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ネクサス・メモリア  作者: 境守凛
第一章 継承者
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第一章 継承者 3

 ハズモフィの街を歩きながら、メイはこれからの計画を頭の中で整理していた。聖域に向かうのは聖域近くの都市に数日滞在してからだ。界蝕光(エクリプス)はまだ完全な形ではない。今すぐ界蝕光を封印したとしても、根っことでも呼ぶものが残ってしまう。だから完全な形になるまで待つ必要があるのだ。もどかしいが、その間に聖域に向かう準備を――


「……?」


 ふと魔力を感じてメイは足を止めた。メイが今いるのは大通りから離れた静かな場所で、個人経営の飲食店やお菓子屋さん、古本屋にアンティークショップなどがひっそりと立ち並んでいる。遠く、路面電車の警笛が聞こえた。


 魔力を感じたのは、十字路に面した小さな公園だ。いくつかの遊具とベンチ、自動販売機の横には小さな花壇。魔力とは無縁そうな場所だが、公園の入り口に魔法使いが立っている。見たところ、メイと同い年くらいだ。本当に飛び級した人がいるんだとメイは少し驚いた。


 魔法使いの横には外装を剥がされた掲示板型の防犯魔具。ボタンを押すと魔力障壁を展開し、付近の騎士団支部に通報が入るものだ。特段珍しい魔具ではないが、メイはこの魔具の内部構造を見たことがない。物珍しさに魔具を見ていると、視線に気づいたのか魔法使いが振り向いた。菫色の瞳が一瞬、メイを観察した。


「どうかされましたか?」


 親切な声で問い、魔法使いは上着のポケットから折り畳んだ地図を取り出す。彼女はメイを道に迷った旅行者だと判断したようだ。


「大丈夫です。道はわかります」


 魔法使いが小首を傾げる。メイは魔具を見遣った。外装に彫られた耐用年数はあと半月。導線には最近直された痕跡があった。界蝕光の影響を強く受けて壊れ、古さ故に直したのにまた壊れたのだろう。界蝕光が顕れている間は何度もそうなるに違いない。メイは少しだけ悩んでから口を開いた。


「魔具の修理、手伝ってもいいですか?」

「手伝うって……」


 訝しげに呟く魔法使い。メイは霊光(マナ)を少しだけ解放した。


「直したあと、霊光で保護します」

「……貴女、精霊なんですか?」


 意外そうな声にメイは頷く。これくらいの嘘は許されるはずだ。


 魔法使いはじっとメイを見つめ、魔具に向き直ると深く息を吸った。


「鋼鉄に告ぐ。我が至紅(しこう)を受けよ」


 詠唱された契刻(けいざ)符に呼応した魔力が赤黒い塊となって切れた導線を覆う。収縮を数回繰り返すと塊は消え、綺麗に繋がった導線が姿を見せた。


 魔法使いが握り拳ほどの魔力核に触れると、鈍い振動音を立てて魔具が起動した。導線を魔力が駆け巡るのを確認し、メイは霊光を放つ。淡い輝きが魔具全体を包み、やがて消えた。これでしばらくは保つだろう。


「こちらアプフェル。今から防犯魔具の動作確認を行います」


 魔法使い――アプフェルがインカムに告げて赤いボタンを押す。すると瞬時にメイとアプフェルの周囲を魔力障壁が囲んだ。それを内側からつつき、手の平を押し当てたアプフェルは満足そうに頷く。魔力障壁を消し、インカムに魔具が正常に動いたことを報告すると、アプフェルはメイに真っ直ぐ向き直った。


「ご協力、ありがとうございました」


 少しわかりにくいが、その顔には微笑が浮かんでいる。気位の高い猫が擦り寄ってきた気分になりながらメイはどういたしましてと微笑み返し――強力な霊光に体を震わせた。


 花の霊光。理解すると同時にメイはアプフェルの腕を掴み、彼女の体を引き寄せた。


 無数の蔓に覆われた防犯魔具が軋んだ悲鳴を上げる。その光景にメイの腕の中で困惑していたアプフェルが体を強張らせ、必死の形相で魔具に腕を伸ばした。


「駄目――!」


 鋭い棘が魔力核に突き刺さる。淡い輝きが消え、魔具は機能を停止させた。


 アプフェルの指先で放たれるのを待っていた魔力が霧散する。毒づいた声は弱く、メイは気を失ったアプフェルを抱えた。


 霊光がじわじわと周囲を侵蝕していく。古本屋に入ろうとした若者が踵を返し、散歩中の老夫婦が不安げな顔になる。数台の車が走り去ると、周囲から人の気配が完全に消えた。


 人払いの精霊術だ。メイはアプフェルを連れて立ち去ろうとしたが、突如鳴り響いた轟音に体を竦ませた。そして大気を揺らした霊光、その発生源を見つけて己の迂闊さを呪う。


 植物園。エフィが一人でお土産を買いに行った場所だ。


「エフィ!」


 霊光を解放し、メイはエフィに意識を繋げる。『うわっ』という声はいきなり繋いできたメイに驚いたのではなく、鼻先を掠めた棘に対してのものだろう。


「……っ」


 エフィの目を通して見る植物園は荒れ果てており、割れたガラスに血が飛散していた。人間の……と最悪な想像が脳裏を過ぎるが人の姿はない。エフィ、もしくはフロースのものだ。


『ごめんメイ。今忙しいんだよね……ッ!』

「どうして嘘なんかついたの!? ちゃんと言ってくれれば……!」

『お前がいると邪魔だからだよ』

『なるほど。自分が弱いことは理解しているのだな?』


 別の声が混ざる。フロースのものだ。


『あ? そんなこと言ってないんだけど』

『貴様が自分で言ったのだろう』

『そういう意味じゃねぇよ。お前は頭の中にも花が咲いてんのか?』


 エフィとフロースはメイに意識を繋いだまま口論し、挙げ句凶暴な霊光を放っている。普通の精霊ではなく、強力な力を有する守護精霊が、だ。激しい頭痛と入り乱れる視界が吐き気を引き起こし、メイは呻き声を上げた。


『ちょっと! メイちゃんが苦しんでるでしょ!?』


 そこにリュールまで割り込んでくるのだ。守護領域で暴れる精霊を止めに来たのは構わないが、意識を繋ぐ理由がわからない。メイは浅い呼吸を繰り返しながら苦痛に耐えた。


『はぁ? そう思うならメイに繋ぐなよ』

『え……? 繋げたつもりはないんだけど……』


 意識が遠のき、メイは慌ててアプフェルを抱える腕に力を入れ直す。どうにか彼女を地面に寝かせ、メイは座り込みたい衝動を抑えて霊光をもう一段階解放した。


「フロース、勝手に出て行ってごめん。でも、どうしてこんなこと……っ」

『申し訳ありません、メイ様。ですが貴女をお迎えする前に、あの愚か者に罰を与えないと気が済まないのです』

『ひっどーい。ぼくのどこが愚かなわけ?』

『私から逃げたいのなら霊光の痕跡を消せ。そんなこともできない貴様は愚か者だ』


 普段のエフィなら霊光の痕跡を消すなんて簡単にやってのける。それができないくらい霊光を消費し、疲れていたのだ。だがそう言ったところでフロースは聞かないだろう。霊光の加減ができない愚か者とエフィが罵られるだけだ。


『エフィちゃんもフロースちゃんもいい加減にしてよ! 仲良くできないなら今すぐここから出てって! これ以上リュールさんの守護領域を荒らさないで……!』


 泣き叫ぶようなリュールの声に、メイは咄嗟に精霊達との繋がりを切った。轟音が鳴り響く中、メイは植物園に向かう道を思い起こし


「メイ様」


 不意に聞こえた声は近く、突然のことにメイの肌はぞわりと粟立つ。逃げようとすると黒革の手に腕を掴まれ、ずきりとした痛みがメイから抵抗の意思を奪おうとした。


 フロースがリュリアガに来ているのなら、彼等がいるのは当然だ。メイはスーツの二人組、従者である護衛達を睨み上げた。腕を掴んでいる男性はカルロ、彼の半歩後ろにいる女性はセシル。カルロはいつもの無表情、セシルは安心したように笑っていた。


「離して!」

「無礼をお許しください。植物園のことを心配されているのでしたら、フロース様がいるので問題ありません」


 表情一つ変えずに淡々と喋るカルロ。一瞬躊躇い、メイは両目に霊光を込めた。


「わたしに従いなさい!」


 カルロの目を真っ直ぐ見つめ、語気を強めて命令する。青色の瞳が揺らぎ、腕を掴む力が少しだけ弱くなった。


 だが、それだけだった。カルロの瞳は元に戻り、腕がしっかりと掴まれる。先程以上に霊光を込めてカルロを見ても結果は同じだった。


「申し訳ありません、メイ様」


 本当にそう思っているのか問い質したくなるくらい機械的な声。メイは眉をひそめた。


 魅了の精霊術は確実に効いていた。だがそれをカルロは自力で解除したのだ。セシルに使っても同じだろう。普段は頼もしい彼等が、今はひどく厄介に感じられた。


「お戻りを、メイ様。フロース様は貴女の身を案じておられましたよ」

「界蝕光を封印するまで帰らないから」


 カルロの目つきが変わる。長身から放たれる魔力が強くなった。


「手荒な真似はしたくありません」

「そう思うなら離してくれる?」


 言いながらメイは指先に霊光を込め――


「動くな!」


 鋭い声が響く。振り向くと、数メートル先で二人組の騎士が銃を構えているのがメイの視界に映った。カフェにいた二人だ。彼等は肩で息をしているが、カルロとセシルに向ける目に油断はない。特に声を発した方――ルカは、紺碧色の瞳に殺意めいた怒りを宿していた。


盈月狼(ルナ・ルプス)の信徒が白昼堂々と誘拐か? うちのメリナまで傷つけやがって……!」


 銃型魔具を構えた騎士が怒気を露わに吐き捨てる。メリナというのは、気絶しているアプフェルの名前に違いない。カルロ達はメリナに何もしていないが、状況が状況だ。メリナを傷つけられたと思ってしまうのも無理もない。激昂する二人の騎士にセシルはくすっと笑った。


「誘拐? 違うわ。私達は、家出したこの子を迎えに来ただけなの」


 悪びれずに言ってメイの頭を撫でるセシル。こんな嘘をルカ達が信じるとは思えないが、メイは「違います!」と叫んだ。


「わたし、家出なんかしてません!」

「……誘拐だな。ルカ、お前はどう思う?」

「同感だよ、エヴァン」


 銃を構え直すルカとエヴァン。そんな二人をセシルは嬉しそうに見つめた。


「少しは楽しめそうね。メイ、貴女は眠っていて?」

「……ッ!?」


 セシルの手がメイの首に触れた瞬間、メイの体に強力な霊光が流れ込んできた。カルロに掴まれていない手で首に触れると指に柔らかなものが当たる。花――フロースの霊光で作られた、白い花だ。理解すると同時にフロースの霊光がメイを侵蝕し、白い花の群れが脳裏に浮かんだ。心地よい眠気に瞼が下がっていく中、僅かに残った意識が逃げろと叫ぶが体は思うように動かない。カルロに抱えられたことをメイは他人事のように感じた。


「気絶させるだけでいい」


 セシルが頷くと同時に銃声が鳴り、魔力で作られた銀弾の群れがカルロ達に迫った。だが二人とも避けることはせず、弾が貫通した箇所が縫うように修復されていく。不可解な現象に目を見開くエヴァンをカルロが一瞥し――空き缶が転がるような軽い音が、聞こえた。


 閃光と轟音が撒き散らされる。あまりの衝撃にメイの意識は覚醒し、わけがわからないまま誰かに手を引かれる。銃声が数回鳴り、目と耳が回復する頃にはメイはルカ達の元にいた。地面には円筒状のものが転がっており、小さな光が瞬いている。閃光手榴弾型の魔具だ。それを使ったのは倒れていたはずのメリナに違いない。エヴァンの魔力に彼女の魔力回路が反応したのだろう。叩き起こされたようなもので、メリナは少しぼんやりした顔をしていた。


「ありがとうメリナ。おかげで、その人を連れ去られずに済んだ」


 そう言ってメイを見つめるルカ。カルロ達に向けていたときと違い、紺碧色の瞳には温かな感情が浮かんでいる。微笑を浮かべ、ルカはそっと唇を動かした。


「もう大丈夫ですよ。あ、怪我はしてませんか?」


 胸の奥で何かが疼く。それが何なのか理解できなかったが、メイはルカ達に頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとうございます。怪我はしていません。けど、どうして貴方達はここに……?」


 ルカとエヴァンが走ってこの場に来たことは着いたときの様子からわかる。あれが巡回中とは思えず、まさか食後の運動として走っていたわけではないだろう。植物園のことはルカ達も知っているはずだし、周囲には人払いの精霊術が使われているはずだ。


「強い霊光を感じたんです。そしたら、貴女の顔が浮かんで。精霊術がなかったら、もっと早く来れたんですけど……」


 完全に解除はできず、最低限のことしかできなくて到着が遅れた。ルカの声は悔しさに満ちていたが、フロースの精霊術を少し解除できただけでも上等だ。


「あの気持ち悪いやつか」


 露骨に嫌そうな顔をするエヴァン。その感覚を思い出したのか彼は身震いした。


 人払いの精霊術はその場にいる者、近づこうとする者に「なんとなく、ここにいたくない」と思わせるものだ。それで大体の者は立ち去るのだが、無理に残ったり近づいたりしようとすると何かが這う感覚が肌を襲い、言い知れぬ恐怖が心を蝕む。メリナがそうならなかったのはメイの傍にいたからだ。気絶は防げなかったが、あの気持ち悪さに比べればマシだろう。


「メリナ大丈夫か? 顔色悪いけど、やっぱりあいつらに酷いことされて――」

「……ちょっと眠いだけ。それと、あの人達はボクに何もしてないよ」

「え……マジ……?」


 気まずそうにカルロとセシルを見遣るエヴァン。あれだけの閃光と轟音を至近距離で浴びたにも関わらず、彼等は平然としていた。


「……俺の勘違いなんか、気にしてねぇみたいだな」

「ボクが使った魔具も、ちょっと眩しかったくらいにしか思ってないみたい」

「傷はすぐに治っちゃうしね」


 授業の感想を言い合うような、軽い調子だった。躊躇うことなくルカがメイの前に立ち、エヴァンとメリナが左右を守る。彼等は明らかに新入りの騎士と魔法使い、言ってしまえば学校を卒業したばかりの子供だ。それなのに、この三人はとても頼もしい。銃弾も魔具も効かないカルロとセシルに臆することなく、射貫くような目を向けていた。


 霊光を解放したことにより、メイの髪と目の色は本来のものに戻っている。メイが半精霊(ハーフェ)だというのはルカ以外の二人も気づいているはずだ。仮に霊光を抑えたままだとしても、ただ守ってもらうだけなんてできない。メイはルカ達に霊光の加護を与えた。


「今のって……」


 きょとんとして呟くエヴァン。メリナは不思議そうに胸の辺りに触れた。


「加護を与えました。でも無理はしないでくださいね。あの二人、すごく強くて……」

「貴方のことは、僕達が必ず守ります」


 前を向いたままルカが宣言する。エヴァンが「任せな」と笑い、「約束するよ」とメリナが続いた。メイは温かな感情が胸を満たすのを感じた。


「お話は終わった?」


 お行儀良く待つのは飽きたらしい。セシルの右手は禍々しい魔力を帯びており、瞳には狂気が滲んでいた。


「悪辣を穿つは我が至紅!」


 躊躇うことなく詠唱するメリナ。凶暴な魔力がカルロとセシルの体を内側から食い破り、エヴァンの銀弾が傷口を更に抉る。ルカが放った銃弾がスーツ二人組を貫いた。


 だがその傷も、瞬く間に治されていく。口元の血を拭い、セシルは楽しそうに笑った。


「悪くないわね。けど――まだ足りないわ」


 セシルの右手に集う魔力が強く濃くなっていく。何をするつもりか気づいたのだろう。カルロが怒気を含んだ声でセシルの名を叫んだ。だが彼女は己の欲望を優先させることに決めたらしい。姿勢を低くした瞬間、セシルの姿は消えた。


 黒い影が蠢き、尾を引く魔拳がルカに迫る。あの拳の威力をメイは知っている。今まで何度もメイを守るために振るわれ、襲撃者達の血と脳漿をぶちまけてきた凶拳だ。気絶させるだけでいいというカルロの指示なんてもう覚えていないのだろう。恍惚とした表情を浮かべ、若き騎士を殺そうとするセシルの双眸は赤い狂気に染まっていた。


「ルカさん――ッ!?」


 強力な霊光にメイの体が強張る。金属が裂けるような音が鳴り響き、眩い閃光が散った。


 いつの間に抜剣したのだろう。凶悪な魔力に覆われたセシルの拳は、眩い光の霊光を帯びたルカの剣に受け止められていた。


 清浄な霊光が魔力を浄化していく。刃に食い込んだセシルの拳からぼたぼたと血がこぼれ、剣を伝ってルカの騎士服を汚した。


「ふふ、あはははは――! 嬉しい、会えて嬉しいわ! 絆霊者(ネクサス)……ッ!」


 狂喜の嬌声を上げ、空いた手でルカの頬を愛しげに撫でるセシル。ルカの体から殺気が放たれると、輝きを増した剣が容赦なく振り下ろされた。


 直前にセシルは後ろに飛び退いていたが、右腕は皮だけで繋がった状態。スーツは破れ、深い切創が肌に刻まれていた。その傷をうっとりした顔で撫で、セシルは今にも千切れそうな腕を持ち上げる。断面から魔力の筋が伸びると彼女の腕は綺麗に繋がり、腹の傷も消えた。


「手加減してくれたの? 優しいのね、絆霊者」


 ルカは答えない。ただ嫌悪の目をセシルに向けるだけだ。


 精霊が見え、精霊と契約していなくても霊光を意のままに操ることができる存在がいる。それが希少種絆霊者だ。だが精霊のように大規模なこと――天気を変えたり、地形を変形させたり――はできないし、相性のいい霊光以外を使うことはできない。無理に使おうとすると怪我をするどころか、死に至る危険性もあるのだ。


 そして使用した霊光の量に応じて体力を消耗するという代償もある。魔拳を受け止めるためにルカは霊光を大量に使用しており、セシルを斬ったときもそうだ。セシルが真っ二つにならなかったのはルカが手加減をしたからではなく、限界が近いからだろう。


 剣を構え直したルカは平然としているように見えるが、強い倦怠感に苛まれているはず。相性のいい光の霊光が絶えず彼の体を巡っていても疲労が消えるわけではない。下がって体力を回復させるべきなのだが、ルカは一歩も退こうとしなかった。


「……兇血獣(ブルート)


 忌々しげに呟くルカ。その言葉にメリナとエヴァンが目を見開いた。


 魔力に呑まれても狂わなかった人間、それが兇血獣だ。兇血獣になる可能性は極めて低く、それ故兇血獣も希少種に含まれている。彼等は高い身体能力を持ち、脳か心臓が無事ならどんな傷を負っても回復することが可能だ。そんな兇血獣を、何故か絆霊者は嫌っている。


「兇血獣? それなら尚更これつけるべきじゃねぇか?」


 自身の首にあるものを差しながらエヴァンが問う。セシルは緩く首を振った。


「首を絞められるのは嫌いなの」


 微笑みながら答えるセシル。カルロはかつての名残を思い出すように首に触れた。


「半精霊、絆霊者、兇血獣……。希少種がこんなに揃うなんて、今日は素敵な日ね」 

「……そうだな」


 短く答えるカルロ。眼帯の奥に強い魔力が発生し、左目が一瞬だけ赤くなった。


「兇血獣が二人か……。ねぇルカ、増員は来ないのかい?」

「精霊術が残っ――!?」


 不自然に言葉を切ってルカは体を強張らせた。その原因はメイもわかっている。強烈な霊光が近づいてきたからだ。メイが霊光を感じた方向に目を向けるより先に、地面に血塗れの精霊が叩きつけられた。白緑色の長い髪に白い腰羽――!


「エフィ……!」


 メイは駆け寄ってエフィを抱き起こした。ぐったりとしたその体は冷たく、目は虚ろ。顕現し続けるのもやっとなのだろう。エフィの体が一瞬、透けて見えた。


「エフィ、エフィ!」

「うるさい、なぁ……聞こえてるって……」


 ごぼっと音を立ててエフィが血塊が吐き出す。メイはエフィの手を握って霊光を送り込んだ。少しでも回復すればと縋るような気持ちでの行動だが、エフィはぐったりしたまま。霊光は取り込めているが活用できていない。メイは金瞳から涙をこぼした。


「ごめん、ごめんなさいエフィ……。わたしのせいだ……」


 そもそも一連の騒動はメイがこの街に長く滞在したせいで起きている。エフィの提案を断り、さっさと聖域近くの都市に向かえばよかったのだ。そうすればリュールが暴走することも、大勢の人が人払いの精霊術にかかることも、ルカ達を巻き込むこともなかった。エフィの大怪我だって……。


「お前が泣いたって状況は変わらないんだ。うざいから、さっさと泣き止んでよ」


 声を出すのも辛いはずなのにエフィは笑みを浮かべ、小馬鹿にしたような声をメイに吐き捨てる。こんなときにも普段通り振る舞うエフィをメイは強く抱き締めた。


 別の霊光が急速に近づいてくる。フロースだ。彼女も全身血塗れで霊光と呼吸が乱れている。胸と腹にはきらきらと光る刃がいくつも突き刺さり、背中から先端を覗かせていた。その姿にカルロとセシルが目を見開き


「っ、来るな!」


 光の柱がフロースを蹂躙する。離れた場所にいるメイですら肌が焼けるような衝撃を感じたのだ。フロースに近寄ったカルロとセシルが無事で済むはずがない。彼等は無数の光刃に体を裂かれ、光の柱が消滅した余波で建物に叩きつけられた。


 新たな白光が収束し、狙いを二人の兇血獣に定める。彼等を助けようとしたフロースの足に光の鎖が絡みついて引き倒し、長く鋭い光刃が精霊の体を地面に縫いつけた。


 光の柱が再び放たれる。血飛沫が街路を汚し、飛び散った肉片が外壁にへばりついた。


 この惨状を作り出したリュールは街灯の上に立っていた。光輪と光翼を狂暴に輝かせる彼女の体は傷だらけで、天真爛漫な光の精霊とは思えない冷酷な瞳をしている。フロースを睥睨するその瞳にメイは恐怖を感じた。


「リュールさん……」


 普段のリュールを知っているだけにルカ達が感じた衝撃は大きいだろう。メリナが怯えた顔でエヴァンの上着を握っているが、彼がそのことに気づく様子はなかった。


「まったく……ガキじゃないんだから、いい加減落ち着けっての」


 軽口を叩きながらエフィは立ち上がったが、これだけ弱った彼にリュールを止められるはずがない。フロースもそうだ。二人がかりでもリュールを止めることは難しいし、メイが加勢しても結果は同じだろう。周囲の精霊に協力を求めようにも、彼等は暴走した守護精霊に怯えきってしまっている。メイと目が合うと、彼等は慌てて姿を消した。


 フロースが光刃に貫かれた腕を引き抜き、胸を貫く刃を握り潰す。苦しげに呻く花の精霊に新たな光刃が迫り――


「ルカちゃん……?」


 ルカの剣が光刃を弾く。きょとんとしたのも一瞬、リュールは心底悲しそうな目をした。


「ひどいよルカちゃん……。なんでリュールさんの邪魔するの……?」

「リュールさん落ち着いてください! そこまでする必要はないはずです!」


 激昂した精霊の攻撃を防ぐ。そんなことをして無事で済むはずがない。ルカは腕が折れてもおかしくないことをしたのだ。剣を支えに立つルカは今にも倒れそうだった。


「社に戻ってください、リュールさん。そんなにぼろぼろになって……」

「リュールさん元気だもん」

「怪我も治せないのに、何強がってるんですか!」


 精霊は怪我をしてもすぐに癒える。エフィとフロースは血塗れになっているが、傷自体は少しずつ修復されているのだ。


 だがリュールの体に刻まれた無数の傷は少しも癒えていない。治癒の霊光を攻撃に回しているのだろう。ここがリュリアガでなければ、とっくに体は崩壊しているはずだ。


「お願いです、リュールさん。社に」

「リュールさんだって本当はこんなことしたくないもん! でも……でもわたしは守護精霊だから、リュリアガのみんなを守らなきゃいけないの!」


 目をぎゅっと閉じ、髪を振り乱しながら泣き叫ぶリュール。彼女は見えない何かに――かつて浄化した者達に怯えているようだった。


「リュール! 災厄のときにお前がやったことは間違ってないって言っただろ!?」


 必死に訴えるエフィ。リュールは「うるさい!」と声を荒げた。


「精霊も死霊も消滅させたことないくせに! 簡単に言わないでよ!」


 無数の光刃がリュールの背後に現れる。燦めく刃は美しく、それ以上に恐ろしかった。


「リュールさん……」


 悲痛な声で名前を呼ぶルカ。だが彼の声は届かず、光刃がフロースに殺到した。


 殺意を持って迫る刃の群れを紙一重で躱し、フロースはルカに向けて指を振る。瞬時に出現した蔓がルカに巻きつき、メイ達の方へと滑らかに伸びた。


 メイは蔓から開放されたルカを支えた。呼吸は荒く、額に触れると熱い。瞳も虚ろだ。これ以上ルカに霊光を使わせるのは危険過ぎる。


「ルカさん、下がってください。これ以上霊光を使ったら――」

「……大丈夫。大したことないですよ」


 メイを安心させるつもりなのか、ルカは弱々しくも微笑んだ。


 また胸の奥が――魂と呼ぶべき場所が疼く。メイはようやくこの疼きの正体に気づくことができた。メイの体に流れる半分、精霊の血が絆霊者であるルカを欲している衝動だ。この衝動をどう処理していいかわからず、メイはルカの顔を見上げた。


 今のルカはいつ倒れてもおかしくない状態にある。それでも紺碧色の瞳はフロースと対峙するリュールを悲しげに見つめ、ふらつく足が一歩前に出た。そうまでして心配されるリュールを羨ましく感じてしまい、メイはルカを止めることができなかった。


「ッ、ルカァ!」


 叫ぶように名前を呼び、ルカの肩を掴んで振り向かせたのはエヴァンだ。ルカは苛立った様子でエヴァンの手を払い、その顔を睨んだ。


「ルカお前、そんなふらふらの体で何するつもりなんだよ!? いつものリュールじゃねぇんだぞ……!」

「そんなのわかってるよ! けど今のリュールさん、すごく苦しそうなんだ。早く止め」


 ルカが言葉を切ったのはエフィの腰羽に顔を叩かれたからだ。柔らかいが、地味に痛い精霊の攻撃。虚を衝かれた顔でルカはエフィを見下ろした。


「お友達の言う通りだよ、絆霊者。お前は大人しくしてて」

「けど……!」

「けどけどうるせぇんだよ黙って言うこと聞けねぇのか!?」


 怒気を含んだ声で捲し立てるエフィ。その剣幕に怯んだのも一瞬、ルカは「聞けません」と反発した。舌打ちしたエフィはもう一度――いや、二回ルカの顔を羽で叩く。


「何するんですか……!」

「うるさい! ぼくに逆らった罰だよばーか! 邪魔だから下がって、」

「もう! なんで大人しく刺されてくれないの!?」


 癇癪を起こした子供のようにリュールが叫ぶ。彼女が街灯から下りると閃光が生まれた。


 感情を昂ぶらせた精霊は体に変化を起こすことがある。だがあんなに凶悪な変化を起こした精霊をメイは見たことがない。リュールの二翼は六翼になり、それは界蝕光のように輝いていた。こんな状態のリュールを暴れさせるわけにはいかない。メイは周囲に結界を張ろうと


「フロース……?」


 蔓と花が周囲を覆い、ドーム状の結界を形成する。メイは呆然とフロースを見つめた。


 なんで、という疑問はすぐに解消される。リュールの敵意をすべて自身に向けるためだ。


 守護領域を侵蝕されたリュールの瞳が憎悪に濁り――六翼から、破壊の光が迸った。


 霊光と霊光が激突し、閃光と花弁が生まれて爆ぜる。狂ったように輝く光が街路を抉って乱反射すると、掠めただけの街路樹が跡形もなく消滅した。


 その間、リュールとフロースがただ睨み合っているだけのはずもない。即座に距離を詰めた双方の頬に、固く握られた拳がめり込んだ。


 拳が振るわれる度に空間が歪み、建物を軋ませるのは頭突きの衝撃。リュールが右に避けると掌低打ちが街路樹を真っ二つにし、フロースが後ろに下がれば鋭く振り下ろされた踵が路面を抉る。光刃と蔓が裂き合い、鮮やかな花が光線を呑む中、打撃音が幾度も鳴り響いた。


 どちらかが消滅するまで終わらない。そんな光景にメイは言葉を失った。ルカとエヴァン、メリナもそうだろう。リュールとフロースと同じ守護精霊であるエフィですら呆然としているのだ。誰も何も言えず、目の前で繰り広げられる蹂躙の応酬を見ることしかできなかった。


 不意に、光刃の群れがメイ達に迫った。フロースの蔓に弾かれたのか、リュールの狙いが逸れたのか。原因は不明だが、あんなものに貫かれて平気な人間はいない。両目を見開いたメリナが両手を突き出し、すかさずエヴァンが補助に入る。メイが二人の魔力に霊光を放つと、ルカが放った霊光が追随した。


 黄金に、そして赤黒く輝く巨大な魔力障壁が幾重にも展開される。堅牢な障壁はしかし、光刃を防ぐには至らない。ガラスが割れるような音を立てながら一つまた一つと破壊されていく。メイは更に霊光を放ち――白い羽根が、柔らかに舞った。


「エフィ――!」


 白翼が霊光粒子となって崩壊していく。体も指先から少しずつ崩れていき、メイが手を伸ばすより先に風の精霊は羽根となって消えた。


「……っ。ねぇ、あの精霊は……」


 血の気が引いた顔で呟くメリナ。声は震え、菫色の瞳は揺れていた。


「……大丈夫。エフィは、社に戻っただけです」


 全員を、そして自分自身を落ち着かせるためにメイは言葉を紡ぐ。だが誰も安堵の表情を浮かべることはない。メイも強い喪失感が胸を穿つ痛みを処理できなかった。ともすれば涙が溢れそうになり、エフィに言われた『お前が泣いたって状況は変わらないんだ』という言葉が蘇る。両手を強く握り、メイは目前の問題に向き直った。どうにかしてリュールを止めなければ――


「支部長……?」


 インカムを押さえて呟くルカ。彼がスマホを操作すると、男性の声が聞こえた。


『グリント、フォスターとアプフェルは無事か? あいつらの首輪、赤色になってたぞ』


 魔力抑制装置着用者の情報は支部の管制室、そして支部長に随時送信されている。エヴァンとメリナは魔力障壁を展開させたときに無理をしてしまったのだろう。表示が赤色になるのはかなり危険な状態だ。メイもルカも、心配する目をエヴァンとメリナに向けた。


「俺もメリナも無事ですよ。ちょっと痛かったですけど」


 意識したような軽い声で答えるエヴァン。メリナは苦い顔で黄金林檎のバッジに触れた。


『……ならいい。今でけぇ蔓の前に――おい、それ以上近づくなよ』


 男性の棘のある声に、メイは守護の蔓、その向こうに意識を凝らした。するとスマホ片手にはしゃぐ若者や、バリケードテープから身を乗り出す報道陣、彼等を下がらせる騎士達の姿が見えた。空から遠巻きに見つめているのは、ドローンとヘリコプター。


 騎士はともかく、野次馬達が人払いの精霊術を超えられるとは到底思えない。六翼のリュール相手に、流石のフロースも精霊術を維持する余裕がないのだろう。それに、結界を張ればこちらの様子は見えないし近づくこともできない。空にある目も、霊光が強過ぎて近づけないでいた。暴走する光の精霊に果敢に立ち向かう花の精霊を見るのはメイとルカ、そしてエヴァンとメリナの四人だけだ。


『暴れてんのはリュール様か?』

「……はい。今、他の精霊が抑えてくれてます」


 絞り出すように答えるルカ。支部長は溜め息を吐いた。


「あと、女の子を一人保護しました。怪我はしていません」


 けど、とルカは言葉を切る。彼は血肉に沈むカルロとセシルを見遣った。ここからでは彼等が生きているか確かめようがない。近づくにはリュール達の横を抜ける必要があるが、この状況で迂闊に動くのは危険だ。


「……重症者が二人。そっちに運べたらいいんですけど……」

『わかった。俺も』


 不自然に通話が切れる。直後、拮抗していた霊光が弾けた。


 衝撃でふらついたところをメイはルカに支えられる。メイはほとんど無意識に彼の手を握った。握り返してきた手は少しごつごつとしているが、柔らかな温かさが感じられる。優しくて頼もしい手だと、メイはそう感じた。


「エヴァン!」

「メリナ!」


 エヴァンとメリナが同時に互いを呼び合い、魔力障壁を展開させる。禍々しくも美しい輝きが、きらきらと降るガラス片からメイ達を守ってくれた。


 だが周囲はひどい有様だ。建物の外壁は崩れ、街路樹はほとんどが消滅。遊具と防犯魔具は瓦礫と化し、道路は穴だらけ。破損した水道管から勢いよく水が噴き上がっていた。フロースの蔓がなかったら、辺り一帯は更地になっていたに違いない。


 破壊の中心地に立つフロースとリュールの体は傷の修復が追いついておらず、特にリュールは危険な状態だ。右肩に毒花が群生し、青ざめた唇から血塊がこぼれた。


 繋いだ手が痛いほど握られる。リュールの苦しみをルカは我が事のように感じているのだろう。メイを気遣って留まってくれたようが、本当はリュールの傍に行きたいはず。かといって手を離すわけにはいかず、メイはルカの手を強く握り返した。


 毒花を引き千切るリュールにフロースが迫る。迎え撃とうとしたリュールの両腕を蔓が拘束し、フロースの五指が彼女の顔面を掴んだ。


 地面が深く沈むような衝撃が響く。リュールが街路に叩きつけられた衝撃だ。ぴくりともしないリュールの霊光は急激に弱まり、不規則に明滅する光輪と六翼が粉々に砕け散った。


 リュールから手を離し、フロースがメイの方へゆっくりと近づいてくる。元々、彼女はメイを連れ戻しに来たのだ。邪魔者がいなくなれば、あとはメイを保護して帰るだけ。リュリアガの被害把握はそれからでも遅くない。


 ルカ達も、フロースが兇血獣二人の仲間であることを思い出したのだろう。フロースが放つ霊光が怖いはずなのに、彼等は勇敢にメイの前に立った。


「退け」


 花の精霊が昏い目で騎士達を睨む。殺意をも帯びた瞳に怯んだのも一瞬、ルカとエヴァン、そしてメリナは敵を見る目をフロースに向けた。


「この状況で退くわけないだろう?」

「助けてくれたことには感謝してるぜ。けど、それとこれは別だ」

「何があったのか知りませんが、彼女を貴女に任せることはできません」


 フロースの瞳から感情が消えた。嫌な予感にメイが間に割って入ろうとすると、フロースの体が拘束される。眩く燦めく、光の鎖に。


「リュール、貴様……!」


 のっそりと上体を起こしたリュールの瞳は不気味なほど凪いでいる。虚ろとも言える瞳がルカ達の顔を順番に見ると、周囲の霊光濃度が急激に上昇してリュリアガの守護精霊を飾った。再構成された光輪と光翼は虹色に輝き、金の瞳をも彩る。傷が瞬く間に修復されると、リュールは静かに立ち上がった。


 六翼ではなく、本来の二翼。それなのに今のリュールからは恐ろしい力を感じた。鎖を引き千切ったフロースもその異質さを感じているのか、距離を取ってリュールを警戒している。


 リュールが右手を振る。すると彼女の右手に眩い霊光が発生し、収束すると少し歪な剣が――遙か昔、リュリアガの浄化に用いられた剣が顕れた。


 メイはその剣を見たことがない。だがおぞましいほどに清浄な霊光を帯びた剣が、ただの剣であるはずがないのだ。暴走した精霊、そして死霊を消滅させた不浄祓いの剣。あれを振るわせてはいけないと半精霊の本能が叫び――浄化の光が、爆ぜた。


 メイですら吐き気を感じるほどの強烈な霊光だ。まずメリナが意識を失い、彼女を支えたエヴァンの体が倒れていく。二人をメイと共に受け止めたルカも苦しげだ。だがルカを苦しめているのは霊光だけが原因ではないだろう。リュールを見つめる瞳に苦痛を湛えているのが何よりの証拠だ。エヴァンとメリナを地面に寝かせると、ルカは震える唇で名前を紡いだ。


「リュールさん……」


 リュールの暴走を止められなかったことへの悔しさと、傷だらけで本当は苦しいはずのリュールを心配する声だった。だがリュールは答えることなくフロースを呑んだ白光をぼんやりと見つめており、それが更にルカを傷つけたのだろう。彼は両の拳を強く握った。


 浄化の影響を受けた守護の蔓が崩壊していく。空間までもがその影響を受け、小さな裂け目から幽界のひんやりとした霊光が流れ出た。メイは慌ててその綻びを閉じて元凶のリュールを見つめたが、彼女の意識は少しも感じ取れない。今のリュールは、災厄で自我を失った精霊と同じだ。


 リュールを止めるには、彼女の霊光を喰らうほどの霊光が必要になる。メイは一瞬躊躇い、手首に噛みついて溢れた血を口に含んだ。


「何して――!?」


 突然のことに驚くルカの顔をメイは両手で挟んで引き寄せた。そのまま唇を重ね、血を彼の口腔へ流す。軽い魅了をかけるとルカの喉が動いて血を飲み込み、紺碧の瞳が黄金に侵蝕された。メイが唇を離すとルカの瞳は元の紺碧色に戻り魅了も解けたが、彼は呆然としていた。


「……あの……今のって……?」


 状況を飲み込めずにルカは放心している。メイは強い罪悪感に苛まれたが、もう後に引くことはできない。リュールを止めるため、メイは最後の仕上げに入った。


「――告げる。我は創世の獣を継ぐ者、夜明けの光」


 ルカの表情が変わった。口を開こうとした彼に人差し指を立て、メイは右手でルカの胸、心臓がある部分にそっと触れる。その鼓動に心地よさを感じながらメイは深く息を吸った。


「汝、光齎す者よ。我が名と血をその身に刻め――!」


 契約に世界が鳴動する。瞬間的にメイは精霊界と繋がり、内奥から引き出された霊光が周囲を黄金色に染めた。


 フロースを呑む白光が弾ける。鮮やかな花弁が黄金の世界を舞い、幽界の裂け目が綺麗に閉じた。リュールはと見れば、彼女は虚ろな瞳を虚空に向けていた。何が起きているのか理解していないし、体の崩壊にも気づいていないのだろう。その姿にメイは痛みを感じた。


 リュールの光輪と光翼が再び砕け散る。白く輝く霊光粒子は、黄金に呑まれて消えた。


 不意に、ルカが呻き声をこぼした。馴染みのない霊光に体を掻き乱される激痛に対してか、それとも。メイはルカの手を強く握った。


「ごめんなさい、ルカさん。でも、こうするしかなくて……」

「ッ、……リュール、さんは……?」

「社に帰しました。しばらく安静にしていれば、元気になりますよ」


 よかった、と安堵の声を漏らすルカ。霊光が馴染み始めたのかルカは気を失い、メイはその体をしっかりと抱き締めた。


「……ありがとう、ルカさん」


 囁き、メイも目を閉じる。黄金色が溶けていき――

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