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ネクサス・メモリア  作者: 境守凛
第四章 救世の英雄
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第四章 救世の英雄 2

 全身に鈍い痛みを感じながらルカは目を開けた。大理石のようにつるりとした場所に倒れており、すぐ側に剣が――元の姿に戻った騎士剣が転がっている。それに手を伸ばしたルカは、騎士服の汚れや破れが綺麗になくなっていることに気づいた。鈍い痛み、恐らくは地面に叩きつけられた際の痛み以外も消えている。塔に入ったときと似ているなとぼんやりとした頭で思ったルカは、そこでようやく、メイの姿が見えないことに気づいた。


「メイさん!」


 叫び、周囲を見渡すもメイの姿はない。周囲にあるのは白い――病的にまで白で統一された建物の群れだけだ。古い建築様式で作られたそれらはいずれも美しく、煉瓦一つにまで細かな装飾が施されている。崩れた建物もあるが、それはどこか退廃的な美を伴っていた。下層にも白い街並みは広がっており、学者ならば目を輝かせ、そうでない者もこの街に魅了されることだろう。


 当然、ルカにそんな余裕はない。気絶する直前の出来事は鮮明に覚えている。焦る自分に落ち着けと言い聞かせ、ルカは目を閉じて意識を凝らした。広い街だ。闇雲にメイを探し回るよりは、彼女の霊光(マナ)を辿った方がいい。だがメイもルカを探しているのか彼女の霊光はあちこちに残留しており、なかなか捉えることができない。過集中が頭痛をもたらし、息苦しさだけでなく吐き気まで感じる頃、ルカはようやくメイの霊光を強く感じ取ることができた。


 街の奥に鎮座する、いくつもの尖塔を備えた城。メイはそこに――その最上階にいる。途中でフロースの霊光も感じたから、彼女も城に向かっているのだろう。呼吸を整え、ルカは白い街を進んだ。


 街は複雑に入り組んでおり、似たような建物ばかりが並んでいる。本当に進んでいるのか不安になるほどだ。ルカは何度目かの角を曲がり、助走をつけて崩れた階段を跳んだ。


「……霊光?」


 着地したときに階段横の壁に手をついたルカは、ざらりとしたそれが霊光を宿していることに気づいて手の平と壁を交互に見つめた。進むにつれて白い街に霊光結晶をいくつも見かけるようになり、粉雪のように霊光粒子が降っているから、建物が霊光を宿していてもおかしくはないのだが――


「フロースさん……!」


 階段を登り切ると白い床にフロースが倒れていた。彼女の髪は元の薄紅色に戻っており、体のあちこちから生えていた霊光結晶は一つ残らず消えている。そのことに安堵を覚えながらルカはフロースに駆け寄って彼女を抱き起こした。呻き声をこぼしながら瞼を開けたフロースは夢と現を揺蕩うような新緑色の瞳でルカを見上げたが、不意に両目を見開くとルカの腕から抜け出して白い街を忙しなく見渡した。メイがいないことに気づいた様子だが、彼女がどこにいるのかフロースはわかっていないのだろうか?


「フロースさん。貴女も、城に向かっていたんじゃないんですか?」

「城……?」


 訝しげに呟くフロースに、ルカは城の最上階からメイの霊光を感じたことを話す。すると彼女の顔は見る間に青ざめていき、そのまま倒れ込んでしまった。呼吸は荒く、霊光も同じくらい乱れている。メイを案じるあまりに生じた不調だと思うが、とてもそれだけとは思えない。ただならぬ様子にルカが声をかけるより早く、フロースは「私に構うな!」と叫んだ。


「早くメイ様の元へ行け、グリント! 貴様が案じるべきは私ではない! 護衛騎士の本分を忘れたのか!?」


 フロースの周囲に牙の蔓が生まれ、急かすように大口を開けてルカに迫る。今のフロースにそんなことをする余裕があるはずもなく、その蔓達はすぐに消えたが、彼女の目には強い意志が宿ったままだ。


「グリント――」


 頼む、と。彼女の唇が動くのを見た瞬間、ルカは弾かれたように駆け出していた。フロースのただならぬ様子は、ルカが想像している以上に悪いことが起きようとしていることの証左に他ならない。見失ってしまいそうなメイの霊光を辿り、ルカは白い街を必死に駆ける。そうして辿り着いた迷宮めいた街の最奥、長い長い階段を登り切った先にある城の扉の前。そこに佇む白い人影に、ルカは状況を忘れて魅入ってしまった。


 長く伸ばした一房を三つ編みにした艶めく白銀の髪に、同色の長い睫毛の下でルカを優しく見つめる金色の瞳。華奢な体は金糸と銀糸が丁寧に織り込まれた純白の衣に包まれ、その身から放たれる霊光はルカにとって馴染み深いものだ。


 メイ――いや、メイによく似た半精霊(ハーフェ)は、黙って見つめることしなできないルカに柔和に微笑むと、小さな唇をそっと動かした。


「こんにちは、ルカさん。やっと会えましたね」


 声はメイに比べると少し低いが、それでも彼女の声と同じくらい美しく澄んでおり、耳に心地いい。その声でようやく我に返れたルカは口を開こうとしたが、半精霊が人差し指を立てて自身の唇に当てた瞬間何も――呼吸すらできなくなった。そのことに半精霊が気づく様子はない。ただ、「しーっ」と幼子に接するような声を出すだけだ。


「貴方の言いたいことはわかります。貴方は、おれが――」はたと気づいたような顔になると、彼は照れ笑いを浮かべた。「ごめんなさい。これも精霊術なんでした。息はしてもいいですよ。死なれたら困りますから」


 首を絞められる感覚が消え、ルカは咳き込みながら荒い呼吸を繰り返す。涙で霞む視界の向こうで半精霊が「大丈夫ですか?」と声をかけてくるのが見えたがその顔には微笑が浮かんでおり、とてもルカを心配しているようには見えなかった。抗議の声を上げようにもルカは発言を許されていない。そんなルカに、半精霊は「もう落ち着きましたね?」と有無を言わせない口調で訊いてきた。


「……」


 無言で頷く。半精霊は満足そうに微笑んだ。


「では、改めて――おれはシリウス・シュテルクローネ。メイと同じ、半精霊の導師です。あの子の兄とでも思って、気軽にシリウスと呼んでください」


 優雅なお辞儀と共に告げ、シリウスは金瞳をルカに向ける。どこか期待するようなその眼差しは、かつてメイが気軽に名前で呼んでほしいと言ったときに見せたものと同じだ。どう反応するべきかルカが悩んでいると、不意に喉のつかえのようなものが消える。喋ってもいいと、そういうことだろう。


「貴方が、救世の英雄シリウス……?」

「はい、そうですよ。想像と違いました?」


 シリウスに嘘が通じるとは思えない。ルカが「正直……」と答えると、シリウスは溜め息を吐いた。


「……だから救世の英雄なんて呼び名は嫌いなんですよ」


 嫌悪感を隠すことなくシリウスはそう吐き捨てる。謝るべきかとルカは考えたが、今はそれより重要なことがある。ルカは一歩進み出て、シリウスの目を真っ直ぐ見つめた。


「僕はメイさんを探してここに来たんです。通してもらえますか」


 シリウスを素通りするのは失礼云々以前に危険に感じられた。彼は人差し指を立てただけで呼吸を奪えるのだ。そんな半精霊に迂闊に近づくことはできない。見つめ返してくる金瞳に嫌な汗が滲むのを感じながらルカはシリウスの返事を辛抱強く待った。


「歓迎しますよ、ルカさん」


 人のいい笑みを浮かべてシリウスが背を向ける。すると巨大な扉が音もなく外側に開いた。ルカを出迎えた白い広間にはいくつもの霊光結晶があり、淡く輝くそれらから霊光粒子が立ち上っている。霊光濃度は塔の頂上と同じか、それ以上だろう。ルカは警戒しながら足を踏み入れ、霊光酔い特有の感覚が起きないことに安堵した。そしてその安堵を得られた理由が他にもあることに気づく。この霊光は――


「お城だけじゃないですよ」


 いつの間にか、シリウスが真横にいた。離れようとする足を踏み止め、ルカは無邪気に――メイそっくりに笑う半精霊を見つめる。


「この街全体が、おれの霊光でできているんです」


 とっておきの秘密を明かすような、少し弾んだ声。ルカはシリウスの言葉の意味をすぐに理解できなかった。この街は見た目以上に広い。城だけならともかく街全体がシリウスの霊光で作られているなんて、にわかには信じられなかった。だがメイの霊光を辿ったときのことを思えば、シリウスの言葉が本当であることは認めざるを得ない。シリウスもメイと同じ、半精霊の導師だ。街を構成する彼の霊光がメイの霊光を見つけにくくしていたに違いない。広大な街も、三千年という永い時があれば作れるのだろう。ルカは浅く頷いた。


「すごいですね。ところで、メイさんは無事なんですか?」


 不満そうにしたシリウスには申し訳ないが、今一番優先するべきはメイだ。ルカはシリウスの返事を待ち、ややあって彼は首肯する。広間の奥に位置する階段に近づくシリウスを追うと、彼は前を向いたまま話し始めた。


「この場所があの子に……導師の霊光を持つ者に危害を加えることはありません」

「危害って……」


 顔面蒼白で白い床に倒れたフロースの姿をルカは思い起こす。彼女が宿していた導師の霊光は今、ルカの体を巡っている。すべて奪い尽くしたわけではないが、フロースに残った僅かな導師の霊光では白い街に拒絶されてしまうのかもしれない。ルカが案じるべきはフロースではないと叱責されたが、シリウスの言葉を聞いた以上そういうわけにはいかない。ルカの不安がシリウスに伝わったのか、彼はくすっと笑った。


「フロースのことが気になりますか? 大丈夫、消滅したりはしませんよ。それに彼女は、この程度で弱音を吐く精霊ではありませんから」


 過去を懐かしむような、穏やかな声だった。もしかすると、シリウスの補佐官もフロースが務めていたのかもしれない。ルカは少し考えてから口を開いた。


「フロースさんに会わなくていいんですか?」


 返事はない。ルカはそれ以上踏み入ることを止め、ただシリウスの後ろを歩いた。


「二十年前」


 不意にシリウスはそんな言葉を口にした。二十年前といえばフォビドが魔力に閉ざされた頃だ。原因不明の魔力汚染について何か知っているのかと気になり、ルカは「フォビドのことですか?」と訊ねる。小さく頷くと、シリウスは淡々と話し始めた。

「本来界蝕光(エクリプス)は二十年前に顕れるはずだったんです。この場所――おれの霊光で作った白い街に界蝕光を封印しているんですが、おれにも限界がありまして。街に崩れた箇所がいくつかありましたよね? あれは界蝕光の封印が解けている証なんです。直してもすぐに壊れてしまうから、おれは助けを必要としていた」


 シリウスの話を聞き、だから街の話を振ってきたのかとルカは理解する。少しは話を聞くべきだったかもとルカは反省した。そんなルカに気づく様子もなく、シリウスは話を続ける。


「ですが当時の導師は八十も過ぎた老人で、導師としての力は弱い。彼に界蝕光を封印できるとは思えませんでした。だからおれは次の導師が――おれと同じ、半精霊の導師が作られて十分に育つのを待つことにしたんです」

「……メイさんは、界蝕光を封印するために作られたと?」

「あの子は……メイは、次期導師として作られた半精霊ですよ」


 ルカの疑念を否定するシリウスの声には、微かな怒気が含まれていた。ルカの馬鹿な質問に対しての怒りというより、自分自身に向けたような声だった。もっと自分に力があれば。そう考えているのかもしれない。だとすれば、その気持ちはルカには痛いほどわかる。


「メイが作られたのはそれから四年後ですね。あの子が育つまで封印が保つかはわからないので、フォビドに人が近づかないように魔力で満たす必要があったんです。霊光だと精霊達が活性化してしまうし、界蝕光が出現したときに災厄を起きやすくしてしまいますから」


 魔力は精霊から人間に授けられた祝福だ。半精霊のシリウスでも発生させることはできるのだろう。だがその結果フォビドは魔獣が跳梁跋扈する魔力汚染地帯となり、ユーフォリアの住人達は避難を余儀なくされた。仕方ないことだというのはわかっている。シリウスも好きでユーフォリアを人の住めない場所にしたわけではないことも。だがルカは、訊かずにはいられなかった。


「今話したことはメイにも教え」

「どうしてユーフォリアまで魔力で汚染したんですか?」

「……救世の英雄シリウスは、万能ではないということです」


 嘲笑混じりの声はシリウス自身に向けられていた。自身の行いが招いた結果をシリウスが悔いていないはずがない。ルカが非礼を詫びると、シリウスは薄く笑った。


「さて――着きましたよ」


 いつの間にか、ルカは華美な扉の前に立っていた。その奥から感じるのは紛れもなくメイの霊光であり、ルカは焦燥に駆られるまま扉を押し開く。抵抗なく開いた扉の向こうは絢爛豪華な謁見の間になっており、最奥部に金で縁取られた白銀の玉座がある。その側に所在なさげに佇むメイは、ルカに気づくとぱっと表情を輝かせた。


「ルカさんっ!」

「メイさん! よかった……!」


 名前を呼び合いながら駆け寄り、メイとルカはどちらからともなく抱き締め合う。甘く柔らかな香りも温かな体温も、そして微かに感じる鼓動も、どれもメイがこの場に存在している証拠だ。シリウスがいることも忘れてルカはメイを強く抱き締め、彼女の存在を全身で感じる。そんなルカの背中をメイは優しく撫で続けていたが、ほどなくしてその温もりが離れた。名残惜しさを感じながらルカもメイを離し、陽だまりのように微笑む少女を見つめる。見る者を安心させ、不安や恐怖を吹き飛ばしてくれる温かな微笑みだ。なのにルカの心のざわつきは少しも治まらない。そんなルカを気にする様子もなく、メイは無邪気に話しかけてきた。


「この街、すっごく広いでしょう? ルカさんが迷子になったらどうしようって、わたし、ずっと心配してたんです」

「メイの心配は杞憂でしたけどね。貴女の霊光を辿って、ルカさんは自力でこの城まで来たんですから」


 よく似た半精霊が交互に喋る。こうして並んでいると、本当に兄妹のようだ。二人とも会うのは初めてのはずなのに、もう何年もずっと傍にいたかのような、そんな親密な雰囲気すら感じる。疎外感のようなものを覚えながら、ルカはシリウスを見つめた。


「……シリウスさん。あの棺の中にいたのは、貴方なんですか?」

「おかしなことを訊きますね。他に誰がいるって言うんです? あれは、おれですよ」


 ほら、と三つ編みにした一房を掴むシリウス。崩れた棺から覗いた髪は編まれていなかったが、長さは同じくらいだったはず。ルカは両の拳を強く握った。


「界蝕光を封印したら、メイさんは……」


 ルカの問いにシリウスは微笑を浮かべる。メイと似ていて、しかしどこか冷たい微笑だ。


「わかってるくせに。そんなにおれの口から聞きたいんですか?」


 ルカはシリウスを睨んだ。するとメイが慌てた様子でルカとシリウスの間に割って入り、「落ち着いてください」とルカに訴えてくる。シリウスに不躾な態度を取らない方がいいことも、こんなことをしても無意味なのはルカだってわかっている。だが、そうでもしないと胸の痛みを誤魔化すことはできなかった。


 界蝕光を封印すれば今度はメイが棺の中、そして白い街に囚われることになる。それも、気が遠くなるくらい長い間ずっとだ。そんなこと――


「別にいいんですよ、界蝕光を封印しなくても。災厄は起きないかもしれませんし」


 世間話でもするかのような軽い口調で、かつての英雄はそう言った。投げやりとも取れるその言葉に真実味はなく、メイはルカ以上に不快感を覚えたのだろう。シリウスを睨む金瞳には、ほとんど殺意に近いものが宿っていた。その瞳を向けられたわけでもないのにルカは強い圧迫感に襲われ、謝罪の言葉が勝手に口から出そうになる。対してシリウスは薄く微笑むだけ。それが更にメイの怒りを煽ったのか、彼女は胸倉を掴む勢いでシリウスに迫った。


「ふざけたこと言わないでください……! 界蝕光を封印しなくてもいいのなら、わたしは大勢の人を危険な目に遭わせてまでここに来ていません!」


 シリウスへの怒り、そして今も魔獣と戦っている騎士達を心配する悲痛な叫び声だった。その声はルカの脳裏にエヴァンとメリナ、鋼鉄の魔女率いる特務部隊と二人の兇血獣(ブルート)、そして精霊達の顔を思い起こさせるには十分過ぎた。エヴァン達ならば凶暴な魔獣達にも負けないとルカは信じているが、戦いが長引けば疲労が溜まり、怪我をする可能性は格段に高くなる。それに彼等は、メイ達がフォビドとは異なる場所にいることを知らない。魔獣討伐後にメイとルカを探しに向かう可能性は否定できない。


「早くみんなを安全な場所に帰さないと……」


 その「みんな」にルカも含まれているのは、向けられた金瞳を見ればわかる。誤魔化そうとした胸の痛みが全身に広がり、メイの名前を呼ぶルカの声はひどく掠れていた。


「メイさん、僕は」


 優しく微笑み、メイはルカの両手を握る。別れを示すその手をルカは握り返したかったが、手はびくともしない。メイの精霊術か、悲しみのあまり力が入らないだけなのか。ルカは握られた手とメイを交互に見ることしかできなかった。


「ルカさん。ここまでわたしと一緒に来てくれて、本当にありがとうございました。嬉しかったし……すごく、心強かったです。貴方に出会えて、本当によかった」


 メイの手が離れる。力の抜けきった手が元に戻るのを感じてルカは咄嗟にメイの手を掴もうとしたが、他ならぬメイがそれを許さなかった。金瞳を向ける。たったそれだけの動作でメイに伸ばしたルカの腕は下がっていき、足が勝手に後ろに下がろうとする。腕に重石をいくつも取り付けられ、鎖で体を引っ張られるような感覚に抗いながらルカはメイの名を叫ぶ。彼女の金瞳は、困ったようにルカを見つめていた。


「もう」


 泣くのを堪える、痛ましい声だった。


「だから、巻き込みたくなかったのに」


 霊光の奔流がメイとシリウスの姿を隠す。凄まじい衝撃にルカの体は吹き飛ばされ、そんなルカを弾力のあるものが受け止めた。フロースの蔓だ。お礼を言いながらルカは体勢を立て直し、そこでようやくフロースの体が消えかけていることに気づいた。


「二度も言わせる気か?」


 怒気を含んだ声にルカは喉元まで出かかった声を呑み込む。嘆息一つ、フロースは霊光の奔流を見つめた。その瞳には強い後悔が浮かんでおり、握り締めた手からは血が滴り落ちている。忙しなく蠢く蔓は、フロースの内心を現しているようだった。


「フロースさん。貴女は知っていたんですか? 界蝕光を封印したら、メイさんが……」


 一瞥が返事だった。どうしてそのことを黙っていたのかとルカはフロースを問い詰めたかったが、彼女がそうしなかった理由はルカにもわかる。メイが心優しい少女であり、導師だからだ。界蝕光を封印する代償のことをフロースが正直に話せば、メイは今以上に彼女の制止を振り切っていたに違いない。導師の使命を全うするために。そしてシリウスの代わりになるために。かつての救世の英雄が三千年もの永い時を囚われていると知って、メイがじっとしていられるはずがないのだ。


「……グリント。手を貸せ」


 言い終わらないうちにフロースの半透明の手がルカの手を強く掴む。瞬間、ルカの体内を巡る霊光がフロースの方へと一方的に流れ始めた。


「何するんですか……!?」

「貴様の体に残る導師の霊光を貰っているだけだ」


 承諾した覚えはない。ルカはフロースの手を振り解こうとしたが、彼女とルカの手は蔓で雁字搦めに繋がれている。流れ出す導師の霊光に意識を向けつつ、ルカは空いた手で蔓を解こうとした。当然、フロースも無抵抗ではない。新たに伸びた蔓が絡まる蔓を掻くルカの手に巻きついた。それを無視して蔓を解こうとするルカをフロースは怪訝に見る。


「貴様はメイ様を助けたくないのか?」

「助けたいですよ。けど、貴女の方法には賛成できません」


 自身を導師だと認識させて、界蝕光を封印する。それがフロースの行おうとしていることであり、つまりはメイの代わりにこの場所に残るということだ。フロースの献身ぶりは賞賛すべきことなのだろう。だが彼女自身を犠牲にするということがルカには納得できなかった。そんなことをしたら、メイが悲しんでしまう。


「界蝕光は僕が封印します。フロースさん、この蔓を解いてください」

「貴様がここに残ればメイ様が悲しむ! そんなことも理解できないのか!?」

「わかってますよ、そんなこと! けど、それはフロースさんだって同じです! メイさんにとって、貴女も大切な存在なんですよ……!」


 フロースが虚を衝かれた瞬間をルカは見逃さない。指先に霊光を込めて蔓を引き千切り、ルカはフロースから離れた。


「導師を――メイさんを守るのは、僕の使命です」

「グリント、」

「二回も言わせないでください」


 目を閉じ、ルカは意識を凝らす。相性のいい霊光以外を使うのは非常に危険な行いだが構っていられない。それに、ルカの体に残る導師の霊光は激痛を伴いながらもルカに馴染もうとしている。使えないことはないはずだ。脳髄を焼き尽くすような衝撃に耐えながらルカは周囲の霊光を吸収し続け、一瞬だけ意識が途切れるのを感じた。霊光の熱で呼び戻されて目を開けると何やら視界が妙にちかちかしているが、見えているので問題ないとルカは判断する。激しい痛みも倦怠感も吐き気も今はどうでもいい。ルカはフロースを見つめた。


「……手伝えるのは一度だけだ。いいな?」


 新緑色の瞳に頷き、ルカは抜剣して駆ける。その隣を蔓の束が螺旋を描きながら突き進み、障壁と化した霊光に亀裂を穿った。その綻びが閉じてしまう前にルカは剣を下段から振り上げる。放たれた霊光は刃の形を取り、それが無数に殺到すると、霊光障壁は燦めきながら崩壊し始めた。


「グリント!」

「言われなくても……!」


 崩壊したはずの霊光障壁は修復されつつあり、ルカは揺蕩う霊光粒子に意識を凝らす。障壁に戻ろうとしていた彼等は困惑したようにその場を行き来し、次第にルカの方へと流れてくる。その霊光粒子達を余すことなく取り込み、ルカは亀裂の向こうへと飛び込んだ。


「ルカさん!? 貴方、どうしてここに……」


 驚愕に見開かれたメイの金瞳が恐怖に揺れた。そんなにひどい顔をしているのか思いつつ、ルカはメイの手に握られた金杖に手を伸ばす。指先が杖に触れる寸前、メイは慌てた様子でルカから離れた。ルカが何をしようとしているのか理解したのだろう。


「や、やめてください! ルカさん、ここから離れて!」


 金瞳に霊光が宿る。絶対服従を強いられるその瞳はしかし、今のルカには効かなかった。


「っ、シリウス……!」


 困惑と怯えを宿した瞳がルカから外れ、シリウスを向く。その僅かな時間だけでルカには十分だった。メイに近づいて金杖を握ると、それはルカの意図を汲んだかのように形を崩して彼女の手から消え、ルカの手の中で再構成されていく。不思議と手に馴染む金杖をしっかりと握り、ルカはメイを見つめた。どうやら彼女は、ひどく怒っているようだ。肌をひりつかせ、押し潰されるような圧迫感を覚えながら、ルカはメイと向き合った。


「ルカさん……。その杖を、返してください」

「嫌です」

「こんなことをしている場合じゃないんですよ!? 早く界蝕光を――!」


 メイが言葉を途切れさせたのは、霊光障壁の亀裂から無数の蔓が這い出てきたからだ。所々に白い花が咲いたそれは一本残らずメイの体に巻きついて彼女の体を引っ張る。強い力で引っ張っているようには見えないが、メイの体は徐々に亀裂の方へと近づいていた。蔓の檻の中にも咲いていたあの白い花には、どうやら眠りへと誘う効果があるらしい。抵抗するメイの金瞳は今にも閉じられそうだった。それでもその瞳には強い意志が宿っており、柔らかな唇から放たれた言葉は鋭い。知らず、ルカは姿勢を正していた。


「界蝕光を封印するのは導師であるわたしの使命です! 護衛騎士が余計なことを……わたしの邪魔をしないで……!」


 全身を声にしたメイの叫びは何一つ間違っていない。だが強い拒絶を宿したメイの声は意識して出しているようにルカには聞こえた。嫌われてでもルカをこの場から追い出そうとするメイの金瞳には縋るような色が宿っている。その瞳を見つめ、ルカは緩く首を横に振った。


「ごめんなさい。けど、僕にも使命があるんです」


 視界が燦めく。メイの顔が見えにくくなったことに苛立ちを覚えつつ、ルカは彼女に微笑んだ。メイが、今にも泣いてしまいそうな顔をしているから。


「どうして、」


 涙が、少女の頬を伝った。


「どうして、わたしのために……ッ、そこまでするんですか……!」

「メイさんを必ず守るって、誓いましたから」


 メイの体が淡く輝き、霊光粒子と化して少しずつ形を崩していく。蔓の拘束から逃れた右手がルカへと伸び、しかしそれも指先から消えていった。


「人間界を頼みます、メイさん」

「ルカ、――!」


 泣き声は霊光粒子に呑み込まれ、美しい金瞳と白銀の髪が消えた。


 メイとフロースの霊光と気配が消え、次いでメイとの温かな繋がりも消える。それを十二分に確認してからルカはその場に蹲った。氷が割れるような音を立てて手の甲から霊光結晶が生え、その音はルカの体のあちこちから鳴る。体を作り変えられるような激痛は増すばかりだ。フロースもこの痛みに耐えていたと己に言い聞かせ、何よりメイに無様を晒したくない思いでルカは意地を張り続けていたのだが、これ以上は耐えられない。せめて呻き声は抑えようとし――


「よく頑張りましたね、ルカさん」


 声に顔を上げると、滲む視界にシリウスの手が映った。躊躇いながらルカはその手を借りて立ち上がり、差し出された金杖を握る。精霊術が仕込まれているのか、少しだけ体の痛みが引くのを感じた。


「けど、本当によかったんですか? メイに一生恨まれるかもしれませんよ」

「メイさんがこの場所に何年も閉じ込められるよりはマシです。それに……」


 目を閉じると、幼い日のメイとの邂逅が鮮明に蘇った。そしてリュリアガでの再会と、白い街に至るまでの様々な出来事も。どれもルカの心に刻まれた、大切でかけがえのない思い出だ。その中でルカは、かつてメイに告げた言葉を見つけた。


「メイさんを守るためなら、僕はどんなことでもしますよ」

「……それは、護衛騎士の使命だからですか?」

「僕の――ルカ・グリントの使命だからです」


 ルカの宣言を聞くと、シリウスは呆れたように笑った。


「直接話してよくわかりましたが……。ルカさん、貴方は馬鹿ですね」


 いきなり罵倒されてルカはむっとしたが、直接という言葉が気になった。そのことをシリウスに訊ねると彼はルカの左耳を――イヤリングを指差す。ルカはひやりとした。このイヤリングをメイに貰うきっかけを見聞きされていた可能性があるからだ。メイに意識を繋ぐなんてシリウスなら簡単にできるだろう。ルカは恐る恐る訊ねた。


「え……いつからですか……?」

「うん……? イヤリングを支えに頑張るとか、そんなことを言っているときですね」

「よかった……」


 安堵の息を吐くルカを、シリウスは不思議そうに見つめた。


「そんなことよりルカさん。貴方の体……」

「そんなにひどい見た目してます……?」


 霊光結晶は手の甲以外からも生えており、そうでなくともメイの反応の一件がある。それにルカ自身、霊光結晶をあちこちから生やしたフロースの歪な姿に恐怖を感じたのだ。シリウスも同じことを思っていてもおかしくない。ルカはシリウスの返答を待ち、やがて白銀の髪が揺れた。


「おれは嫌いじゃないですよ。綺麗です」


 予想外の返事にルカはきょとんとし、次いで照れ臭さのようなものを感じた。それを押し隠してルカは金杖を握り直す。界蝕光を封印するためにルカはこの場に残ったのだ。シリウスとお喋りするのはあとからでいい。ルカは界蝕光を封印しようと――


「――あの、シリウスさん」

「どうしました、ルカさん」

「……界蝕光って、どうやって封印するんですか……?」

「……あれだけ威勢のいいことを言っていたのに、そんなこともわからないんですか?」


 返す言葉もない。ルカが無言を肯定にすると、シリウスは溜め息を吐いた。するとルカの手にある金杖が形を崩してシリウスの元に行き、彼の手に収まる。元々、シリウスのために作られたものなのだろう。メイにも似合っていたが、シリウスには更に似合っている。そんなことを思いながらルカがシリウスを見ていると、彼は「仕方ないですね。手伝ってあげますよ」と苦笑気味に言った。


「いいんですか?」


 小さく頷くと、シリウスは金杖を掲げ――


「この杖を、こうやって使うんですよ」


 白い世界に、鮮血が舞った。

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