第一章 継承者 1
光の精霊が守護を司るリュリアガはヴェルメルア王国の行政区画の一つだ。一年中光の霊光に照らされており、夜になると星々の輝きが降り注ぐような美しい光景を見ることができる。県都であるハズモフィは特にそうだ。
いっそ眩しいくらいの光の霊光は観光の目玉になること間違いなしだが、残念なことにこの光景は普通の人達には見えない。快晴の秋空を舞う風の精霊、彼等の抜け羽根が霊光粒子になって霧散するところもだ。
立ち止まって空を見上げている人々の視線の先にあるのは夜中に出現した偽光帯。しかしこれはそこまで珍しいものではない。彼等はすぐに各々の目的地へと向かって行った。
スマートフォンを耳に当てながらオフィスビルへ向かうスーツの大人。寝坊したのか、学生服の少女が慌てて路面電車に乗り込む。流行りのカフェからは紙袋を抱えた二人組が出てきた。街を行き交う人々の頭上を数機の警備ドローンが飛んでおり、交代時間の彼等が向かっているのはハズモフィで一番目立つ建物。王立騎士団リュリアガ支部だ。
その屋上に、騎士が一人。深紅色の上着が印象的な騎士服、腰に下げた飾り気のない剣と、右足のホルスターには銃。鳶色の柔らかな髪が微風に揺れ、紺碧色の瞳は精霊、そして空中を揺蕩う霊光をじっと見つめている。
ルカ・グリント。四月に配属された新人騎士だ。
いつもより眩しく感じる光の霊光にルカは少しだけ目を細め、屋上の発着場に戻ってきたドローン型の警備魔具達を見る。異常を起こした機体があるためいつもより数は少ないが、それでも彼等は忠実に仕事をこなす。僚機達の帰還を感知すると、待機していたドローン達が一斉に空へと飛び立った。
戻ってきた機体に異常はない。よかったと安堵し、ルカは双眼鏡を目に当てた。事情を知らない者が見れば、騎士が仕事をせずに野鳥観察をしているように見えることだろう。だがこれは支部長直々に与えられた仕事だ。見える範囲でいいから精霊の様子を見るようにと言われ、ルカは朝からずっと屋上にいる。
そんなルカの傍には、光輪と光翼を煌めかせる光の精霊が二人。幼い子供の姿をしており、姉がクレア、弟がクレルという名前だ。先程までお絵かきをしていたのだが飽きたらしい。姉弟はドローンをつつき、ルカの手元を覗き込み、かと思えば鞘から剣を抜こうとした。
「危ないよ」
二人の手を剣の柄からそっと離させ、ルカは記録を続ける。いつの間にかされていた落書きは残しておくことにした。
この姉弟精霊は一週間ほど前に守護精霊の社で生まれ、「人間について学ぶ」という理由で毎日のようにルカの傍にいる。迷惑ではないが、二人とも好奇心旺盛な精霊だ。仕事中でもあれは何これは何と訊いてくるし、遊ぼうと言ってくることも多々ある。良くも悪くも元気いっぱいな幼い精霊達だ。
地の精霊を抱えて飛ぶ風の精霊について書こうとするとペンを取り上げられた。クレアを見れば、彼女の顔には悪戯っぽい笑み。
「返してほしい? あたし達と遊んでくれたら返してあげるよ?」
「ごめんね。仕事中だから無理」
「えー!? いいじゃんちょっとくらい! ルカ、さっきからずーっとお仕事してる!」
「ねぇねぇルカ! ぼく、かくれんぼしたい!」
「いいね! ルカもいいでしょ? あたし達隠れるから、ちゃんと探してね!」
きゃっきゃと好き勝手なことを言う二人。彼等はルカの返事を待つことなく姿を消した。
『早く見つけてね!』
霊光で作られた可愛らしい文字がルカの目の前に現れる。慌ててクレア達の霊光を辿ると探知の範囲外。大方、守護精霊の社があるブリエの森に行ったのだろう。
「困ったな……」
眩い偽光帯を見上げる。これの影響で、クレアとクレルは普段よりご機嫌なのかもしれない。いつもならルカが許可してから隠れるし、あんなに遠くまで行かないのに。
今は勤務中だ。支部長の許可なくブリエの森に行くことはできない。支部長に連絡を取るべくルカは騎士団支給のスマホを操作しようとし、ふと感じた強い霊光に手を止めた。
まさか。眉をひそめて地上を見ると、ルカの予想通りのことが起きていた。
腰を抜かしている郵便配達員を中心に人集りができている。配達員の前には髪の長い女性。通行人は彼女に向かって頭を下げたり跪いたりしていた。写真を撮りたそうにしている男性に気づくと、女性は気前よく男性と肩を組んでツーショット。悲鳴とも歓声ともつかない声を上げると、その男性はふらりと揺れて他の通行人達に支えられた。
またかと溜め息を吐く。するとルカに気づいた女性が光輪と光翼を輝かせ、
「ルーカーちゃんっ! リュールさんが会いに来たよ~!」
ルカの傍に立ち、光の精霊はご機嫌な笑顔で両手を振った。
膝の辺りまである金髪に無邪気な金色の瞳。シンプルなワンピースの上に黒革のジャケットを羽織り、履いているのは動きやすさ重視のスニーカー。煌めく光輪と光翼は幼い精霊に比べると大きく、その二つからは眩い霊光粒子がきらきらと舞っていた。
リュリアガの守護精霊リュール。彼女は今日も社を出て街を散策しているようだ。
「リュールさん……。顕現するときは霊光を抑えてくださいっていつも言っていますよね?」
精霊にそのつもりはなくても、彼等が放つ霊光に人間は少なからず怯える。守護精霊を冠するリュールの霊光は特にそうだ。慣れているルカでさえ圧迫感を覚えるのだから、そうでない者が腰を抜かしたり跪いたりしてしまうのも無理もない。純粋に敬意を示している場合もあるが、大半は怯えからくる咄嗟の行動だろう。リュールと肩を組んで写真を撮った男性に至っては気絶する有様だ。
「うぅ、ごめん……」
しょんぼりと縮こまるリュール。彼女の霊光が少しだけ弱くなった。
「それで、何の用ですか?」
「えへへ……はいこれ!」
にこにこしながら封筒を差し出すリュール。ルカは危うくスマホを落としそうになった。
「盈月狼教団本部衛士採用試験の結果だよ! 早く知りたいでしょ?」
この世界は創世の獣――精霊王によって創られ、精霊の加護で成り立っている。そのため精霊を信仰する宗教団体は多い。規模は大小様々で、ファンクラブのようなものも珍しくない。その中で最古にして最大規模を誇るのが盈月狼教団だ。
精霊と人間が共存共栄することを目的に立ち上げられたこの教団は、オルトゥスという都市国家に本部を構えている。都市全体が精霊王縁の地――聖域であり、住民のほとんどが敬虔な信徒。教団を率いる導師は精霊王の血を継いでおり、守護精霊が各地の守護を続けてくれているのは精霊と人間を結ぶ存在である導師のおかげだ。
導師が御座す教団本部を警備する衛士はオルトゥス居住者のみで構成されているが、採用試験自体は他国の者でも受けられる。オルトゥスは――盈月狼教団の門は、誰をもに平等に開かれているのだ。
他国の騎士が衛士になる場合は少しばかり面倒な手続きをする必要があるが、ルカは新人騎士。国家に関わる秘密など何も持っていない。その手続きもすぐに終わるだろう。
合格した気でいる自分に気づいてルカは苦笑する。筆記試験と実技試験には合格しているが、十日ほど前に受けた導師補佐官による面接が衛士採用試験のすべてだ。手応えは感じているものの、いざ通知書が届くと緊張する。腹の中がぞわぞわしてきた。
「ルカちゃんなら絶対合格してるよ! リュールさんが補佐官なら絶対採用してるもん!」
同じようなことは何度も言われた。ルカなら大丈夫。絶対受かる。もしも不合格だったら、教団はもったいないことをした云々。いずれもルカを思ってかけられた言葉達だ。いい人達に恵まれたなと、ルカは心底感じる。
覚悟を決めて封を切り、手触りのいい通知書を取り出す。繊細な文字を見つめたルカは、そわそわしているリュールに通知書を渡した。途端、リュールは目を見開いてルカを見る。
「……不合格。駄目でしたね」
言葉にすると、通知書を見たときに感じた衝撃がすとんと胸に落ちた。もちろん悔しいし、不合格の文字に強いショックを受けた。夢であれ、とさえ願ったのだ。
だが、不合格は不合格。この悲しい現実を、ルカは受け入れなければならない。
「えっ……なんでなんで!? ルカちゃんみたいな優秀な子、どう考えたって合格でしょ!?」
「新人だからじゃないですか? 経験が足りないってことで」
「そんなぁ……」
肩を落とすリュール。彼女は今にも泣いてしまいそうだった。
「ルカちゃん、護衛騎士になるためにずっと頑張ってきたのに……」
優れた衛士にのみ与えられる名誉ある称号、護衛騎士。導師直属の騎士である護衛騎士はルカが幼い頃からずっと憧れ続けている存在であり、抱き続けている夢だ。
ルカが周囲の反対を押し切って騎士養成学校に入学したのは十二歳のときだ。座学はともかく、訓練はいずれも――年齢を考慮されていたが――厳しいものばかりだった。何度も泣いたし、帰りたくなったことだってある。だがルカが養成校での五年間を乗り越えられたのも、配属後の危険な任務に立ち向かえたのも、護衛騎士になるという夢を支えにしてきたからだ。
その夢は遠退いてしまったが、護衛騎士は簡単に選ばれるものではない。過去には複数人選出されたこともあるのだ。ルカにもまだチャンスはある。
今のルカがやるべきことは落ち込むことではなく、次に向けて体を鍛えたり技量を磨いたり、少しでも功績を残すこと。ルカは気持ちを切り替えるべく「また受けますよ」と笑った。
「むぅ……リュールさんが補佐官に直談判してあげようか?」
「そんなことしたら駄目ですよ」
「むぅ~……!」
納得がいかない、といった風にむっと頬を膨らませるリュールだったが、彼女は「あれ?」と不思議そうに周囲を見渡す。クレアとクレルがこの場にいないことが気になるのだろう。
「あの子達、ルカちゃんと一緒じゃないの?」
「かくれんぼしてるんです」
「……いいなぁ。リュールさんもルカちゃんと遊びたいのに……」
拗ねたリュールをなだめ、ルカは改めてスマホを操作する。支部長の名に触れて応答を待つと、すぐに『どうした、グリント』と男性の声が聞こえた。
「お忙しいところ失礼します、支部長。クレアとクレルが森に行ってしまって……。追いかけてもいいですか?」
クレアとクレルのことは支部長も知っている。元気な二人を想像したのか、電話の向こうで支部長が笑った。
『行っていいぞ。精霊を見るのが今日のお前の仕事だ』
それと、と少し言いにくそうな声を出す支部長。何を言われるかルカは予想できている。
「申し訳ありません、支部長。衛士採用試験に落ちてしまって……。せっかく推薦していただいたのに」
試験を受けるには支部長の推薦が必要になる。新人を推薦するなんて馬鹿なことはやめておけと彼は他の支部長達に言われていたのだ。そんな意見を無視して支部長はルカを推薦してくれたのに、結果は不合格。失望させたに決まっている。
怒鳴られるかな。沈黙に身構えると、支部長がふっと笑う気配が伝わった。
『気にするな。新人が最終選考まで残れたんだぞ? 支部長として、お前を誇りに思うよ』
優しい言葉がじんわりと沁みる。ルカは支部長の言葉に頷いた。
「……ありがとうございます、支部長」
通話を切る。耳を塞いでいたリュールが手を離して「どうだった?」と小首を傾げた。
「許可は下りましたよ。今日は精霊に付きっきりですね」
「そっか。けど、もうすぐお昼だよ? ねぇねぇ、今日は何食べるの?」
そわそわした様子で問うリュール。精霊に食事は不要だが、好奇心から食事を摂る精霊は多い。リュールは特にそうだ。毎日三食しっかりと食べ、おやつの時間は二回もある。夜中にジャンクフードを食べることもあるそうだ。
なのに、少しも太らない。羨ましく感じながらルカはドアを見遣った。
「ルカー、昼飯買ってきたぜー」
ドアが開き、聞き慣れた声が屋上に響く。二人の同期がカフェの紙袋を手に立っていた。
一人はルカの幼馴染みのエヴァン・フォスター。ルカが育った養護施設ヒナギク、その施設長夫婦の息子だ。アシンメトリーのグレージュ色の髪に浅葱色の切れ長の瞳。剣はルカと同じ支給品を使っているが、ホルスターに収まっているのは特注品の銃型魔具だ。
その隣にいるのはメリナ・アプフェル。王立魔法学校を飛び級で三年早く卒業した少女だ。白菫色のショートボブは少し癖があり、猫のような瞳は菫色。騎士服の上で日を受けて輝いているのは、魔法使いの証である黄金林檎のバッジだ。
二人が首につけているのは魔力抑制装置。その真ん中で、魔力核が青く光っていた。
「ありがとう。魔具の調子、どうだった?」
魔力を宿らせた特殊なガラス――魔力核と導線で組まれた擬似回路を持ち、魔力を動力とする魔具を直せるのは魔法使いだけだ。公共魔具の調子が悪いという報告がいくつか来ており、メリナは朝からその対応に追われている。エヴァンが同行しているのは、彼もある程度の魔法が使えるからだ。
「耐用年数が近い魔具ばかりだったよ。導線が切れてたけど、全部直してきた」
さらりと答えるメリナ。リュールが「メリナちゃんすごーい!」と褒めると、何故かエヴァンが誇らしげな顔になった。
「俺は補助で精一杯だったってのに、連続で魔法使っててさ。流石はメリナだ」
第弐界契刻型魔法術式、通称魔法。精霊による祝福の一つだ。
魔法は契刻符と呼ばれるものを詠唱し、魔力を消費することで発動する。使い慣れれば無詠唱で発動することも可能だ。
だが、魔法は誰にでも使えるものではない。魔力回路――鼓動の度に魔力を発生させる心臓と、全身に魔力を巡らせる血管を持つ者だけが魔法を使えるのだ。魔具の内部構造を擬似回路と呼ぶのは魔力回路を模したものだからだ。
魔力回路を持つ者は珍しく、遺伝の確率はゼロに等しい。それ故魔力回路を持って生まれた者は魔法学校か騎士養成学校に通うこと、そして騎士団に所属することを義務付けられている。入浴と就寝のときにしか外せない魔力抑制装置をつけることもだ。これらを拒む場合は魔力回路を封印する決まりになっている。彼等は貴重な存在であり、危険な存在でもあるからだ。
エヴァンは魔法学校を卒業していないため魔法使いを名乗ることはできないし、使える魔法も限られている。補助で精一杯だったというのは嘘ではないだろう。
「導線だから直せたんだ。魔力核だったらボクでも無理」
「それでもすげぇよ。メリナなら、絶対魔女になれるって」
自信満々に断言するエヴァン。彼が口にした魔女というのは不老長寿の祝福を精霊から与えられた女性魔法使いのことであり、男性の場合は魔人と呼ぶ。彼等は多くの魔法使いが憧れる存在だ。祝福を賜るべく魔法使い達は日々研鑽を積んでいるが、焦るあまり魔力回路を暴走させて命を落とす者は珍しくない。魔力抑制装置の最終警告――エヴァン曰く、首を千切られるような痛みを――無視して、だ。あるいは魔力に呑まれて理性を失い、魔獣と化すか。そうなってしまった魔法使いの末路は悲惨だ。魔獣化を解く方法は、ないのだから。
ここ百年は魔女も魔人も現れていない。ルカはエヴァンの発言に異を唱えるつもりはないが、魔女になるのはそれほど困難な道だ。魔法使いであるメリナはルカ達以上にそれを理解しているはずで、可愛らしい顔を少しばかり不機嫌に歪めている。
「……簡単に言ってくれるね、エヴァン。どうして絶対なんて言えるんだい?」
「メリナが毎日頑張ってるって知ってるからだよ。休みの日も訓練場に行ってんだろ? 昨日も遅くまで残ってたし……。偉いぜ、メリナ」
そのまま頭を撫でそうな優しい声だったが、そんなことをしたらメリナが嫌がるとエヴァンは理解しているのだろう。彼は何もせず、ただメリナを見つめている。メリナは何か言おうとした様子だが、一つ息を吐くと話題を切り替えるように紙袋を軽く掲げた。
「せっかく買ってきたんだ。冷める前に……」
言いかけ、メリナは眉をひそめる。手に持っていたはずの紙袋がふよふよと浮いているのを見れば、誰だってそうなるだろう。
「……キミが子守りしてる精霊?」
メリナの問いにルカが頷くと、眩い輝きと共にクレアとクレルが顕現した。なかなか探しに来ないルカに痺れを切らしたか、昼食の時間を覚えていたか。いずれにせよ、メリナから紙袋を盗ったのはこの二人だ。わざわざ顕現したのは食べ物を口にするために違いない。二人はいそいそと紙袋を開けていた。
「もう! 人間がびっくりしちゃうから顕現しちゃ駄目って教えたでしょ!」
「いや、怒るとこそこかよ。確かにびっくりしたけどさ」
「人間から食べ物を盗むのも駄目!」
エヴァンとリュールのやり取りを無視してクレアとクレルは紙袋の中身――ずっしりとしたハンバーガーとポテトを取り出して小さな口に運んでいる。「美味しい!」と弾んだ声を上げて光輪と光翼を輝かせる姿は愛らしいが、昼食を奪われたメリナはひどく不機嫌な顔をしていた。魔法をたくさん使えば疲れるし、お腹だって空く。それなのにこの仕打ちだ。相手が精霊でなければ、魔法の一つでも放っていてもおかしくない。
「メリナ落ち着いて。この時間なら、まだお店は空いてるはずだから」
「店内限定のケーキ、気になってたよな? 奢るぜ」
ルカとエヴァンになだめられたメリナは、ほんの少しだけ表情を和らげた。エヴァンが言う店内限定のケーキが特に効いたのだろう。ルカはほっと息を吐いた。
「メリナちゃんごめんね! ほら、二人も謝って!」
守護精霊の言葉に――命令に、しかし幼い精霊達はぷいっとそっぽを向く。そんな二人の額にリュールはデコピンをした。それが普通のデコピンではないことはバヂィッ! と鳴った凄まじい音でわかる。額から霊光を散らし、クレアとクレルは小さな悲鳴を上げた。
「悪いことしたら謝る! わかった?」
「「……ごめんなさい」」
ぼそぼそと、小さな声で気まずそうに謝るクレアとクレル。メリナが浅く頷くと、リュールは疲れたように溜め息を吐いて空を見上げた。
「いつもは、もっと素直なんだけど……偽光帯のせいかなぁ」
霊光帯ほどではないが、偽光帯も高濃度霊光の塊だ。若い精霊ほど強い霊光の影響を受け、暴走する可能性もある。ルカが精霊達の様子を気にかけるよう命じられたのはこれが理由だ。そして強い霊光は魔具に影響を与えることもある。耐用年数が近いとはいえ、あちこちで魔具に不具合が起きているのは偽光帯の影響に違いない。メリナもそう判断しているのか偽光帯を見る目は少々不機嫌だ。
ルカはしおらしい態度でハンバーガーを食べる幼い精霊達を見つめた。少しは毒気が抜けたようだが、遊びたくて――暴れたくて、と言う方が正しいかもしれない――うずうずしているのが伝わってくる。各地にいる若い精霊達も同じ状態だろう。人間に被害が出ていなければいいのだが……。
「……いつもの偽光帯より眩しくねぇか?」
偽光帯は精霊達による悪戯だ。少なくとも月に一回は出現し、多いときは十回以上空で輝いている。次はいつ出現するかで賭け事が行われるほど、偽光帯は馴染み深い存在だ。
だがエヴァンが言った通り偽光帯はここまで眩しくない。それに、いくら魔具に影響を与えると言っても導線が切れるのはおかしい。せいぜい反応が少し悪くなる程度のはずなのに。
今回の偽光帯について盈月狼教団は何も発言していない。霊光濃度の測定に時間がかかっているのかなとルカは考えたが、そうだとしても時間がかかり過ぎだ。何か別のトラブルがオルトゥスで起きたのだろうか?
「確かに眩しいけど……そんなに気にしなくていいと思うよ? 偽光帯作りに参加した光の精霊が多かったんじゃないかな」
「リュールさんは参加したことがあるんですか?」
「ほぼ毎回。でも今回は呼ばれなかったなぁ……」
「へぇ……。あ、そうだ。これ、リュールの分な」
そう言ってエヴァンはリュールに紙袋を渡す。彼女は目をぱちくりさせた。
「いいの……?」
「リュールのために買ったんだ。なぁルカ?」
ルカが頷くと、リュールは幼い精霊達以上に瞳と光輪と光翼を輝かせた。
「ルカちゃんとエヴァンちゃん大好き! あ、メリナちゃんのことも大好きだよっ!」
予想外の言葉だったのかもしれない。メリナは照れ臭さを誤魔化すように頬を掻き、それだけでは足りなかったのか、エヴァンを見上げて「ケーキ」と言った。
「奢るって言ったの、忘れないでよ」
「何個だって奢るぜ?」
それとわからないほどにメリナの口元が緩む。エヴァンに尻尾が生えていたら激しく振っていたに違いない。幼馴染みの隠しきれない喜びが、ルカにはしっかりと伝わってきた。
「よしっ! それじゃ早速」
割り込むようにして軽やかな通知音が鳴った。途端メリナの微笑は消え、菫色の双眸が忌々しげにスマホを睨む。ちっ、と不機嫌な舌打ちが聞こえた。
「……二人で行って。ボクは公園の魔具を直しに行くから」
「公園のって……防犯魔具だよな? 直したばっかじゃねぇか」
「また調子が悪くなったんだって。ケチって古い魔具使ってるからだよ、まったく……」
言いながら上着のポケットから取り出した飴を口に放り込むメリナ。がりがりと飴を噛んで飲み込むと、メリナはドアに向かって歩き出した。
「じゃ、お先」
メリナがドアを少し乱暴に開け閉めして出て行くと、エヴァンは長い溜め息を吐いた。
エヴァンが友情以上の感情をメリナに抱いていることをルカは知っている。てっきり年上好きだと思っていたから、そのことを知ったときは少なからず驚いたものだ。
「そんなに落ち込まなくても……。また誘えば」
「……さっきのメリナ、可愛かったなぁ……」
ふにゃふにゃと情けない笑みを浮かべるエヴァン。がっかりして溜め息を吐いたのではなく、メリナの微笑に感動してのことだったらしい。メリナはあまり笑わないから、その気持ちはルカにもなんとなくわかる。
「エヴァンちゃん、メリナちゃんのこと好きなんだよね? 早く告っちゃいなよ!」
満面の笑みで無邪気に提案するリュール。言葉の意味を理解しているのかいないのか、クレアとクレルまでもが「告っちゃえ告っちゃえ!」と応援した。
「は!? 無理無理! 恥ずかしいって!」
顔を真っ赤にして首を横に振るエヴァン。リュールは不思議そうに首を傾げた。
「そんなの、『愛しています。俺と結婚してください』って言うだけじゃん」
「簡単に言ってくれるなぁ! ってか、いきなり結婚って……」
「だって簡単だもん。ねぇルカちゃん?」
なんでこっちに振るんだろう。しかも期待する目で。疑問に思いつつ、ちょっとだけ考えたルカは「エヴァン、頑張れ」とだけ言うことにした。
「ったく……。ほら、行くぞルカ!」
恥ずかしさを誤魔化すように足早にドアに向かうエヴァン。ルカは彼を追い
「ルカ待って!」
必死な声に振り向く。幼い精霊達がじっとルカを見つめていた。
「どうしたの?」
屈んで目線を合わせ、なるべく優しい声で訊く。するとクレアが一歩前に出た。そっと差し出されたのは、人質にされていたペン。
「返してくれるの?」
「……うん。意地悪して、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ルカ」
泣きそうな声で謝るクレアとクレル。ルカは二人の頭を撫でた。
「僕の方こそごめんね。日曜日なら空いてるから、そのときに遊ぼうか」
ルカの言葉に幼い精霊達はぱっと顔を輝かせた。二人の喜びが伝播したのか、微笑ましそうに見守っていたリュールの光輪までもがちかちかと激しく輝いた。
「……あ!」
ふと思い出した様子で光翼を胸の前に移動させるリュール。霊光の塊である光翼はいくつかのパーツ――翼片で構成されており、リュールの指に触れられた三つの翼片がルカの方へと移動した。
リュールは毎日ルカに翼片を渡してくれる。お守り代わりだとリュールは言っているが、本来は必要ないものだ。しかも今日は三つ。こんなに渡されたことは一度もない。
「こんなにたくさん……。いいんですか?」
「いいのいいの! 遠慮なく受け取って!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。いつもありがとうございます、リュールさん」
翼片に触れる。すると翼片は形を崩し、温かな霊光となってルカの全身を巡った。
「時間取らせちゃってごめんね。気をつけてねー!」
両手を振るリュール。クレアとクレルも彼女を真似た。
「いってきます!」
手を振り返し、ルカは壁に寄りかかって待っているエヴァンに駆け寄った。




