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ネクサス・メモリア  作者: 境守凛
第二章 護衛騎士
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第二章 護衛騎士 1

 くすぐったさを感じてルカは目を開けた。汚れ一つない白い天井、微かに聞こえる鳥の囀り。霊光(マナ)を感じて窓の方を向くと、風に揺れるカーテンの隙間からこちらを覗く精霊達が見えた。彼等はルカと目が合うと「きゃー!」とか「こっち見てくれた!」とか興奮気味にはしゃいでいる。それを疑問に思いつつ、ルカは顔の横に手を伸ばした。


 白緑色のリボンをつけた、白い鳥のぬいぐるみ。これは刃風会が経営するホテル、ヴェラミナが宿泊客にプレゼントしているものだ。ヒナギクの子供達が欲しいとねだっており、しかしヴェラミナは高級ホテル。簡単に泊まれる場所ではなく、ルカにも無縁の場所だ。


 そのヴェラミナに、ルカはいる。困惑しながらもルカは体を起こし、ベッド横に丁寧に揃えられたルームスリッパを履く。ドアを開けると、広いリビングルームがルカを迎えた。


 見るからに高そうな家具達を横目に、ルカは壁をまるごとくり抜いたような窓に近づく。見慣れたはずのハズモフィの街並みは、高層階のせいかいつもと違うようにルカには見えた。


 青空には相変わらず偽光帯(ファクティス)がいる。心なしか、昨日より眩しい気がした。


「ねぇねぇ、ルカ!」


 寝室側から移動した精霊達の一人が窓の外から名前を呼んでくる。風の精霊と、その腕に抱えられているのは地の精霊だ。どこかモグラに似ている彼は小さな手足を懸命に振り、ふさふさの尻尾をぶんぶんと動かしている。


 ルカは絆霊者(ネクサス)だ。街中で精霊に名前を呼ばれたり手を振られたりすることは珍しくない。だが、今の精霊達がルカを見る目はいつものそれと少し違う。有名人に出会ったかのような熱烈な反応だ。リュールのように親しい精霊ならともかく――


「あ、目が覚めたんですね」


 美しく澄んだ声に振り向く。白銀の髪と金色の瞳を持つ少女が、ドアの前に立っていた。


「おはようございます、ルカさん」


 優しく微笑む少女。途端、意識を失う前の出来事がルカの脳裏に鮮明に蘇った。


 少女の柔らかな唇の感触と、濃密な血の香り。そして少女が口にした、気高き獣の称号。


 彼女にそっくりな半精霊(ハーフェ)か、実は姉妹がいるのかも。などとルカは考えていたのだが、あの称号を本人以外が口にするとは思えない。騙る者がいるとしたら、よほどの命知らずだ。


 ルカは少女の前に跪いた。彼女はルカのような一介の騎士が近づいていい相手ではない。声が震えないことを祈りながらルカは口を動かした。


「おはようございます、メイ様」


 創世の獣を継ぐ者、メイ・シュテルクローネ。盈月狼(ルナ・ルプス)教団の導師だ。


 導師の座は世襲制だが、その力は三百年ほどで失われる。先代の子孫に導師の力は継がれないと判断され、次期導師として精霊王に作り出されたのがメイという半精霊だ。


 十歳で導師の座に就き、補佐官のフロースに支えられながら多忙な日々を送っているはずの少女。そんなメイがオルトゥスの外に――同じ部屋にいることがルカには信じられない。昨日の出来事も含めて長い夢を見ていると考えた方が現実的だ。


 だがルカの体を巡る霊光は熱く滾り、ルカ自身、畏怖以上に嬉しさを感じている。希少種である半精霊、それも導師がすぐ傍にいる喜びだ。この感情が夢であるはずがない。


 当然、あの恐ろしい出来事――暴走したリュールによる惨状を目の当たりにしたことも。


「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。気軽にメイって呼んでください」


 どこか期待するような眼差しをメイはルカに向けている。その期待にルカはもちろん応えたいが、本人が望んでいるとはいえ導師を呼び捨てにするなんてルカにはできない。


「えっと……メイ、さん」


 躊躇いながら名前を呼ぶ。少し不満そうにしたものの、メイはふにゃりと笑った。


 こうしていると、メイは街にいる同年代の少女達と何ら変わりない。カフェで見たときもメイは自然と周囲に馴染んでいた。ニュースや紙面で見るメイは凛とした、言ってしまえば近寄りがたい雰囲気を感じる佇まいをしているが、これが本来のメイなのだろう。


「ルカさんを見守ってくれていたの? ありがとう」


 と、窓に貼り付く勢いでこちらを見る精霊達にメイが微笑む。彼等は照れ笑いを浮かべると、もう一度ルカに手を振って静かに姿を消した。


「そろそろ立ちませんか?」


 前屈みになったメイがそっと手を差し出してくる。本当に触っていいのかという躊躇いはあったが、メイの厚意を無下にするなんてルカにはできない。こそばゆい気持ちを押し隠し、ルカはメイの手を取った。


 メイの手は小さくて柔らかくて、しかしルカを引き上げるその手からは強い霊光を感じる。本当に半分精霊なんだなと思いつつ、ルカはメイに促されるままソファに座った。


「どうぞ」


 メイが差し出してきたのは冷蔵庫から取り出したペットボトルだ。お礼を言って受け取り、ルカは早速キャップを開けた。冷たい水が喉を潤し、緊張が少しだけ解れる。隣にメイが座っていなかったら、大きく息を吐いているところだ。


「体の調子はどうですか? どこか痛いところは……」


 不安げに問うメイ。メイが絆霊者の代償を知らないはずがないが、彼女が気にしているのはそれだけではないだろう。ないはずの香りが口の中に蘇ったような気がして、ルカはメイの血を飲んだときのことを思い起こした。あのときルカが感じたのは、代償による不調を上書きするほどの激痛と気持ち悪さだ。体を作り変えられるような、そんな不気味な感覚だったのをよく覚えている。メイはそのことを知っているのだろう。不安を湛えた金瞳はともすれば涙をこぼしてしまいそうだ。これ以上メイを心配させないためにルカは笑ってみせた。


「大丈夫。どこも痛くありませんよ」

「本当に……? 確認してもいいですか?」


 手か額に触れて体の状態を看るのだろう。ルカが頷いたのはそう考えたからだ。


 だが――メイの手は、ルカのシャツに潜り込んできた。


「――ッ!?」


 予想外のことにルカの体は強張り、持ったままのペットボトルがぐしゃりと音を立てる。咄嗟に後退りするがソファの上に逃げ場はない。すぐに背もたれにぶつかった。


「ごめんなさい。ちょっとだけ、じっとしてくださいね」


 心底申し訳なさそうに謝るメイ。自分の行動が恥ずかしくなり、ルカはこくりと頷いた。


 メイの手が胸板に触れる。すると温かな霊光が体に浸透し、ゆっくりと全身を巡り始めた。痛くはないが、少しくすぐったい。ルカは身じろぎしそうになるのを必死に堪えた。


「……うん。大丈夫ですね。けど、どこか痛くなったりしたらすぐに言ってくださいね。エフィも心配していましたよ。あの絆霊者、いつか精霊庇って死にそうだって」


 エフィ。ルカ達を守って体を崩壊させた風の精霊の名だ。社に戻されただけだとメイは言っていたが、それほど危険な状態だったということだ。メイの口ぶりからして、エフィは話せるまで回復したのだろう。ルカは安堵を覚えた。


「エフィさん、無事なんですね……! よかった……」

「はい。もうすっかり元気ですよ。守護精霊だから、他の精霊より回復が早いんです」


 エフィという名の風の精霊は複数いるが、守護精霊を冠しているのは一人だけ。守護領域は王国に属する城郭都市ゲラタム。リュリアガから車で二時間ほどの場所だ。


 エフィがゲラタムを離れていた理由は気になるが、ルカには先にするべきことがある。


「助けてくれたお礼を言いたいんですけど、エフィさんに会うことってできますか?」

「ちょっと難しいですね……。あ、手紙を書きませんか? エフィ、きっと喜びますよ」


 メイの言葉にルカはどこか違和感を覚えたが、エフィは守護精霊。リュールのように気軽に会える方が珍しいのだ。ルカは頷き、それからずっと気になっていることを訊く。


「どうして僕はヴェラミナに? あの街はどうなったんですか?」


 破壊の限りを尽くされた街の惨状はルカの目に焼き付いている。今頃騎士達が復旧作業に当たっているはずだし、エヴァンとメリナも心配だ。そんな状況で、ルカだけがお高いホテルにいるわけにはいかない。ルカの疑問に、返事代わりなのかメイはテレビを点けた。ニュース番組では昨日のことが取り上げられており、貼り付けたような真剣な顔のレポーターが現場を歩いている。だが――


「……何が起きたんですか、これ」


 街路に植えられた木々が秋色を茂らせ、鮮やかな葉が風に舞っていた。綺麗に舗装された道路を騎士に誘導されながら車が進み、魔法使いが点検している防犯魔具が魔力障壁を展開させている。立ち並ぶ建物はどれもかつての姿を取り戻していた。


 気絶する前に見た景色と違う。ルカが愕然していると中継が切り替わり、最初にリュールが大暴れした植物園が映った。あれだけ強力な霊光が放たれていたのに花畑や背の高い木々、ガラス天井に傷は一つもない。それどころか、この時季に咲かない花まで咲いていた。


 次に映ったのはリュールの社。だが、いつもと違って強力な結界が張られているらしい。こぢんまりとした一軒家からかなり離れたところにレポーターは立っていた。カーテンはすべて閉められ、リュール様とレポーターが呼びかけるが、やはり返事はなかった。


 精霊研究家を名乗る男性が出たところでメイはテレビを消す。彼女は気まずそうな目をルカに向けた。


「……わたしと契約したこと、覚えていますか?」

「はい。リュールさんを止めるために契約したんですよね」


 精霊や半精霊と契約すると彼等は精霊界と繋がり、そして膨大な霊光を得る。熱く、そして温かい霊光はあの一帯を侵蝕し、リュールの霊光を余すことなく喰らい尽くしていた。


 鳴動――いつまでも鳴り止まない歓声と拍手のようにルカには聞こえた――する世界と黄金色の霊光の衝撃は一生忘れられそうにない。思い出しただけで鳥肌が立つほどだ。


 ふとルカは、熱烈な反応を向けてきた精霊達の様子を思い出した。彼等はメイとルカが契約したことを知っているのだろう。そう考えればあの反応にも納得がいく。精霊や半精霊が人間と契約することは滅多にないのだ。


「あのあと、わたしの霊光が道路や建物を直したんです」


 霊光はあらゆるものに影響を与える。壊れたものを直すなど造作もないだろう。精霊王の血を継ぐメイなら尚更だ。流石導師とルカは感心したが、同時に不安も感じた。


「すごいですね。けどそれ、メイさんの負担になったりは……」

「大丈夫。なんともありませんよ。みなさんを驚かせてしまいましたけど……」


 少し決まり悪そうに呟くメイ。何ヶ月もかけて直すようなものを一日とかからずに直したのだから、そんな反応をされてもおかしくはない。ルカもその場にいたら驚いたはずだ。


「けど、みんな感謝してるはずですよ」


 しょんぼりしているメイを励ます。メイは小さく頷いた。


「リュールさんは? 社に戻されたって言ってましたけど……」

「まだ眠っているみたいです」


 それなら、あの結界は誰が。疑問と同時にルカの脳裏に姉弟精霊の顔が浮かんだ。


「社の結界は、クレアとクレルが?」

「はい。すごいんですよ、あの子達。まだ生まれてちょっとしか経ってないのに、あんなに強い結界を張って。リュールが起きるまで傍にいるんだって、張り切ってました」


 そう説明したメイはどこか嬉しそうだ。きっとクレアとクレル以外の精霊はリュールを怖がって彼女を守ろうとしなかったのだろう。ルカは頬が緩むのを感じた。少し我が儘だが、あの姉弟精霊はとてもいい子達だ。


 それからメイは、エヴァンとメリナが無事なことも教えてくれた。ルカはほっと安堵の息を吐き、ふとスーツ二人組のことを思い出す。兇血獣(ブルート)を見ると不愉快な気分になるが、死んでほしいわけではない。少しくらい心配する気持ちはルカにだってある。するとそれが表情に出ていたのか、メイは「カルロとセシルも無事です」と口にした。とても、優しい声だった。


 あの兇血獣達はメイの護衛なのだろう。彼等の無事をメイが喜ぶのは当たり前のことで、しかしルカはもやもやとした感情が渦巻くのを感じた。同時に、そんな感情を持ってしまった自分に嫌悪も感じる。そんなルカを不思議そうに見つめつつ、メイは説明を続けた。


「ルカさんをヴェラミナに連れて来たのは契約の状態を見るためです。拒否反応が出ることもあるので……。あ、支部長さんの許可はちゃんといただきましたよ」


 導師の頼みを断れる者などそうそういない。とはいえ仮にメイが導師ではなく普通の精霊や半精霊、人間だったとしても正当な理由がある。支部長は許可を出していたはずだ。


「ルカさんを巻き込んで――利用して、本当にごめんなさい」


 深く頭を下げるメイ。ルカが「気にしてませんよ」と言うも、メイは首を横に振った。


「全部、わたしがリュリアガに来たせいで起きたことですから。正式な謝罪は後日改めてさせていただきます。契約、痛かったでしょう? 契約破棄は痛くないはずですから」


 契約破棄。その言葉に驚いて何も言えずにいるルカに、メイは優しく微笑んだ。


「一日だけじゃ満足できないかもしれませんけど、せめてものお詫びにヴェラミナでゆっくり過ごしてください。お金はわたしが払うので心配しなくていいですよ。支部長さんにも連絡しておきますから」


 少し早口で説明するメイは、さっさと契約破棄をしたがっているようだ。そっと伸びてきた手を避け、ルカは抗議の声を上げる。


「待ってください! 契約破棄なんて、そんなこと……!」

「……わたしとの契約を続けたいと?」


 それが意味することを問う声だった。メイの雰囲気がどこにでもいる少女から遠く離れた存在である導師のものへと変わり、ルカの背筋に汗が伝う。自惚れるなと怒鳴られてもおかしくないことをルカは言ってしまったのだ。


 メイとの――導師との契約は護衛騎士になることを示す。ルカがずっと憧れ続けている名誉ある称号だ。リュールを止めたついでに続けられるものではない。衛士となって功績を残し、導師と補佐官に認められる。そうして初めて得られる称号なのだ。だが――


「……護衛騎士になるために、僕は騎士になりました」


 気づけば勝手に口が動いていた。今を逃せば、ルカがメイの護衛騎士になることは一生ない。次の機会などと言っているうちに、あの兇血獣達のどちらかがその任に就く。それで護衛騎士の席は埋まってしまうだろう。焦りと不安、そして嫉妬が綯い交ぜになった衝動に突き動かされるままルカは言葉を紡いだ。


「小さい頃、メイさんに助けてもらったことがあります」

「ルカさんを……?」


 怪訝に眉をひそめるメイ。幼いメイにルカを助けたつもりなんてないはずだ。記憶から消えていてもおかしくない。メイの反応は当然のものだが、ルカは構わず続けた。


「あのときの恩返しをしたいんです。わざわざオルトゥスを出たのって、何か理由があるからですよね? 僕に手伝わせてください。契約は、その間だけでも構いません」

「っ、……ルカさんには、関係のないことです」


 手首を掴まれる。抵抗しようにもメイの力は強く、魅了の精霊術までかけられ――


「その契約破棄、ちょっと待った!」


 部屋のドアが勢いよく開き、溌剌とした声が響いた。メイも予想外だったのか霊光が霧散して精霊術が解ける。その隙にルカはメイの手から逃れた。


 闖入者を見る。ルカの視線を受けた人物は、わざとらしく両手を挙げた。


「おっとすまん! 私としたことが、ノックを忘れてしまった!」


 騎士服を着た女性だ。背はルカより少し高く、束ねた髪はキャラメル色。赤い糸で瞼を縫い合わせ、首に魔力抑制装置をつけた女性をルカは知っている。魔具の開発者であり、本人の意思とは関係なく発動してしまう魔眼――目に魔力を宿らせる魔法だ――を封じるために眼球を摘出した魔女。その名は、


「鋼鉄の魔女……!? どうして貴女がリュリアガに……」


 驚くルカに、ゲラタム支部の長でもある魔女は「うむ!」と勢いよく頷いた。


「急ぎの用があってな! あとで少年にも教えてやろう!」


 スリッパに履き替えながら説明すると、鋼鉄の魔女は大股でこちらに近づいてくる。その動きに迷いはない。彼女は魔力を使って物体や人の位置、更には感情まで把握しているそうだ。本人曰く「両目があった頃より見えている」らしい。ルカから見て右側のソファにどっかと腰を下ろすと、閉じた目がルカを見つめた。


「エフィに聞いていたが……。いい目をしているな、少年!」


 気軽に呼び捨てにする辺り、エフィと親しい関係なのだろう。ルカが「恐縮です」と返答すると、満足そうに頷いた鋼鉄の魔女はメイを向いた。 


「メイ、何故遠慮する? この少年は絆霊者だ。素晴らしい助っ人ではないか!」


 導師相手とは思えない態度になんでこんなに馴れ馴れしいんだろとルカは疑問を抱いたが、エフィが二人の橋渡し役になった可能性は大いにある。そんなことを考えながらルカはメイを見つめた。彼女はすっかり気勢を削がれた様子で俯き、膝の上に置いた手は強く握られている。先程のように精霊術をかけられることはないだろう。


「……これ以上、ルカさんを巻き込みたくないんです」


 消え入るような声で呟くメイ。ルカは思わず口を開いた。


「メイさんのためなら、僕はどんなことでもします。貴女の役に立ちたいんです」

「……わたしのために死ねると?」


 導師は命を狙われる立場にいる。精霊を崇める者がいれば嫌う者もいるし、盈月狼の立場を妬む者もいるのだ。そういった者達から身を挺して導師を守るのが衛士であり、彼等が怪我をすることも命を落とすことも珍しくない。


 死ぬのは怖いが……それでメイを守れるのなら本望だ。ルカは頷いた。


「もちろんです」

「簡単に答えないでください」


 声を荒げこそしないが、メイの声は怒っていた。ルカが反射的に謝ろうとすると、「ところで少年よ」と鋼鉄の魔女が割って入ってくる。


「ルカ・グリントです」


 少年と呼ばれるのは落ち着かない。だからルカは名乗ったのに、鋼鉄の魔女は「少年は少年だ」とにっこり笑うだけだった。


「君、メイに助けられたことがあると言っていたな?」

「え、なんで知ってるんですか?」

「私は耳もいいのでな」


 要は立ち聞きをしていたということだ。褒められたものではないが、聞かれて困る話をしていたわけではない。ルカは曖昧に頷いた。


「少年よ。当時のことを我々に聞かせてはくれないか?」

「いいですけど……」


 メイを見る。彼女はこくりと頷いた。


「僕が六歳のときですね。盈月祭(えいげつさい)の最終日に、施設のみんなでオルトゥスに行ったんです」


 少しでもメイに自分のことを知ってもらいたい。心のどこかでそう思ってしまった。施設の、は余計だったとルカは少しばかり後悔する。


 だがメイは施設という言葉に僅かに反応したものの、ルカが続きを話すのを待ってくれている。鋼鉄の魔女に至っては少しも気にしている様子がない。気持ちを切り替え、ルカは十年以上前の、しかし鮮やかに残る記憶をそっと呼び起こした。





 盈月祭(えいげつさい)最終日、オルトゥスは世界中の人間が集まったと思うくらい混雑していた。一番盛り上がる日だから当然なのだが、風邪をひいて施設に――正確に言えば、隣接する施設長夫婦の家に――残ったエヴァンを羨ましく思ったのを覚えている。はぐれないように引率の職員と手を繋いだままというのも、どこか気恥ずかしかった。


 だが露店でお菓子を買ってもらったり、大道芸や手品を見たりとしているうちにルカはお祭りを楽しめるようになっていた。一緒に来た子供達もそうだ。人混みに気後れしていたのに、みんな次第に次はあれが見たいこれが欲しいと言って職員を困らせていた。


 いつもなら我慢してねと言われそうなものだが……この日ばかりは、ちょっとだけ厳しい職員達も優しかった。その代わり、教団本部前の広場で幼い子供達にはよくわからない、そして興味のない難しい話を聞くことになったが。


 盈月祭の最後を締めくくる花火が上がるのは午後十一時頃。職員同伴とはいえ、そんな時間まで子供達が外にいることはできない。日暮れ前にはホテルに戻ることになり、駄々を捏ねる子供達を職員達が必死に説得した。


 そのときだ。ルカの紺碧色の瞳が、ちくりと痛んだのは。


 風が吹いてゴミが入ったのかな。そうと思って目を擦り、心配した職員に大丈夫だよと答えたルカは、目に見えるものが増えていることに気づいた。


 ちかちかと光る小さな物体と、角や羽を生やした人。もこもこした丸っこい動物もいた。


 あれも手品なのかな。幼いルカは小首を傾げ、ふと啜り泣きが聞こえて振り向いた。


 長い金髪の女性が泣きながら歩いている。その姿を見た途端、ルカの足は勝手に動いた。慌てた様子の職員と子供達に呼ばれたが、泣いている女性を放っておくことはできない。一緒に来た人……もしかすると、子供とはぐれてしまったのかもしれないのだ。


 人混み、そして体格差もあって女性はどんどん遠くへ行ってしまう。ルカは女性を見失わないように必死に走った。周りの人達があの女性に声をかけてくれることを期待したが、楽しそうに笑う彼等は女性に見向きもしない。そのことにルカはむっとし、使命感のようなもの覚えながら綺麗な金髪を追いかけた。


 満開の桜並木を通り抜けると賑やかな音が遠退き、やがて誰もいない公園にルカは辿り着く。女性はブランコに座って泣いていた。ルカは息を切らしながら女性に近づこうとし――全身に走った悪寒に身震いした。走って疲れたからではない。あんなに助けたいと思っていた女性から、急に恐ろしい気配を感じたからだ。ルカが立ち竦んでいると泣いている女性の体がちかっと光り――眩い光輪と光翼が、出現した。


 光の精霊様は、きらきら光る綺麗な輪っかと翼を持っているんだよ。職員の一人がそう言っていたのをルカは覚えている。私達が暮らすリュリアガは光の精霊様に守られているから感謝しようねと言っていたことも。職員の言葉がルカの頭の中でぐるぐると回り、精霊様は見えないんだけどねという残念そうな声がうるさく響く。じゃあなんで僕には見えているんだろうという疑問が気持ち悪さに変わった。


 正体不明の感情がルカを支配する。それが弾けると、ルカの細い喉から悲鳴がこぼれた。


 悲鳴に驚いた女性が泣き腫らした瞳を向ける。その色に、ルカはへたり込んでしまった。


 金色。


 精霊様だけの、特別な色。


 早く立たないと怒られる。精霊様は人間なんかより偉くて凄い存在だから失礼なことをしてはいけない。だがルカの体は震えるばかりで立つことも謝ることもできない。涙は止まらず、だんだん息をするのが苦しくなってきた。


「見えてるの……?」


 女性が――光の精霊が問う。ルカは頷きたかったが、何もできなかった。


「……絆霊者(ネクサス)って、ほんとにいるんだ」


 女性の言葉の意味がわからない。だが公園に一人また一人と精霊が近づき、ルカを取り囲んでいるという恐ろしい状況であることはわかった。


「えっ、絆霊者!?」

「僥倖僥倖……。はて? 絆霊者に会うのはいつぶりかの?」

「百年ぶりじゃないかな? エフィ、君は正しい年数を知っているかい?」

「知らないよ……って、リュールお前まだ泣いてんの? 昔のことは気にするなって、ぼく言ったよね」


 無数の声が響く。耳を塞いでも精霊達の声は聞こえ、ルカは体を縮こまらせた。


 助けてと叫びたいが声は出ず、叫んだところで誰か来てくれるとは思えない。みんな楽しいお祭りに夢中だ。街の端っこにある公園になんて、誰も――


「なにしてるの?」


 喧噪の中、その声は美しく澄んで聞こえた。それまで騒がしかった精霊達が一斉に静かになり、光の精霊をなだめていた羽の生えた精霊が「メイ?」と不思議そうに呟く。


 精霊達を掻き分けて一人の女の子が出てくる。カチューシャみたいに編み込んだ白銀の髪に、金色の綺麗な瞳。白い服は着ていると言うより、着せられているようだった。


 女の子と目が合う。彼女はルカを不思議そうに見つめたが、それだけだった。


「部屋から出るなってフロースに言われてたんじゃないの?」

「だってつまんないんだもん!」


 不満たっぷりに訴える女の子。誰かが困ったように笑うのが聞こえた。


 また別の気配が近づいてくる。精霊に囲まれているためルカには何も見えない。だがなんとなく人間のように感じた。しかも慌てている。きっと女の子を探しに来たのだろう。


「あ、見つかっちゃった……。ねぇエフィ。わたし怒られるかな……?」

「そりゃそうでしょ。明日はおやつ抜きかもね」

「うぅ……。お説教のとき、一緒にいてくれる……?」

「はいはい。ほら、行くよ」


 精霊達が女の子の後を追う。ルカをじっと見つめていた光の精霊も、他の精霊に腕を引っ張られて去って行った。


 息苦しさが消えて涙が止まる。ルカは座ったまま周囲を見渡してみた。


 ちかちかと輝いているのは霊光(マナ)。抜け出せなくなったのか、建物の隙間でもこもこした精霊が後ろ足をばたばたさせている。空を見上げると羽の生えた精霊が飛んでおり、彼等はルカに気づくと気さくに手を振ってきた。


 見えないはずの精霊、そして霊光が見える。それを絆霊者というらしい。幼いながらに理解したルカは、警備員と一緒に駆け寄ってきた職員に気づけなかった。怒られたことも抱き締められたことも他人事のように感じながら、ただ先程の出来事をぼんやりと思い出す。


 もし、あの女の子がここに来ていなかったら。忘れたはずの恐怖が蘇り、ルカは職員にしがみついて大声で泣いた。


 盈月祭から数週間後。助けてくれた女の子が次期導師であることを知ったルカは、騎士養成学校に入学することを決意した。


 いつか護衛騎士になって、恩を返すために。





「……確かにあの日、男の子に会った記憶はあります」


 ルカの話を聞き終えてそう口にしたメイに、ルカは思わず身を乗り出しそうになった。


「けどわたし、ルカさんを助けたわけじゃ……。エフィ達が公園に集まってるのが気になっただけなんです。お祭りなのに何してるのかなって」

「それでも、僕は助けられたんです。メイさん。あの日、僕を助けてくれて本当にありがとうございました」


 ルカは姿勢を正してメイに頭を下げた。契約が続くと決まったわけではない。それでも今までの苦労が報われたように感じられ、心につかえていたものが消える。手紙を送ることも考えたが、やはりこの言葉は直接メイに伝えたかった。


「少年が護衛騎士を志したのは、そういう理由だったのだな」

「おかしいでしょうか……?」


 ルカが顔を上げて訊くと、鋼鉄の魔女は「まさか!」と即座に否定した。


「少年、君の一途さは驚嘆に値する。なぁ、メイ!」


 同意を求めるようにメイの名を呼ぶ鋼鉄の魔女。メイは躊躇いがちに口を開いた。


「……希少種同士は惹かれ合うことが多いんです。ルカさんが護衛騎士になりたいって思ったのは、無意識下に抱いた絆霊者(ネクサス)の本能なのかもしれませんよ」


 ルカの意思ではないかもしれないと、メイはそう言いたいのだろう。確かに絆霊者でなければ光の精霊――リュールは見えず、当然精霊に囲まれることもない。メイが次期導師であると公表されるまで、その存在を知らずにいたはずだ。


 だが、メイの導師就任式は絆霊者でなくとも見ていたと断言できる。当時はあらゆる媒体で半精霊(ハーフェ)の次期導師について取り上げられており、施設の職員にも信徒がいる。この日はみんなで就任式の中継を見よう。就任式の一ヶ月も前にそう言うほどの、熱心な信徒達だ。


 アニメがいいと嫌がる子もいたが、導師の就任式は滅多に見られるものではない。結局全員、教団本部で開かれる厳かな儀式に魅入っていた。


 煌びやかな大広間に各地の守護精霊が顕現し、最奥の玉座に腰掛ける導師の傍に導師補佐官のフロースが立つ。誰もが次期導師であるメイが現れるのを静かに待っていた。画面越しでも緊張感は伝わり、隣に座るエヴァンの息を呑む音が聞こえたのをルカは今でも覚えている。


 洗練された動作で二人の衛士が荘厳な扉を開ける。そこから現れたメイは、一人だった。


 今すぐあの場所に行って、大丈夫だよと言って手を握ってあげたい。傍で支えたい。いくつもの視線を一身に受け止め、口をきゅっと引き結んで泣くのを我慢しているメイを見てルカはそう感じた。この感情は、ルカが絆霊者だから抱いたものではない。


「普通の人間だったとしても、僕は護衛騎士を目指していますよ」


 そう宣言し、ルカはメイの金瞳を真っ直ぐ見つめる。見つめ返すメイはルカの本質を見抜こうとしているようだった。数秒ほどそうすると、メイは絞り出すように声を出した。


「……わたしがオルトゥスを出たのは聖域に行くためです。それでもわたしとの契約を続けて聖域に――一緒に、フォビドに来てくれますか?」


 フォビドはゲラタムに属する山脈の名であり、聖域でもある。生命力溢れる木々が生い茂り、岩肌を流れるのは清らかな湧水の川。山頂の湖は色とりどりの花に縁取られ、多くの精霊がフォビドを住処としていた。


 だが二十年前、突如としてフォビドは魔力に覆われてしまった。木や花に触れただけで皮膚が爛れ、岩肌を赤黒い血が撫でる。精霊達は一人残らず姿を消し、凶暴な魔獣が我が物顔で跋扈する今のフォビドは聖域と呼ぶには程遠い魔力汚染地帯だ。


 そんな場所に、メイは行こうとしている。フロースがメイを連れ戻そうとするのも当然だ。


「フォビドって……どうしてあんな場所に……」

「教団の機密事項です」


 強い拒絶がメイから返ってくる。表情もどこか冷ややかだった。


 これ以上ルカを巻き込みたくないとメイは言っていた。それなのに目的地を教えてくれたのはルカを試すためか、断りやすくするためか。どちらにしろ、ルカの答えは決まっている。


「契約を続けさせてください、メイさん。フォビドでもどこでも一緒に行きますよ」

「危ない目に遭うかもしれないんですよ」

「それはメイさんも同じですよね?」

「そう、ですけど……」


 歯切れ悪く答えるメイ。本当にルカのことを心配してくれている様子だ。あるいはルカの実力を疑っているか。カルロとセシル相手に健闘できたとは到底言えないし、リュールの暴走を止められなかったのは事実だ。ルカはじっとメイの返事を待った。


「――わかりました」


 冷たい表情が剥がれ落ちる。ルカは心が弾むのを感じた。


「フォビドでの目的が終わるまで、ルカさんとの契約を続けますね」


 今まで感じたことのない強い喜びがルカの体を駆け巡り、涙まで出そうになる。一時的とはいえ護衛騎士は護衛騎士だ。ルカは姿勢を正した。


「契約期間中、この身を貴女に捧げることを誓います」


 場所はソファの上で、ルカが着ているのは寝間着。誓いの声は少しだけ震えてしまったし、喜びを抑えきれない顔は緩んでしまっている。だがそんなルカを、メイは優しく微笑んで見つめてくれた。


「期待していますよ、ルカさん」


 ルカの右肩にそっと触れるメイ。ルカは「はい!」と大きく頷いた。

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