第一章 継承者 2
小洒落た内装のカフェは混んでおり、エプロン姿の店員達が忙しなく動き回っている。入り口横の長椅子にエフィと並んで座り、メイはそれとなく周囲を探った。誰もメイ達の正体に気づく様子はない。客の一人がエフィを見て可愛いと呟いたが、それだけだ。
メイが着ているのはクラシカルなブラウスとロングスカートで、ショートブーツを含めてエフィに選んでもらったものだ。肩の辺りまで伸ばした髪はいつも通りカチューシャのように編み込んでいるが、霊光を抑えているため白銀の髪は黒髪に変わっている。瞳の色も金色ではなく青色になっていた。
エフィも霊光を抑えており、自慢の腰羽が消えている。白緑色の髪と瞳はそのままだが、メイの銀髪金瞳と違って珍しい色ではない。オフショルダーのニットとミニスカートを着こなし、履いているのは踵の高いパンプス。ツインテールをリボンが飾り、両耳で派手なピアスが揺れていた。
メイ、そしてエフィという名前も珍しいものではないからそのまま呼び合っている。子供に精霊と同じ名前、あるいは関係のある名前をつける親は多いのだ。
メイとエフィがリュリアガを訪れたのは休憩のためだ。移動だけならともかく同格の精霊であるフロースを気絶させ、部屋の結界と花を無効化させたエフィは霊光を大量に消費していた。家を出て五分としないうちに羽ばたきは弱まり、咄嗟にメイが補助して落下を免れたほどだ。十分ほど休んで再出発し――結局、一番近いリュリアガで休むことにした。
夜中でも開いている宿泊施設は多いが、子供だけで泊まれるはずがない。見回りの騎士達を避けながら向かったのは、風の精霊を崇める刃風会が経営する高級ホテル。連絡もなしに訪れたエフィとメイに驚いたものの、彼等は一切の詮索をすることなく部屋を提供してくれた。
朝食を終えたら出発する予定だったが、
『ちょっとだけ、遊んでかない?』
というエフィの提案に、メイは躊躇いを感じつつも頷いた。
まずは植物園で季節の花々を鑑賞し――フロースのことを思い出したのかエフィは少し不機嫌だった――、次に併設されている鳥カフェに向かう。霊光を抑えていても動物にはわかるらしい。メイとエフィはたちまち鳥まみれになり、彼等を落ち着かせるのに少々苦労した。
そのあとは有名なセレクトショップで買い物をし、荷物をホテルに預けて今に至る。半日とはいえ久しぶりに羽を伸ばせた。それに、歩き回った疲れが心地よいものに感じられる。今日はよく眠れそうとメイは小さく微笑んだ。
「どうしたの、急に笑って」
「別に。なんでもいいでしょ」
あっそ、とエフィが言うと店員が近づいてくる。エフィは即座に可愛い笑顔を作った。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
忙しいのに笑顔を絶やさない店員に感心しつつ、メイは案内された窓際の席にエフィと向かい合って座る。二人は一番人気と書かれたものを注文した。
「エフィ、何してるの?」
「情報収集」
そう言ったきりエフィはスマホの画面に夢中になってしまう。こうなったら何を言っても聞かないのは知っている。メイもバッグからスマホを取り出した。ニュースサイトには界蝕光……ではなく、偽光帯についての記事がトップに表示されている。掲載時刻は今から十分ほど前……?
「あれ……?」
メイは思わず小首を傾げた。いつもなら、こういったニュースは偽光帯が出現して一時間以内に掲載される。メイがいなくなってフロースが取り乱したのだとしても、他の教団員に指示を出すくらいはできそうなものだが……。
「……あァ?」
急に不機嫌な声を出すエフィ。エフィの口調が荒くなるのはままあることだ。メイは特に驚かず「どうしたの?」と声をかけた。
「偽光帯の記事。さっき更新されたやつ」
「それなら読んだよ。けど、こんなに時間がかかるなんて……」
周囲の客はそれぞれのお喋りに夢中だが、念のため小声で喋る。対してエフィは苛立ちを隠すことなく舌打ちをした。
「……半分殺す気でやったのに、なんでもう起きちゃうかなぁ」
エフィは霊光を抑えたままだが、少しも霊光を発していないわけではない。その霊光は近くを通った店員を怯えさせるには十分なものだった。彼はびくりと震え、次いで怪訝そうにする。自分が何に怯えたのか理解できないからだ。
「何日か気絶してるはずだったの?」
慎重に言葉を選んでメイは訊ねる。エフィは頬杖をついて頷いた。
「三日くらいかな。ああ、護衛達にはちゃんと手加減したから大丈夫だよ」
「もっと平和的な方法はなかったの? 説得するとか……」
「善処しまーす」
するはずがない。界蝕光の問題が解決したら、エフィとフロースの大喧嘩が起きそうだ。
ほどなくして店員が注文した料理を運んでくる。写真よりも大きなハンバーガーに山盛りのポテト。オレンジジュースはグラスから溢れる一歩手前だ。
こんなに食べられるかな。不安を感じつつ、メイは店員にお礼を言った。
「うわ、すっご……。あ、写真撮るからちょっと待ってね」
「顔は映さないでよ」
「わかってますぅ」
エフィが納得する一枚を撮るまで待ち、メイとエフィは手を拭いて「いただきます」を言う。ナイフとフォークはない。メイは重たいハンバーガーを持ち上げ、少し躊躇ってからエフィを倣って齧りついた。
「メイ、ソースついてる」
「え、どこ……?」
エフィが指差した箇所を拭いたメイは、彼の口の横にもソースがついていることを
「エフィちゃんもね」
不意にそんな声が聞こえた。だがびくりと肩を震わせたメイと違って、エフィは気にすることなく口の横を拭いている。その反応に声の主は不機嫌な顔になった。
「もう! お礼くらい言ってよ!」
そう訴えながらテーブルをぱしぱしと叩く金髪金瞳の女性。リュリアガの守護精霊リュールだ。彼女がこんな顔をしているのは、エフィの態度だけが原因ではないだろう。
守護精霊は余所の守護精霊が自身の守護領域に入ることを嫌う。なので最低でも二日前には連絡をし、着いたら真っ先に守護精霊の社に手土産持参で向かう決まりがあるのだ。急だったとはいえ、それを怠ってしまったのだから非はメイ達にある。
「ごめんなさい、リュール」
顕現していないため他の客達はリュールに気づいていない。メイは小声で謝った。だがリュールは不機嫌なまま。光輪がぎらぎらしている。
「親しき仲にも礼儀ありって言うよね?」
「しつこいな。謝ったんだから許してよ」
ポテトを摘まみながら気怠げに呟くエフィ。リュールはむっとした顔になった。
「エフィちゃんは謝ってないでしょ!」
「うっざ……。ほんとリュールってガキだよね」
「リュールさん子供じゃないもん!」
「そういうとこだよ」
「むぅ……! それに二人とも入国手続きしてないよね? 犯罪だよ? こっそり入ってきてたけど、リュールさん気づいてたんだから!」
リュールの指摘は間違っていない。メイとエフィは不法入国をしているのだ。発覚すれば然るべき措置を受けることになるが、精霊のエフィに法は適用されない。メイの場合は、やむを得ない事情であれば同じく非適用だ。災厄を起こさないために仕方なかったと言えば、大多数の人間は納得してくれるだろう。
とはいえ、悪いことをしたのは事実だ。メイは再度リュールに謝った。
「本当にごめんなさい。けど――」
「……わかってるよ。リュールさんもちょっと言い過ぎちゃったね」
ごめんね、と謝って椅子に座るリュール。先程と打って変わって表情は暗い。リュールはそっと周囲を窺い、怖々とした様子で口を開いた。
「フロースちゃんから連絡がきたんだけど……あれが界蝕光って、ほんと……?」
メイが否定してくれるのを待っているような声だった。フロースが嘘をついているとは思っていないが、間違いであってほしい。縋るような瞳に見つめられて胸が痛み、メイは静かに頷くことしかできなかった。
「また災厄が起きちゃうの……!?」
リュールは災厄を生き延びた精霊の一人だ。何が起きたのかは当然知っているし、自分が何をしたのかも覚えている。震えながら言葉を吐き出すと、リュールは両手で口を覆った。
かつてリュリアガは、光の精霊によって浄化された。その光の精霊はリュールのことであり、彼女が浄化したのは災厄で暴走した精霊、そして幽界から這い出てきた死霊達だ。本来であれば無害な彼等を消滅させるのは、いくらリュリアガで暮らす人々を守るためとはいえ心苦しかったことだろう。メイはリュールにかけるべき言葉を探したが、何も見つからなかった。
「あのときお前がやったのは正しいことだよ。そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」
声は素っ気ないし、顔はリュールを向いていない。だがリュールにかけられたエフィの言葉は、どこか温かなものにメイは感じた。
「でも……」
「リュリアガの民を見殺しにした方がよかった?」
「そんなわけ――!」
激昂したのも一瞬、リュールは慌てて霊光を抑える。幸い誰も気づいていない。リュールはほっとした様子で息を吐いた。恐怖も少しだけ薄れたのだろう。顔色が少しマシになった。
「……界蝕光を封印しに行くんだよね?」
「うん。リュール、貴女は――」
「わかってる。リュリアガの守護は任せて。他の領域の子達もきっと同じ気持ちだよ」
メイの目を真っ直ぐ見つめて宣言するリュール。怯えは残っているが、彼女は守護精霊としての務めを果たそうとしている。その姿に勇気を貰ったメイは強く頷いた。
「けど……なんでメイちゃんはフロースちゃんじゃなくてエフィちゃんと一緒にいるの?」
「え、ぼくがいたら駄目なの……?」
眉尻を下げて瞳を潤ませ、上目遣いにリュールを見つめるエフィ。あれは故意にやっているものだ。自分の魅力をよく理解しているエフィは時々こういうことをする。メイも何度か騙されたことがあるのだ。そしてこれを真に受けたのか、リュールはあたふたしている。
「そ、そんなこと言ってないよ! でもフロースちゃんがエフィちゃん一人にメイちゃんを任せるって思えなくて!」
メイがどこかに行くとき、フロースは必ずついてくる。護衛二人もそうだ。メイが一人で家の外に出ることはほとんどない。自宅の中庭にさえついてくるのだ。そのことを知っているリュールがフロースの不在を疑問に感じるのはおかしくない。窓の外に見える精霊達も不思議そうにメイとエフィを見ていた。
「あいつに任されたわけじゃないしね」
「えっ……誘拐したってこと……!?」
「メイは自分の意思でぼくについてきたんだ。誘拐じゃないよ」
ねー? と同意を求めるように微笑むエフィ。強引に部屋に入ってきたが、無理矢理連れ出されたわけではない。メイはこくりと頷いた。
「……界蝕光だって教えてくれたフロースちゃん、すっごく怒ってたけど……」
原因は界蝕光ではなく、メイを連れ出したエフィ。フロースの声がそれほど怖かったのか、リュールはぶるりと震えた。
「じゃあ夜中に来たのって……」
「疲れたからね。休憩に寄っただけ」
「植物園と鳥カフェに行ってたよね? お買い物もしてたし」
「守護精霊だからって覗き見し過ぎ。リュールのえっち」
「!?」
顔を真っ赤にするリュールと、けらけら笑うエフィ。メイは二人が落ち着くのを待った。
「リュール、夜中にはわたし達が来たことに気づいてたんだよね? どうしてそのときに会いに来なかったの?」
「だって夜中だよ? 無断で入ってきたのはよくないけど、そんな時間に押しかけたら迷惑でしょ。それに二人とも楽しそうにしてたし。ほんとは、ごはん食べ終わるまで待つつもりだったんだけど……」
フロースから界蝕光のことを聞き、そうもいかなくなった。しゅんとするリュールは、昼食を邪魔したことを申し訳なく感じているようだった。
「やっぱリュールって子供だよね。対応が甘いもん」
「リュールさんは優しいの!」
「はいはい。メイ、早く食べて行こ?」
エフィの皿はいつの間にか空っぽになっていた。並々と注がれていたグラスもだ。対してメイの皿には半分ほど残ったハンバーガーとポテト。ジュースは少し減った程度だ。
小食にこの量は辛いが、食べ残すことはできない。黙々と口を動かすメイを見て、エフィはハムスターみたいと笑った。
「ところでリュール」
「なぁにエフィちゃん?」
「あの席にいる二人って、リュールのお友達? 何回かお前の名前言ってるし、クレアとクレル……だっけ? あいつらのことも話題にしてるけど」
メイの皿から摘まんだポテトで一番奥の席を指すエフィ。店内は賑やかだがエフィは耳がいい。リュールの名を口にするだけならともかく、最近生まれた光の精霊についても話している人間が気になったのだろう。メイも興味が湧いてどんな人なのかなと振り向こうとすると、リュールが「ち、違うよ?」とやや上擦った声を出した。
「ここにはいないもん。だってみんな忙しいからねっ!」
「へぇ、昼休みも働いてるんだ。リュールのお友達って偉いんだね」
「うん! ルカちゃんはとってもえら……」
咄嗟に口を押さえるリュール。何かを探るようにエフィは目を閉じ、小首を傾げながら目をぱちくりさせた。次第に、その口元に笑みが浮かぶ。
「とっくにお前のものになってるって思ってたけど……まだなんだ? ふーん?」
「だ、駄目! 絶対駄目だからね!?」
必死の形相で訴えるリュール。だがエフィにその言葉を聞き入れる様子はない。誰をも魅了する蠱惑的な笑みを浮かべ、どうやってその人間を手に入れようかと画策している様子だ。エフィがそんな反応をする理由がわからないメイは困惑し、その間もエフィとリュールは言い合いを続けている。あまりよくない雰囲気だ。
「えー? どうしよっかなー? こういうのは早い者勝ちですしー?」
「エフィちゃんひどい! なんでリュールさんのお願い聞いてくれないの!?」
半泣きになりながらリュールはテーブルを叩いた。すると彼女の霊光が瞬間的に膨れ上がり、店内の照明が激しく明滅する。突然のことに客達が戸惑う声を上げた。
即座に反応したのは二人組の若い騎士だ。彼等は不安そうにしている客達に落ち着くよう声をかけ、一人が店員に近づく。残った騎士は紺碧色の瞳でじっとリュールの横顔を見つめ――いや、睨んでいた。その視線を痛いほど感じるのだろう。テーブルを叩いた姿勢のまま固まるリュールは、親に叱られた子供そのものの顔をしている。
彼がリュールの友達のルカ。エフィの反応に納得がいき、メイは胸を弾ませた。
あの騎士は――ルカは、精霊が見える希少な人間だ。
「あはっ! 自分とこの守護精霊睨むなんて、あいついい度胸してんじゃん!」
「ふぇぇ……」
エフィとリュールは頼れそうにない。一刻も早くこの騒動を治めるべく、メイは目を閉じて店内の霊光に意識を凝らした。幸い、霊光の干渉を受けただけで照明器具は壊れていない。そっと余分な霊光を取り除いて目を開けると、照明は正常な光を取り戻していた。
「メイ、行くよ」
エフィが伝票を持って席を立つ。メイはどうにかジュースを飲み干した。
「リュール、落ち着いたらまた連絡するね」
「うんわかったところでリュールさんを助けてくれないかな!?」
「仲良しなんだよね? ちゃんと謝ればきっと許してくれるよ」
「待って一人にしないで! うわーん! 薄情者ー!」
可哀想だが、メイとエフィにも大切な用事がある。リュールに別れを告げ、メイはエフィを追い――ふと視線を感じて後ろを振り向いた。ルカだ。
柔らかそうな鳶色の髪に、紺碧色の綺麗な瞳。何か言いたそうにしている顔は構ってもらうのを待つ子犬にどことなく似ている。放っておけないと、そう思ってしまう顔だ。意図して浮かべているなら大したものだが、彼はエフィとは違うだろう。素でそんな表情をするのも、それはそれで恐ろしいが。
ルカと話したい気持ちを抑える。会釈をし、メイはエフィに小走りで近づいた。
「欲しい?」
囁き、ルカを見つめるエフィ。途端、ルカの顔が強張った。
「エフィ……!」
「やだなぁ真に受けないでよ。冗談に決まってんじゃん」
可愛らしく笑うエフィ。メイはその言葉を信じることができなかった。ルカのような人間を求める精霊は多い。だからこそ、リュールがルカと契約していないのが不思議だった。
「荷物まとめたらすぐに出るよ。支部長サマがご立腹だ」
外に出るなりスマホを見せるエフィ。そこには『そろそろ帰ってきたまえ』という一文と、不満な顔の絵文字。こうしている間もメッセージは次々に届き、電話までかかってきた。
「出なくていいの?」
「いいの。今から帰るって返事したんだから」
足早に歩くエフィ。メイはその隣を歩いていたが、急にエフィが立ち止まった。ゆっくりと振り向いた彼の視線の先には植物園の看板広告。午前中に訪れた場所だ。
「忘れ物?」
「そんなわけないでしょ。あいつに、お土産くらい買った方がいいかなって思って」
歯切れ悪く答えるエフィ。一応、支部長への罪悪感はあるらしい。メイは賛成した。
「あ、メイは先にホテル戻ってて」
しっしっと追い払うように手を振るエフィ。予想外のことにメイは目をぱちくりさせた。
「一緒に行ったら駄目なの……?」
「お土産買うだけだぜ?」
それでも、一緒に行きたい。だがメイはその我が儘をぐっと抑え込んだ。エフィ一人で行った方が早い。それにエフィがお土産を買っている間に荷物をまとめておけば、すぐに出発できる。メイは渋々頷いた。
「……うん。先に行ってるね」
タクシーを止めようとしたエフィの手をメイはそっと掴む。彼は小首を傾げた。
「たくさん食べたから歩かなきゃ」
くすっと笑ったエフィに手を振り、メイは雑踏を歩き出した。
◇
銀髪金瞳の少女に見つめられたとき、ルカは体中の霊光が痛いくらい沸き立つのを感じた。驚きと喜びが全身を駆け巡り、強い安堵が胸を満たす。温かな陽だまりを――自分がいるべき本当の場所を見つけたような気分だ。
少女が会釈をして背を向け、派手な少女と共に雑踏に紛れる。言いようのない寂しさを感じながら、ルカは二人が見えなくなったあともドアを見続けた。
「ルーカ」
妙に明るい声で名前を呼ばれて振り向く。するとエヴァンがにこにこしながらルカの肩に腕を乗せてきた。
「あの子が気になるのか?」
気になるし、追いかけたい気持ちだってある。だが髪と目の色はルカの勘違いだったかもしれないし、急に騎士が追いかけてきたら少女達は怖がってしまうだろう。霊光を落ち着かせ、ルカは肩に乗ったままのエヴァンの腕をそっと下ろした。
「あの子の髪と目、何色だった?」
「何色って……。黒髪で青い目だろ?」
「……本当に?」
「嘘つく必要あるか?」
心外そうに返すエヴァン。ルカは彼に謝り、少女達の姿を思い起こした。
この世界には様々な髪と目の色が存在するが、例外がある。銀色の髪と、金色の瞳。この二つは精霊だけの特別な色だ。霊光を抑えることで、あの少女の髪と目はエヴァンが言った色になっているのだろう。
だが、精霊が見えるルカにはあの少女の本来の髪と目の色が見えた。美しい二つの色を思い出すだけで霊光が沸き立ち、同時に派手な少女――精霊に見つめられたときの感覚も蘇る。無数の刃を向けられたような恐ろしい感覚は、リュールと初めて会ったときと同じかそれ以上の恐怖をルカに与えた。間違いなくあの精霊はリュールと同格だ。
そんな精霊と一緒にいる少女は一体何者なのか。答えはすぐに出た。
半精霊。精霊の血を継ぐ希少な存在だ。
ルカが知る限り半精霊は一人しかいない。銀髪金瞳の特徴も当て嵌まる。だが彼女がこんなところにいるとは思えない。遊びに行けるほど彼女は暇ではないはずだ。仮に休暇だとしても護衛がいないのはおかしい。あの精霊一人で十分ということなのかもしれないが――
「ルカ、大丈夫か……?」
よほど間抜けな顔をしているらしい。エヴァンが心配そうにルカを見つめていた。
「うん……」
「きっとまた会えるって。そんな顔すんなよ」
どうやらエヴァンは、ルカがあの少女に一目惚れしたと思っているらしい。実際は違うがそれに近い感情が胸に燻っている。ルカは曖昧に頷いた。
金瞳の少女のことは気になるが、今はやることがある。ルカは気持ちを切り替えた。
「さっきの騒ぎはリュールさんが原因なんですよね?」
顕現していないがルカ達の席にはリュールが縮こまって座っている。「ふぇぇ……ごめんなさい……」という半泣き声はルカにしか聞こえず、かといってここで顕現されると先程以上の騒ぎになる。せっかく店内は落ち着きを取り戻したのだから余計なことはしたくない。傍目からは、騎士達が一番奥の席で先程のことについて話しているように見えているだろう。
「なんでこんなことしたんですか」
精霊が何らかの問題を起こした場合、書類にまとめて盈月狼教団に送る決まりとなっている。場合によっては導師が問題を起こした精霊に罰を与えるのだが、この程度なら軽い注意を受けるだけだろう。
「ルカちゃん怒らない……?」
「内容によります」
「うぅ……えっとぉ……ついカッとなってね? うっかりというか……えへ、えへへ……」
ごにょごにょと答えるリュール。書類は余白が目立ちそうだ。
「そもそも、なんでリュールはここに来たんだ? 昼飯は渡しただろ?」
「エヴァンちゃんひどい! おばあちゃん扱いしないでよ!」
「してねぇよ! ってかそれ言うためだけに顕現すんなよ!?」
言うだけ言うと姿を消したが、何人かにリュールを見られてしまった。ほんの数秒のこととはいえ守護精霊の姿は誰もが知っている。「今のリュール様?」とか「じゃあさっきのも……」といった声がいくつも聞こえた。記者らしき男性が慌ててメモ帳を取り出すのを見て、ルカは溜め息を吐きそうになる。守護精霊リュール、うっかり霊光干渉をする。そんな記事がネットニュースに載ってもおかしくない。
「リュールさん……もう少し、守護精霊としての自覚を持ってください」
「持ってるもん! だからここに来たの!」
「それってどういう――」
不意に窓の方を向いたエヴァンが気になり、ルカはリュールから意識を外す。彼は街路樹の傍に立つ黒いスーツの二人組を見ており、その目は不審者を警戒するかのように険しい。
どうしたの、と訊きかけてあるものを感じる。魔力だ。ルカも二人組に目を向けた。
一人はダークブロンドの髪をオールバックにした三十代半ばくらいの男性だ。右目を眼帯で覆った顔は整っており、背が高いこともあってモデルのように見える。だが青色の左目は鋭く、人を寄せ付けない圧を感じた。
もう一人は黒髪の若い女性。彼女もモデルだと言われても違和感のない容姿をしていた。紫色の瞳で通行人を追う姿は無邪気な少女のようでもあり、ルカと目が合うと彼女はにこりと微笑んだ。
二人とも黒革の手袋をはめており、スーツには盈月狼教団信徒の証である狼のバッジ。目立つ容姿をしているが、彼等はどこにでもいる盈月狼の信徒だ。
だが彼等は、魔力を放っている。騎士でも魔法使いでもない二人の魔力回路持ち。退団済みだとしても魔力抑制装置がないのはおかしい。加えてあの二人の魔力は、ルカにはひどく凶悪なものに感じられた。血に飢えたような――
「首輪の調整中か……? けど、それなら予備を渡されるはずだし……」
思案に耽るエヴァン。だがルカはスーツの二人組が気になってそれどころではない。女性に微笑まれたときは寒気がしたし、男性の瞳を見ると敵意のようなものが湧いた。
ルカの右手が自然と剣の柄に触れ――
「は……? 補佐官のフロース……?」
呆然と呟くエヴァン。いつの間にか、スーツ二人組の傍に一人の女性がいた。他の客や通行人も導師補佐官に注目しており、ルカは剣から手を離す。
外見年齢はリュールと同じくらいだが、フロースの方が大人びて見える。花の飾りがついたバレッタで留めた薄紅色の髪に新緑色の瞳。二人組同様スーツを着ており、当然狼のバッジをつけていた。
ルカが面接で対面したとき、フロースの瞳は理知的な光を宿していた。かといって堅苦しくなく、軽い冗談を言ってくれるくらいには接しやすい精霊だ。それに、顕現するときは霊光を抑える気遣いもできる精霊である。だが今フロースの瞳は昏く、霊光は抑えられているはずなのに強い恐怖を感じる。彼女によく似た別の精霊なのではと疑ってしまうほどだ。通行人が足早に去って行き、店内の客達も慌てた様子で窓から目を逸らした。
「……ルカお前、よく一対一で面接できたな」
「あのときのフロースさんは、今と全然違ってたから……」
フロースと目が合う。昏い瞳の奥に焦燥が浮かんでいるようにルカには見えた。
「補佐官がいるなら、あの二人は衛士かもな。けどリュリアガに何しに来たんだ? 盈月祭の宣伝……なわけねぇよな。今年のはもうやったし」
毎年四月、霊光帯が出現している間に開催される大きなお祭りのことだ。精霊王と精霊に祈りと感謝を捧げ、様々な催し物や美味しい料理の数々を楽しみ、最終日に盛大な花火を打ち上げる。一年で一番盛り上がる期間と言えるだろう。
リュールなら、フロースがリュリアガを訪れた理由を知っているかもしれない。そう考えたルカが隣に座るリュールを窺うと、彼女の瞳が一瞬だけ昏くなり、その姿が消える。嫌な予感にルカは椅子を蹴立てて立ち上がった。
急いで店の外に出てリュールを探すが、どこを見ても彼女はいない。ルカは焦る心をどうにか落ち着かせてリュールの霊光を辿った。いつの間にかいなくなったフロース達も気になるが、今優先するべきはリュールの行き先だ。軽い頭痛を感じると同時にルカはリュールがいる場所を見つけ、思わずその名を呟く。
「植物園……?」
「植物園がどうかしたのか?」
会計を終えたエヴァンがルカに近づきながら訊いてくる。彼は困惑していた。エヴァンには精霊が見えない。だからルカの行動を理解できないのだ。ルカはリュールがいないことを説明しようとし
「――ッ!」
植物園がある方角に膨大な霊光が発生する。身が竦むような衝撃が何度も大気を揺らし、天から放たれた光の柱が大地を貫く。一拍遅れて耳を聾する轟音が鳴り響くと、いくつもの悲鳴が上がった。きらきらと雪のように降り注ぐのは、リュールの霊光粒子。
間に合わなかった。ルカは歯噛みした。
守護精霊は、余所の守護精霊が許可なく守護領域に入ることを嫌う。リュールは特にそうだ。立ち去るよう警告はしたはずだが、フロースは聞き入れなかったのだろう。
バイク型の魔具を駆る騎士達が植物園に向かう。スマホとペアリングしているインカムから『植物園で精霊が暴走。付近の騎士は――』と平静を装った女性騎士の声が流れた。
「……フロースを追い出しに行ったってことか」
緊張を滲ませるエヴァン。彼は「フォスターとグリント、向かいます」と告げ、植物園の方へと駆けた。
ルカもエヴァンに続き――ふと、別の霊光を感じて足を止めた。
巻き込まれた精霊……いや、違う。温かくて優しくて――
ルカの脳裏に金瞳の少女が浮かぶ。直後、言い知れぬ不安が募った。
霊光を感じた方へとルカは駆ける。相棒がいないことに気づいたエヴァンが、名前を呼びながら慌てて追いかけてきた。
「待てよルカ! どこ行くんだよ!?」
「エヴァンには関係ないよ」
指示を無視するルカの行動は始末書ものだ。エヴァンまで巻き込むわけにはいかない。だからルカはわざと突き放すように言ったのに、前に立ち塞がったエヴァンは首を横に振った。
「こんなときに、ルカを一人にできるわけねぇだろ」
「けど……」
不意に『貴方達何してるの……!?』と女性騎士の怒った声がインカムから流れた。支部の管制室には騎士達の位置情報が常に表示されている。ルカとエヴァンが別方向に向かおうとしているのは誤魔化しようがない。見なかったことにするから早く植物園に行けと急かされた。
「すみません。ですが、植物園とは別に強い霊光を感じたんです。放っておけません」
ルカの特質はリュリアガ支部に勤める全員が知っている。数秒の沈黙を挟んだものの、女性騎士は『わかったわ』と許可を下ろしてくれた。
「行くぞルカ。サポートは任せてくれ」
頼もしい笑みを浮かべるエヴァン。ルカは心強さを感じて頷いた。
早く少女の元に行かなくてはならない。自分でも何故そう思うのか理解できないまま、ルカは雑踏を駆けて霊光を追った。




