです」
重々しい声で説明するメイ。ルカは何か言おうとしたが、無意味に口を動かすことしかできなかった。
界蝕光。遠い昔、人間界を滅ぼしかけた災厄の原因だ。
リュリアガは幽界の精霊による被害が大きかったと記録されている。触れただけで、あらゆるものを死へと誘う恐ろしい精霊達。彼等からリュリアガの民を守るためにリュールは不浄祓いの剣を振るったのだ。
泣き叫んでいたリュールの姿がルカの脳裏に浮かぶ。暴走する精霊を消滅させたことをリュールは誰かに――彼女が守った者達に咎められたのかもしれない。そのときのことが、ルカの否定の言葉に重なってしまった。あのときリュールは暴走していたが、それでもルカはかける言葉を間違えてしまったのだ。もっと彼女に寄り添う言葉を言っていれば――
「……鋼鉄の魔女。貴女は、あれが界蝕光だって最初から知っていたんですか?」
「夜中にエフィに叩き起こされてな」
本当に叩いて起こされたのだろう。まだ痛むのか、鋼鉄の魔女は腰の辺りを擦った。
「守護精霊達も界蝕光だって知っていますよ。フロースが連絡してくれて……。あのときリュールがカフェにいたのは、本当に界蝕光なのかをわたしに訊きにきたからなんです」
守護精霊としての自覚を持ってほしい。ルカのその言葉に、リュールは持っているからここに来たと返していた。騒ぎを起こしたのはともかく、彼女は決して遊びに来たわけではなかったのだ。
今すぐリュールに謝りに行きたい。ルカは膝に置いた手を強く握り締めた。
「陛下と騎士団上層部もだな。民衆達は補佐官殿が公式発表した通り、あれを偽光帯だと思っているのだよ。少年、人と話すときは界蝕光と言わないように気をつけたまえ」
一瞬、鋼鉄の魔女が何を言っているのかルカにはわからなかった。会見を開けるまでフロースが回復したのは喜ぶべきことだ。だが彼女は、嘘の説明をした?
「どうして嘘を……」
ルカの呟きに、鋼鉄の魔女は困ったように顎に手を添えた。そんなこともわからないのか。言外にそう示しているのがひしひしと伝わってくる。
「……あれは界蝕光。そう説明されて、人々はどう思う?」
人間界を滅ぼしかけた災厄。その原因となったものが空にあると知れば、不安を感じるだけでは済まない。怯え戸惑い、安全な場所を探す。自棄を起こす者――暴動が起きる可能性だってある。そんなことになるくらいなら、あれは偽光帯なのだと嘘をつく方がマシ。それがフロースの考えなのだろう。きっとそれは、正しい判断だ。
「けど、偽光帯は二日くらいで消えますよ。日付が変わる頃には……」
「……リュールの霊光で偽光帯が強化されて、出現時間が延びた。フロースは、そう説明したんです」
要するに、リュールに泥を被ってもらうということだ。もっともらしいことを盈月狼教団の導師補佐官が言えば、誰もがそれを信じるに違いない。
だが当のリュールは社で眠ったまま。彼女の知らないところで事が運び、挙げ句悪者に仕立て上げられる。ルカは込み上げてくる怒りをどうにか抑えようとしたが、無理だった。
「ふざけないでください! そんな勝手なこと……!」
怒気を含んだルカの声にメイがびくりと震えた。決してメイに向けた言葉ではない。だが怖がらせてしまったのは事実だ。猛烈な後悔がルカに押し寄せ、怒りで生じた熱が急速に冷める。メイも鋼鉄の魔女も、怒りをぶつける相手ではない。
「すみません……」
「気にするな。少年はリュール様と仲がいいのだろう? 怒って当然だ」
だがな、と鋼鉄の魔女は言葉を切る。彼女はじっとルカを見つめた。
「大衆を落ち着かせ、余計な混乱を招かないためには、こうするしかないのだよ。どうかわかってほしい。補佐官殿も苦渋の決断だったはずだ」
「……槍玉に挙げられたのがエフィさんでも、貴女は同じことが言えるんですか」
ふてくされた子供の問いに、魔女は間髪入れずに頷いた。
「もちろんだとも。必要なら汚れ役を引き受ける。それも守護精霊の役目なのだからな」
かつてリュールがリュリアガを守ったときもそうなのだろう。役目だからと不浄祓いの剣を振るい、しかし当時のことは今も彼女を苛んでいる。今回のことだって……。
「全部終わったら、リュールの傍にいてあげてください。リュール、ルカさん達のことを嬉しそうに話していましたから」
「そうなんですか……?」
はい、と微笑みながら頷くメイ。それからメイは、リュールがカフェの照明を激しく明滅させる原因になったのはエフィなのだと教えてくれた。冗談交じりとはいえ、エフィは絆霊者であるルカを我が物にしようとしたらしい。帰り際にルカを見つめてきたのもそれが目的なのだろう。メイの話を聞き終えると、鋼鉄の魔女は眉をひそめた。
「まったくあの子は……。ゲラタムに戻ったら説教をせねばならんな!」
エフィが大人しく説教を受けるとは思えない。途中でどこかに行ってしまいそうだ。メイも同じことを考えたのか「できるの?」と心配そうに訊いている。
「できるとも! まぁ、とにかくだ。少年がリュール様を思って怒ったのは正しいことだ。その優しい気持ちは大切にしたまえよ」
リュールの扱いに完全に納得できたわけではないが、ルカは頷いた。
「ところでメイ。界蝕光を封印する方法はメイに訊けとエフィが言っていたのだが……」
鋼鉄の魔女の問いに、メイはそっと胸に右手を当てた。すると眩い輝きが発生し、メイの手に金色の杖が握られる。美しい装飾が施されており、導師の正装によく似合いそうだとルカは思った。
「シリウスのことは知っていますか?」
かつて世界を救った英雄の名前だ。その名は今も語り継がれており、彼を題材にした絵本や小説、舞台は多い。ルカも学校の行事で観劇したことがある。作中に金色の杖は登場しなかったがルカは頷いた。
「はい。救世の英雄ですよね」
「これがシリウスを導いた霊光なんです。……多分」
小声で付け足すメイ。ルカが観た舞台ではシリウスを導いた霊光は輝く蝶の群れだったし、幼い頃に読んだ絵本ではフォビドまで続く金色の長い縄だった。英雄を導いた霊光がどのようなものだったのか、未だ結論は出ていない。
「綺麗な杖ですね。それで界蝕光を封印するんですか?」
「はい。フォビド頂上の湖には塔があるんです。その屋上に杖を突き刺せばいいはずだってエフィは言っていました」
フォビドに塔があるなんてルカは聞いたことがない。鋼鉄の魔女も知らなかったのか、彼女は片眉を上げた。
「塔……? そんなものはなかったが……」
言いながら鋼鉄の魔女はタブレットを操作する。テーブルに置かれたそれは、少し画質の悪い映像を流した。鬱蒼と木々が茂る場所だ。ゲラタム近くの森かとルカが思ったところで看板らしきものが映り、そこには山頂までの距離が書かれている。
「これって……」
「フォビドだ。古い登山誌は残っているが、二十年も整備されていないのだからな。状況を見るために、偵察魔具に撮らせてきたのだよ」
偵察魔具は自律型のものが多い。鋼鉄の魔女がフォビドに向かわせたドローン達もそうだろう。だが鋼鉄の魔女が言ったように、フォビドは整備も何もされていない閉ざされた場所だ。設定できる飛行ルートがあるとは思えず、あったとしても魔力に汚染された木をじっくり写したり、魔獣の周りを飛んだりするとは考えられない。鋼鉄の魔女が魔力を通して偵察魔具と意識を繋いでいるのは明らかだ。便利だが、魔眼と同じくらい危険な魔法だとメリナが話していたのをルカは覚えている。
流石は魔女。ルカが感心して鋼鉄の魔女を見ると、彼女はどこか暗い顔をしていた。そのことを疑問に思いながらルカが画面に目を向け直すと、不意に映像が途切れた。暗転したのは一瞬。しかし先程とはまったく別の場所を映している。かと思えばまた映像が切り替わった。
「……気をつけてはいたが、一機残らず魔獣に破壊されてしまってな」
それで暗い顔をしていたのかとルカは納得する。メイが悔いるように口を開いた。
「……ごめんなさい。わたしがゲラタムに着くまで待ってもらうべきだったね。そしたら、加護をかけられたのに」
「気にするな。加護は不要だと言ったのは私なのだからな!」
「でもドローン型の魔具って高いよね? 警備魔具が壊れるとフロースが頭抱えてるし」
精霊が遊んで壊してしまうことがあるらしい。盈月狼教団がお金に困っているとは思えないが、余計な出費を出したくないのはどこの組織も同じだ。それが恐らくは頻繁に起きている。あのフロースでも頭を抱えたくなるだろう。
「我が支部には潤沢な資金があるから大丈夫だともッ!」
『ああああああ私の可愛い魔具ちゃんがああああああ!』
鋼鉄の魔女がドヤ顔を浮かべるのと、タブレットから彼女の情けない悲鳴が聞こえたのは同時だった。ルカとメイの視線を受けると、魔女は気まずそうに顔を逸らした。
高いとか安いとか関係なく、鋼鉄の魔女は魔具の発案者。時間があれば工場で魔具作りに没頭していると聞くし、そんな彼女にとって魔具は大切なものに違いない。壊されたときの動揺が伝わったのか、映像が上下左右に激しく揺れた。
数秒かけて画面は落ち着き、残った一機が湖の傍を通る。確かに塔はない。岩のような塊がいくつか顔を覗かせているだけだ。
「湖の中にいるのかな?」
小首を傾げて呟くメイ。聖域と呼ばれる場所には普段は隠れているものが存在する。一番有名なのは、盈月狼教団本部前広場の精霊達の彫像だ。盈月祭の間だけ姿を見せる彼等のように、フォビドの塔も普段は隠れているのかもしれない。
「精霊に反応するのかもしれませんね。今のフォビドって、精霊がいないんですよね? だから隠れてるのかも」
ルカの声を掻き消すような咆哮がタブレットから聞こえた。山道を飛ぶ偵察魔具が身を翻し、何かがその翼を破壊する。落下し、ひっくり返った偵察魔具が捉えたのは鋭い牙を持つ大型魔獣だ。赤い目を輝かせる獣の前足が偵察魔具を踏み潰し、映像はそこで切れた。
「……見ての通り、フォビドは自然豊かな場所だ」
魔具を破壊されたショックは抜けきらないものの、鋼鉄の魔女の口調はしっかりしている。一応持ってきたという登山雑誌を開いて映像と比較すると、あるはずの道が木々に侵蝕されていた。自然に戻った、とも言えるだろう。
「少年よ、山での訓練は受けたな?」
秋の山で半月間過ごすものだ。死なないように教官達が見てくれていたが、あれは二度と経験したくない辛い訓練の一つ。少し嫌な気持ちになりつつルカは頷いた。
「当時のことを思い出せ。あの山もほとんど自然の状態だっただろう?」
「………………そうでしたっけ?」
「ルカさん大丈夫ですか? なんだか、顔色が悪くなってますけど……。鋼鉄の魔女、それってどんな訓練なの?」
「心と体を鍛え、仲間との絆を育む訓練なのだよ」
嘘は言っていない。ルカは確かめるように見つめてくるメイに小さく頷いた。
「魔獣を倒しながら塔に向かい、メイが界蝕光を封印する。実にシンプルな作戦……どうした少年。随分と難しい顔をしているな」
「すみません。あの、気になることが二つあって」
少し躊躇ってから、ルカはメイを見た。
「……精霊王や、精霊界にいる精霊達は今回のことをどう思っているんでしょうか?」
精霊界と人間界は境界で隔てられ、霊光帯が出現したときにだけ繋がる。今起きているのはそのルールを覆す界蝕光というものが出現し、あまつさえ人間界を滅ぼすかもしれないという非常事態だ。精霊界にいる精霊、特にメイの父親である精霊王がこの事態を静観するとは考えにくく、彼等の助力が得られたらとルカは考えているのだが――
「人間界の危機は人間界で対処するべき。それが精霊界の総意です。冷たいって思うかもしれませんけど……人間界の精霊達を信頼してくれている証でもあると、わたしは思います」
メイの声は毅然としている。腑に落ちないところはあるが、精霊王の娘であるメイがそう言った以上、これ以上とやかく言うことはできない。ルカは頷き、今度は鋼鉄の魔女を見た。
「フォビドの魔獣、どう思います?」
魔獣は凶暴なだけではなく、知能が高く狡猾な生き物だ。徒党を組んで連携を取り、魔力を操る個体も珍しくない。一番厄介なのは、人の言葉を使う魔獣だ。ルカはその声に騙されたことが何度かある。助けを求める悲痛な声、それも子供の声だったのだ。養成学校で散々教わり、こんな場所に子供がいるはずがないとわかっていても、良心と呼ぶべきものを刺激する声を無視することはできなかった。
そして、長く生きる魔獣ほど力を身につける。フォビドが閉ざされて二十年。化け物と呼ぶに相応しい進化を遂げているはずだ。
「私の偵察魔具をすべて破壊するような魔獣共だ。とてつもなく厄介だろうな」
忌々しげに吐き捨てると、一転して鋼鉄の魔女は頼もしい笑みを浮かべた。
「だが、フォビドには我々だけで行くわけではない。そう気負うな、少年。メイ、君もだ」
話を振られるとは思わなかったらしい。メイはきょとんとし、それから頷いた。
「ありがとう、鋼鉄の魔女。頼りにしてるよ」
「その言葉は、君の騎士にこそ言うべきだな」
金の双眸がルカを見つめる。メイの手にある金杖が霊光粒子となって彼女に戻った。
「もちろん、ルカさんのことも頼りにしていますよ」
陽だまりのように微笑みながらメイはルカの両手を握る。突然のことにルカはどうしていいかわからず、しかし心が軽くなるのを感じた。それと同時に、メイの信頼に応えなければという強い思いが湧く。ルカはメイの手を握り返し、彼女の金瞳を真っ直ぐ見つめた。
メイは抵抗することなく微笑んだまま。嬉しいような、くすぐったいような気持ちになり、ルカは照れ笑いを浮かべた。そのまま見つめ合っていると多幸感に満たされ、そこではたと気づく。これでは、まるで――
「こほん」
わざとらしい咳払いをしたのは鋼鉄の魔女。ルカは慌ててメイの手を離した。
「そういうのは、私がいないときにやりたまえ」
「すみません……」
「ごめんなさい……」
二人揃ってしゅんとする。鋼鉄の魔女は愉快そうに笑った。




